みなさんこんにばんちは、羽鈴です。
先週はPRIDEみて今日はMOTHERを観に行ってくる。
その2作品に出てくる大石清伍長。
両親は亡くなり、小学生の妹、静恵(静ちゃん)が一人肉親だった。
当時11歳だった。
大石清伍長は、昭和20年(1945年)>5月20日、知覧特攻基地の補助飛行場として、西へ約15kmの吹上浜に面する位置に急造された万世特攻基地に到着、その後数日を置かずして出撃、散華された。
終戦まで、後僅か3ヶ月であった。
年齢は定かじゃないけど、中学三年で陸軍飛行学校へ入学していたので、17~18歳位と推測されている。
そうして散っていた彼らも何故戦犯者になってしまうんだろう。
神風特攻隊は軍人相手に突っ込んでいった。
普通の戦争行為だった。
彼らはみんながB級戦犯扱いだ。
なんでそんなことになってしまったのだろう。
こんな事言ってもきりはないんだろうな。
俺はバカだからわかることなんてないんだろうな。
そんな大石伍長が妹へ出した手紙が残されている。
【妹への手紙】
静ちやん お便りありがたう。 何べんも何べんも読みました。
お送りしたお金、こんなに喜んでもらへるとは思ひませんでした。
神だな(棚)などに供へなくてもよいから、必要なものは何でも買つて、つかつて下さい。
兄ちやんの給料はうんとありますし、隊にゐるとお金を使ふこともありませんから
、これからも静ちやんのサイフが空つぽにならない様、毎月おくります。
では元気で、をぢさん、をばさんによろしく。
兄ちやんより
【妹への遺書】
なつかしい静ちやん!
おわかれの時がきました。兄ちやんはいよいよ出げきします。
この手紙がとどくころは、沖なはの海に散つてゐます。
思ひがけない父、母の死で、幼ない静ちやんを一人のこしていくのは、
とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。
兄ちやんのかたみとして静ちやんの名であづけてゐた
いうびん通帳とハンコ、これは静ちやんが
女学校に上るときにつかつて下さい。時計と軍刀も送ります。
これも木下のをぢさんにたのんで、売つてお金にかへなさい。
兄ちやんのかたみなどより、これからの静ちやんの人生のはうが
大じなのです。
もうプロペラがまはつてゐます。
さあ、出げきです。
では兄ちやんは征きます。
泣くなよ静ちやん。がんばれ!
陸軍特別攻撃隊 『 特 攻 』
昭和20年4月12日,250kg爆弾を胴体に吊し,沖縄に向け飛び出そうとする
「穴沢利夫」少尉の戦闘機「隼(はやぶさ)」
と、それを見送る桜の小枝を打ち振って特攻隊員の門出を見送る知覧の女学生達。

昭和20年4月12日,250kg爆弾を胴体に吊し,沖縄に向け飛び出そうとする
「穴沢利夫」少尉の戦闘機「隼(はやぶさ)」
と、それを見送る桜の小枝を打ち振って特攻隊員の門出を見送る知覧の女学生達。

また 大石伍長のは幼い妹を一人残して逝く悲痛な句として残している。
妹泣く。叔父上夫婦も泣く。
せめてあと数日、妹の傍に居りてやりたし。
しかしまぁ、飛行機でつこんで敵艦を沈める。
1人の命を使いで10人も100人も相手を倒す。
まるでメガンテだな。
でもザオリクは使えないんだよ。
どうしょうもねえな全く!
でも多分それは彼らが一番わかっていたんじゃないだろうか・・・
この写真の撮影者は米海兵隊カメラマン、ジョー・ダニエル軍曹で、米国戦略爆撃調査団の調査で長崎、広島などの戦災状況の記録をしていた。
そしてこの写真の記事にはこう書かれていた。
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていた。
白いマスクをした男たちが60センチほどの穴の傍で作業をしていた。
死体を石灰の燃える穴の中に次々に入れていたのだ。
10歳ぐらいの少年が歩いてきた。
やせておりボロボロの服を着て、はだしであった。
背中に赤ん坊を背負っていた。
見たところ赤ん坊は眠っているようであった。
少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしていた。
炎にも微動だにしなかった。
少年は10分ほど不動の姿勢で立っていた。
やがて白いマスクの男たちに近づき、少年はおんぶの紐を解きはじめた。
赤ん坊は死んでいて、少年は火葬の順番を待っていたのだ。
マスクの男たちは赤ん坊の手足を持つと、ゆっくりと焼き場の上に置いた。
肉体が炎に包まれ、焼ける音がした。
その赤い炎の光は、少年を赤く照らした。
炎を食い入るように見る少年の唇は硬くかみ締められ血が出ていた。
気落ちしたのか少年はやや背を丸めたが、すぐに背筋を伸ばし直立不動の姿勢で事態を見つめていた。
まるで軍人のような見事な姿勢であった。
死体が焼けるまでそのままの姿勢であった。
私は少年の肩を抱いてやりたい想いだったが、何もできず、思わずシャッターを切った。
炎が静まると少年は回れ右をして、そのまま一度も振り向かず、なき声も出さず、焼き場を静に去っていった。
この背筋が凍りつくような光景に接し、私は無言で立ち尽くしすよりなかった。
この少年が生きていたら今はもうおじいちゃんになって、70歳中盤くらいかもしれない。
しかしこの少年が背負っていたのは妹で他に家族はいなかったんだろう。
妹を背負いながら燃え盛る炎の前に何を感じていたのだろうか。
戦争を知らない俺たち、いや、知ってはいる。他国の戦争を知っている。
でも、体験したことがない。
だからこうやって知るしかない。
こういう史実のこととかを書こうとすると、言葉に詰まってうまく表現できない。
いつもって言うな(泣
でも、しょうがないのかな。
さて、これから「MOTHER」観に行ってきます。
っと、その前に仕事終わらせてくる。
じゃ、ばいちー