赤と黄色の中間であるその雫の放つ輝きは賑やかさを感じ開放的な気分になることができる。
色の心理効果としては喜びや幸福感、親しみ、元気、明るいといったポジティブな効果が強い。 
一滴の雫は水面に波紋を作り出し、たとえ一滴であってもその波紋は様々な領域に影響を与える。 

悠人(ゆうと)にとってそれは特別な日にしか飲むことを許されない特別な飲み物だった。 

悠人の家は裕福とはいいがたかった。 
父と母と妹の四人家族。 
冷蔵庫に入っているお茶は薄っすらと茶色はついているものの味は少しも感じられない。 
母、亀子(かめこ)のまさに水増し作戦により、水に対しての茶葉の比率が明らかに足りていないのだ。 
悠人は仲良くなった友人コウスケ宅へ遊びに行き、そこで出された麦茶の香ばしさに驚愕した。 
そしてその時、我が家の麦茶がお茶テイスト飲料であることを知った。 
小学校3年生の春だ。 

だがそんなことは悠人にとって大した出来事ではなかった。 
クラスの仲間はほとんどみんな同じような経済状況で 第一、学校には水筒を持って行かずに水道水を飲んでいた。 
ただし蛇口に直接口をつける奴はダメだ。 
あいつらは女子に嫌われる。 

悠人に贅沢は必要ではなかった。 
仲間と遊んでいる時間が何よりも楽しいし、そこにお金のかかるオモチャも必要ない。 
木の棒を振り回し、草むらに突入すれば新大陸の冒険者として英雄になれた。 
腹が減ったら、ツツジの花の蜜で糖分補給した。 
過去に一度、友人のサトシが食べれると言った謎の草の茎を食べてお腹をこわしたことがある。 
何故にサトシはお腹をこわさなかったのか? 
謎は謎のままだがサトシの「食える」は二度と信じない。 
三日間学校を休むことになったが 
もちろん母亀子には謎の茎を食べたとは言わない。 
ばれたら泣きっ面に蜂だ。 

そんな悠人であったが一つだけ 
たった一つだけ 
忘れられない贅沢があった。 
特別な日にしか飲むことを許されない、橙色の雫。 
それを飲むには栓抜きが必要だった。なんという特別感か。 
エネルギーの象徴ともいえるそれに名前など本来必要ではない。
橙色の雫と言えば皆がそれを思い描くはずだから。 
だが名前はあった。 
呼び捨てにするのもおこがましいが 
「プラッシー」 
それが神の雫につけられた地上での呼び名であった。 
おばあちゃんだけは何故か「プラッチィー」と呼んでいたが、これにはおそらく特別な意味はなく、単におばあちゃんはカタカナが苦手だったのだろう。 

つづく