渡嘉敷はなに食わぬ顔で、各賞の発表、賞品の授与を行いはじめた。別室で今野の世話をしていた面々のなかにも、その対象者はあった。拍手に包まれ、本人みずからが箱入りの物品を受け取っていた。それを見たこともあり、私は、今野のことが大事には至っていないのを想った。
今野と相部屋であるということを、私は旅館に着いた時点から知っていた。しかるべき手当を施され、すでに休んでいるにちがいない。そう想いながらも黙したままで、私は浴衣の群れとともに寝部屋の集落へと向かっていった。もちろん、闊歩する一団のなかには渡嘉敷の姿も含まれていた。そのこともあってであろう。誰1人として、歩きながらの話題に今野のことを採用している者はいないようであった。
行き着くと、部屋は無人だった。反射的に、私は今野の荷物を見てみた。案の定、それもなくなっていた。
同室の最年長者である山梨工場の小田切第1製造部長が、まず、出入口のドアに鍵を掛けることを、その近くにいた者に命じた。続いて、我々を呼び寄せ、彼の四囲に座らせた。
「いいかみんな。今夜の風呂場でのことは、見なかったことにするんだ。これは業務命令、社命だぞ。わかったな。ほかの部屋でもその話がいま、なされているはずだ。もっとも、渡嘉敷のいる所では、どうなのかわからんがな」
本社側の1人、財務部の木村が、他の者らよりも前へ身を乗り出した。
「あの部長。今野君は、病院に行ったんですか?」
「いや。意識が戻ったんで、タクシーで、東京の自宅に帰らせた。ともかく、きみたちは忘れてやるんだ。あとはおれたち、部長クラスで決めるから。な」
常で、その慰労会、5月の回も、土曜日に行われていた。日曜の昼食を終えたところで、散会となった。そこからは、自由行動となる。
週明け早々にも、何か非日常的な動きが見られるのだろうか。そんなことを考えながら、私は日曜の午後を過ごした。楽しみでならなかった。できれば、最大限に禍々しいことのほうがありがたい。そうも思われた。
(ケツカラチガ)
半日が経つのがもどかしかった。今野のことは、すでに他人事になっていた。
月曜の海外営業部に、今野の姿は見られなかった。渡嘉敷も、同じ職場にいるわけである。無理もないことだと思い、私は首肯した。
一方、その加害者のほうはといえば、のうのうと、またのらくらと、平常どおりにやっていることが認められた。それを見るにつけ、いずれ痛い目に遭わせてやろうと、私は憤りを蓄えるに留めておいた。
次の日も、その次の日にも、今野は出社していなかった。
(ケツカラチガ)
今野の負ったであろう心の傷をときに想いつつも、私は淡々と職務を遂行していた。きっちりと定時で退社し、肉体関係のある女のアパートにしけこんだり、したいのだった。
同一のフロア、同一の区画には存するものの、欧州課とアジア課とは、4つの事務机の島、北米課と中南米課とアフリカ課と中近東課を、あいだに挟んでいる。かなりの距離を隔てているといえる。
木曜、「事件」から4日目の昼休みに、何気ないふうを装い、私は今野のデスクを見にいってみた。
(ケツカラチガ)
そこで、驚くべき事実を知らされることとなった。今野のにおいを帯びた一切が、アジア課から消されていたのである。
(ケツカラチガ)
当然のこと、私はその午後に行動を起した。すなわち、今野の直属の上長である矢島係長にその真相を尋ねた。濁った答しか返されなかった。
次の変化は、その翌日に、誰の目にもはっきりとわかる形でもたらされた。そちらは、ちょっとした騒動になった。
海外営業部の者のほとんどが利用するコンピュータールーム。それの出入口のもっとも近くにあった席、北米課の渡嘉敷の席が、そのデスクごと消されていたのだ。
ただ、そちらの理由は、同日午後の、常務兼海外営業部長からの伝達文書によって明らかにされた。一身上の都合により、渡嘉敷正男は、本年6月1日より、四国工場の子会社であるところの『鳴門梱包』へ出向するーーそのことだけが、事務的に、社名入りのA4の白紙に、機械文字で印されていた。
渡嘉敷がいなくなったのちにも、今野は現れなかった。
(ケツカラチガ)
私はもとより、慰労会に参加したほかの課の男たちも、今野と渡嘉敷のことについては、口を閉ざしているらしかった。
去るもの日々に疎し、ともいう。やがて、「事件」の当事者それぞれのことを話題にする社員も、職場にはいなくなった。冷淡なものであった。
「惨事」から1ヵ月ばかりが過ぎたころ、すなわちその年の6月下旬、製品の早期出荷を依頼するためで、欧州課とアジア課の1人ずつが、山梨工場に出向かねばならなくなった。
