なんでも言語化して分析していた頃があった。私自身が人に常に評価されることに疲れていた頃、そのことを恐れていることに気づいていなかった頃。今はどうだろう。言語化することがもったいないものごともあると思うようになった。言葉は自分より前にあって、そこにあえて感情や状況をはめ込んでいくことが、必ずしも何かの形にしていくことが、適切ではないように感じて。言葉にせず感じていてもいいんじゃないかと思って。言葉にしなくても存在していて、自分ではよくわかっていて(よくわかっていなくてもいいし)。誰かにわからせるためにその感情や出来事があるわけじゃない。ただ、眺めたり、感じていようと。言葉にすると、「なにものか」になっていくから。言葉では窮屈なときだってあるの。言葉にすると「そうじゃない」こともあるの。

 

 かつての仲間と再会して別れたあと、寂しい気持ちになった。私は「また会いましょう」と言った。二度と会うかわからないけれど。また会いたいからそう言った。一度だけ振り返って、手を振った。本心には、もっとじっくり大げさな気持ちがあるけれど。感謝の気持ちも伝えるけれど、伝えたいことはいつだって言葉にしてきたけれど。でも、時間もものも人もすべては私の所有物ではない。

 諸行無常。夜道を歩き始めた私は、心の中で好きな言葉をつぶやいた。変わらないものはないのだからと言い聞かせた。変化することに感情をたくさん使う。辛いけれど私は、変わらない日々に耐えられなかったから。心が動かない日々が耐えられなかったから。

 変化のために選ぶ道が、いつも少し険しくて危なっかしいのかもしれない。人にどう思われようと、もうどうでもいいかな。気にしないよ。

 

 友人たちには、いつも自分の方が片想いをしているように感じる方だ。その夜、私のために集まってくれたけど、私の知らない出来事がたくさんあって、私は彼らの話を聞いていた。なつかしい気持ち。疎外感という名前がついている。この夜だけじゃない、いろんな場面で感じてきた気持ちだ。なつかしいな。辛いけれど、あきらめがある。仕方なさがある。友人が楽しければいいかと思う自分もいる。

 私にも、この人たちと楽しく過ごしてきた時間がかつてあったんだなと思った。不思議だな。私にも一人じゃない時代があった。

 

 ある場面において、私が選択してきた道のりは社会的に不利な結果をもたらす要素をふんだんに含んでいてなにをやってきたんだろうと思う。一方で、自分が築いてきた関係や取り組んできたこと、大切にしてきたことには自分なりの軸があり、理由があり、根源を持っており、またそれゆえに出逢えた人たち、一時期なにかを共有してきた人たちがいる。人生で一人じゃなかった時間があって嬉しい。私も、彼らの仲間だったんだな。

 どうもありがとう。一つの物差しで人や人生を語ることは自分に対してもやめたほうがいい。どんな寂しさも喜びもそのあいだにあるなんでもないことも、どれほど味わい深いことか。

 

 無気力に一人でインターネットばかり見て、さらに無気力を呼んでいった。出逢った人や環境の影響で、学歴や格差という自分にとってはたいして大切ではなかった概念が強く脳に刻み込まれた。自分の社会的な客観的な立ち位置も理解して、羽根を失ったけれどもようやく地に足がついた。私はそれはよい意味で捉えている。けれど、私がこの街で見てきたものは、インターネットで検索しても載っていない人々の幸せや生活だ。上の層の人たちの解像度で分類されると、とたんに彼らや私の幸せや大切にしているものは見落とされていく。そんな情報に振り回されて、実際の人間の幸せ喜びその活動の動機や細やかな心の奥の出来事を私自身も忘れていた。それなのに、よい仕事とか地位とか結婚とかじゃなくて、私がほしかったものを、忘れないように仕組まれているようだ。きっと、何かそっちでやることがあるんだろう。

 

 諸行無常。でも、変わりながらも消えない灯がある。いろんな運勢の人がいるし、私は私を生きたい。

 

 会社で私は役に立つ自分を提供する。そうではない心の中の場所、その心を持って出逢う人々。新しい街でも出逢えるだろうか。この街との別れの間際である今、出発を決めた頃若葉のようだった希望は、静かな情熱と信念に変わっていく。静かだけどより確かなものになっていく。

 

 蝉の声はもう聞こえない。寂しいな。思い出を胸に、未来へ向かう。人生に失望していなくてよかった。どうにでも生きてやれ。