〝わかりました.だけど僕,生まれてから一度も,弁護士さんのお世話になったことがないんです.どうしたらいいもんなのかが,さっぱりわかりません〟

〝心配ご無用だよ.僕のほうで順繰りに進めていくから,きみはそれに従っていればいい.きょうのところは,僕から質問されたことに答えてくれればいいんだ.ただし正直にだよ.たとえそれを述べることが,きみにとって不利なことであるように思われても,きみにとってとても恥ずかしいことであってもだ.僕のことを信じてくれ.いいねサック〟

 言い終えると、セレスタインは、左手で私の腰を軽く押した。部屋の奥へ行こうという合図にちがいなかった。彼の背中の向こうに、両袖机があるのが見えた。そこに就いた者がドアまでを見渡せるかっこうで、置かれている。

 右側の本棚の前に、一脚の大きな椅子があった。後頭部までをもたせ掛けてもまだ余裕がありそうな背もたれをもつ、蛸足にローラーを履かせたものである。それを、私から離れた小男は、相撲の取組相手ででもあるかのように、赤らめた顔でみずからの机の手前まで突き押していった。その座面に尻をうずめるようにと、私は指示された。

 私専用にこしらえたものであるらしい、てかてかした水色のファイルを、セレスタインは開いた。左の人差指をハーモニカにしながら、厚紙の中身に青い目を転がしはじめた。

 十分ほどが過ぎていたか。突如として私は声をかけられた。白人弁護士は顔を落したままであった。

〝これからきみの事件の概要を語る.しばらくは黙って聴いててくれ.いいねサック〟

 頷きの言葉を返すと、私は手を組んだ。神経を耳に集中させた。

〝そこでだ.きみを逮捕した警官からの尋問に対し,ウィスキーを数滴たらしただけのような限りなく氷水に近い水割りを三杯のんだにすぎないと,きみは答えたことになってる.こちらの資料にはそう書かれてる.事実かサック?〟

 第一問がそれであった。正直に答えるようにと言われている。

〝警官に答えた内容は,正しいです.しかし,それはウソです.どうでしょう? ストレートに換算すると,ショットグラスで七杯分,ぐらい呑んでたと思います〟

〝わかった.でも,きみが警官に答えたとおりのことを,死ぬまで言いつづけるように.いいね?〟

 大袈裟なことを言うなと思いながら、私は了解した。その時点になってもなお、セレスタインはファイル越しにものを言うことをやめずにいた。

〝だけど‥‥.きみの言ってる程度だったら,なんでこう書かれてるんだろう?〟

 独り言のように、彼はそう呟いた。私は説明を買って出ることにした。

〝測定不能とか.そんなふうに書かれてるんですか?〟

〝うん,まさにそのとおりなんだよ〟

〝それは,僕の吹き込んだ息で,アルコールの計測器が壊れたからなんです.僕は子供の頃から,トランペットを吹いてましてね.ほんのいたずら心から‥‥〟

 そののちしばらく、セレスタインは私の話に聞き入っていた。

 張子の虎のように首を縦に揺らしながら、弁護士は眼下の紙を別のものと取り替えた。

〝ふーん.‥‥そんなことも,あるもんなんだな.でも,それしきのことでぶっ壊れたんなら,もともとイカレてたんだろうね〟

〝そうかもしれませんね〟

 私が答えたのに合わせるかのように、セレスタインは顔を起した。ウェーブのかかった黄色い髪が揺らされた。

〝あれ? これはどういうことなんだろう.拘置所で尿検査を受けたよね? サック〟

〝ええ.レベル2を越えてるから,まちがいなく飲酒運転だって.そう言われました〟

〝それだけかい?〟

 法律家にふさわしい鋭い視線が、そこで初めて向けられた。

〝尿検査の結果は,それしか聞いてません〟

〝そいつはおかしい.実におかしい.じゃあ血液検査はしたかい? こっちにある資料では,そこも空欄になってるんだ〟

〝血液検査はされませんでした.身体検査なら,されましたけど.まっぱだかになるように言われて〟

〝なんだってえっ?〟

 セレスタインは立ち上がっていた。

〝それはおかしいっ.断じておかしいぞっ.きみの違反ぐらいで,そんな検査までされるはずはないんだ〟

〝そうはおっしゃいますが.弁護士さんは僕に,事実を包み隠さず陳べろとおっしゃったじゃないですか.それに,ほかにもまだあるんです,僕が受けさせられた検査は〟

〝ええ? なんだいそれは?〟

〝性病検査と,エイズ検査です.個室がいっぱいで,大部屋しか空いてないってことで〟

 白人小男は腕を組んだ。しばらくは虚空を睨んでいた。天井を見上げてから、私の顔に目を向けた。

〝なあサック.どんなふうな検査だった?〟

 中年の、太った黒人婦警たちのことから、私は語りだした。性病検査が終えられた。そこまでを陳べたところで、聞き手が口を開くのを待った。

〝それで,その検査の結果は?〟

〝紙コップに精液を採られた段階では,何も言われませんでした〟

〝そうか.じゃあ,エイズ検査のほうは?〟

 男の芯にガラス棒を突っ込まれた。私はそう言ったが、弁護士は無言のままで首をかしげるばかりだった。どういう状態なのかを、頭に思い描くことができないのではなかろうか。じれったくなり、私は言葉を付け足してやることにした。

