吸い付いてくるような感じが、一向に消えない。潤い自体、妹のものとは滑らかさが違うように思えた。ふと私は、指に絡んでいるその液を、嗅いでみる気になった。腰を動かしながらで、手を鼻先へと運んだ。

 寛子の付けている香水の匂いと、それは酷似していた。いや、正確には、鼻と目とを不能にする点においてのみ、そっくりであった。呼吸できない闇のなかで、私は身体を激しく波打たせた。深海を泳ぐエイにされてしまった気がした。その憎々しい原因につき、考えるともなく考えはじめた。

 どんな汚臭でも太刀打ちできないほどの、真っ黄色のニオイだ。生ぐさい、汗くさい、黴くさい。いずれも当てはまらない。強いて言えば、そういった類のくさみを統合したようなニオイ、である。大便や屁のニオイとは異なるものの、肉欲を減退させるニオイにはちがいない。つまらない女なのではなく、鼻をつまらせる女なのだ。

 怒りにも似た感情を、私は覚えた。前後させている腰を垂直にし、一気に海面まで浮上した。口で酸素を補給し、光で目を慣らした。それによって人心地がつくと、異臭に弱らされた憂さをも動力とするかのように、さらに狂暴になった。真っ赤な勢いで、がむしゃらに男の芯を擦りつけた。

「裂けちゃううっ。ゆっ。ゆるしてえっ」

 聞いてやらないというより、聞けなくなっていた。強姦魔というより、男の芯そのものとなっていた。

 果てるときが来た。悪臭によってではなく、内側から沸き起った光に、私は目を眩まされた。ごくわずかな間をあけて三回、大量に放出した。オスとしての悦びには、他の女たちとのときのそれらよりも、強大なものがあった。

 再びで、仰向けでベッドの上に並んでいた。どれだけ経とうとも、寛子に動く気配は生まれない。声をかけずにはいられなくなった。

「わかってると思うけど、きみのなかで出した。洗ってきたほうがいいんじゃないか?」

 一声すら返してこない。気を失っているのではないかと按じ、私は上体を捻って寛子の顔を見た。驚かされた。大きな目が開かれたままになっているのだった。

「おいっ。どうしたんだよっ?」

 ニオイのことなど忘れ、私はその肩に飛びかかった。表情の変わったことが認められ、安堵した。だが、それも束の間のことで、ギョッとさせられた。光る線が、両の目尻から垂らされていたのである。

「なんだよ? どうしたんだよ? 断りもせずにきみのなかで出したこと、怒ってるのか? 妊娠する心配でもあるのか?」

「少しでもそれが期待できるんなら、もっともっとうれしいんだけど」

「嬉しい? じゃそれ、嬉し泣きなのか?」

「そうよ。だって、わたしの身体に満足してくれたから、わたしがつまらなくなかったから、わたしのなかで出してくれたわけでしょ? そんなこと、わたし生まれて初めてなんだもの」

 私は言葉に窮した。

「とっても残念なんだけど、おととい生理が終ったばっかりなの」

 短くは返せた。直後、寛子に動きが起った。抱きつかれ、押し倒された。嗅覚を叩き起された。私は鼻の奥にある門を閉ざした。

「真一さんっ。わたしの真一さんっ。キスしてっ。キスして真一さんっ」

 前に来た顔をはずした。その口が耳許に流れたらしく、弾む息が聞えた。

「わたしもう決めたの。どんなつらいことがあっても、どんなひどい目にあっても、真一さんに一生ついてくって。真一さんのこと、ずっと夢で見てたのは、そういうことだったんだわ。だって真一さんが初めて、わたしをホントの女に、してくれたんですもの」

「狡いこと言うなよ。女には二十歳のとき、なったんだろ?」

 鼻を詰まらせた声で、私はそう応えた。同時に、不思議にも思っていた。体臭というものは、当の本人には気にならないものだと、聞いた憶えがある。大学時代にワキガの友人がいたが、その男も、私からの指摘によって初めて意識したようなのであった。しかるに、寛子のそれは、その男のくさみなど無臭に近いと思えるほどの、濃厚なものなのだ。そのことについても、彼女自身に都合よく考えられる根拠が、用意されているのであろうか。生まれながらに蓄膿症をも患っているのだろうかと、私は心のなかで首を傾げていた。

