こんさるまねーじゃという不穏な毎日

こんさるまねーじゃという不穏な毎日

仕事に関するよしなしごとを、自分の備忘録を兼ねてつらつらと書き綴っていきます。ご意見はどんどんください。業界を目指す人のお役に立てれば望外の幸せです。

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コンサルティングって仕事に関しては、

業界団体も無く、専門家団体も無い職業

なので、倫理を自分で維持していく

しかなく、それは、かなり難しいなぁ、
と思ったりしてしまうことが多いです。

だから「何をしてもいいのか」ということではない

のですが、比較的、目的のためには手段を選ばない、

という面は否めません。そこにルールは薄い。


なので税理士が脱税をコンサルしちゃう

ということも、論理的には存在します。

脱税と支払う税金の最適化には明確な線はありません。

解釈の問題ですよね、ほとんど。

なので、自分で職業倫理を定義するしかないです。
これがなかなかに難しい。

例えばですが、かなり「やらしい」情報を
かなり早い段階で入手することができます。

いつごろ企画中のアイデアがオープンになり、
それが株価にどのようにいつくらいに
影響を与えるのか、判断できちゃうのです。

無駄なシステムに投資した

(こういう仕事も実は多い、、)
と判断できて、経営インパクトが多そうだ、
と思えた場合は、早めに空売りしておけばよいし、
「これは世の中を変えちゃうかも」と感動すれば
株を大量に購入しておけばよいわけです。
先立つものさえ揃えば。

公認会計士資格でも持っていない限り、
法律で規制されることはない、はず。
インサイダーと認められるのも、
かなり定義が困難ですので、できちゃいます。


自分が直接関与していないシステムを

周辺から聞きつけたりすることも多く、

その場合、インサイダーとは言われないでしょう。

村上氏ではないけど、

「聞こえちゃったもの」が成立します。


とくに僕は立場上、自分ではなく
自分のメンバが実施しているプロジェクトを
横から上から盗み見れてしまうので、
インサイダと特定するのはかなり困難です。

しかも、目をつけられるほど資産も無い。

このあたりをどのように自己制御していくかは、
かなり、自身の中で葛藤があったりするわけです。

実際のところは面倒くさいし、
そんな際物のプロジェクトに巻き込まれていると
インサイダなことを考える暇も無いので、
タイミングも逸し続けることになるのですが、
まじめに資産運用を考えて、
こつこつと努力をすることから手を抜かなければ、
小さな財産は作れちゃったりするのかもしれません。

でもなんとなく後ろめたい気持ちも抑えきれず、
実行に移せてません、はい。

でもこういう話を聞いてしまったときに、
シャチホコばって「お客さんそれは機密ですよ」
とか言ってしまうと、それはそれで人間関係に響くし、
立場が難しい局面に立つことが良くあります。

けっこう判断は難しいです。


営業とかみたいに広く情報は入らないけど、
特定の分野については恐ろしくキケンな情報が入手でき、
誰にもしゃべれないので、その情報が公開されると、
株を売買していないにもかかわらず、
ホッとしたりする小市民なおいらなのでした。

シェアブログ23に投稿


週刊ポスト にせせら笑われていますが、

海自はかなり「脇が甘い」ですね。


で、この件のポイントは「下半身醜聞」が主眼になっていますが、

それは市井のネタとしては面白いかもしれないですが、

ここから考えるべきこととしては、それ以外に

「情報漏えい」についてこそ考えないといけませんね。


ここって、実は組織へのConrtibutionがそのまま

表面化しているように一見思えます。

海自の事件などはまさにそうでしょうね。

愛国心が無い

という、公僕にあるまじき姿勢

なので、非難するしかありませんが、

実は、情報漏えいについてはそれほど簡単ではありません。

まず、この件は、下半身の弱みを握られて、脅されたものと推察されます。

これは、なんとも脇が甘いと言うしかありません。


普通の会社であれば、
下半身の制御はそもそも難しいものなので、
仲良くなった女の子に対して、
「名刺を渡さない」
「ホントの仕事の内容や会社名を教えない」
「自宅アパートやホテルの部屋に連れ込まない」
などの自己防衛策をとることを伝承するはずですが。。。
こんなことは、アジアで仕事をする以上比較的常識
なんだと思うんですけどね。

