なまものとあらばと、私は車をガレージに収めるやでトランクを開けた。ダンボール箱の上蓋を合わせてあるガムテープが異様に短く、斜めになっていた。慌てて貼られたものであるということ、梱包に慣れていない人間の所業であるということが、一目でわかった。怪訝に思い、私はその場で内を見てみた。

 製品の詰合せ、とは、一角に蹲っている小さなダンボール箱、見覚えのある箱の内容物のみなのであった。革張りのアタッシュケースが見えた。小さな箱、平たい箱がごろごろしている。手に取るなりで、私は片っ端から開けていった。モンブランの万年筆およびペンケース。ダンヒルのベルトおよび3本のネクタイ。カルティエのライター。ルイ・ヴィトンの札入れ――。鮨詰めにされていたのは、高級ブランド品のほうなのであった。

 サイズの合った革靴が三足も含まれていたことには、そこまで以上に驚かされた。スーツとワイシャツさえあれば、会社にでも出かけられそうな揃い具合である。私の上背に合う既製服はあろうが、横幅にも合うものとなると、ないに等しい。ぶかぶかのスーツとシャツでは、能無しか病みあがりに見える。さすがの大金持も、その二種には手が出せなかったのだろう。そう独り笑いしながら、未確認の平たい箱を手に取った。開けたところで、目に平手打ちを食らわされた。日本橋の有名デパートの商品券と仕立券とが、各々十万円分ずつ、入れられていたのである。してやられたとでも言いたげに、私は舌打ちした。だがそれは、あからさまに喜ぶことを自分に禁じるための、独り芝居でしかなかった。顔の筋肉がそれまでにもまして緩みだしているということを、しかと自覚できていた。

 どの時点で書いたのであろうか。夫人からの手紙も、自室で箱の内を整理するうちには、発掘された。寛子のことをよろしく頼むという旨の、ごく短い一文が、達筆な文字で、和紙に墨書されているだけであった。当世の男親どもよりもよほど男らしいと、私は惚れぼれした。いや惚れ直した。変な趣味があろうとも関係ないように思われた。その気持は、蒲鉾類の詰合せのみを抱えて階下に降りてから、さらに強められることになった。

「吉凶はあざなえる縄のごとしっていうけど、ほんとだわねえ。婚約がパアになったり、外人女からワキガうつされたりしてたんで、あたしゃあんたのこと心配してたのよ。どうかなっちゃうんじゃないかって。中谷さんのこと、絶対に手ばなしちゃいけないよ。お嬢さんでわがままでも、バカで気が利かなくっても、グッとこらえるの。いいね?」

「わがままでもないし、気も利くよあいつ」

「だったら言うことないじゃない。スタイルのいい美人なんでしょ? この世の中おカネがすべてなんだよ。お父さんを見てごらん。日本で三本の指に入る総合商社で、部長にまで伸しあがったって、このウチ自分のもんにするのがせいぜいなんだよ。それでもまだよそと比べたら、全然いいほうなんだから。あんたの会社、世間的には一流だけど、しょせんは新興の家電メーカーじゃないか。強力なスポンサーがバックにいれば、恐いもんなしになれんだよ。こうやっていっつも物くれて。中谷さんのお母さんてひとも、そうとう気っぷのいいひとみたいだし」

「なに。じゃ母さんは俺に、彼女と結婚しろとでも言いたいわけ?」

「それは……。そりゃあ二人のこったけどさ。……中小企業の社長でも、社長にはちがいないんだからね。使用人や運転手がワンサといるウチなんて、あたしゃ想像しただけでヨダレが出てくるよ。ま要するにだ。気に入られといて損はないってこと。本人にもお母さんにもね。あんたももう三十になんだから、そんぐらいのことわきまえておきな。ね」

 言われてみれば、もっともなことなのであった。夫人が見返りを求めるひとであるということは、前夜の一件でも明らかである。私は、貢ぎものの数々を、翌日からでも素直に使わせてもらおうと決めた。寛子のことも、自分の限界まで大目に見てやろうと心した。

 

          四十四

 

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 私は意地になっていたようである。いや、動物の本能と似たものにより、そうしていたのかもしれない。子犬の下の汚れを舌で始末する母犬にでもなったかのように、寛子の女の実をなめ続けてやっていればそのうちには悪臭が消えてなくなるものと、無自覚に、しかし頑なに、信じていたのかもわからない。

