自分の誕生日の少し前に、
母親と話す機会がありました。
次何歳になるんだっけ?と聞かれて、
43歳だよ。
と答えると
早いねぇ、もう43歳になるんだねぇ、
あとは坂道をゴロゴロと
転げ落ちていくだけだね。
と言うのです。
その時は、
一瞬、えっ?となりながらも
まだまだこれからだもんって笑って返して、
そばにいた父親も
40代はまだまだこれからだよ。
と言ってくれていました。
しばらく時間が経ってから、
あれはちょっと酷いなと思ってきて。
必死に傷付かないようにする自分、
フォローしてくれる父親、
何にも思ってない母親。
傷付かないように取り繕うのが
上手になってしまったなぁ。
傷付いていることにすら
気付かないところだったなぁ。
とハッとして。
まだ私が小さかった頃、
仕事人間の父親と専業主婦の母親は
私の目には
強い父親と弱い母親に見えていました。
忙しかった父親とは
顔を合わせる機会が少なく、
見えていたと言うよりは
母親から聞く話でそんなイメージを
持っていました。
強くて厳しくて
父は母の敵だと思っていました。
そして、
母の敵=私の敵だと。
弱い母親のことを、
話を聞いてあげなくちゃ、
気持ちを理解してあげなくちゃ、
私が困らせたり悲しませるようなことを
してはいけないと思っていた気がします。
だけど今は思います。
母は可哀想ではなかったんだろうな、と。
私が守ろうとした母は、
自分でちゃんと自分を守っていたんだろうな、と。
父は忙しくて、
一緒に出かけた記憶と言えば
仕事関係のイベントに同行したことが
思い出せるくらいだけど...
それでも一緒に過ごす時間を
作ろうとしてくれていたんだなと思います。
父は敵なんかじゃなかった。
母も私に守ってもらいたいわけじゃなかった。
母親を変えることはできない。
のならば、
そんな場面で何も言えない、
と言うか思考が停止してしまう自分を
変えられれば良いのかもしれないけれど、
今のままの自分で
心地良く過ごしていくために必要なのは
自分自身で気付く力と癒す力なのでは
ないのかなと思いました。
傷付いてたのに
気付かないふりしてごめんね。
自分の気持ちより
母親の機嫌を優先してごめんね。
私は私の味方だよ。
自分が一番ほしい言葉をかけてあげることが
大事ですね![]()
あとはしばらく、
物理的に距離を取って
誕生日は、
自分が喜ぶことをして過ごそう![]()
そう誓った私です![]()