ま、このあたりはルールの問題です。


それ以上に、企業への高度な帰属意識があったとしても、

意識せずに情報を漏えいさせてしまうのです。


愚痴と称して、

そこいら辺の赤提灯

盗聴可能な電話なんかで

ばらばらと漏えいされまくっています。

けっこう脇はどこの会社も甘い、です。


さらに、もっと悲劇的な情報漏えいとして、

勤勉なのはけっこうですが、NとかFとかが立ち並ぶ

南武線の中で赤ペン片手に

ドキュメントを修正している

お父さん達がけっこういます。

きっとSEさんなんだろうなぁとか簡単に想像可能です。

ちなみに提案書とか直していたりするので、

宛先まで読み取れちゃったりします。


これではすっかり

「ソーシャルエンジニアリング」の餌食

です。


そもそも日本企業というのは、個人と会社の契約に基づかず、

個人の共同体への参画

をベースにしている組織体ですから、

性善説に基づき、構成されています。

悲しいかな、そのためにアングロサクソン系と比較すると、

ルールや仕組みが甘くなっている面は否めません。

しかも、その積み上げで社会が構成されているので、

他人に対して個々人の脇が甘い

ということになっています。


このあたりを前提として、情報漏えいを考えるためには、

共同体規範として浸透させていく

ことが重要になってきます。


ルールの強化も必要ですし、SOX的内部統制も

当然進めていくことは必要ですが、それで守られる情報は

あくまで、守る意思に基盤を置いています。

なので、基盤については、規範として定着させるしかないのです。


文化の一部として情報漏えいを防ぐ手立てを考える、

勤勉さが時には毒となることを理解してもらい、

徹底していくしかないと思います。


そのうえで、どこまでルールを定義して、

罰則を適用するものか決めてシステム化する、

さらにそのうえで、コンピュータに実装する、

という手順をふまない限り、なくならないものと思います。


ただし、ルールとシステムで管理をするしかない

アングロサクソン系文化と比較した場合に、

規範を定着させることができれば、

より強固な防衛策が実現できると言うメリットがあります。


昨今のJ-SOX、内部統制騒ぎをみるにつれ、

もっと先に考えることがあるだろうによ

と思われてなりません。


悪意を持った内部犯行については、

どこまでシステム化しても完全はあり得ないのですから。


ちなみに、内部統制については、

はたして、その仕組みをきちんと監査できるような

監査法人はいつになったら整備されるのか、

そのあたりも疑問でなりません。


会計監査人はあくまで会計の人であって、

業務監査やIT統制監査だなんて、

どうやって実装するのか不思議に思えてなりません。

AOKIによるフタタ買収が失敗に終わりましたね。


AOKIが過去に中部地域で成功させた手法に基づき

二匹目のどじょうを狙ったかのようなTOB提案でしたが、

不発に終わって手仕舞いとなりましたね。

僕個人的な評価としては、

フタタと三井住友銀行の判断は正しかった

ように思います。

なんとも、AOKIの提案は独りよがりと言うか、

繰り返しになりますが、品位が感じられません。


自身の企業運営において

足りない要素を充足するための

解決策として相手企業を買収する

というアングロサクソン的な発想を「当たり前」としている感覚に

違和感を覚え、なんだか不穏だなぁと思えてなりません。


ファイナンス的にも戦略論的にも正しい

ので、そういう時代になったんだなぁ

思うしかないでしょうが、なんとなく抵抗感があります。


とくに今回のAOKIの件について言うと、

そもそも今回の買収劇の登場人物を見て、

ファイナンスとか戦略とかを経営の根幹とするべきなのか、

はなはだ疑問です。


アオキ→青木拡憲社長

コナカ→湖中謙介社長

フタタ→二田孝文社長


会社名と社長名が同一だなんて、

どう見たって、「現代的な経営」の雰囲気よりも、

日本型経営の典型的な業界、という雰囲気です。

ほほえましいくらい日本的なにおいがします。


そんなところに、はたして、

アングロサクソンスタイル経営がふさわしいのでしょうか?


個人的にはとてもそうは思えません。

ということで、フタタの判断を支持しているわけです。


たしかに、買収提案の背景としては

団塊世代の退職以降の時代を見据えて、

紳士服業界が厳しい時代に入るというのは

子供でもわかる予測で、業界再編が進むことでしょう。


そこで、AOKIは今回の買収を企画したわけです。

で、AOKIの目線で見ると、

 ①九州地区には店舗が無い

 ②九州地区はフタタが強い

 ③買収するとAOKIにメリットが出る

という論理展開ですね。


で、果たしてそうなんでしょうか?

残念ながらデータ不足なので真相はわかりませんが、

そもそも①のAOKIの店舗が九州に無い理由

の分析は果たして正確になされ、その解決として買収だったのか?

