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スプートニクの旅人

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2003年公開 フランス映画
監督 ヤン・サミュエル

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まず始めに言いたいのは、気楽に観れるラブコメだと思っていたわたしが馬鹿だったということ。
独特なスピード感、プロット、展開。
置いてけぼりを食らいそうになりながらものめり込むように集中した作品でした。


「のる?のらない?」
お互いが出した「条件」をクリアしなければならないというゲームを始めた幼い頃のソフィーとジュリアン。
クリア出来たら相手の番。
二人はこのゲームを大人になっても続けていた。

幼馴染みのこの二人。「移民の子」とクラスメイトから蔑まれ泣いていたソフィーを慰めようと、ジュリアンが母親から贈られたブリキの缶を渡した事から始まったこのゲーム。
「時々返してね」「条件をクリア出来たら返すわ」
それからこの缶は二人の間を行き来することになる。

ジュリアンの母親が亡くなり、不憫に思った父親が、毛嫌いしていたソフィーを家に泊まらせ二人は一緒に眠る。10年後も、同じように。(父親のこのお情けが致命的だったのかも)

幼い頃は「悪戯」で済まされたていたことも(と言ってもけっこう目に余るが)、大人になって行くにつれてその悪戯には拍車がかかりもはや笑えないレベルに達する。
そしてやっぱり芽生え出すんですよね、「恋愛感情」が。

フツウのお年頃の二人なら結ばれるはずなのに、この二人はどこまでもこのゲームにとらわれてしまい素直になれないのです。
どちらかが素直になり気持ちを打ち明けようとしても、どちらかがそれはゲームなの?と思ってしまう。
この厄介な「ゲーム」のせいで堂々巡りを繰り返してしまうのだ。

「人はゆっくり大人になるんじゃない。いきなりなる。」
二人の関係性や、受動的なその生き方。二人を二人たらしめるもの。
ジュリアンのこの台詞が全てを表しているように聞こえた。いい台詞ですね。

この後二人はすったもんだを繰り返し、「1年」会わなくなり、「10年」会わなくなる。
1年後の再会での証人のくだり、個人的にあれは盛大に引きました。
映画を観ていて顔を背けたくなったり心を痛めたりすることはあるけれど、あんなに純粋に「引いた」のは初めてかもしれない。ぜひ作品で確かめてみて下さい。笑

10年後の再会で所謂「決勝戦」なるものに入ります。
お互いにそれぞれ結婚をしていて平凡に暮らしていたはずが、満を持して仕掛けたソフィーからの「ゲーム」でもうめちゃくちゃ。
必死で警察から逃れようとカーチェイスを繰り広げながらジュリアンは、「求めていたのはこれだ」と思う訳です。もはや狂人ですね。

そしてトレーラーにぶつかってしまい大爆発。
病院へ駆けつけたソフィーの目に映ったのは変わり果てたジュリアンの姿。帰りの車の中で泣き崩れるソフィー……ってね、もうさすがに分かりましたよ。
そうこれも「ゲーム」

ソフィーが見たのは違う患者さんで、ジュリアンは怪我は負ったもののピンピンしています。
それに気付いたソフィーは病院へ戻り、二人はやっと(!)気持ちを確かめ合うのだけど、ここで物議を醸すあのラスト。

結局二人はどうなったのか?「あのまま」二人で永遠の愛を勝ち取ったのか?だとするならオープニングの少年時代のジュリアンの語りとあの「コンクリート」の画とつじつまが合う。
だけど「観ている側」を騙そうとしている演出も多数見受けられる。

わたしとしては「観たまんま」でいいかなあと思っている。
なんせ大真面目に解説するのが憚れるようなこの映画。(良い意味で、です)
己の価値観のみを優先させるまさに耽美主義で、それでいて純愛で、とんでもないピカレスク。
刺激が欲しい方もそうでない方も、恋がしたい方もそうでない方も、一度は堪能してほしいそんな映画です。