私は飢えている。そばで見ると、余計に好い女に思われた。若草色の胸がこんもりと盛り上がっていること、バストが九十センチはあろうことも、そのときには認められた。女だと思うな、というほうが無理なのであった。
「どうなさったんです? 道具を取りにいってきますから、横になっててくださいね」
要らぬことを考えてはならないと、私は自分に厳命した。処置を受ける箇所が箇所なのである。男として反応してしまったら、物笑いの種にされるに決まっているのだ。私は周囲の白色を目に浸透させることにした。視覚を真っ白にしておけば、男の芯も寝たままでいてくれるものと、高を括ったのであった。
看護婦が戻ってきた。カーテンの引かれる音が聞えた。ベッドに横たわっている私の膝下の隙間に、処置に用いられる品々が並べられているようだった。どんなことを施されるのかが、まったく考えられない。見えもしない。私は不安を覚えた。
「あのあの。先生からは何もうかがってないんですけど。どうするんでしょうか?」
首から上だけを起してみた。尻を突き出した看護婦のうしろ姿が見えた。光沢のあるパステルカラーだけが、浮き上がっている。丸い部分、盛り上がっている部分などは、光り輝いている。ヒップもまた、九十センチはありそうだった。女体であるということを、意識しないでいられようはずもないのだ。これはえらいことになったと、私はあわてた。
「この容器に、液体窒素っていうもんが、入ってるんですけど」
明るい緑色の、業務用のシャンプーの容器にも似たものを、看護婦は持ちあげてみせた。
「ドライアイスはご存知でしょ? あれと似たもんだと、思ってください」
「ってことは、冷やすわけですか?」
「いえ、そうじゃないです。ドライアイスって、冷やすものではあるけど、手で持ってると熱くなってくるでしょ? ていうか、素手じゃとても持ってられないでしょ? それと似たような働きを利用して、イボの一つ一つを、その冷たさで焼くんです」
「ええっ? や。焼くんですかあっ?」
「でも心配いりませんよ。焼いてからお薬を塗りますから。焼いた跡はすぐに消えますし」
「痛いんですか?」
「さあ。わたしには、経験がありませんので。ただ、遠藤さんと同じように、内股にイボのできた中学生の女の子を、処置したことはあります。痛くはあるらしいんですけど、歯医者さんの比じゃないって言ってましたよ。痛いって先入観をもっちゃうと、それだけで痛くなちゃいますよ。気を楽うに、しててください。きょうだけで終りじゃないんですし」
「ええっ? 何回かやるんですか?」
「小さい範囲なら、一回で終るでしょうけど。先生からのご指示では、三回はやることになってます。これ以上範囲が広がらなければって、条件つきですけどね。ああ、ダメダメ。わたしもいけなかったです。とにかく始めましょう。あ、そうそう。遠藤さんこれ」
タオル地のものを一枚、手渡された。一辺が三十センチもない、正方形のものである。
「それで、ね。覆っててくださいね」
たしかにと、私は思った。看護婦は若い。こちらだけでなく、相手も面映ゆいはずなのだ。了解の言葉のみを、返しておいた。
「じゃあ。覆うの、お願いしますね」
私は身体をくつろげ、顔にタオルを載せた。両手の親指を下着の内側に滑り込ませ、腰を浮かせた。一気に局部を曝した。
「ああーっ。ちがくてあのあのおっ。そうじゃなくてあのおっ。オチンチンをあのあのおっ」
真っ赤な声である。彼女が何を慌てているのかは、私にはわからない。男の芯のことを指す幼児語のみが、理解できる。とりあえずで、一切を元の状態に戻してみることにした。
「どうしたんですか?」
顔のタオルを剥ぎ、看護婦の顔を見てみた。困惑の表情が見られたのは、一瞬だけだった。すぐに私を睨みつけてきた。
「からかうのはやめてください。平気ですよそんなの。……わたしはぺ。ペニスを覆ってくださいって。そのつもりだったんですよ」
そうだったのか、とは思った。しかし、そこにタオルを載せてしまっていては、処置が捗らなくなるはずである。情報が決定的に不足していることを、私は感じた。
「もっとはっきり指示してください。よくわかんないですよ、看護婦さんの言ってること」
「わたしのこと、イジメてるんですか?」
「だって。このタオルで股を覆っちゃったら、どうやって治療するんですか」
「だからあっ。んっんっ。棒っていうか、竿の部分を、そのハンドタオルで巻いて。遠藤さんの手で、吊りあげててほしいんです。右とか左とか上下とかは、わたしが言いますんで。それに合わせて動かしてほしいんですよ。ああっ。ほんとにまったくもお……」