と言うところに疑問を覚えます。


買収すると言うことは、フタタは無くなり、そこには

既存資産を利用してAOKIが存続することになります。


いままで、提携も資本参加も無いのですから、

AOKIになるとしか思えないです。

買収すると言うことは、旧フタタにAOKIのコンピテンスとプロセスを
植えつけていくことになるはずです。
そうでなければ、コナカのようにまずは業務提携から

進めるのが筋と言うものです。


新規出店に比べて短期的にはメリットが出ますが、

「そもそもAOKIが九州に受け入れられていない」

という課題への解決策とはなっていないので、

長期的には失敗するように思えてなりません。


そうでなければ、九州に素直に出店すればよいじゃない?

その弱点の補強は、AOKI提案ではどうなっていたのでしょうか?


その点、コナカ提案は既存の提携関係の延長にあるものであり、

AOKI提案へのカウンタとしてのみ提示された経営統合であるので、

そこに悪意は無いものと思われ、困った人を助けているあたり、品位を感じます。


AOKIの提案にあったような業態転換を行わないことで

フタタ店舗がつぶれるのであれば、

それはそれとして受け止めていくほうが、

旧フタタの社員も納得できるんじゃないかなと思えます。


紳士服屋の店員にカラオケ屋の店員になれという提案

が、たとえ株主利益やファイナンス的に正しくとも、やはり受け入れがたい、

という気がしてなりません。


AOKIで働きたくて就職した人は、

紳士服屋に入ったけど、

結果を出せなかった場合にはカラオケ屋になっても仕方が無い

と思って働いていることでしょう。

そういう文化の会社です。

それを理解してないのであれば、それは社員側の問題ですね。


しかし、フタタは明らかにそうではない。

文化が異なるのです。

そこへの配慮が足りない。

だからつぶれそうになっているのだと言われても、

むしろ、そのままつぶれたほうが良いと思っているかもしれない。

多くの日本人はそう考えやすいと思います。


このあたりまで考慮して合併を検討しないと、

長期的には失敗し、

肝心の社員が流出して、競合他社に転職して、

そのまま最強の競合として再来する


可能性まであるわけです。

失敗すると、むしろそういう可能性が高いですね。


あまり、社員ひとりひとりをナメないほうが良いよ

思ってしまうのです。とくにサービス業においてはそうだと思います。


差別化が計れるだけのシェアか製品競争力がないのであれば、

紳士服販売業界にそんなものがあるとも思えないので、

社員を大事にすることが大事だと思うまでですね。


ちなみにそのニュースの横で、今日、

東進ハイスクールに四谷大塚が買収される

ことも決まったようですね。


いやはや時代の流れだなぁと思うとともに、

OBである私としては、かなりさびしく思うしだいです。


東進は確かに、小学生向けをやっている印象ないですからね。

AOKI同様に不足部分を、もっともコスト安で入手することになるでしょう。


しかし、カルチャ的には東進は日能研に近いイメージがあり、

なんというか、システム的・合理的・企業的な運営方針であるように思え、

愚直・コンサバ・学校的な雰囲気の四谷大塚とうまくいくのかしらんと、

まったく他人事ながら心配になったりしますね。


大きなお世話なんでしょうけど。

こちらは揉めている様子も無いので。。


きっと四谷大塚が東進化していくことでしょうね。

そのときに日能研との差別化が計れるのか、

はなはだ疑問を覚えちゃいますが。。。


「義塾」のつぶしあいが思い出されてなりません。

亀田興毅新チャンピオンの戦の「疑惑の疑惑」に関連して、
あの試合自体は、日本バナナ組合認定「バナナ大賞」氏 が言うように、
「ジャパンマネー」の勝利でしたね。

ちなみに、この件での「バナナ大賞」氏のコメントは驚くほど「まとも」です。
なるほど、ファッションだったかと、感心しきり。

この件で、まぁ、いろいろな騒ぎが起きており、
話は教育論にまで展開していますが、
僕としては、プロフェッショナルのあり方を考えるお題になったので、
ちょこっとここに書いておこうと思います。

先ほど触れた「バナナ大賞」氏のファッション的行動にも関わるのですが、
やはり「期待される役割行動」をプロフェッショナルたるもの、
確実に果たして行きたいなぁって思ったものです。

今回の亀田三兄弟について、
僕は「ファッション」としてやっている/やらされているものだと思っており、
「作られたチャンピオン」は文字どおり「作られて」いたのだと思っていました。
作られた偶像でしょう?

