私はとても歩くのが速いです。
その速さは、街中を歩くとき、全ての人を邪魔くさく感じるほどです。
それほど急いでいるつもりはありませんが、明らかに他の方々とはペースが違います。
歩くのが速い原因として、性格的な問題はあると思います。
要は「せっかち」ということです。
それははっきりと自覚していて、仕事もプライベートも様々なことを、より効率良く、無駄なく進めたい気持ちを常に強く持っています。
ですから、休日も朝から分刻みの計画を立てたりします。
休みだから朝寝坊するなんてことは絶対にしません。
平日、仕事がある日にはできないことを、少ない休日に行うためには、寝坊なんてとんでもない。
そんな私ですから、最も苦手なことは急な空き時間の発生です。
何もすることが無い時間は限られた人生の無駄遣いだと感じてしまいます。
最近ではその対策として、常に本を持ち歩いています。
興味のある、または仕事に役立つ知識を得るための時間になれば無駄はではありません。
自分自身不思議だと思うことに、子供の頃から時間に限りがあることを感じていることです。
例えば、子供の頃に住んでいたアパートから富士山が見えました。
朝焼けや夕焼けに染まる富士山はとても美しく、その美しい景色を後何回見ることができるのか?
なんてことを考えて、何とも表現のしようのない悲しい気持ちになるような、少し変わった子供でした。
漠然としていたその気持ちは、歳を取るごとにより明確に、より現実的な問題として感じることができるようにり、子供の頃は恐怖でもあった限られた時間の概念を、年齢を重ねることで、人の宿命として、観念として受け入れるようになりました。
だからこそ、その限られた時間を大切にしたい。
そう思う気持ちが私を早く歩かせるのではないかと思います。
もう一つの理由は体力的なこと。
私はとにかく体を鍛えています。
スポーツジムでの週五日のトレーニングを自らに課しています。
自ら定めたプログラムを決められた時間内に実行します。
そのため普通の方々よりも体力的優位にあるので、足が速いと言えると思います。
ちなみに、歩くのが遅い方は、歩くのが速い方より、統計的に寿命が短いようです。
のんびりした方の方が寿命が短いとは意外な結果だと思いませんか。
その原因は主に体力的な問題であるようです。
要は単なる「怠け者」は長生きできないってことだと思います。
追い打ちをかけるようですが、その「怠け者」が長生きしようと思ったとしても、本来の性格である「怠け者」は変えられないそうです。
私のような「せっかちな奴」が良いか悪いかは別問題として、逆に私は「怠け者」にはなれないと思います。
なぜなら、身体的運動能力知能と同様に、性格や理論数学的知能や言語的知能も遺伝によって70%以上が決定しているからです。
少し前にそんなことが話題になりましたよね。
人は努力によって変われるか否か、みたいな論争。
それもちょっと考えれば分かること、なぜだか都合の悪いことは遺伝しないことになっていませんか?
なんてことを、哲学、脳科学、政治経済の本を読みまくって感じた次第で御座います。