本当の優しさとは。

このことをいつも考える。
なぜなら、間違いなく僕は優しくないから。
自分の弱さ故に、間違った優しさを押し付けているだけだ。これについては何度も自分の中で葛藤があった。もがいていた。いや、もがくと言うよりは逃げてきた。

今も逃げている。
きっとこれからも逃げてばかりの人生だ。

僕は今、多くの人に嘘をついている。

本当にすべてをさらけ出せる人はいない。

そういう人がいて欲しいなんて思うこともある。
でもそれは無理だろう。
それは相手の問題ではなく僕自身の問題であって、それをさらけ出した途端僕のすべてが崩壊するだろうという恐怖に耐えられないからである。だから今、逃げているのだから。

僕は優しいと言われることが度々ある。
それを言う人が本当にそう思っているかは別として、それは大きな間違いだ。
どちらかというと僕は冷酷だ。
これは悲観的になっているわけでも何でもない。
冷静な自己分析の結果だ。
というか、すでに誤魔化しきれていないので多くの人には見抜かれている。

僕が今、見たいのは見返りを求めない優しさである。
周りの人、すべてを包み込む絶対的な優しさ。
その正解を見たい。

あとどれぐらいやっていけるか分からないけど、出来ればその答えを見つけられたらと思う。


今まで、そして今。
僕が大切だと思っている人達。
本当にごめんなさい。







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その手はそれを手に入れようと掴み取る。僕は奪い取られまいとその手の上から自らの手を被せる。すると僕の手を次の手が覆う。僕は感情的にもう片方の手を被せる。すると次はその手だ。それを手に入れるためそれは繰り返される。僕は激しい頭痛と吐き気に眼をふせる。想像してみてこれは究極の恐怖だよ



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今日、思ったこと。
僕は僕自身の底なしの弱さを知っている。
ただ僕自身が手に負えないのは、弱い上に悪であるということだと思う。
さらにはいい人であるフリをしたがるとこである。つまりは全くのニセモノであるということです。
多少の救いは頑張ってそれを誰かのせいにしないようにしようとしていること。
でもそれは多少であり、悪は所詮、悪だ。
その誰かのせいにしないという努力すらも、結果どうなるかわからないだろう。僕自身の弱さ故に、最終的に誰かのせいにしようとするかもしれない。
そうなったら救いようがない。

そう救いようがない。

きっとこれからも僕は悪であり、それを隠そうとするだろう。誤魔化せてるのかすでにばれているのか。

今の僕にはわからないが、どちらにせよ、もう戻れない。

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