でも、ファッションじゃなかったのかも、と思われる言動が連発し、

今回のバッシングになっているんですね。

当初、なぜ世間がこんなに大騒ぎするのかが不思議でした。
個人的には、彼の日常の言動に反感を覚えていたので、
「負けてしまえ」と思って試合を見ておりました。
が、勝ったので、正直、祝福モードにいただけに、
突然の世の中のバッシングは非常に不思議でした。

結局、みんな反感を持っていたのねと、
なんだか、安心したようながっかりしたような感じでしたが。

しかし、一部の批判は的外れかなぁ、
それは言いがかりじゃないの、と言うものも見受けられます。

そもそも、ボクシングをはじめとするプロ格闘技のルールとは、
「強いものがチャンピオンとして君臨する」ではありません。
「試合に勝ったものがチャンピオンに君臨する」

です。

プロスポーツとは勝者を決めるものであって、
強者を決めるものではないはず。

強者が勝者になりやすいようにルールが構成されているので、
かなりの確率で勝者=強者ではありますが、
完全にコールではないでしょう。
まず、ここが勘違いされている。
「あいつは強くないのに、、」

というのは批判としては間違っています。

試合を見ていた方は一目瞭然ですが、
明らかに強いのはランダエタでした。

でも勝ったのは亀田なので、それで評価してあげればよいでしょう?
試合に勝ったことで、彼は「プロ」としての役割期待を確実に果たしました。

では、なぜ、それが評価されないのでしょう?

そこに「倫理」とか「品位」が入り込んで来ると思います。

プロなので、勝つことが仕事なので勝てばよい。
それはそれで正しい理屈なのですが、
「何をやってでも勝てば良いわけではない」
が「倫理」としては期待されています。

お金が絡む以上、プロフェッショナルの世界は
誰かの意思や誰かの願望や希望が入り込むのは当然です。

コンサルティングの仕事にしても、
論理的に正しければ成果として成立わけではありません。

このあたりの勘違いが、とくにSEあがりのコンサル見習いの人たちには
よく見受けられるのですが、これはなかなか説得が難しいです。
論理的には正しいけど、正しくないのだ
ということを、論理的に説明しなくちゃいけないのですね。

それはいまだに悩んでいます。
素敵な回答がほしいと日々思っています。

それはさておき、
誰かの意思や希望を背負ってプロフェッショナルとして仕事をするので、
正しくないことも正しく進めないといけないことがあります。

そのときに、そのプロフェッショナルを支えるものは
結局その人の日常の言動から類推される「品位」なんですね。

今回の亀田判定事件の場合、ここでかなりバッシングを受けています。
いわゆるビッグマウスと言われる日常的な言動類に始まり、
試合前の対戦相手への、相手を小ばかにした挑発、
これを「ファッション」でやっているとしても、そのやりかたに
「相手への敬意」
がまったく感じられないのですね。

挑発するのもかまわないし、
ビッグマウスでもかまわないのですが、
やはり「期待役割」の一部としては
やはり「品位」が期待されるのです。

これについては、大相撲で、
戦績的には大横綱といえる朝青龍に
いまひとつ、評価が上がってこないことと同じです。

ただし、朝青龍の場合は「外人だから」というところで
なんとなく期待値が低いように思いますが。。

それはともかく、亀田少年の言動は、
強ければ何をしても良いんだ
と思っているように思えてなりません。
その背景には、勝つこと=強いことという勘違いがあり、
さらにそれを押し通してしまう勘違いぶりに、
バックには何かがあるに違いない
と人に思わせてしまうのですね。

きっと何かあるでしょう?興行なんだから。

それが垣間見えるだけに、
教育論にまで派生する話題になってしまうとともに、
良識ある報道機関までして「疑惑の判定」とか
報道して、挙句の果てに、
そちらもプロフェショナルである審判にまで
疑いをかけるような暴挙に出てしまうのですね。

ファッションだったり、期待役割だったりで、
プロフェッショナルの端くれである以上、
やりたくないこと、やるべきと思えないことを
実施せざる得ないことは、思いのほか多いです。
むしろ非常に多い。

そんな場合にあっても、「やむを得ずやっているんだ」
と理解されるように、日常の言動の中で、
自分の中での倫理を確実なものとするとともに、
周囲の人たちや、敵対する人への敬意を醸すことが
大事なんだなぁと反省させられる出来事でした。

コンサルティングで言うと、顧客から、
「不本意な気持ちはわかるけど、やってほしい」
言われることがままあります。

そういわれている間は、
ある一定の水準で、自分の品位は担保されており、
倫理観は正しく表現できているのね、
というバロメータになっていますが、
言われる頻度が減っているのは、品位の問題か
倫理の問題か、あるいは、
自分が顧客から信頼されていないのか、
このあたりもまた、結論の無い問いだったりするわけです。

品位と倫理を前面に押し出しすぎると、
融通が利かない、という風評につながるのですね。。

シェアブログ18に投稿


またしても、品位ない経営が出てきましたね。
株式市場や株屋さんは歓迎モードのようですが。

敵対的TOBというコトバもさることながら、
相手が拒否したら力で制圧するってのも
いかがなものでしょうか?

