「まただ。そんなに下ネタ好きだったのか? それに、なんだか笑いかたまで、斉藤さんに似てきてるな。そんなに会ってるのか?」

「ちがうの。浩ちゃんのご両親が、おかあさまのおからだの具合がすぐれないとかで、ここしばらくはおみえにならないって聞いたもんだから。わたし、着替えとか必需品とかをトランク2つに詰めて。彼のお部屋に入りびたってるってわけ。もともとひとり住まいだったし。とりたてて不便なこともないし。マンションの管理人のおじさんにも、海外でレポーターの仕事があるんでって言ったら、ああそうですかお気をつけてって返されちゃったし。平たく言えば、あちらの合宿、てわけよね、ウフフ」

 肌の美果びかに合点が行った。この女を手に入れるためには、斉藤にどうしても死んでもらわなければならないのだ。そんな深刻な結論を下しながらも、幸治は洋子にほほ笑みかけた。

「そうだったのか。きみもなかなか、やるじゃないか」

 その言葉に応じることなく、洋子は早くも4本目に着火した。2人が並んでからまだ30分と経っていないのに、である。 紫煙を深々と吸い込んだのち、ラッパ型の白煙を天井に向けて噴出させた。攻めどきだと判断し、幸治も空気を、大きく吸い込んだ。

「たしかあのときはきみも、しばらくバスタブから、あがれない状態だったよね? おれが何を訊いても、短い言葉しか返してこなかったし。やっぱり、それほどのショックが、あったってことか?」

 洋子はまだ長いタバコの先を、灰皿に押し当てた。にじり消した。地団駄を踏むときのような怒気が、指先の、落着きのあるピンク色を、余計に引き立てていた。喫煙者に起きがちな発作のことが、幸治にはまず想われた。

「あれかあれ。トイレか?」

「ちがうの。……あの。……あのね」

 そう答えているうちにも、洋子は、吸殻にしてしまったもので灰皿をこすることをやめた。次の瞬間にはその、長短の指に挟ませていた白色のものを、容器のなかへなげうった。幅のない両手をカウンターに突き、細首を大きく右へとひねり、眼球を突き出して幸治の目を見つめてきた。クチナワに目を付けられたカワズ。そんなものに自分がなってしまっているかのように、彼は感じた。慌ててタバコを消し、自分の灰皿へ捨てた。

「何。なんだよ? 言葉にできないほどの、ショックだったってわけか?」

「ショックなんてもんじゃなかったわよっ。どう言ったらいいのかしら。……うーん。……ともかく。頭んなかで脳みそが、ゼリーやプリンや絹ごしのおとうふみたいに、プルプル揺れてる感じなの。死ぬかと思ったわ。……それに、それにね」

 洋子は、ふと気づいたかのように、ストローで飲みもの、アイスミルクティーらしきものを、き回しだした。グラスと氷片とを鳴物なりものに仕立て、次の言葉を自身の口からひねり出させようとしている気配がある。

「あのね。相手があなただから、いまだから、言っちゃおうと思うんだけど。……うーん。……えーっと」

 口からの排泄を促してやらねばならない。

「おれあっち、出入口のほう観てるから、おれの耳のそばで、小声で言ってごらん」

 左側頭部だけが蒸し暑くなった。シャネル19番の芳香も嗅ぎとれた。幸治は両目を閉ざした。この女を自分のものにしたいという思いがいよいよ高まり、よそ見などしたくなくなったのだ。

「わたしあのときね、お風呂んなかでオシッコしちゃったの」

 洋子に顔を向けることなく、彼は両まぶたと口をいっぺんに開いた。

「電気のショックで、漏らしちゃったってことか?」

 再びで熱気が、左耳に押し寄せてきた。

「ちがうの。……ああ、恥ずかしいわ。でも……。いやだわ。でも……」

 感覚脳、右脳への刺激は、やみそうにない。ほのかなものにすぎなかったオードトワレの香も、濃厚になっている女のあぶらの匂いで、野性味を帯びている。幸治は耐えられなくなった。告白者のためにもその顔、いやその両目を、見つめてやる必要を覚えた。彼は首を右に倒した。そののち、身体ごとを左、洋子へと向けた。

 いったんは固く閉じた大きな目をしっかりと見開くと、彼女は三度みたびで、彼の左腕に触れてきた。このときには、落着きのあるピンク色の5枚を凶器にされかねない力が、感じられた。ところてん式で、幸治は立ち上がりそうになった。が、あごを引くことで、それまでの姿勢を維持した。

「おれはさ。いつだってきみの味方だぜ」

「そう。そうよね。言うわ言う。だから幸治くんもおねがい、どっと構えてて」

 洋子が1つ年長であるということを、彼はその言葉で思い出した。同時に、斉藤が3つ上なのにも思い至った。不愉快に感じた幸治は、新しいマールボロを咥えた。舞い上がってきたカルティエのライターを左手で制し、みずからの純銀、シルバー925のジッポーで、着火した。

