となりの低層マンションのまえあたりで、クラクションの音が2回はぜた。来た。頃合から考えても、斎藤の赤いポルシェPorscheからのものに違いない。

(今度こそヤツを、あるいは洋子ようこを、殺しちまうことになるかもしれない……)

 しかし幸治こうじは、その「作業」のまえに用意されている快楽のことを想うと、ほとんど反射的に、築後30年超の木造アパート2階の自室から、飛び出すのだった。

「よお。……こないだっからちょうど1週間だけど、まさかそのあいだにおぬし、コイたりハメたりしてねえだろうな。ええ? そんなだともたねえぞ。ヒヒ」

 斉藤は、左手で金縁のサングラスを固定させると、首から上を左へと流すことで、その素顔をさらした。探るような視線が、黄色いレンズ越しのときのそれよりも緩んでいるように、幸治には感じられた。

「ご心配なく。タフなのだけが、ぼくのとりえなんですからね」

 斉藤は、片側のレンズさえ拭くこともせず、レイバンRayBanを顔にはめた。何のために外したのか。その疑問が解決されることは永遠にない、なぜなら彼は自分ではないのだから、と思いながら、幸治は言葉を追加することにした。

「それで、きょうは女、何人いるんですか?」

「カルテット。もっとも、そのうちの1匹は。毎度おなじみの、洋子なんだけどな」

 斎藤が身体を折り曲げたのに続いて、幸治も右側から扁平な空間に沈んでいった。

 ポルシェは、都心に向かって高速道路を滑っていく。おのれだけには制限速度など設けられていない。そんな傲慢な走りっぷりである。車中に淀んでいるもや、斎藤のうハバナタバコによる色濃い煙が、前方への意識をさらに阻んでいるのだろう。幸治は顔を左に向けた。

「きょうもやるんですか? あれを」

「もちろん。今回は、トラックのやつを用意しといた。……それに喜べ。きょうはおぬしの好きな白んぼの女を2人、揃えといてやったぞ」

「そっちはどうでもいいんですけど……。今回は今回で、またちゃんとあれを」

「ああ。ちゃんと書いてあるよ、本日の日付でな。毎度おなじみの洋子にも、書かせてある。……それにゴム手袋、着けてるんだし。だからおぬしは、もしそんなことが起きたらだけど、第1発見者にされるだけだ。あくまでも知らないって言い張ればな。ヘヘ」

「そんなに甘く、済まされますかねえ?」

 斉藤が大きく息を吸い込んだのが、聞えた。

「おぬしは電気イスでの死刑……観たことあるわけないか。……俺はあるんだよ。もちろん、映像でだけどな。……実際、簡単なことじゃねえんだよ」

 何か誤解されていることを悟ったが、幸治は黙っていた。

「まず死刑囚の頭を、フランシスコ・ザビエルみたいに、カッパハゲ状態に剃るんだ。毛があると、高圧電流でもすんなりとは、流れないみたいでな。そのことだけでだってわかるだろ? そうおいそれとは死なねえんだって、人間は。電気なんかじゃあよお」

 あいの手を求めているふうな口ぶりであったが、助手席は沈黙を続けた。

「両腕と両脚を、革ベルトでイスと固定させる。カッパハゲのところに……。おい、あれなんて言うんだ東京では? トイレが詰まったとき、水の貯まってるところへ、ゴムの吸盤の親玉みたいなの突っ込んで、ガッポガッポやるだろ? あの道具、こっちではなんて言うんだ?」

 斉藤は、自分で自分の取りあげた話題に興奮しているらしく、男としてはたださえ高い声をファルセットすれすれといった音域にまで高めていた。

「さあ。子供のころの記憶しかないんですけど、たしかスッポンとか、呼ばれてたような」

「そうか、俺の地元では、パッコンだった。まあいいや、モノが何なのかは伝わってるみたいだからな。そのスッポンのゴムの部分、おわん状のやつのことを、頭に残しといてくれ。……高圧電流が流れてくるぶっとい電気コードが、そのスッポンの根元にくっついてるんだ。スッポンの内径に合わせて、カッパハゲにされてるみたいで、吸盤みたいなのを頭にくっつけると、ハゲは見えなくなる。セットが完了すると、死刑執行人が合図を出す。で……どうなると思うよ?」

 幸治は、疑問符のみに近しい短い言葉を、仕方なく返した。

「ブレーカーは、知ってるよな?」

 それにも、句点のみのような返事を投げつけた。

「落ちていたあれを、押し上げると、元どおりになるよな? その式で、スイッチを押し上げると、高圧電流が死刑囚に流れ出すんだ。さっき両腕両脚って言ったけど、胴体とか首とか顔とかも、革ベルトでイスと固定されてるんだ。すげえよ。死刑囚の全身が、ガックガック震えだす。高圧電流なんだからな。問題はさ。……問題は。……その状態がどれだけ続くと、死刑執行完了となるかだ」

 言葉を求められているわけではない。そうであることがかえって、幸治の発声器官を刺激した。

「あっちは人権にうるさいから、10秒以内なんじゃないですか?」

「ところがどっこい。3分以上なんだよ。いいか。普通の電流なんかじゃない、高圧電流なんだ。それを3分以上なんだ。どうだ? 安心できるだろ?」

 予想以上に長い時間、ではあるのだった。だが、それは、死なせることを目的とした場合のこと、でもある。一般電流を、1秒を超えずに流しても、人体のどこかは、損傷されてしまうのではないか。そんなことを考えつつ、幸治はマールボロMarlboroを咥え、ジッポーZIPPOで着火した。

