人間は表では人から認められ、また褒められたいものであるが、この道は神様に認めてもらう道である。それを神めどうと言われたのである。日々通る中に人から悪さされても笑い、「前世の通り返しや」と心に定め通る者でなければ本物ではない。
常識を逸脱し人から「なんと変わった人や、不思議な人やなぁ」と言われなければ本物の道の者ではない。
どんな中にも神様との心を定め、信念を貫き通すところに不思議な理が出てくるのである。実際に昔の天理教は不思議な人が沢山いたのである。
愛町初代の会話で、「会長様の不思議はどうして起こるのでしょうか?」と尋ねる話があるが、初代は「天理教の者は表はやっているが、裏が出来ていないからだよ」と申されている。この道は裏の道、即ち陰の道である。人相手ではなく神様と対(つい)の道である。日々通る中で、心と陰のつとめが大事である。人は「お陰様で」というが、人に見えない陰の行いを言うのである。
追伸
この道は、単なる病助けの道ではない。この道は心が治まり、身が治まり、家が治まり、天地治まり土地所が治まり、国が治まる真の教えなのである。