かくして「処置」が開始されることとなった。不安もあり、私は首を起していた。看護婦が、ピンセットの先に挟んだ綿の玉を、容器に浸すのが見えた。それを、患部に当てられた端には、こんなものかと思った。冷たさが快くさえあった。
だが、次の瞬間には、私は我知らずのうちに呻き声をあげていた。飛びあがるほどの熱さ、凄まじい痛みを、覚えたためである。お灸の経験はあったが、その程度ではなかった。「根性焼き」という、タバコの火を皮膚に押しつける残酷な仕打ちがある。それによる熱さ、痛みを、想わされた。
「んぐっ。……がっ」
「そうそう、がんばって。すぐ慣れますからね」
そんな言葉をかけられながら、私は奥歯を噛んでいた。湿りのある綿の玉を当てられるたびに、全身の筋肉に力が入る。脱力できるのは束の間である。針を刺されるような痛みが、着実に増やされていく。回を重ねられるごと、気が遠くなっていった。
長い休みが訪れた。終ったのかと、私は頭の片隅で思った。子供の時分、母親から折檻の嵐を見舞われ、ようやく解放された直後の頭の状態と、ひどく似ているのを自覚した。
「遠藤さんたら。ちゃんと押さえててくださいよ。先っちょ、鈴に似た部分が、タオルからはみ出してるんですよ」
そう言われ、私は男の芯に意識を向けてみた。想わぬ現象が起きていることに、気づかされた。掴んでいる手に、力が入ったり脱けたりしていたためであろう。男として反応してしまっているのだった。あらためて首から上を起してみた。額に汗をかいているのを識った。それが側頭へ流れていくのを感じながら、目を開けた。芯の最先端、人間の頭部でいえば旋毛の部分だけが、タオルから突き出しているのが見えた。富士山の歌の出だし部分が、頭のなかに聞えた。
「看護婦さん。あのちょっと、天井のほうを向いててください。すぐ直しますから」
それからは、どんなに辛くとも、右手への注意は怠らないでいた。しかし、呻く私を嘲笑うかのように、男の芯は逞しくなっていく一方であった。そんなうちには、その事実を看護婦にも気づかれてしまったようだ。私に投げかけられる彼女の声に、ほのかな笑いが、含まれだしたからである。その言葉づかいにも、なれなれしさが聞かれるようになった。
「だらしないわよお。大人の男でしょ。いつまでもうんうん言ってて。中ぼうの女の子だって我慢できたことなのにい」
怒りの表情を見せてやろうと思った。その回の綿の玉が離されたところで、私は首を起した。咽も広げた。
「どんな痛さか知らないくせにっ」
驚いたのか、看護婦は両腕を身体の左右に降ろした。丸椅子に腰掛けている。ベッドと垂直になっている。それがため、その胸のふくらみ具合が、鮮やかに見てとれた。若々しく張りつめている。女であるということが、私の頭に強く意識されてしまった。そこで、微量な何かが、男の芯のなかを動いた。男の液ではなさそうだったが、液体が出たのは確実だった。タオルは洗ってから返すのを言おうと、私は心に決めた。看護婦がほほ笑みかけてきた。
「ごめんねえ。でも怒んないで。あたしだって男のひと処置するの、これが初めてなんだもん。こんなふうになっちゃうなんて……」
内服薬と軟膏が出されるとの看護婦からの説明で、被虐の一回目は、終えられることとなった。タオルの扱いについてのみ、私は譲らないでいた。
「いいのよお。どうせ消毒しなくちゃいけないんだしい。……そうだわ。だったら遠藤さん、二回目をあしたやりましょ。一日ぐらいなら、貸出ししても問題ないだろうし。ね」
交換条件を飲むしかなくなった。
翌日、私は二枚のタオルを持参した。自前のものである。病院の一枚は、洗って乾かし、ポリ袋に収めてあった。前回と同じ看護婦が当たることになったので、一言で済んだ。
「あーあ。また看護婦さんに、イジメられるわけか」
心とは裏腹の憎まれ口を、私は叩いた。
「なにそれ。あたしじゃ不満なの? せっかく先生から、遠藤さんはずっとあたしが処置していいって、ご許可をもらったのに」
みっともないところを見られるのは、一人で沢山である。即座に、私は謝っておいた。
前日とそっくり同じ過程が、くり返された。私の身体も、男の芯も、同じ反応を示していた。ただ、この日の私は、二枚のタオルを使用していた。一枚は、歯への負担を思い、マウスピース代りに噛んでいることにしたのだった。猿ぐつわをされて一物を掴んでいる。俯瞰すれば、そんなふうにも見えたことであろう。この看護婦に対してだけは、すでに私は羞恥心を捨てていた。少しでも痛みを凌ぎやすくなるのであれば、どんな無様なことでもするつもりなのであった。そういう気持が、相手に伝わらないわけがない。彼女のなれなれしさのほども、顕著に増していた。