〝たとえばほら,アメリカンドッグですよ.局部をあんなふうにされたんです〟

〝なんだいその,アメリカンドッグ,っていうのは?〟

 お坊っちゃん育ちなのか、セレスタインは、そんな名称の食べものなど知らないという。私は彼に辞書を求めた。ない。その食品の名は、いわゆる「和製英語」であるのかもしれなかった。続いて私は、「ホットドッグ」を当たってみた。そちらはあった。よって、そこに書かれている内容の、使いものになる部分を用いて説明することにした。

〝おおよそわかったよ,サック.‥‥痛かったろう?〟

〝ええ.でも大量に射精させられた直後だったんで,通常よりは尿道が開いてたのかもしれません.きょうで四日目になりますけど,もうほとんど痛みはありません〟

〝ペニスに傷跡は残ってないかい?〟

〝どうでしょうかね? なかったと思いますよ.検査のあと,黄色い薬を塗られましたしね.特に意識しては,見てないんです〟

〝大事なことなんだよ,サック.恥ずかしいだろうけど,僕にちょっと見せてもらえないかな? 場合によっては,写真も撮っておきたいし,医者に行ってもらうことにもなるかもしれない〟

 私は弁護士を疑った。眼光を鋭くした。

〝さわったりは,しないでしょうね?〟

〝もちろんだともっ.こうやって,腕を組んだ状態で,見るんだし.それに,僕は同性愛者じゃない.妻と子供,それにハハ,ガールフレンドだっている.僕はただ,きみの今後のことを考えて言ってるんだ〟

 私はまず上着を脱いだ。それを椅子の背もたれに掛けてから、ベルトを解いた。ワイシャツとネクタイの裾を、Tシャツの裾の内側へ巻き込んだ。ズボンの前を開け、パンツとともに膝まで下ろした。

 私の前まで回ってくると、セレスタインは腕組みしたままでしゃがんだ。男の芯の先端部を彼に向けるようにと、私に求めてきた。

〝わかるよサック.恥ずかしさで緊張してるんだろ? でも僕は何もしやしないんだ.リラックスしてくれよ〟

 縮み上がっているものと、想われているらしい。私は癪に触った。早く切り上げたくもあった。

〝これが通常の大きさなんですよっ.まだなんですかっ?〟

〝いやもういいよ.恥ずかしい思いをさせて悪かった.若いから回復が早いんだろう.傷跡はどこにも見つけられなかった〟

 私が身仕度を整え、椅子に座ってからもなお、セレスタインは無言であらぬ方を向いていた。時間をやり過ごすことでカネを稼ごうとしているのではないか。支払いが会社もちであろうとも、無駄銭を使うことはない。日本人をナメるなとも思い、私から話しかけてやることにした。

〝悪いけど,あと五分ぐらい,放っておいてもらえないかな.サック,きみはタバコを喫うかい? 僕は喫煙者じゃないけど,一服したらどうだい? 女房が喫うんで,僕は気にならないんだ〟

 そう言っているうちにも、引出しのなかからガラスの灰皿を取り出していた。

〝じゃあ一本だけ喫わせてもらいます.でもそれが終ったら,ちゃんと話してくださいますよね?〟

 セレスタインは首を縦に振っただけだった。

 私が紫煙をくゆらせるなか、彼は時折、思い出したように、ファイル内の書類に目を落していた。しかし、手に取ってみることまでは、しなかった。私の弁護の仕方を練っている。そんなふうにも見えた。いつになく短くなるまで喫ってから、私はタバコの火を灰皿でにじり消した。散らばっている灰を吸殻で寄せ集めてから、居住まいを正した。

〝さあ弁護士さん.喫い終りましたよ〟

 セレスタインは大きく頷くと、椅子に座り直した。机の上で手を組み、顔を強張らせた。この国の大統領がテレビ演説をするときの様子と、そのさまは酷似していた。

〝合衆国国民を代表し,またロサンジェルス市民を代表して,日本からの来訪者であるきみサックゾウイイクラに,わたしジェイムズセレスタインが,心よりお詫び申し上げる〟

 おいおいと、まず私は思った。医者の真似事のあとには大統領の真似事なのかと、心のなかで黄色い頭の白人をあざけった。

〝どういうことなんですか? それは〟