サポートとして色々提案するも・・・まぁ、いつも言ってることなんだけど
結果的には現状維持・・・
意味あったの?
もうね。ホントに怒りながら焼肉食っただけですよ。
うまいとかよくわからなかったですよ。
うまいとかよくわからなかったですよ。
皆さんこんにばんちは、羽鈴です。
させ、前回のブログの冒頭で、軽く放射線関連のこと書いたけども、今回は本文でいこうとおもいます。
とはいっても、昔の話です。
1986年4月26日1時23分、ソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原発事故のことそして・・・。
事故発生時、1986年4月25日に原発4号炉の定期保守のための動作停止させるついでに4号炉で動作試験をしていた。
試験の内容は、有事で電源が遮断さて外部電力が止まった場合、非常用ディーゼル発電機が作動するまでの約40秒間、蒸気タービンが慣性で発電できる電力のシステムが動作不能にならないか確認するものだったけど、責任者の不適切な対応や、炉の特性による予期せぬ事態の発生により、不安定状態から暴走、炉心融解に至って、最終的に爆発した。詳細はWikiを読んでくれw※wikiより抜粋
放射能は北半球すべてにまき散らされて、牛乳、肉、野菜とかを汚染した。
この時俺は小学校3年だったかの餓鬼だったけども、「なんかが爆発(多分原発のこと。興味なかったんだなw)して世界中に酸性雨が降リまくってる」話を聞いたのを覚えてる。
まぁ、酸性雨とチェルノは関係ないと思うけど、多分酸性雨と放射能を含んだ雨が混ざって降ってきてたのは確かだと思う。
で、死者は1987年7月末で31人、直接関係あるかもわからないけど可能性のある死者はウクライナのチェルノブイリ連合の発表で、現在までの事故による死亡者数は約73万4,000件にもなるらしい。※wiki
そんな大事故だったから、チェルノブイリ原発から180km離れたところにあったブジシチェ村では高濃度の放射能が検出されて、避難区域に指定されていた。
にも関わらず、数十人の老人と、一人の若者が村に残ってたそう。
福島原発事故の時もそうだったけど、老人は老い先短い残りの人生どこかに非難するよりも放射能汚染によって被曝しようとも住み慣れた我が家で人生を全うし静かな最後を迎えたいと思っていたのかもしれない。
その映画もあります。
そのなかで村に残ったアクセレイは「僕らにはあの泉があるからね。あの泉は100年も前から僕らを守ってくれているんだ」と言っていた。
長い間地中で眠っていた過去の水が湧き出る泉。
村全体が放射能に汚染されている中、その泉では放射能が検出されなかったらしい。
確かに地下深くから汚染されていない水が湧き続ければ、雨とかで放射能が泉にまざったとしても表面的なとこだから湧き水の勢いがあればすぐに流されてしまうかもしれない。
でも、検出されないって・・・・
確かにそうだとしても、泉以外は高濃度に汚染されているわけだから、高濃度の放射線に長いこと晒され続けてきた村に残った彼らはなんで今も元気に暮らしていけているのか・・・
その奇跡の泉には科学では証明できないなにか大きな意志みたいな力が働いているのかもしれない。
そして、科学に染まってしまった人類にそれを証明することが出来るのか、乞うご期待。
・・・つって、じゃ、ばいちー