半世紀と9年。
ずーっとずーっと思考と感情と感覚で生きてきた。
物心ついた時にはすでにそうなってた。
わたしの周りにいた人らから耳にタコがまぶりついてぶら下がるほど手を変え品を変え聞かされた(笑)
多分だけどそんな人らも、耳にタコがぶら下がったまま何の疑いも持たずそうやって生きてきたんだと思う。
それがあるとき「エナジーに従って生きる」ってな言葉が入ってきて、なんのこっちゃまったくわからんくて頭の中でクルクル回った瞬間があって。
その時から、その先の先の先の先の先を自分で体験してみたくなった。
人体実験大好きなんだよね。
机の上で得たものをさも自分のことのように話すのが大嫌いだから、興味を持ったものはまず自分で試す。
その積み重ねが今の自分でもあるんだけど、振り返れば痛い体験もかなりある(笑)
でも必要にないものはこの世にはないと思うんよね。
意味づけすればすべてに意味があるけど、それを持ち続けることは愚かなことで、存在した意味のエナジーは一瞬で消えるから意味はなくなる。
「エナジーに従って生きる」
一年前は片足ツッコんだくらいの場所にいて、24時間の何倍速?うんじゃ何百倍速かもしれんけどとにかくびゅんすかびゅんすかの速さで毎日が過ぎていった。
そのものになると意識もないし、思考や感情はあるけどそれに囚われなくなるし、ただただそうなだけの状態に両足ツッコんで一緒に歩いているんだけど、それはそれで肉体があるとめんどくさいこともあるわけですよ、実は(笑)
今日あんまし乗る気でもなく、かといって嫌ってわけではないというぽかんと穴が開いたような空間にいて、カラダはどちらかというとちょっとしんどいわって言ってるんだけど、エナジーというとどうもお外に出るらしい。
そんでみはる監督とキッチンで立ち話をしてたら、わたしのボディちゃんがいきなり着替え始めてサッサと支度を終えててさ。
だからね聞いたのよ、靴を履きながら「本当に行くんか?」って。
こういう現象はちょくちょくあるし、そこに何人って数えることも不可能なくらいの人格達がやいのやいの話し始めたりするとマジめんどくさいことになるから、ほぼほぼ無抵抗で外に出た。
さていったいどこに行こうとしているのかわからんが、歩き始めた。
空は真っ青ピーカンいいお天気。
お気に入りの音楽聞きながら小躍りしつつ太陽さんを撮りながらぶらぶら。
そろそろ家に帰ろかなって向きを変えると、目についたベンチに座って動かない。
そうやって約3時間半かけてあれやらこれやらを動かしたりためたりしながら一日が終わる。
こういう行動に意味はないけど、違う方向から見たら一瞬だけすごく重要だったりする。
そしてすべてがちょうどよいところに収まる。
なんて楽ちんなんだろか~ってご飯を食べながらニンマリだけど、
あ~、今日も話が進みませんなぁ・・な、一日。
明日は書かせてくれ!(笑)