読みました。

 

「遺伝子の不都合な真実」 ちくま新書 著者:安藤寿康(あんどう じゅこう)

 

この本とっても良かったです。

何が良かったって、安藤氏が遺伝と環境の影響について、検証結果に基づき、中立な立場で真実のみを書いていると思えることです。

この本の中にもあるのですが、学者先生達は自分の信じる(専攻する)分野が正しいことを前提に物事を結論付けようとする傾向にあると感じます。

まぁ、研究とはそういうものなのでしょうから、仕方が無いといえば仕方がありません。

 

この本を読んで再確認できたことは、

人の能力には遺伝によって「生まれたときから差がある」ということ。

環境による変化はあるとしても、遺伝的優劣は埋めようがない差として、将来にまで影響を及ぼすこと。

一般知能の遺伝による影響は非常に大きく、現在の教育制度においては全体的な成績の優劣を生み、ひいては学歴の差も生むことになる。

 

学歴の差=収入の差となることは事実。

中には例外もありますが、やはり高学歴=高収入の確立は非常に高い。

 

学業だけではありません。

「私たちのすることなすことすべて」遺伝の影響を受けている。

 

要は、「やればできる子」は居ない、ってことです。

「することなすことすべて」 には当然勉強すること、努力すること、も含まれます。

ですから、「やれる子はできる」が正しいのです。

やらない子は「やらない」のではなく、最初から「やれない」のです。

 

もちろん、環境の影響もあるわけですから遺伝が100%ではありません。

最初から差があるから努力では如何ともしがたい部分があるってことです。

 

そんな結果を知って何が良かったのか? ってことになりますよね。

この本の落しどころは、その事実を踏まえて、

人が人である限り、全ての人は支え合って生きている、その中でたまたま現代の価値観により優劣がついているだけである。

と、言っているのです。

 

メジャースポーツの大スターも、その施設の清掃員も、それぞれに才能を発揮して仕事をしている。

どちらが欠けても、全体として成り立たなくなる。

見ず知らずの誰かと、すぐそばにいる愛する人と、人は常に支え合うことで生かされている。

全ての命に意味がり、価値があり、希望がある。

そんなことを教えてくれる一冊でした。

 

 

 

ちょっと意味は違うのかもしれませんが、

 

駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草履を作る人

 

大昔から分かっていたことが、自由と平等って名のもとに、実は不自由で不平等になっていませんかね~。