たしかにスケールメリットはあるのでしょう。
王子製紙が世界第5位の紙・パルプメーカーになるためには
必要なことなんだと思います。

で、株主にはメリットがあるらしいので、
「北越製紙もあきらめろ」
「長いものには巻かれて、株主メリットを出せ」
という意見も確かに尊重する必要があります。

でも、どうなんでしょうか?
別にアメリカと同じように、会社は株主のもの
と決め付ける必要は無いんじゃないでしょうか。

ファイナンス的には、株主になってしまうのですけど。

キリスト教文化圏で、
神の御名の元の「契約」概念
をベースに構成されているアメリカ企業において
「正当」とされている仕組みを、
多神教というか無宗教というかで
「契約」の概念が希薄な「共同体意識」
をベースに構成されている日本企業で、
そのまま「正当」と認めるべきでしょうか。


定年退職したオヂサン達が
行き場とやる気をなくしている姿を見れば、
日本企業が、
個人にとって基軸となる共同体
として機能してしまっていることは明白な事実であり、
それゆえの「契約」に支えられない終身雇用
あったりするわけですね。
雇用契約書には終身雇用という文言は無いですね。
で、諭旨退職か懲戒免職かということが
大きな意義を持っていたりするわけですね。
共同体を追われたのか、自らの意思で出たことにするのか、
ということに価値があるわけです。

で、そういう背景を考えていくと、
「契約」基準の機能的集団を乗っ取った時には
正当な動作として確立・成功するものも、
「共同体」が前提となったときにうまくいくのでしょうかね。

このあたり「経営資源」をどう考えているのか、
個人的にはけっこう疑問です。
新しい会社=別の共同体に対して、
そんな簡単に誠実に忠誠できるのでしょうか。

もしも、王子製紙が乗っ取った後について
そんなリソースは必要ないんだもん
と思っての敵対的TOBなのであるならば、
何をかいわんや、で、
それはもっともっと品位の無いことであり、
褒められたものではありません。


第1位の会社としての矜持はないんかい?
と思ってしまいますね。

で、そこにブロックをかけようと動いている
大王製紙ですが、あの発言も残念ですね。
「ホワイトナイトですか?」
「いいえ、王子製紙がこれ以上大きくなると困るからです」
って、おんなじ理屈です。。いやはや。

「ホワイトナイトでは無いけど、
やり方が気に入らないので、邪魔しました」
と言ってくれていたら、きっと喝采をあげていたと思いのです。

でもきっと、うまく行っちゃうんだろうなぁって思います。

そこまで株主は考えない、そんな世の中だと思いますね。

コンサルタントの仕事で大事なのは「顧客は何者か?」ということを

きちんと把握しないといけません。


論理的に正しくても、その出発点が間違うと、

結果の事実としては正しくなくなってしまいます。


それを感じたのは、最近のパロマ事件です。


最初に謝らなかったのが最悪でした。

シンドラーか、と見まがうばかりの責任回避の主張でした。

不正改造って、ほとんどの日本の修理業者は

メーカの指示も無くそんなことはしないし、

いうだけ口寒いって感じですね。


で、ここからは邪推で、それを前提に論を進めますが、

入れ知恵した人間がいると思います。

おそらく弁護士さんあたりが、

賠償問題を意識して、「コンサル」したんじゃないかな

と思っています。


大失敗ですね。


そもそも、「自分は悪くない」ってのは品位にかけてます。


論理的に、(シンドラ)がそうだったように、

外資系っぽく解決したいのであれば、

外資系らしく、とにかく

情報という情報は社員を人と思わずかき集めないといけません。


日本人らしく性善説にたって追及したのでは、

いわゆるアメリカンな概念での「責任」は果たせないです。


徹底的に性悪説を貫かないとだめです。


別の事件で60億円も不正にPCを購買したうえに

会社に黙ってバッタ屋に売るなんて行為は、

性善説にたって運営されていない限り、

成立しないでしょう?


なので、どうせ、日本人らしく経営をしていたのだから、

「知らないことはいっぱいある」

「信じていても裏切られる」ことを前提に、

まずは謝るべきだったでしょう。


情報をすべて把握できている自信があって、

本当に自分が悪くないとき以外は、

居丈高に出てはいけません。


ちなみに謝り方も下手糞でしたね。

情に訴えない、変に保身する、

非常に外資系っぽいリアクション。


外資系が外資系らしく経営しているので

主張するところは主張できるんであって、

古き良き日本型経営を貫いているのであれば、

日本人らしく、品位を持ち、恥を知って

経営者に振舞って欲しかったと思います。


コンサルタントとして顧客に何かを提案していて、

ある一定の年齢ゾーンの人であれば、

「アメリカっぽい」ものに弱いということを意識し、

「それで行こう」といわれても、鵜呑みにしてはいけないですね。


でもそれを否定して「日本的な回答」を持っていくと、

怒ってお金を払ってくれなかったりするので、

これがまた難しいですね。


ちなみに、年寄りほど洋物に弱い、というのは勘違いです。

も少し若い人のほうが、

バブルを現場で経験しちゃったトラウマのある人くらいがじつはアメリカに弱かったりします。。


このへんを考慮しておかないとトラブルが余計な発生しちゃいます。

市場価値の高いコンサルティングというのは存在するでしょうか?