「先輩、もうあれはやめませんか? 洋子ちゃんは先輩に惚れてるんですし。もしもこの先、ふたりが結婚でもして、子供が生まれることになったら」

「俺は結婚なんかしない。女にガキができてもすぐに始末させる。にょうぼ子供なんて、ケヘ、俺には似合わねえだろ」

「わかりません。……だけど先輩も人間なんですから、気が変わることだって」

「やめろっ。おぬしもう黙っててくれないかっ」 

そののちには、斉藤の横顔の向こうで、濃淡のある灰色の横縞が流れていくだけとなった。

 

 2ヵ月ほどまえ、幸治は、大学の友人が主催したパーティーで、OBの斎藤と知り合った。のっけから、卒業後もずっと無職で生きているということを、告げられた。他方で斉藤は、18金製にちがいないロレックスRolexを、わざとらしく身体の前で泳がせもした。右手ではデュポンDu Pontのガスライターをもてあそんでいた。自分は働いてカネを稼ぐ必要などない人種なのだと、言外に自慢しているようにも見受けられた。地方都市のサラリーマン家庭の次男坊である幸治は、そんな斉藤に反感を抱くどころか、どうかして彼の「おこぼれ」にあずかれないものかと、心中で舌なめずりしているのだった。

 やがて、2人の男は、1人の、170センチ近くはあろう脚の長い女を挟んで、活発に話すようになった。その女というのが、洋子なのである。

 話題は「つきなみではないセックスの仕方について」であった。

 はじめのうちこそ、右手で口を覆っていた洋子だったが、しばらくすると、目を輝かせながらで二言三言をつっこみはじめた。胸や尻の発達具合からしてもそれなりの経験がありそうだと、斉藤は歓迎する意向を口にした。

 下戸げこの斎藤に誘われるがままに、幸治と洋子とは彼のポルシェに乗り込んだ。上背の問題から、男2人が横並びになった。

「いいところがあるんだ」

「そこへ行こうって言うの?」

「心配ご無用さ。きみには選択権まであるんだ。退屈することなんて、ないようなもんなんだからさ。なあ相棒」

 酒の酔いでうとうとしていた幸治は、その場しのぎの言葉を、短く返すのがやっとのことであった。

 大きく息を吐いたかと思うと、ポルシェは眠りに落ちた。その右胸に抱かれている幸治が、代っては目を覚ました。地下駐車場にいるということが、ガラス越しに観える殺風景な佇まいによって、部外者2人にもわかった。

「ここって高輪たかなわでしょ?」

「ああ。親父が買ってくれたんだ、このマンション。勉強がんばれってね」

「あなたのおうちって、資産家なの?」

「さあね。ただ、せがれが弁護士にでもなってくれるんなら、山の1つや2つ売るのぐらい、どうってことないなんて威張ってるけどね。それにしても哀れだよな、カネは腐るほど持ってても、社会的地位がないやつってのはさ。ヘヘ。息子のほうはそいつをうまく利用して、したい放題をして、楽しんでるっていうのにな。ヘへ」

「まあひどい。あのね、わたしおなか空いちゃった。何か食べるもの、お部屋にある?」

「あるともさ。いまここにだって。おいしいバナナが2本もね。ケヘヘへ」

 最上階、12階の斎藤の部屋には、寝室が2つもあった。置かれているベッドはいずれもキングサイズの、正方形に近いものである。1つは、半年に1度の割合で上京してくるという、両親用のそれらしい。

 斎藤はみずから全裸になると、幸治と洋子にも、同じ姿になることを求めた。

 学問ノススメの絵葉書が縦列じゅうれつに並べられ、時間の経過に合わせるかのように、1枚ずつが上乗せされていく。

 脱ぎだしたのは洋子のほうだった。自分だけが異人種になってしまう気がして、幸治も続いた。

 お定まりで、3人が絡まる構図となった。

 カネをもらう立場であるというのに、まずは幸治が、洋子のなかで果てるように命じられた。もっとも、斎藤の股にある頭がずっと俯いたままであったため、他の2人の興奮のレベルを一旦は落させておこうというたくらみも、彼にはあったに違いない。

 漏れ出てきた幸治の白濁液を、ティッシュペーパーで拭き取りながら、洋子が半開きの目で斎藤に尋ねた。

「気分でも悪いの? でもひろちゃん、お酒ぜんぜん、呑んでないんだし」

 浩之ひろゆき、というのだった。

「ヘヘ。だからさっきのパーティーんとき言ったじゃないか。並のやりかたじゃあ、もう気持よくなれないってさ。今のできみもイッただろ? これからだよこれから」

 斎藤は、洋子の股にある花弁や種を、水を飲むときの犬さながらに舐めだした。その行いをはじめるのに先立ち、彼は革のベルトを、みずからの首に掛けていた。

 斉藤が求めたとおりに、その背後から、その首を、幸治は絞めあげた。ときに緩めもした。ポンプの内部のような原理が、斉藤のなかでは働いているらしかった。強く絞めるごと、彼の2つの頭は見る見る充血していく。太いほうの首には、青いいばらが何本も見られるようになっていた。彼が洋子と結合したことを認めると、幸治はベルトを大幅に緩めた。

 2人の発する掛合いのテンポが段々に速まり、それにつれて2種の声音もが高まっていく。そんななかにあっても斎藤は、幸治に幾度となく、より強い力でベルトの輪を引くようにと、要求してきていた。