販売予測が狂った、予想外に売れてしまったために、そうなったわけではある。だからといって、現業部門が「うれしい悲鳴」などあげるはずもない。忙しく「される」ことを呪うばかりだ。電話での依頼などでは許されるわけがない。米つきバッタに、なりにいかねばならない。以前であれば、私と今野とが行くところであった。
(ケツカラチガ)
今野の席は、空いたままにされていた。代役に立ったのは、その直属の上長である矢島係長だった。
主力工場内を午前中から平身低頭して歩いても、何やかやで夕方までを潰されてしまう。さらには、甲府駅に近い飲み屋街を引きずり回され、最終の上り電車、八王子にまでしか辿り着けない中央線に駆け込まねば済まなくされる。いつものことではないかと、出張する以前から、私は諦めていた。
矢島係長は、自家用車でやってきているのだった。工場側からの酒の誘いを断れるようにわざとそうしているということが、私には読めた。
口封じを目論んだのか、係長は早々に、帰りには彼の車で送ってくれる用意があるということを、私に言ってきた。当然のこと、ありがたく受ける旨を返した。遠距離の片道の交通費を、小遣銭に当てられるのだ。そんな単純な、姑息な喜びしか、そのときには覚えなかった。
海外営業部の会議で意見を交わしたことはあるものの、私と矢島係長とは、個人的にはほとんど話したことのない間柄であった。さらにも、彼は寡黙な人物として通っていた。
車外はすでに闇に包まれている。密室である。
(ケツカラチガ)
高速道路を飛ばすことに神経を傾けられるほうは、まだいい。助手席の私は、気詰りでならなかった。
「係長。ラジオかけても、よろしいですか?」
「ん? ……あの。……遠藤君さ」
名字まで呼ばれたので、私は車から飛び降りたくさえなった。
(ケツカラチガッ)
矢島係長は、40も半らで独身の、同性愛者の噂も喧しい美男である。
(ケツカラチガッ)
本邦でただ1人しか認知されていない、眼鏡をかけた歌舞伎役者にも似ている。
「あ、おイヤですか?」
(ケツカラチガッ)
「あ。じゃあ。そこにあるテープおかけましょうか? ね」
(ケツカラチガッ)
「あ、モダンジャズだ。こいつあいいや」
(ケツカラチガッ)
私がテープを押し込むと、直後に矢島係長が左手でイジェクトボタンを押した。
「いや遠藤君さ。きみ」
(ケツカラチガケツカラチガケツカラチガッ)
「あの。きみさ」
(ケツカラチガケツカラチガケツカラチガッ)
「うーんとさ。あのあの」
(ケツカラチガケツカラチガケツカラチガッ)
「きみも見たんだろ? あのときの現場」
「へ?」
ちらりと目を向けてくることもせず、矢島係長はそう問うてきた。何のことなのかが判然としないため、私は黙っていた。
「今野のことだよ。もういいと思うから、教えとこう。彼とっくに会社、辞めてるんだ」
驚きの声しか、私は返せなかった。再びで、車内はエンジンの音だけになった。
(ケツカラチガ)
「救急車ごとだったんだよ、ホントは。肛門と直腸の、手術までしたんだからね。地元で噂になるのがイヤで、工場の奴らが……」
「はあ……」
(ケツカラチガ)
5分ほどが後方に飛んでからであったか。係長は唐突に、言葉を繋げだした。
「僕は今野のことが、気の毒でしょうがないよ。あんな悪党、警察に訴えてやればよかったんだ。ホントなら刑事事件、傷害事件じゃないか。僕だったらそうした。でも家庭がある今野は、そうはいかなかったんだろう」
噂にたがう饒舌ぶりが、彼の悔しさのほどを物語っているように、私には思われた。
(ケツカラチガ)
「なあ見たんだろ? きみも現場を」
「え、ええ。ただ、今野さんはそのときにはもう、気を失って倒れてましたけど」
(ケツカラチガ)
「うう。……なんて恥知らずな奴なんだろう、あの沖縄野郎は。……どうして。……なんで。……今野のことが好きなんだったらせめて。……誰にも知られないようにして、抱いてやれなかったんだ。僕はね遠藤君。渡嘉敷のそういう卑劣なところだけでも、憎くてたまらないんだよ。どんなに非力な今野だって、風呂場でじゃなかったら、戦いようがあったはずなんだ。むざむざと犯されたりなんか……」
私は、矢島係長と今野に肉体関係があったということを、そこまでに用いられた1つの単語によって、確信した。
どちらか一方なのか双方ともなのかが、相手の臭い排泄物が出てくる孔へおのが男の芯を挿入し、悦んだ挙句、男の液を放出していたというわけである。2人のその行為を想像しただけで、私は腹を震わせそうになった。大いなる寛ぎを、覚えてもいた。係長が、渡嘉敷のようにはなりえない人物、満たされぬ欲情を第3者の尻で処理してしまおうなどとは考えない男色者だということが、掴めたからであった。