市場という「みんなの意見」が横行する場所で価値があるものと、
顧客にとって価値があるものの間には格差があるように思います。

顧客がコンサルティングを依頼する理由としては、
本当に困っているケースもあるのですが、
「賢いお客さん」の場合には、

自分の仮説を第3者に保障させること
をねらいにしていることがあります。

これを的確に見極めないと、痛い目にあいます。

コンサルティングという仕事をしていくにあたって、
イメージが違うんだよねぇ」というフィードバックを受けることは
けっこう、致命的です。

論理的に分析を積み上げて、
その結果としての結論を出したときに、
まったく非論理的な角度でリアクションされると、
思いがけず思考停止してしまいます。

さらに掘り下げても「いやぁ、感じがねぇ」という
どうにもならない回答をもらうことが、実はけっこう多いです。

そこを考えるのがおまいらの仕事だろう、といわんばかりです。
ま、そうなんですけどね。

すると、思考プロセスを提示して、どこが違うのか、
といういわば「切り分け」の作業に入るのですが、
これもけっこうしんどいですね。

間違ってもそこで、論理矛盾や飛躍が出てしまうと、
わや、です。出直すという失態になってしまうのです。

でも、顧客にも理はあり、イメージをあわせてなかったことが
最大の敗因なのですが、顧客とは意地悪なもので、
自分では「こういうのが欲しい」とは言ってくれません。

実は「イメージが違う」ということは、
「イメージがある」と吐露してくれていることになります。

なので、まずはこのイメージをきちんと把握して、
そしてイメージが違うといわれることが無いように、
イメージあわせをさりげなく行い、
相手の意向を把握しておくことが重要なのですね。

付き合いが深くなり、イメージがシェアできるようになると
このあたりが「阿吽」で動くようになるので、
そうすると、囲い込みが成立することになるのですが、
以前に書きましたが、リピートオーダのサイクル に巻き込まれてしまい、
これはこれで、良し悪しなのです。

たまに、「世の中どういうものなの?」ということが
気になる顧客もいます。
#本気で言っているのは、非常にまれですが。。
そう言いながら、真に受けて一般的なアイデアを持っていくと、
「うちはそうではないんだよねぇ」
というリアクションが確実に返ってきます。

どこの会社でも「うちは特殊です」と
自虐的に語ることが一定のステータスのようです。
ふつーの会社ですよ、というセリフは、
とくに大きくなればなるほど、認めてくれません。

中小企業の場合は、いかにふつーの会社に見えるか、
というところを、特にシステム作りでは気にされるのですが、
大きくなると、それを認めないようになります。

このへんのさじ加減が、でも会社ごと、担当ごとに違うので、
顧客要件というのはなかなか一筋縄ではいきません。

そしてそこの見抜き方は、標準化/手順化できないんですね。
なぜなら、同じ質問をして許されたり許されなかったり、
コンテクストで異なってきてしまうので、
そこはセンスが要求されてきます。

つまり、コンサルタントという商売は、
一般的な市場価値では計りにくい、と思っています。

なので、採用も難しいので、
結果、そこに採用されると優秀という勘違いが発生する。

それは、ある一定の基準で有用だということであって、
汎用的な優秀さではないことへの理解が必要ですね。

たまに顧客も上記のような勘違いに陥っていて、
何で俺ができるのに、お前ができないんだ、
という無茶を言ったりするので、さらに困るんですね。。
なんでもできると思ってはいけません。

コンサルタントは市場価値が高い、というように
一般的には思われているようです。

しかし、実際になってみると、それほどでもない気がします。


市場価値が高いのは、
コンサルティング業界を回遊するケースに限られると思います。


非常にストレスが高く達成感が得にくい職場の割りに、
個人として求められる能力がそのまま商品として重要であるため、
コンサル屋さんはいつでも人を募集しています。

しかし、優秀なコンサルタントは、一方で、
優秀なサラリーマンではありません。

たしかに、独立性も専門性も高いので、
一見、つぶしが利くように感じられますが、じつは、そうでもありません。


専門性についていうなれば、
「システムを作ること」が専門分野であるため、
一般的な実業の世界では、活躍の機会は少ないものと思われます。


いつもシステム更改をしているような会社は、
その投資の無駄でつぶれてしまうでしょう?