「あら。寒いの? 鼻声なんか出して」

 こちらの鼻が常でないということには、気づいている。遠回しに訊いてやることにした。

「なんか鼻、おかしくならないか?」

「別に。……いいわ。わたしが温めてあげる」

 さらに困らされる破目になった。

「おい。俺のことはいいから、とにかくあそこ、洗ってこいよ。俺の液が、もうたっぷり逆流してるんじゃないのか? 俺も俺の、洗いに行きたいし」

「なあんだ。やっぱり真一さん、きれい好きなんじゃないの。よかった。はじめにちゃんとシャワー浴びといて」

 まったくだと、私も思った。

 お互いの身体を洗ったあとには、異臭がかなり薄らいだ。何のかのと理由をつけることで、衣服を着けたうえでの接触に持ち込めた。寛子の唾液に臭みはない。しかし、その成分にも、得体のしれないものが、含まれているのではなかろうか。そんな気が、寛子とまぐわってからの私にはしていた。

 

          十四

 

 他の費用に同じく、ホテル代も寛子が出してくれた。このときには、私は当然だと思った。何かしら手当のようなものが支給されるのであれば、遠慮なく受け取ろうとも考えていた。

 一方で、私は相当なショックも受けていた。寛子という女を、それが臭うまえには気に入っていただけに、無理もなかった。急用を思い出したので、この日のところはこれで帰ろう。車を国道に滑らせてから、私はそう口にした。わざとらしいにもほどがあると、言ったそばから自分でも思った。とはいえ、傷心を押し隠して寛子に接し続けられる自信もなかった。

「そう。それじゃあ、しかたないわね」

 意外にも、寛子は聞分けが良かった。私にとってつまらない女ではなかったという勝手な自信が、彼女を鷹揚にしているらしい。

「でも。そのかわりにあしたまた、会えないかしら。火曜までなんて、わたしとても待ちきれないわ。お祝いしたいの。つきあってくれるでしょ?」

「お祝い?」

「そうよ。やっと女になれた、あ、そう言っちゃいけなかったわね。……やっと女として一人前になれた。これならいいでしょ? それを記念して、お祝いしたいの」

 女の悦びを与えないままに悦んでしまったこと、男の液をたっぷりと注ぎ入れてしまったこと。さらには、負の感情によってそうしただけであったというのに、正の感情で捉えられているということ。あれやこれやに、私はうしろめたさを感じていた。考えもせずに応諾してしまった。

「明日もまた、会うんだからさ」

 車内で儀礼的に口づけするだけで、私は寛子をマンション前に降ろした。背中が見えた。踏むペダルを変えようとしたところで、戻ってくるのが見え、慌てて足裏に力を送った。運転席の横にまで回り、ガラスを叩いてきた。

「うっかりしてたわ。あした何時ごろに来てくれるの? したくにかかる時間もあるし」

「家を出るまえに電話するよ。ぶっ飛ばせても、ここまで一時間はかかるんだから。それだけあれば充分だろ?」

「ダメ。お料理する時間もあるしそれに」

「なんだ、きみの部屋でやるつもりなのか?」

「うん。お店だと、クラッカー鳴らしたりできないでしょ? ひと目もあるし」

 そこまでやる気でいるのかと、私は大声で笑った。

「またあ。わたしがきのうまで、どんなに苦しんできたかわからないから、そうやって笑えるんだわ。車に乗ってるときだって、そこらじゅう駆けずりまわりたいぐらい感激してたのを、グッとこらえてたのよ。女心のわからないひとね。それはそうと、何時に来てくれる? いま決められない? もしダメなら、夜中でもいいから、あしたの朝になるまえに、電話もらえないかしら?」

