明治の頃、亀有を通る常磐線の汽車は一時間に一本ほどであったが、夜中になると本数が増えると噂になっていました。
ある日、汽車が走っていると、正面から別の汽車が迫ってきます。
運転士はぶつかると思い、思わず目をつぶると、何の衝撃も無く正面の汽車は無くなっていました。
翌日、貉(狸)が線路脇に沢山死んでいるのが見つかり、昨日の汽車はこの貉が化けたものに違いないと皆が思い、近くの見性寺に葬ってあげました。
これが、今も見性寺に残る貉塚の由来です。
明治の頃、亀有を通る常磐線の汽車は一時間に一本ほどであったが、夜中になると本数が増えると噂になっていました。
ある日、汽車が走っていると、正面から別の汽車が迫ってきます。
運転士はぶつかると思い、思わず目をつぶると、何の衝撃も無く正面の汽車は無くなっていました。
翌日、貉(狸)が線路脇に沢山死んでいるのが見つかり、昨日の汽車はこの貉が化けたものに違いないと皆が思い、近くの見性寺に葬ってあげました。
これが、今も見性寺に残る貉塚の由来です。
その昔、岡崎城は西郷弾正左衛門というお殿様によって築かれました。
お城が完成した時の事、どこからともなく気高く美しい女性が天守閣に現れました。
「そちは何物ぞ」
と、弾正左衛門が訪ねると、女性は、
「われは、この地に長く住んでいる龍神である。私を祀れば、この城を守り長く繁栄させるであろう」
と言い残して姿を消したので、天守閣に龍神を祀り、城中の井戸を龍の井と名付けました。
その後、西郷信貞の時代に、松平清康に娘を与え、岡崎城は松平氏の居城になりました。
元旦の明け方に清康は左手の掌に是と言う文字を握った夢を見ました。
そこで、長興寺の和尚に聞いてみると、
「是と言う字は、日、下、人という字に分かれます。この松平家からいぜれ天下人がでるでしょう」
と言われました。
その後、清康の子、広忠に長男が生まれました。
この時、空に竜が現れました。
その生まれた赤ん坊が、徳川家康であるということです。
おしまい。
写真は岡崎城に今もある龍の井。
100名城99番の沖縄県中城村の中城(なかぐすく)城。
沖縄では人気者の悲運の武将、護佐丸の居城で、綺麗な海が見渡せる場所にあり、とても良い所でした。
この遺跡っぽい感じが何とも言えない雰囲気で、扉を抜けると異世界に行けるような、そんな感じで凄く良かったです。
護佐丸は、尚泰久王に仕えていたが、阿麻和利が王に護佐丸が反乱しようとしていると王に讒言したために、王の軍勢に攻め込まれるが、自身の身の潔白を証明するために自害。
護佐丸がいなくなるや、阿麻和利が反乱。
しかし、結局、王の軍勢に阿麻和利は滅ぼされてしまいます。
この手の話はどこにでもありますが、現代社会でも上司にあること無いこと言う人には用心した方が良いですね。(笑)