人事システムを例にとると、一度システムを導入して、
5年はまわしてみないと効果は出てきません。
一度作ったものに対する改善はあっても、
「総とっかえ」をするのは短くて5年に一度でしょう。

つまり、ふつうの現業会社であれば、
5年に一度だけ役に立つだけの人材は要らないのです。

事ほど左様にして、コンサルタントとして身につけたスキルの大半は、
コンサルティング会社でしか役に立たないことになります。


ただし、応用は利きます。これは間違いありません。

でも応用できるところも、各現業会社の業務で行くと、
外向きで企画力が要求されるような職業になり、
必然的に、アライアンスとか、経営企画とか、
おおむねの会社ではコアコンピタンスでは無く、
かつ、それほど人材を必要としない分野になります。

あるいは、営業になりますが、
コンサルタントの給料とはコミッションの仕組みが違うので、
これはなかなか難しいものがありますね。


それに、一般的に一つのことしかできないコンサルタントは
コンサル会社の中で評価されません。
で、コンサルタントである間は、T字型を目指して
いろんなことに挑戦するのですが、
その「汎用性」が、よりいっそうコンサルタントを
コンサルティング業界から出づらいものにします。

個人的な感覚としては、コンサルタントになる場合、
その業界から出られなくなる=一生コンサルタントを職業とする

という覚悟が必要です。

そうでない場合、現業へのリカバリはかなりしんどいと思います。

アングロサクソン的なカルチャがこのまま日本の企業にも定着し、
常に改革を行い続けることを是とする、
息が詰まるような就労生活が一般化する場合、
  #いま毎日の仕事のスピード感に違和感は無いですか?
コンサルタントの仕事は存在し続けます。


しかし、日本らしさに気がつき、というか、思い出し、
この息苦しさに耐えかねて、路線を切り替えると、
コンサルタントを必要とする市場は狭くなり、
なかなかつぶしが利かないことになります。



SEからコンサルタントになろう、というような
わけのわからない風潮がありますが、
Systems Engineerである以上は、きちんとしたEngineerなのです。

なんでコンサルタントになりたいのでしょう??
いちどコンサルティングの世界に足を突っ込むと、
Engineerには戻りづらいのです。

技術者は一度、現場を離れると、技術が腐るだけだと
僕は個人的に思っています。

たしかに、コンサルタントのほうが給料は良いのかもしれません。
でも、給料がいいのは、それなりのリスクがあるからです。
当たり前のことです。

給料が高い=コモディティではない=変人である

というのは、ちょっと考えればわかることです。


なんでこんなに不安定で、達成感が無く、
抽象度と期待値だけが異常に高いような
妙で不合理な職業に憧れるような気持ちになるのか、
その内部にいる立場としては不思議でなりません。