 目の裏側に映し出されてくるものに観たようなシーンが多くなり、早送りされるコマが増えた。白紙の堆積のなかからスナップ写真を拾い上げているのと、ほぼ等しくなった。そのことによって、私の意識は、大きく現実へとふり向けられた。

 生身の寛子の状況は、手術を受ける以前とまるで変わっていないのであった。

 口舌を絡める際の唾液に同じく、私は、寛子の股からの女の液を、一滴として吐き出すことなく飲んでしまっていた。口直しが欲しくなった。色のない空気が吸いたくもあった。さらには、意識のみならず目をも現実に引き戻したい、そのことによって新たな興奮を得たいとまで、考えられるようになった。

 神や仏に見離されているとあっては、自力でどうにかするより仕方あるまい。私は顔を、寛子の股間から引き上げた。その胸の山々へと泳がせた。二つの可憐な凸起に、くさい血豆を舐め続けなければ済まなかった悲しさを、なすり付けずにはいられない気がしていた。復讐を思うところもあった。赤い液が滲みだすことを密かに念じながら、淡いピンク色の部分のみを、強く吸った。しつこく回転させた。甘く噛みもした。

 寛子は、ただ私に身を任せているだけであった。時に悦びの声を漏らしているのが、腹部の揺れで伝わってきた。未開発の女体である。多少は性的快感もあろうが、半ばは演技にちがいない。あるいは、自分の身体のくさみは滅びたものと信じきっている様子からすれば、そのことにこそ悦んでいるのかもしれなかった。ともあれ、女の悦びを知悉している女と変わらず、自分に酔っているようにも見受けられた。そして、それのみが、私の男の興奮を支えているのだった。

 男の芯が摩擦を求めはじめた。私はゴム皮膜を手にした。それを装着させてからで、張りつめかけている自分のものの、女の実への突入を認めてやった。前回の経験により、伸縮の幅が大きいそこの皮膚さえ病気から保護してやっておけば、さほど大きな被害は受けないように思われたからである。

 男の芯を悦ばせてやっているうちには、私の頭に別の考えも生まれてきていた。口から体内に入ったくさみは、やがては別のくさみとなって排泄されてしまう。皮膚に付いたくさみは、自分自身が病人となってしまう恐れもあり、すぐにでも洗浄する必要がある。ゴムに付着したくさみであれば、証拠の品として、はたまた医師に救済を求めるための物品として、残しておくことができる。そんな考えであった。

 寛子の女の実の構造に問題があるわけではない。女として体形が整っているということは、女として機能的であるということにも通じているらしい。むしろ他の女のものよりも、具合はいい。やがて私は、男の目的を遂げた。肉の痺れが沸き起っていたが、それまでを味わっていてはならない気がし、さっさと引き抜いた。背後で次を待たれながら小用を済ませたときと、その感じは似ていた。

 さっそくで、私は事後処理にかかろうとした。通常のように、女の実から引き抜いたままで、男の芯の形が残っているままで、いわばセミの脱け殻のような状態で、コンドームをはずすつもりはなかった。その外側に付着している液に、用があるのだ。うかうかしていればシーツにこすれたりで、失われてしまう恐れがある。男の芯の根元を咥えこんでいるゴムの輪を摘み、ゴムの袋の裏側が表になるように巻いていこう。股の下にティッシュペーパーの層を敷き、そこへ男の液をぶちまけよう。そう考えていた。

「ねえ真一さん。キスして」

「ちょっと待っててくれ。こっちが先だ」

「あ。……付けてたの。……どうして」

 私は答えず、作業に集中した。

 男の液を拭き取ったゴム皮膜は、新鮮なティッシュに包んだ。

 水分の重みで灰色がかっている紙のほうに寛子の目を引きつけておき、それをゴミ入れへと運んでいこう。そちらはプラスチックの容器のなかへ落し、「物品」はその裏側に忍ばせておこう。寛子がシャワーを浴びにいっている隙に、用のあるほうを持ち帰れるように動かそう。その企てに従って動きだしたが早いか、私の頭に別の考えが浮かんできた。

