ぷくりんと膨らむ自分への罪悪感。

 

困ったことや理不尽なことが起きたとき人は一瞬固まる。

 

そしてじきに湧き上がってくる怒りの矛先をさてどこにむけるだろう。

 

最初はその出来事、次にそれを仕向けた第三者。

 

ここまでは大体同じだけど、ここから道が二つに分かれる。

 

いつまでも相手のことを恨んで怒り続ける道。

 

あるいは時間の経過とともにそれを選んだ自分の情けなさと悲しみと傷ついた心を収めるために「私が○○をやったから(言ったから)」って自分にむけて、後悔という矢を放つ道。

 

どちらにしても物事が起きた場所から立ち去ることをせずに時間を止めてしまう。

 

そんな風に動くことを誰から学んだ?

 

それが生きていく上で必要不可欠なんだと、いつ決めた?

 

時間を止めることで何から逃げている?

 

辛いことがあると先に進めないと人は言う。

 

その出来事を解決しないとダメなんだって、前に進みたくても進めないんだよって。

 

相手に謝ってもらって、心の底から許すことができたとしたら、それで止まったものが動き出す?

 

何がどうなればそれは解決したことになるのかをちゃんと見ることもなく、起きた時の感情や感覚を見えない上着のように着込んでいるだけなんじゃないだろか?

 

同じようなことが人生の中で何度となく現れることがある。

 

癖というかパターンというか。

 

そのたびに同じように心を痛めて、時には体にも影響が出てきたり、日常そのものが壊れるきっかけになったりする。

 

忍耐、我慢、諦めまたは復讐、憎悪、不信・・、挙げればきりがないけど、そんなエネルギーの筋肉を鍛えているなんてたぶん誰も自覚なんてしてないだろね。

 

まぁね、それなりに長く生きてると自分の中にも出会う人の中にもしっかりと根付いた親しんだ身近なものたち。

 

だからっていつまでも大事に持ち続けないといけないわけじゃないんだよ!って言いたい(笑)

 

他人を許すのってある意味簡単なことかもしれない。すべてのものが洗い流せるほどの愛があればの話だけど、たいがいは表面的に無くなったとしても小さな棘のようにささった痛みはなかなか無くならない。

 

記憶は残ったとしてもそのもののエネルギーのかけらも残さないすべてを初期化する方法♪

 

そろそろその場所から離れませんか~

 

 

the Begining Of the End(終わりの始まり)

BOE (ボエ)っていうへんちくりんな名前で1Dayのワークショップやってます。

その中で日常の細かくて些細な事をこちょこちょくすぐって遊んでますが、これがブレーキをかけていたところに作用して、今までとは違う扉を開くことにつながったりします。

気づくって最大の変化への橋渡し!

来月もやりますよ~♪