「あのさ。そんな内輪話と、竹森さんの借金と、どういう関係があるわけよ?」

「すいません。つまりその……。おれの自腹契約の件まで、話を戻してください。みんなそれなりに隠れてやってることなんですね、自腹契約って。新規を取れば、ちゃんとボーナスに反映してもらえるんで。んまあ、あとでいくらかは戻ってくるんだからって、自分で自分を説得して。でも当然、限界はあるわけです。……新開さんがおっしゃってたとおりで、志村さんは頭のいいひとでした。だから、自腹契約のやりかたも、ハンパじゃない規模だったんです。その子分の古川さんも、親分にならえだったんです。そんで、2人がいなくなって、ふた開けてみたらなんと。本店に残されてた自腹契約が、43件もあったんです。それだけで、月額17万ちょっとにもなります。おれのもともとの自腹契約の分と合わせたら、月に21万もかかることになるんです。……ウチは、他の専売所よりもグッと、給料がいいんです。福利厚生もしっかりしてて、家賃も、ワンルームのマンションとか1Kワンケイのアパートとかなら、専売所もちになるんで、1円もかかりません。けど、月に21万円も出してたら、何のために働いてんのかわかんないじゃないですか。それでおれ、パチスロにカネつぎ込んだり、所長にバレないように本店のカネ操作したりして、やりくりしてきたんです」

「で、ついに爆発しちまったと」

「ええ。でも、幸か不幸か。本店のカネいじくり回してたことが今夜、所長にバレちゃいましてね。『いったいどういうことなんだこりゃあ』って、怒りの電話がかかってきて。それでおれ、新開さんのお宅には戻らないで、本店へ直帰しちゃったって。そういうわけなんです」

 まだ終りそうにはない。目顔で先を促した。

「だからおれ、もうどうとでもなれって思って。本店で所長と向き合ってすぐにおれ、『本店の店長にしてやるなんて、とんだ尻拭いだったじゃないですか。志村さんや古川さんの空売りしょい込まされて、おれ生き地獄だったんですよ』って。所長に洗いざらいおれ、ぶちまけてやってたんです。そしたら所長の野郎『志村がそんなことするはずがない。古川だってそうだ。全部おまえのデッチアゲだ。女やギャンブルでこしらえた汚らしい借金を、いまは居ない2人のせいにしやがって。このできぞこない野郎が』って。額に青筋たてて、ガラスの灰皿カベに投げつけて叩き割ってまで、怒り狂いやがって。……そんななかで、新開さんからのお怒りのお電話が、あったわけなんです。所長の野郎『誰からだ。どうしたんだ』って、怯えまくってたんで、おれもワルノリして『警察ですよ警察。デカからですよ。だって志村のやってたことは、りっぱな業務上横領じゃないですか。おれはその尻拭いを、させられたに過ぎないんですからね。まあもちろん、おれ自身もタダでは済まされないとは思いますよ。だけど所長、あんたも覚悟しといたほうがいいですよ。せっかくのいままでの栄光も、テヘヘ。これでもうオジャンですね、お気の毒さまですね』って。そうぶちかましてやったんですおれ。……実は、このあとにもまたおれ、本店へ戻らなくちゃいけなくって。クソ所長とまたおれ、やりあうことになってるんです。んええ。きっと徹夜になるでしょうね。……でもヘヘ。いい気味ですよ。普通の時間に生活してるあの野郎とは違って、こちとらはネズミやゴキブリとおんなじで、夜中にこそ本領発揮なんですからね。テへへへ。……あのクソッたれ。いまに見てろよ、おまえの運もこれまでだ――」

 なおも竹森は、ぶつぶつと所長への恨み言をつぶやきつづけていた。段々に、はっきりとは聞き取れないものとなっていった。

 何度目かの、沈黙の時間が流れはじめた。竹森の鼻息がやけに荒くなっている。酒は呑めないと言っていたのに、酔っぱらいのそれのように聞える。下向きになっているその顔を、覗き込んでみた。なんと、居眠りしているのであった。ひょっとするとこの男は、ただならぬ精神疾患をもっているのかもしれない――そう想われた。だからといって、容認してやる気などさらさらない。

