平和の下僕 イタリア兵 | 三食カレーの 振り向けば桃源郷

三食カレーの 振り向けば桃源郷

映画や本、音楽(主にJAZZ)のレビューを綴ります。
よければご覧ください!

第二次世界大戦は、枢軸側としてドイツ、イタリア、日本の順で参戦し、まずイタリアが早々に手を上げた。1945年4月にベルリンを廃墟にされ独裁者ヒトラーが自殺してドイツが間もなく降伏、3か月後に日本が広島、長崎に原爆を落とされて無条件降伏してようやく幕が下りた。

 

戦後、ドイツ人が日本人の肩をたたいて「次はイタリア抜きでやろうな」といったというジョークが流れて、僕も子供心に記憶している。ぼくとほぼ同い年の北野武監督がベルリン映画祭で受賞した時、このジョークをまた披露して思いっきりすべっていました。

 

イタリア映画「ひまわり」では、マルチェロ・マストロヤンニ扮するイタリア兵が前線行きから逃れるため、詐病を演じるところから悲劇が始まった。上官にばれて地獄のロシア戦線に放りこまれ、残されたソフィア・ローレンが可哀そうに苦労させられて。最近CSで放送されたブレイク・エドワーズ監督のカルト映画「地上最大の脱出作戦」でも、イタリア兵は最初から戦意などかけらもないヘナチョコ扱いだった。ビリー・ワイルダー監督の「熱砂の秘密」では、捕虜になったイタリアの将軍がオペラのアリアかなにかを朗々と歌いながら行進してましたね。イタリア兵=やる気なし、というのがハリウッド映画のお約束みたいになっていたんですね。

 

史実はどうか。

「輪をかけて」とは、このことでした。緒戦でのドイツの快進撃をみて、ムッソリーニは「このままでは講和国際会議で座る席がなくなる」と、あわてて北アフリカに100万近い大軍を上陸させた。エジプトを守るイギリス軍は数万人。ところが一戦に及ぶと、これが惨敗。大戦中イギリスを率いたW・チャーチルの大戦回顧録にこんな一節が。

 

ある大隊から捕虜の数について報告があった。「あまりに多くて数え切れぬ。将校は50エーカー、下士官は200エーカー」と面積でいってきたという。

 

結局北アフリカ戦線は、ドイツが後を引き継いで英米と戦い、「砂漠のキツネ」ロンメル将軍の令名を天下に轟かせたものの、最後は敗北の憂き目をみている。

 

大戦の帰趨を決したのはロシア戦線だった。その潮目を変えることになったスターリングラードの攻防戦でも、イタリア軍はやらかしてくれています。頼りにならないイタリア軍はドイツ軍にとって悩みの種だったようで、独軍参謀部は現地軍にこんな助言をしたそうです。「イタリア人は温暖な気候に育ち、ドイツ人に比べて疲れやすい。彼らに傲慢な態度をとってはならない」。一発も撃たずに全員降伏した大隊があって、捕虜になった軍曹の言葉が残っている。「何かの間違いだと思ったので反撃しなかった」。戦場にいることを忘れていたのか。主戦場のはるか後方を守っていたイタリア第8軍団の防御網を破ってソ連赤軍はスターリングラードのドイツ第6軍を包囲し、元帥を含む軍団を捕虜にして戦いを終えている。

 

ヨーロッパからアフリカ・中東まで、その軍靴の下に置いた古代ローマ軍団のDNAは、近代イタリア軍には受け継がれていなかったのか。それとも闘技場のグラディエーターに喝さいを送って「パンとサーカス」にうつつを抜かしていたローマ市民のほうを受け継いでいたのだろうか。戦後生まれの僕としては、捕虜になってでも生きて家族のもとに帰り着いたイタリア兵に共感を覚えてしまうのですが。