こんばんは‥(^_-)-☆

今の奈良は、9℃と暖かい日になりましたが、最高気温は16℃と暖かい日がまた戻りましたね。

今日は2・26事件の日なんですね。

皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官・兵を率いて「昭和維新」と自称し、首相官邸を含む重要施設を襲撃し、政府要人を襲撃するとともに永田町や霞が関などの一帯を占拠したが、最終的に青年将校達は下士官兵を原隊に帰還させ、自決した一部を除いて投降したことで収束した。

1920年代から30年代にかけて、日本は最悪とも言っていいほどの経済状態でした。

特に1930年の昭和恐慌は悲惨なものでした。

前年の世界恐慌のせいで輸出は伸びず、かえって輸入が増えて金が流出。企業の倒産も増え、失業者が街にあふれます。

輸出の減少は農村を直撃、生糸輸出は激減し、農家は著しく困窮しました。「欠食児童」や農家の娘の「身売り」が社会問題となりました。

恐慌で人々が苦しんでいるのに、政府は財界と癒着してなにも有効な手を打たない。

そんな政党政治家や財界人は殺してしまうべきだという過激な考えが広がりました。

1930年の浜口首相狙撃事件(のち、首相は死亡)、1931年の三月事件(クーデタ未遂)、1932年の血盟団事件(井上準之助前大蔵大臣と団琢磨三井理事長を暗殺)と五・一五事件(犬養首相暗殺)など信じられないくらいのテロや暗殺が横行しました。

事態を知った陸軍内部では首都での同士討ちを恐れて消極的な意見が多くみられました。

一部にはクーデタに対して同情的なものもいて意見がまとまりませんでした。

そのため、事態はクーデタ派の思惑通りに進むかに見えました。

この事件の結果、岡田内閣が総辞職し、後継の広田内閣思想犯保護観察法を成立させた。

1936年(昭和11年)2月26日〜2月29日にかけて発生した、日本のクーデター未遂事に因んでいます。

この日、皇道派に影響された若い陸軍将校が統制派に対抗して、1483名の部下を引き連れてこの事件で内大臣や大蔵大臣が命を落とし、永田町周辺は占拠されました。

そんな歴史を知ると、ロシアのウクライナ侵略を早く収束してほしいですね。

自死することができずに、死を待つ私の一つの願いです。

今の私の願いはそれだけかもしれません。

今朝の血圧は、143-85、脈拍は88、血糖値229でした。

体温は36.5℃でした?・・

昨日の散歩数は、10758歩でした。

昨日の散歩は病院通いもあり一万歩を超えました。

今日は少し散歩に頑張ります。

今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