 コンドームは、私の目を暗ませるほどには、くさくなかった。してみると、悪臭の出所は、女の実の内側にではなく、外側にありそうである。立ち読みしたワキガについての本、スソガについての部分にも、そう書かれていた記憶がある。筒状のゴムと、女の実の外部とは、垂直をなす関係にあったわけだ。そこからすれば、採取できたものは、微々たる量にすぎないかもしれない。念には念を入れておくべきだろう。ベッドに戻るなり、私は矢継ぎ早で、腰のない白紙を引き抜きだした。

「ごめんな、気が利かないで。ほら、脚を広げてごらん」

「そんなあ。いいわよ。あとで自分でするから。そんなことよりも、早くキスして」

「馬鹿だな。終ったあとそのままにしとくと、不妊症になっちゃうかもしれないんだぞ」

 とんでもないデタラメではあったが、病気に神経質になっている女には有効だった。当然のこと、私は呼吸を止めた。そこに自分の唾液も多量に含まれてしまっているのを思いながら、寛子の実を輝かせている液体を丹念に、一方で迅速に、拭き取った。その成果も、捨てにいくのを装い、ゴミ入れの外、そのうしろに潜ませておいた。

 寛子は、なおもしつこく、私の口舌との接触をせがみ続けてきていた。二つの考えが、私のなかにはあった。一つは、こちらの口の周りに残っているくさみを嗅がせ、この場で残酷に実相へと突き落してやること。もう一つは、何らかの口実をもうけて悲しみを先送りしてやること、である。臭気は、いまだベッドの上にもそこはかとなく漂ってはいる。だが、その事実にすら、寛子は気づいていないらしい。私は後者を選ぶことにした。

「キスなんかあとでいくらでもできるだろ。まずはシャワー、浴びてこいよ」

「どうして? ちょっとでもいいからあ」

「ダメだ。おまえのあそこをべろべろ舐めまわした口で、おまえとキスするなんて」

 汚い、と思ったのであろう。寛子は、口のなかで足踏みさせていたにちがいない言葉を、のどを鳴らして呑み込んだ。

「俺の美学に反するんだ。な。おまえもきれいになって、俺もきれいにしてから、ゆっくりキスしよ。ほら、早く行ってきな」

 汚い、とやはり思っていたが証拠で、あっさりと承諾した。妹のほうは、私の男の芯に付着していたみずからの女の液のみならず、私の男の液までを嚥下したのである。くさいくせにかわいげのない女だと、私はムッときた。先に決定したことを改めてやりたくさえなったが、さすがに堪えた。

 ニオイのあるものを剥き身で携帯するわけにもいかない。寛子がシャワーの音を響かせると、私は、ティッシュの塊とコンドームの包みとを、封入することのできるものを探しはじめた。

 ビニール袋はすぐに見つけられた。ゴミ入れの内側を覆うように装着されているものを、剥ぎとればいい気がした。しかし、場所が場所、物が物である。三代先まで祟られるような恐ろしい病原菌が、付着していないとも限らない。その場で廃案に追い込まれた。

 時間がない。焦れるあまりで、私は冷蔵庫を開けた。ビールやらスタミナドリンクやらと一緒に、袋詰めのピーナッツが入っていた。手に取ってみると、「真空パック」とある。おまけに、開口部分にファスナーも付いている。これだ、これしかない。私は心のなかで手を打った。問題は、部屋を出るに際してフロントに連絡するときである。冷蔵庫の物を何か飲み食いしたか、と問われることになる。寛子の手前がある。

 冷蔵庫のなかに防犯カメラが設置されていることは、まずありえない。一切の証拠を残さなければ、どうにかなるように思われた。私はまず、ピーナッツをティッシュの上にぶちまけ、袋の内側を拭いた。次に、持ち帰るものをティッシュで包んで一まとめにし、袋へ詰めた。限界まで空気を抜いたうえでファスナーを閉め、二つ折にしたものを、ジーパンのうしろポケットに入れておいた。寛子がバスルームから出てくる気配は、まだなかった。まんまと、その隣に設けられているトイレで、豆のほうの処理も終えられた。

 使い捨ての安易な代物だが、使わないよりはましである。自分の番が来ると、私はまず歯磨きにかかった。寛子の分が手付かずになっていたので、そちらでは、舌をこすっておいた。顔面の皮膚は石鹸で洗った。洗面台での仕上げとして、渋谷のホテルでの百合子を真似た方法により、鼻孔を浄めた。

