イマヌエル・カントは、
「人間は理性的な存在であり、尊厳と尊敬に値する」 と言いました。
本当にそうでしょうか?
少なくとも、全ての人間が理性的であり、尊厳と尊敬に値する とはとても思えません。
まぁ、常にではないとも認めているので、カントの全てを否定するわけではないのですが。
カントもそうですが、哲学的なものによると、人間には「自由意志」があると論ずるものが多く、それこそが人が人である所以であるとしています。
人と猿の違いは「精神」にあるとも言いますね。
精神と自由意志は違うかもしれませんが、自発的という点では同じような意味を持つと思われます。
しかし、脳科学では、「人が感じる自由意志とは錯覚に過ぎない」と結論付けています。
実際の行動の大部分は、環境や刺激によって、あるいは普段の習慣によって、既に決定しているのです。
だとすると、人は自らの意志で規範的行動をとることはできない、ということになります。
ウイルソン博士は、「人は自分自身に無自覚である、という事実に無自覚である」と言っています。
それでは、自由意志の無い、無自覚な人間が、規範的で良い行動をとるためには、そして、「良い生き方」をするためにはどうすれば良いのか?
できるだけ多くの良い経験を積み、適切な反射ができるようになればいいのです。
適切で、正しい反射をする人を、一般的に「頭の良い人」と呼ぶのだと思います。
「頭の良い人」とは、世間の大多数が好きになるタイプの人です。
では、良い経験を積むためにはどうすれば良いか?
次回に続きます。