「そう焦ることもないだろ。なんかおかしいぞ。なんか企んでるんじゃないのか?」

「たくらんでるだなんてそんな。わたしはただ。……二人っきりで、お祝いがしたくて」

 私がやってくるまでに邪魔者を消しておこうという腹でいることが、それでわかった。その祝いの場に姉妹が同席するということになれば、姉とも合体したという事実を、わざわざ妹に告げるようなこととなる。私としても具合が悪い。といって、翌日の予定を即答できるほどには、私の気持は整理がついていなかった。電話することのほうを選んだ。

 運転しているのがやっとの時間が、ホテルの浴室で懸命に身体を洗っていたときのように、訪れた。私の頭は、うつろではなかったものの、しごく即物的であった。車の、生命ある部品になりさがっていた。

 車庫の門を閉めた。深夜には程遠かったが、玄関から入っていくことに、私はやましさを覚えた。勝手口へと回った。図らずもそこで、サーフボードさながらに大皿を抱えている母親と、鉢合せになってしまった。

「あら。土曜だっていうのに、めずらしく早いねえ。なんかあったの?」

「あ、いやあ。そっちこそどうしたのよ? この夜に、そんなもん裸で持って」

「ああ。おとなりの福本さんから、いただきもんしたのよ。お皿のまんま返してくれって、そう言われたもんでね。ああいうひとなんで、洗って拭くだけにして。それにしてもあんた、なんか顔色わるいねえ」

 そう言って近づいてきた。母の頭部は、私の胸の高さにある。見上げながら寄ってきたその顔が、私の寸前まで来ると、突如として下に向けられた。嗚咽するような音が聞えてきた。ぎょっとして、私は耳をそばだてた。それは、鼻をひくつかせる音なのであった。

「うーん。どうもなんか、さっきから変なニオイがするねえ。すはすはすは。なんだろこのくささ。動物園のカバみたいなニオイだ。すはすはすは。あんた感じない? すは」

 多少は感じていた。しかし、それを言ってしまえば、その出元を探られる運びとなることが、目に見えている。母親は、曖昧なことが嫌いなひとなのである。

「いや。俺は別に、何も感じないけどね」

「ちがうね、これは。すはすは。カバのニオイじゃない。……そうだっ。これはあんたあれっ。ワキガのニオイだよっ。すはすはすは。ウチの家系に、そんな人間はいないし。あんたきょう、外人のウチんでも行ってきたの?」

 答えずに家に入ろうとすれば、さらに追及されることにもなろう。私は適当に返し、彼女の意識を、隣家に皿を返しにいくことのほうへと仕向けた。その段には、それで済んだ。   

 ニオイの出元が衣服だけであったのなら、大学時代にそういう友人がいたこともあり、とりたてて訊かれることもなかったはずである。身体がくさかったということだと、私は覚った。改めて入浴することにした。石鹸を皮膚に、通常よりも丹念に擦りつけた。

 自室を閉めきり、全裸になったうえで、私は身体を嗅いでみた。上半身では、ほとんど感じられなかった。くさみのある液体との露骨な接触があったのは、下半身である。左右の脚を肩幅ほどに開いて立ち、その状態で前屈し、股のあたりで嗅覚を働かせてみた。清潔な香が強い。それもそのはずで、臍下から膝上にかけては、上体に倍するほどの念の入れようで、泡を起してあった。剛毛が密集している部分については、石鹸の泡を洗い流したあと、シャンプー剤まで用いて洗浄してある。万全になったのを喜びながら、私は肌着を身につけた。

 私は暑がりなほうである。浴槽には漬からなかったものの、湯上りにはちがいない。パジャマは、履くほうだけにしておいた。その姿で、安堵のタバコを喫った。

 眠る気はなかったが、服装にも唆され、ベッドに仰向けになった。身体の裏側が伝えてくる感触のせいでだろう。寛子とのベッドでのことを、つらつらと思い出しはじめた。ニオイの記憶は、帰宅早々に悩まされたこともあって、意識的に排除されていた。