「おい竹森ひろしっ。……やい竹森ひろしっ。……よう竹森ひろしっ――」

 すでに「夜中」といえる時間帯に入っていたが、かまわずに姓名を、かけ声つきの大声で呼び続けた。すると、その7回目だったか8回目だったかに、竹森はスパッと頭を起した。両目を見開いた。上体を反り返らせた。

「新開さんあのおれ。ひろしじゃありません。ひろふみです。ひろふみって読むんです、ああ書いて」

 いよいよでその頭が疑われた。

「んなこたあどうだっていいんだよっ。どうしてそうガキみたいなんだよあんたはっ。あんたあいまオレを相手にっ。いったい何やってるとこなんだよっ? ええっ? どこで寝てんだよっ」

「い、いや。寝てたんじゃありません。気づいたら、意識うしなってたんです」

「おんなじこっちゃねえかっ」

「ちがいます。いや、おれはちがうと言いきれます。新開さんには、おわかりいただけなくっても当然のことなんですけど。実はおれ、1回目に新開さんとこをお訪ねするまえから、マジでヘトヘトだったんです。実際おれ、今日1日、まだなんにも食ってませんし。タバコパカパカすうことだけでおれ、どうにか今まで正気でいられたようなもんなんで」

「あのなあっ。あんた相当の甘ったれだな。黙って聴いてやってりゃあ、言い訳ばっかりこきやがって。いい年こいてるくせによ。1回ヤクザに、東京湾へでも沈めてもらったほうがよかねえか? オレに同情、求めてくんじゃねえよ。志村や古川の空売りのことをすぐに所長に報告しなかったことだって、おめえ自身でやってきた空売りのことだって、結局は全部、おめえ自身で判断して飲み込んだこっちゃねえか。いまさらああだこうだ泣きごと言うな、50ちかい男のくせに。ましてやオレは部外者なんだぞ。おめえらの内部事情なんか、聞きたくもねえんだよ。まったく関係ねえんだよ。わかってんのか?」

 意気消沈したのか、竹森は、また前かがみの姿勢になった。放置しておけば、また居眠りしだすかもわからない。この男に対して情けは禁物であるものと思われた。軽く片脚を蹴ってやった。起立して話すことを命じた。

「そんな殺生せっしょうな。絶対に意識が飛ばないようにしますから。新開さんにはご関係のないことでしょうが、このあとおれ、新開さんのお宅を出て本店に戻ってから、男の勝負が待ってるんです。お願いですから、いじめないでやってください。こんど意識うしなったらおれ、左手の小指こそ詰めませんが、小指の生爪、ペンチお借りしてはがします。ですから」

 その顔色は、たしかに悪い。青黒い。救急車を呼ばねばならないような事態に、なられても困る。顔を伏せるな、背筋は天井に向けて伸ばしておけと、命令内容を緩和してやった。

「まったくあんたって奴は。で、どうすんだよこれから? 所長と、まっこうからぶつかり合う気でいんのか? そんなことして、少しでもるところがあんのか?」

「もちろんあります。おれもただのバカじゃないです。おれがいなくなったらあいつ。所長のクソ野郎には、実務面がまったくわからなくなる、把握できなくなるわけなんで。どう威張り散らそうが、最後には、おれに頭さげるしか、なくなるはずなんです」

「はず? はずねえ。竹森さん。あんたは自分にかなり甘いひとだから、あえて言っとくけどさ。そうあんたが考えるようにうまくは、いかねえんじゃねえのか? 相手は腐っても、全国紙の専売所のトップなんだぜ。あんたらがやることのほとんどは、不正なことも含めて、ある程度わかっててやらせてんじゃねえのか? 結局のところは、使用者と使用人の関係に、すぎねえんじゃねえのか? ええ? どう思うよ? 無謀すぎんじゃねえのか?」

 銀色の光が、竹森の両目を走りぬけた。

「お言葉ですけど。あいつは志村に100パーだまされてたこと、おれにゲロってるんです。そんなバカタレが、業務のすべてに通じてると思われますか? 新開さんの買いかぶりですよ。だいたいあいつは、おれと年が1個しか違わない、49のタコ、しかもお坊ちゃん育ちなんです。怒鳴りゃあなんとでもなると思ってる、ただの甘ちゃんなんです。新開さんに甘ったれだって言われてるおれが、そう言うのも何なんですけど。またお叱りを受けることになるかもしれませんが、おれはあいつよかは。あのクソ所長よりかはずっと、苦労して生きてきたっていう自負があります。だからおれ、おれが負ける気なんか、まるでしないんです」

