前回の続きです。
「せっかち」も「怠け者」も根本的には変われないってことについて。
何が言いたいかと言えば、性格も知能も遺伝するってことです。
私自身、父親の短所と思える性格を遺伝していると感じることが多い。
表向き繕ったとしても、心の中は変わらない。
幸いにして繕うことで社会生活に支障をきたさない程度の遺伝で良かったと思う次第です。
もちろん、良い面も遺伝しているからこそ社会の一人として生活できているだと思います。
そんなわけで、全ての人は環境の変化や何等かの啓発によって一時的に変われることがあっても、根本的に、完全に変わることはありえない。
心も遺伝するからです。
なぜ知能や心(性格)が遺伝すると大きな声で言えないか、それがとても不都合な真実でもあるからです。
知能や能力がある程度遺伝で決定しているとすれば、「努力」は無駄になる。
いくら努力したって無駄ですよ、なんて絶対に言えません。
それがどれだけ不都合を生むかは誰しもが分かること。
もっとはっきり言えば、単に能力の優劣だけであれば、そんなことは社会全体にとって大した問題じゃない。
誰にでも長所短所はあり、それぞれの生きる道や対処方法があるはずだから。
じゃあ、何が問題なのかと言えば、文明にとって不都合な行為を行う性格、犯罪行為に及ぶような性質(性格)も遺伝することです。
これについては養老孟司氏の著書にもあります。
「恐ろしい犯罪を犯すような人間の脳には必ず何等かの特徴があるはず。」
「それを知るためには犯罪者の脳を調べる必要がある。」
しかし、犯罪者の人権、もしくはその特徴も持った人の人権が侵されるとの理由で、犯罪者の脳を調べることができない。
確かに特徴があるからと言って、それが100%非人道的行為に繋がる確証を得ることは難しいと思います。
非人道的な犯罪の被害者や、その家族の悲しみや絶望の大きさは計り知れません。
悲惨な事件の報道を見る度に、もし自分が被害者やその家族であったらと、そう考えることで様々な思いを巡らせることは大事なことだと思います。
被害者の気持ちになって、犯罪行為を憎み、その抑制について一人一人が真剣に考える。
そのときに私は逆の立場からも考えます。
もし、自分が加害者だったら、と。
とてもじゃありませんが、恐ろしい行為に及ぶ自分を想像することすら難しい。
それは私だけではなく、大多数の善良な人にとっては同じであると思います。
それでも無理やりに想像したとき、私の心の全てを悪魔に支配されたと考えるしかありません。
そして、そのようなことになるのであれば、心の悪魔を封じ込め、心から取り払う術を教えて欲しい、恐ろしい行為に及ぶ前に助けて欲しいと心から願います。
その悪魔の正体こそが「脳の特徴」と言えるのではないでしょうか?