 姉の胸の瘤起には、妹のそれらに勝るものがあった。

 乳房の美しさの決め手は、それを横から見た際の下方の弧線にあると、私は頑なに信じている。豊かでありつつ、いかに重力に反しているか。そのことが、その線の長短に、端的に表わされるからだ。吉祥天の手にされている摩尼宝珠を、こちらが横になって眺めたときの下線が、私の理想とするものである。そこからしても、ただやたらに大きければ良いというわけではない。また、乳頭については、それを取り巻く円、いわゆる乳輪ともどもに、瘤起そのものには背く慎みぶかさを求めたい。素の唇ほどに淡い色のものであれば、なおのこと好ましい。

 そんな小うるさい審査基準をも、寛子の二つは、見事に突き破っていた。その手応えにも、三つ年若の妹に劣らない反発力が、感じられた。先端部を口に含まずに終える要のあったことが、私には悔やまれてならなかった。

 その突起の形状については、姉妹のものはそっくりである。色の違いぐらいしか、私には見出せなかった。男に提供した回数によってなのか、はたまた単に色素によってなのか、妹のもののほうがくすんでいるように思われた。しかるに、そこの色が、そこの味わいにまで影響してくることはない。それがためでもあったのだろう。知らず識らずのうちにも、私の口舌には、妹のものを弄んだ際の触感が、呼び覚まされていた。やれやれと、私は溜息を吐いた。自分の置かれている立場の難しさを、改めて思い知った。天井の灯りの眩しさが気に障っていたこともあり、目に覆いを掛けた。

 どこの時点においてなのか、私の男に火が着けられたようだった。気づいたときには、股に突起が生まれていた。仰向いている持主を見下ろそうと背伸びしているそれを、私は手で軽くなだめた。自分の男の貪欲さに呆れながら、ベッドから降りた。タバコを喫おう、咥えようと思っていた。口から蘇ってくる記憶を、遮断してしまうためであった。

 

          十五

 

 階下からの母親の呼び声が聞えたときには、口にあるタバコは、まだ消してしまうのが惜しい長さであった。喫いながらドアを開け、何の用なのかを訊いた。果物を剥いたので食べに降りてこい、と言う。仕事と女にかまけ、話相手をしてやることも、とんとなくなっている。たまさかつきあってやるのも孝行のうちだと思い、私は応じるのを答えた。

 果物を食べ終えてからも、愚痴話は煮え立つばかりだった。水を差してやる意図もあり、私は母にコーヒーを求めた。途端にご機嫌が悪くなった。感づかれてしまったらしい。

「自分で煎れなさいよ、んなの。お湯は電子ポットに沸いてんだから。あたしに命令すんのは、お父さんだけでたくさんなんだよ」

 母にやらせずとも、その場から逃れられれば、目的は果せるわけである。頭を冷まさせることにもなりそうで、かえって効果的かもしれない。私は畳から尻を持ち上げた。

「あれっ? すはすはすは。ちょっとあんたっ。すはすは。あんたウチに上がったあと、シャワー浴びたんでしょ?」

 私の片脚を捕まえたうえで、母がそう言ってきた。思わぬことだったので、私は気がすっかり動顛していた。ただ立ち尽していた。

「ねえどうなのよおっ?」

「ええ? ああ浴びたよ」

「ええっ? じゃまさかっ。あんたがワキガだってえのっ? ……いや絶対にそんなはずないっ。あたしのほうにだってお父さんのほうにだって、そんなくさい人間は一人もいないんだ。だいたいあたしゃお父さんのにおいが好きで結婚したんだ。お父さんとの愛の結晶のあんただって、くさいはずないんだよ。どらっ。もっとお母さんのそばに来てみなっ」

「なんだよ? 今度はオヤジとの惚気話か? ヘヘ。愛の結晶と来たもんだ。こそばゆいから離してくれよ」

 私は脚を引いた。パジャマのズボンの生地が伸びたからか、母は手を引っ込めた。