雨の中を歩くことが割と好きです。
それは夏でも冬でもかわらない。
そんで「雨」と聞くと、荒井由実と南こうせつの歌を思い出します。
ふらふらしてたら、くちなしの花が咲いていて、おもわず渡哲也のくちなしの花を口ずさんでいた。
なんにせよ、なんかすごいスリコミ(汗)。
だけど、この日の雨はほんとにとてもやさしかった。
小粒でしっとりしててじわっとしみ込んでくる。
雨に癒されるのってなかなかいいもんです。
この時期の雨は「湿気すごいやん!迷惑なんよね!まったく!!!」な存在でもあるんだけどね、良い面もあるんだよ。
もちろん人によってはって話だけどね。
7月に入って、夜になると頭をハンマーで殴られた気分でほぼ徹夜してんですけど(すごくいい意味での話)、変革の真っ最中は迷子になるべくして迷子になっているという現象。
なんて、こんなこと言っても誰も興味ないと思うし、読む気もないと思うけど。
いやほんと、興味のない人には梅雨の雨でジトジトで洗濯物乾かない!湿気で台所にコバエぶんぶん!くらい迷惑な話だと思うけど、わたし的にはルンルンしてワクワクでまた一歩進んじゃいましたの、ぐふふ。なことだからいいんだけどね。
物事には見えてる面と見えてない面と両方あって、どっちを見たいかはみたい人が見たいものを見めればいい。
見たくない人に「ねぇ見てみて!」っていうのはちょっともったいなくなってきた(笑)
必要だと思ってない人に、自分の大事な宝物を見せるのは自己満足なだけだからね。
洗濯物が乾かないって愚痴って、ただ早くカラりと晴れてくれ!って思いながらこの季節のおもしろさを見ないのも感じないのも勝手だけど、この世界の自分の生きてる自分の時間をどう使い、何にエナジーをそそぐかに興味と好奇心のある人はとても魅力的だなとわたしは思います。
あくまでも個人の好みですよ。
この世の中に私のことが苦手とか大嫌いっていう人もいて、そういう方々から向けられるエナジーってすごく気になったりした時期もあるけど、嫌いなもんは仕方ないっていうか、そういう人のことはわたしの方も多分嫌いなんだと思うから、どうでもいいし。
好きだとかいいながら包丁突き付けてくる人もいるしね。
自己証明のためのお節介。
そういえば「あなたのためだから」っていうCMが昔あったっけね。
この世の中の人間はけっこうおっかないです(笑)
人がどうこうとか周りがどうこうとかの前に、自分がどうこうって考えてもいいんじゃないかな。
わたしも自分のこと棚の上に上がってることは多いけど、一日に数回くらいは下におろして、正面向いて「ごきげんよう~、今のエナジーはどうだい?」くらいは会話をしてみる。
いつも見慣れた自分かもしれないしけど、ひょっとすると「あらなんとなく今日は若いわね」な気分になれるかもしれないし。
雨に癒されながら、それを選んだ自分を褒めると、自分が自分をちょっとだけ癒した気分になれるですね。
そうそう、さま~きゃんぺ~んのセッションやってますが、お陰で毎日いろいろおもしろいことを体験させていただいています。
梅雨の雨もなかなか乙なもんですね~っていう、ちょっと変わったナイスな方々に888は支えられています。
本当にありがたいです。
類は類を呼ぶってことなんでしょうけど、エナジー合わないとどこにも入っていけませんもんね、この世の中。
話はころっと変わりますが、
数日前から数日後に起きるであろうことが分かっていました。
それは予感でもなく、予知でもなく。
ただその未来が来るってわかっていただけ、というしかないかもしれないんですけどね。
わたしの場合、そこにあるエナジーはわかるしカラダを触ることで言葉に変換していくけど、特に自分のことは言語化する必要があまりないです。
みはるちゃんは生きてても死んでても人間じゃなくてもエナジーがあればコンタクトをちゃんと取れる人なので、言語化する必要があるときは、事細かな情報をわかりやすくしていつも伝えてくれます。
今回もはっきりと言葉で伝えてもくれたけど、わたしの気持ちの中ではぼかしてました。
だってなんにせよそれを固めることにはなんの意味もないから。
だけど時として人は「この先こうなる可能性があるかもよ」的なことを聞くと「こうなるんだ」という決めつけを自らこしらえます。
そしてそれに近づく努力なりなんなりをする・・ように見せかけてただ待ってるってこと多いんじゃないだろかねって思うのです。
未来を知りたいという欲求は誰にでもあるし、未来が分かることで安心を手に入れることもできるかもしれないし、困ったことが起きるとしても回避することもできるかもしれないですけど。
でもさ、未来は瞬間何を選択するかで起きることの数は無数に増えるとわたしは思うし、自分の選択だけにとどまることでもないと思うんですよね。
今回起きたことは、わたしには選択権がなかったからただ受け入れただけの話だけど。
そういう未来もあるね。
そしてその未来はわたし自身のものでもあるけど、ただの一部でしかない。
「未来って今ここにあるもの。」
そう思ったら、今ここにある瞬間を丁寧に生きようって思いませんか?