 言ってくることの一々が、どこか子供じみている。腐してやらずにはいられない。

「だけどさ、竹森さん。あんたは、あんたがそうやってボロカス言ってる男の、1使用人にすぎねえんだぜ。使用人なんだよ、使用人。こんなところでいくら偉そうにオダあげてたって、酔っぱらいが呑み屋で上司の悪口いってんのと変わんねえんだよ。いざとなったら、相手には最後の切り札もあるんだ。つまり、あんたをクビにするぞっていう脅しさ」

 竹森は大きく息を吸ってみせた。

「あーすんだらすんだでええぢっしよっ。めせんごメッヂャグヂャにすでやっでがらえなぐなでやれまっしがっ。へっ。えぢんぢがふづがすんぶん配達へえだづがでげね事態じでぬ追えごんだれまっしっ。すんぐれんごっだらおらにだてでげんでっしっ。ナミでもらではごまれましがよっ。はっ」

 国訛くになまりを塗りたくらせたに違いない不可解な言葉を、低音で響かせた。この男はいったい何を言いだすのか、と思った。馘首かくしゅされたら、ボーナスなど出なくなるではないか。そうなれば、この日に貸してやった8万7千円を、この男はどうやって返すというのか。

「なるほどね。いざとなったら、自爆テロも辞さないってわけか。男だね。いや男だ。感心した。見直したよ竹森さん」

 心にもないことを言うときの常で、目を見開き、視線を相手の眉間のあたりに集中させた。

「あだるめえっしよっ」

 一拍おいてから、目が合った。直後に竹森は咳き込みはじめた。発声器官のチャンネルを首都圏むけのものに戻すためでそうしていることが明白な、わざとらしい発作であった。

「ゴホゴホッ。んんっ。……新開さん、自慢するわけじゃありませんけど、どこの誰が好きこのんで、雨の日も雪の日も嵐の日も、ズブ濡れになりながら、バイクでこけないように神経トンがらせながら、新聞の配達なんかするんですか。あの野郎、クソ所長はそんな経験、ほんのちょびっと、しただけなんです。あとはあいつの親父さんがやってた、専売所の経営のほうにどっぷりだったんですよ。こっちは叩き上げなんです。滑った転んだごめんなで、50年ちかくも生きてきたんですよ。約半世紀ですよ、1世紀の半分ぐらい。……おれだって、バブルがはじけて会社が倒産してなかったら、こんな仕事、こんなクソみたいな仕事、一生やってなかったでしょうね。けど、現実は甘くない、なかったんです。仕事を選んでる余裕なんて、まったくありませんでした。で、飛び込んだのがこの世界なわけです。おれ、努力したと思ってます。……あの野郎、クソ所長は、他人の釜のメシなんて食ったこともない、ピッカピカのお坊っちゃんなんです。大学も、カネで入れてカネで出られるような大学、女子学生が美人だらけなことだけがウリの、オマンコ大学なんです。住みたい街ナンバーワンの、きち陽寺ようじにあるクせいえい大学。政府自認党じにんとうの総理大臣が出たク成栄大学。そんなヘッポコ大学の、ア法学部オ政治学科ときてやがるんです」

 いよいよ怪しくなってきた。さらにたたみかけてやることにした。

「じゃあれだ。竹森さんは所長からさ。クビになりたくなかったらおまえ、おれのケツの穴なめろって言われたら、きっぱりと断るつもりでいるわけ?」

「あったりまえっすよっ。冗談じゃありませんよっ。野郎のケツの穴にワリバシかエンピツつっこんで、永遠にクソッタレになるようにビロビロに、ひっぱり伸ばしてやりまっすよ。んええ」

 ああ、このままでは、貸してやった8万7千円は、絶対に返ってこないな――そう確信できた。となれば、次の手を講じねばならない。目の前のバカを相手にしている時間が、ひどく惜しく思われはじめた。