 この回、男の芯そのものの皮膚は、無事である。その周辺部を洗うにあたっては、私はシャンプー剤を用いておいた。バスタオルで拭いてから、立ったままで前屈した。洗ってある鼻を、心ゆくまでひくつかせた。くさみの残滓は、きれいに処理できたようであった。 

 寛子が満足するまでつきあってやったのち、フロントへ連絡させた。料金の支払いも彼女が行った。男のほうが一度として前面に立たないでいることから、軽々しい男女関係ではないのを想い、軽はずみな振舞はしていないものと踏んだのであろうか。何ら疑われることもないままに、我々はホテルを出られた。あとは、夜の闇にまぎれてしまえばよかった。

 食事をした。軽く呑みにもいった。顔に出てしまう翳を問われた際には、迷わず肉体疲労を挙げた。そうしている間にも私は、こののちをどうすべきかにつき、考え続けていた。

「真一さん。あの。あれのことなんだけど。ひょっとして、なんだけど……」

 送っていく車のなかでそう言われ、ギクッとした。すでに私の方針は固まっていたからである。みずからが、寛子の手術を受けた病院へ赴き、くさみのある物品を医師に示す。診断を聞いたうえで、寛子本人とのみ相談する。そういうものであった。したがって、それまでは、その件に関しては口を閉ざすつもりでいた。女という生きものは勘が鋭い。とうとう気取られたかと思った。だが確証はない。そこまでと変わらないふうを装い、さらりと、続きの言葉を求めてみた。

「人間て、生きてるあいだに食べるごはんの回数、それぞれに決まってるっていうじゃない。だから……」

「なにが言いたいんだよ」

「真一さん、きょうの時点ではまだ、二十九歳なんでしょ? ……普通の男のひとよりもセックス、しすぎちゃってるんじゃない?」

 心の揺れは治まったが、代わってはその温度を上げられることとなった。腹が煮えた。寛子は、自分の病気のことを棚に上げ、私の精力が弱いのではないかと疑っているのである。ひとたび決定したことを覆すのは、男として潔くない。しかし、何か返しておかないことには、腹の虫がおさまりそうにない。

「なに言ってんだ、おまえのせいだよ。てんで動かないじゃないか。まるであの」

 工場で見たヨシキリザメみたいだ、と言いそうになった。私は別の譬えを探した。

「マネキン人形みたいだ。レースクイーンていう仕事のせいもあるだろうけど、ただすっぱだかで寝っころがってれば、男がウハウハすると思ったら大まちがいだぜ。たしかにおまえは、スタイル抜群だ。おっぱいは、俺が吸ってるのを他の男に見せびらかして、羨ましがらせたいぐらいだ」

「それであんなに……。いまでもまだ痛いわ。でもすごく幸せ」

 幸せになってもらっている場合ではない。

「聞いてるのか? そういうことにあぐらをかいてるから、俺が燃えないんだ。銚子で俺が酔っぱらったとき、おまえずいぶん過激なこと、言ってたじゃないか。それなりにあっちの知識はあるんだろ?」

「それは……。じゃあ、わたしが勉強すれば、もっといっぱいかわいがってくれるの?」

 勉強するものが違うことを、できれば香道でも学んでほしいのを言いたかったが、私はただ頷いておいた。

 雑談を交えつつ車を走らせているうち、私はふと、ある気づきをもたらされた。みずからが隠し事をしているせいで、そうなったにちがいなかった。それは、医師の守秘義務、ということについてである。

 自分が寛子の婚約者であるということを、私は医師に言うつもりでいた。だが、よくよく考えてみれば、口頭で伝えるだけで信用してもらえるとは思われない。

 写真を撮られるのが日常であるためか、寛子は、私と一緒にいる風景でさえ、撮ってもらいたいとは言わないでいる。私の写真を求めてくることもなければ、彼女のものを渡してくることもない。

 手紙も、その母親、中谷夫人の一筆があるばかりだ。そこに書かれている内容も、かなり漠としたものである。そんな紙切れ一枚を出されたところで、自分が手を施した患者の話などするであろうか。ましてその病気は、個人の名誉を傷つけかねない種類のものと来ている。患者名を明かされているとあっては、一般論とて、おいそれとは語るまい。