「まだ痛い? がんばってね。……遠藤さんて、よく見るとイケてるよね。そうやってこらえてる顔も、なかなかステキよ」
女としての好意を、私は看護婦の言葉に感じた。女医に許可を取りつけたということからも、そう思われた。この女なら、頼めば合体させてくれるかもしれない。半年ぶりに楽しませてくれるかもしれない。その期待が、男の芯に、前日よりも多量の血液を送り込んだ。とはいえ、刺されるような痛みも、加えられ続けている。
「ぐっ。……ううっ」
「一休みしよっか? ……ねえ遠藤さん。遠藤さんて秘密まもれるひと?」
前半部分への答として、私は首を縦に振ってみせた。
「ここ触ってみてもいい?」
驚いたが、応じておいてやれば、あとで話をその先へと持っていきやすい。私はもう一度うなずいた。
「わ。コチコチだあ。見ちゃったときにも思ったけど、太いよね。長さはふつうだけど」
接触は、ほんの数秒で終えられた。新たな痛みを、押し付けられる気配もない。私は目を開けてみた。看護婦の顔がまともから見えた。大きく息を吸ったあとであることが、常よりも前へと突き出している胸のふくらみにも、うかがわれた。
「今度はあたしの番ね。病院のひとたちには内緒よ。いいわね。約束よ約束」
一人でとっとと続けていく。言いたそうである。このときにも、私はただ頷いておいた。だが、それだけでは許されなかった。言葉で返すように求められた。左手で口のタオルを抜き、応じてやった。痛みがなくなっているわけではないので、すぐに布を噛み直した。
「あのねえ。あたし看護学生のとき、車でひと、ハネちゃってね。ちょっとだけだったけど、おふろ系の店で働いてたことがあるの。だからよくわかるのよ。太いわ、遠藤さんの」
なおさらで、私は頼んでみたくなった。しかし、股で淀んでいる痛みが、長く口を開けること、長い言葉を吐こうとすることを許さない。短く終えられる、それでいて効果的な言葉を、白んでいる頭に求めた。次の瞬間には口内に水気が湧いていた。
「おれ看護婦さんのこと好きだ」
「あら、ハハ。あたしも遠藤さん、見てくれはタイプよ。でもマゾのひとは嫌い」
「え? 誤解だよ」
「ちがわないわよ。きのう先輩に聞いてみたんだけど、こんなにぐったりなっちゃうのは、遠藤さんだけみたいだもん。ヘヘ、マゾよマゾ。りっぱな変態よあんた」
「なんだとっ」
「あら、元気が戻ったのね。それならもう休憩は終り。ほら、早く準備して。またタオルくわえないと。早く早く」
相手には凶器がある。為す術もなかった。
私は傍らにいる看護婦を憎んだ。次々と難をふりかけてくる女という生きものを、呪った。わけても皮膚病をうつしたそれは、その治療のための痛みを刻々と脳に刻まれつづけていることから、どうあっても赦せない気がしていた。須賀多津子という女が、「負の存在」として、生涯を通じて、私の記憶から消えていかないように思われた。
「どおお? 痛い? 変態くん。ヘヘ。……どりゃっ」
「ぐぐっ。……ううっ」
「あれえ? あたしのこと好きなら我慢できるはずでしょ? どんなことにだって耐えられるはずでしょ? 男なんだから」
その言葉で、中谷寛子のことを思い出させられた。私とさえ出会わなければ、ワキガの手術など受けなくとも済んだにちがいない。出会ってしまったことにより、要らぬ屈辱感や痛みや不便さを、味わわされる破目になったのだ。私という男もまた、彼女の記憶に生涯、「負の存在」として残されることになるのであろう。頭で切り捨てようとしても、身体のほうが認めないだろう。そのことを、ここで思い知らされもした。須賀多津子を恨めなくなった。さらには、女という生きものを呪えないこと、加虐にいそしんでいる看護婦を憎めないことも、私は悟らされた。
この日の責め苦には、手加減というものがまったく感じられなかった。言葉によるそれも、むごさを増していた。
「あ。泣いてる。ハハ。男のくせに泣いちゃってる。キャハハ。でも変態くんてかわいい」
しかし、その言いざまには、将来に期待を抱かせるものが、必ずや含まれているのだった。この看護婦との出会いもまた、ほかの女たちとのそれと同様、自分の人生にあらかじめ用意されていたことなのかもしれない。この受難もまた耐え忍ばねば済まされないことなのであろうと、私は覚悟を決めた。
タオルを噛みしめると、洗剤の匂いが濃くなった。泡まみれで、全裸で働いている看護婦の姿が、白んでいる頭に浮かんできた。そこで私はとうとう、男を放出してしまった。女の裸は白い光に呑み込まれた。代わっては、帯状のブツブツが、頭のなかでゆっくりと動きだした。魚影のようにも見えた。何度か途切れながらも、それは同一の方向を目指している。均一の速度で、順序を崩さずに泳いでゆく。
( 完 )