そもそも

自分でものを作り出さないような仕事は「要らない」

のです。


ホリエモンではないですが、虚業です。

堀氏がホリエモンを非難して「あんなものは虚業だ
といってましたが、
「あんたも同類だ」
と誰か教えてあげなくちゃいけません。

というようなことくらいが想像できないのであれば、
コンサルタントにはならないほうが良いと思うしだいです。

成果物をつくるのは、所詮、人間なのです。

なので、そこには、その個人の価値観が残念ながら明確に刻まれます。

それは、その個人の来し方行く末が見事に記述されてしまいます。


なので、見る人が見たら、ちゃんと考えたのか、やっつけで対応したのか、

そこに戦略性はあるのか、といったあたりが、露見してしまいます。

あとは、何に興味を持っていて、どんなことには興味が無いのか、

ということも、こちらは主にはプロセスにおいてのほうが多いのですが、

同時にばっちり浮き上がってきます。


これをいかに客観的に見せるか、というところに

会社だったりチームだったりは結局腐心していたりします。

「エライヒト」になると、客観性無くても許されるのですが

普通は、そういうご神託のようにはいかないので、

いろんな角度から「たたいて」、一定の客観性や一般性を担保するわけです。


変な表現ですが、コンサルティングの成果物など、

顧客が納得すれば、基本的にそれでかまわないわけです。

一般的には顧客が納得しないけど、それでも金をよこせ、

といってトラブルになるので、納得してくれるのであれば問題ないわけです。


となると、実は、客観的な受入基準は無いので、担当顧客に「うん」と言わせちゃうと

それで終わってしまいます。

それは一見、明確な基準なようでいて、リスクしかありません。


なぜなら、成果物には瑕疵担保というものが必然的についてまわり、

広義のシステムにおいて、瑕疵が発見されると、その期間中は保守義務があります。


すなわち、顧客が納得して納品・検収が完了してお金の回収も終わったとしても、

その後、顧客もわれわれも予想だにしない角度で問題が起こり、

それが広義のシステムの瑕疵だったりすることは往々にあるわけです。


そしてそのような場面に直面すると、顧客が言う台詞は決まっています。

「おたくは専門家で、プロとしてこの仕事をしてるんだからさぁ、

 これぐらいのことは気がついて当たり前だよね」


おっしゃることはごもっともです。

しかし、所詮は「人の子」、そんなにすべてを予測することはできません。


で、泣く泣く再検討に入ったりするんですね。。。

これはかなり「凹む」作業なので、非常に避けたいです。

本来的に、システムとしての完成度が高いはずなので、

一度完成したものに手を入れる場合には、往々にして、

その根幹、設計思想にまで影響して、

「総とっかえ」に近いレベルで再度検討をし、

影響範囲を調査しなければならなくなるはずなのです。


ちなみに、上記のように良心的に検討することは

一般的に少ないようです。それはさまざまなコンピュータシステムで、

「例外処理」の名の下に、継ぎ足し継ぎ足しで対応されているのが好例で、

ごまかすのが普通です。ビジネスですから。残念ながら。


このあたりのさじ加減や調整をしたり、

顧客の目線をそらしたり、落としどころを見つけるのは、

ビジネスマネージャの仕事になったりしちゃうのです。


なぜなら、プロジェクトはとうに解散しており、

PMの評価は確定しちゃっていたりして、

あとはこのコストをどのように切り下げていくのか、

ないしは、コストを投下してでも完全に収拾させるのか、

というのは、一般的な数字を持っている人にしかできません。


なので、不穏で不規則な生活を送る羽目になるのですよね。。


で、それはともかくとして、

このあたりのリスクを理解して成果物を作成できるかどうかも

コンサルタントの大事なスキルだったりするんですね。


どこまでリスクをヘッジするように中間生成物を作成し、

最終成果物に「含み」を残しておくのか、というあたりになります。


妙に精緻で融通が利かないシステムを追及することは

とくに若くて「賢い」コンサルタントにありがちなのですが、

それは諸刃の剣で、爆弾を抱えるシステムになったりすることを

「お利口」に理解して、対応しなきゃいけなかったりするのですねぇ。


これがなかなか、難しいです、いつまでたっても。

コンサルティングにおける成果物品質とは何でしょう?
これが結構難しい。

究極の成果物って、きっと
紙一枚で1億円をぽんってもらえるものだと思っています。

IT系において得に顕著なのですが、
量で質をカヴァしているかのように恐ろしい量の成果物を
納めるベンダさんがいます。

システムの構成要素が複雑化しているために、
開発はどんどんシンプル化しているのですが、
そのぶん、「設定パラメータ」は恐ろしい量になってきます。

WindowsOSの設定なんて、ほとんどデフォルトなのに、
デフォルトであることを文書で証明し、納入するということで、
「無駄に」文書を積み重ねています。
それはそれで、設計文書としては「価値」がありますが、
それはエンジニアリング的に価値があるのであって、
コンサルティング的には価値がありません。

そこを踏み違えているケースが非常に多いように思う。

さらにコンサルティングの局面でよく見受けられるのが、
自分自身の思考のトレースを、すべて文書化して、
「中間成果物」としている場合も見られます。

議事録として、「言った/言わない」の証書にあたる文書を
残す場合には価値があるのですが、そうでなく、
説明文書として、自分の思考プロセスを文書で説明しようと
しているものが見られます。無残です。

成果物なのですから、プロセスのトレースではなく、
その結果を、体系的に説明する文書であるべきです。

そもそも、脳内がマルチスレッドであるのに対して、
文字=シングルスレッドで表現するという制約条件があるため、
思考をトレースするような書き方になるのかも知れませんが、
それは「個人」のものであって、背景や立場が違う場合には、
その説明プロセスで伝わるとは限らないですし、
実は、そんなプロセスには価値がなく、結果を、どれだけ
相手にわかりやすく、相手の立場に立って、伝えることができるか、
というところが鍵なのですが、なかなかそうなっていません。

この背景は非常にわかりやすいです。

前回も書きましたが、特に日本人の特性として、
「がんばったことを評価してほしい」という心情があり、
すなわち、請負にもかかわらず、委任でのアプローチを
思いがけず主張しているんですね。

それは実は何の価値もありません。

成果物を作る=請負という仕事である以上、
成果物単体で勝負できないとならないのです。

しかもそれは、利用しやすいものであることが必要です。

すなわち、検討の中間成果物はともあれ、
成果物は、できるだけ少なく、高密度で、
一覧性が高いものであることが価値のあるものであるといえるでしょう。