「話が途中だぜ、洋子ちゃん。おれは構えるまでもないよ。で、どうだったんだい?」

「それが、わたしのからだで生まれたものとは思えないくらい、きもちよかったのよ」

「それ? 私の身体で生まれたもの?」

 鸚鵡返おうむがえしにすることほど、話者の口をそそのかすのに好適な技術はない。

「そう。ともかく、エクスタシーのかたまりに、一気に呑みこまれちゃったって感じ」

 電流によって、たださえ大きい斎藤のもの、それも充血しきった一物いちもつが、バイブレーターと似た動きをした。そのことにより、尋常な行為ではもたらされることのない快感が、洋子の内部を支配したのではないか。そう、幸治は推測し、言葉にした。

「たぶん……。いやきっとちがうわ」

 洋子は、彼女の肉体も斉藤のそれと一緒になって震えていたという事実を、抗弁の根拠として挙げた。激しく動いているときには地震が発生しても気づかない。その理屈からすれば、かえって振動、快感は、削減されるはずだ。そんなことも、彼女は付言した。

「なるほど。きみって、身体や顔だけじゃなくって、頭もいいんだね。すばらしいや」

「またそうやってちゃかす。……わたしもエロだから、いろんなことやってきたけど、あんなになってイッちゃったことなんて、なかったのよ。……なんかやっぱり、脳と関係があるんじゃないかしらね? ……それに。……それにあなたの、あの間の取りかたがステキだったのよ、ぜったい。音楽だってそうじゃない。休符こそが音楽だって気がするな、わたし。マイルスMilesのと、おんなじ理論で」

「モダンジャズまで持ち出してくるか。やっぱりきみは、すてきな女だ。たしかにマイルスMilesデイヴィスDavisのあの曲は、一瞬でも外してたら、ああまで後世に残るものにはなりえなかったろうな。だけどおれのはただ。斉藤さんからの合図に従って、やってたことなんだし」

「いいえ、ぜったいにそうじゃないわ。あなたのタイミングのよさなのよ」

「まあ終盤では。斉藤さんが手を挙げることもなくなっちゃってたんで、おれが適当に、自分勝手に、やってはいたけどね」

「ほらごらんなさい。あなたのおちからなのよ」

「どうしてそう決めつけてくるのさ?」

 洋子は左手で口を覆うと、にわかに黄色い声で笑いだした。

「、、。とんだ失言よね。フフ。いいわ、白状するわ。実はあの次の日からわたしと浩ちゃん、それこそ何十回か、2人だけでやってみたのよ、あれを」

 幸治はただ、吐く息で喉を鳴らした。

「あきれてるのね。でも事実なんだから。……わたしがお湯に差すほうか、彼がそうするほうか。それも何度もためしてみたわ。でもぜんぜん、ダメだったのよ。……なんて言ったらいいのかしら。……そうそう。おばけが出てくるってわかってて出てきたって、ちっともこわくないじゃない。出そうだ出そうだって思ってて、それでも出てこなくって。あーあと思った直後にワッと出てこられたら、ちびるじゃない。わかるかな?」

「わからなくもないけど。おれなら、おばけ役の人間を、ぶん殴ってやるだけだけどね」

 洋子は応じなかった。うつむき、そそくさと、両ももの上に載せているハンドバッグへ、次にはその口へと手を掛けた。2通の茶封筒を取り出してきた。それらをカウンターの上に並べた。一方に金員が収められていることは、幸治にも察しがついた。

 ただ眺めるばかりでいる男にしびれを切らせたのか、洋子はポンポンと、カードでも揃えるかのように2つの包みを重ね、幸治に突き出してきた。彼はややのけぞった。

「さあ。お礼のヴァンスadvance。それと免罪符よ」

「免罪符?」

「ほら。あなたこないだ、帰るときに怒鳴るみたく言ってたじゃない。他人ひとの快楽のために、殺人犯にされるのはゴメンだって」

 2つとも封は為されていなかった。なので幸治は、いぶかしいほうに人差指を突っ込んだ。折り畳まれた便箋が出てきた。

 1枚目は斎藤の書いたものに違いなかった。法律の勉強をしているだけのことはある、堅い文面が現れた。この日の日付と彼の署名、捺印とで終っている。その下に重ねられていた1枚を見て、幸治は顔を背けたくなった。ペン習字を修めた者のそれらにちがいない達筆な文字が、並べられていたからだ。内容と年月日は別紙に同じであるが、洋子の名と印とで締め括られている。彼女の価値が、彼のなかでさらに高まった。

「おれ、神父じゃないんだぜ。おふたりさんから、永遠の愛を誓われてもな」

 そう言いながらで、幸治は2枚を封筒に戻した。