僕がバイクいじりを始めたワケ 2
軍馬と銘打たれたバイクに乗り換えたのは、就職を前にした年のことだった。1992年だったか。こいつはもう、日本人が考えうる理想的なアメリカンバイクのデザインだったのではないか。どこからどう眺めても秀逸だった。
なぜか僕はレーサーレプリカもオフロードもいまではネイキッドと呼ばれているカウルなしのバイクには目が行かなかった。かといって各メーカーから出ているアメリカンバイクを物色、比較検討し、などしない。街で一度だけ見かけたスティード、それにぐっときた。次に乗るなら、あれだなと思っていたところ、折しも、就職前に通っていた自動車学校の教官がどうしてもと言い張るので、じゃじゃ馬娘を格安で譲ってやった。
レッド・スターなどというどこぞの国の旗の名を冠するその教官は、パワーを盾にしつこく迫り、低価格での取引を要求してきた。これから僕の働くことになっている大企業とちがい、初心者相手に威張るしか楽しみのない自動車学校の教官はスズメの涙くらいのお給金しかもらっていないのだから、ケチって値引きしてくるのも仕方のないことなのだろう、などといった傲慢な考えが、チラっとでも横切らなかったかと言えば嘘になるね。
けれども僕は渡りに船と捉え、おかげで新車を購入するばかり、自分で売り先を見つける手間も要らず、置いていく物もなくなり身軽になったと思ったものだ。アルバイトに行く途中にあった赤髭しか展示してあるバイクショップを知らなかったので、そこで購入することにした。ビラーゴにオイルを注してくれた大学近くの二輪修理店は展示車もなく、また本物しか興味がないようだったので気がひけた。
軍馬、いかにも力強そうではないか!
それまでは先輩にもらった白いフルフェイスをかぶっていたのであるが、将来の収入を見越して奮発し、ヘルメットもあつらえた。茶色い革張りの耳当てつき戦闘機ヘルメットに英国ハルシオン製の四眼式ガラスレンズを有するゴーグルを取り付け、低いシートに跨った。たぶん僕の中では、これが本格的にバイクに乗るスタイルのイメージだったのだろう。
太いグリップを握りアクセルをひねる。真新しいエンジンは軽快な音を立てて僕を前に前にひっぱる。じゃじゃ馬娘が億劫がった上り坂も、中型免許で乗ることのできる最大排気量400ccのスティードなら造作もないことだろう。僕は意気揚々とチャレンジした。老馬が若かりし頃を思い出し鼻息荒く踏ん張っているような、汗と涎を吐きながらの登坂に、正直、ちょっとガッカリだった。(しかし恐らく傍目には、スルスル登って行っているように見えるのにちがいない。乗っている者だけが覚える、ガンバリ感)
馬力は30PSに抑えられ、トルクも3・2kg程度で、150ccの排気量アップでは、それ以上に車重が50キロほど増えていたためか、圧倒的な回転モーメントを感じることはできなかった。
こんなもんか。
けれど、交差点もカーブも砂利道も細道もそつなくこなし、特にブレーキをかけて停車する時に車重270キロを超える大型バイクほど構えることもなく気楽に止まれた。
だいたいアメリカンなんて、長い直線を走るために適したバイクだ。坂道なんか!
けれどそれが心のどこかに、大型のアメリカンならどうなのだろう? といった疑問を残すことになった。
じゃじゃ馬娘の嫌がった高速道路は、70キロを超えて80キロまでも出るのであるが、アメリカンバイク特有の殿様スタイルの乗車姿勢では運転している僕自らが帆の役割を果たしてしまい抵抗となって風を造り出し、着ている物すべてが煽られ、目にはゴミが入り、とても乗れたものではなかった。
軍馬もあえなくじゃじゃや馬娘と同じインターチェンジで降りることとなった。それにしても20代前半の僕は、なめ切った装備で高速に乗ったものだ。グローブもなし。ジャケットにジーンズ、スニーカー。ジェットヘル。
そろそろ皆さんも飽きてきた頃だろう。いつになったら、バイクいじりを始めた理由を話し始めるんだ? だいたい、お前がバイクいじりを始めた話しなんぞ聞きたくもないのだぞ。そうボヤいている声が聴こえてくる。ドウ! ドウ! 人生もバイクもスピードの出し過ぎは禁物ですぞ。結論ばかりを先急ぐ余裕のないあなた、寄り道を楽しんでこそ、早く先に進めるというものですぞ。
会社を辞めたので、持っていた資産を現金に換えるべく、ハイエンド・オーディオもバイクも31歳の時に売っ払い、スッカラカンになった。軍馬は25万円で引き取られていった。50数万で買ったのが6年落ちで半額とは、赤髭は結構高く買っていくのだな、と思った。
軽トラに縛られて離れていくスティードを見送りながら、もうバイクに乗ることもないだろう、と思った。
それから数年が経ち、二度の引越しが重なり投函されていた通知に気がつかなかった。免許の更新時期が過ぎていたのを2歳になった娘がまとめて箱に入れていたハガキや封筒の束を漁ったために偶然発見したのだった。『うっかり失効』というのだそうな。問い合わせると、半年過ぎているので取り直しとなった。
父はまだ六十歳代で、昔から運転免許推奨者だったので、試験場まで何度か車で送ってくれたのだったが、僕の方が、試験管の態度に辟易して、もういい、と放り投げ、免許の取り直しをせず、それ以来15年、妻の横に座ってきたのだった。
それが
49歳の時に
突然
免許を取る
と宣言したのだった。
馬鹿じゃないかと思った。金はかかる。危険極まりない。暑い、寒い。世間体もわるい。一体今更、なんのためにバイクに乗るのか?
確かに数日前、近くにできたハーレーダビットソンの店舗を妻とふたりで冷やかしには行った。それは、本物だと称されるハーレーがどんなバイクかこの目で確かめてやろうという、ただの好奇心でしかなかった。
この時点では、まだ免許を取ろうとも、バイクに乗ろうとも思っていなかった。
にもかかわらず、バイクに乗る気運が高まり充足し、静かに決意しそこに在る。という感覚だった。
「おいら、免許取るだ!」
妻にそう告げた。
欲なのか? 欲ではないようだ。
物欲・所有欲・名誉欲・・・。どれも思い当たらない。
優越感?
そんなものでもない。
突然の思いつきに僕自身が面食らっていた。
走り出したらもう止まらないとか急いて仕方がないとか、そんな情動が沸き立つこともなかった。ただ粛々と決まり切ったプロセスを行く。そんな感覚だった。金はどうするか?
運転免許推奨者の父に頼むとすぐに貸してくれた。よしこれで、まず二輪の免許を取得し、その足で試験場に通い、四輪の免許を取ろうではないか、と思ったというか、夢でそうしろと言ってきた。よしわかったそうしよう。
あまり内にこもってばかりいる僕を
外に連れ出す。
運動させよう。
古墳やら神社やらを探索させよう。
なにか、そうした意志をかんじた。
何かがそうさせたのではないかと思った。どうせなら、本物を実感したい。いつの間にか、限定解除などという制度はなくなり、大型バイクも自動車学校で取得することができるように法改正されているではないか。しかもナナハンどころかリッターオーバー、無制限に排気量を選べるときている。
実際、バイクに乗るためには運動しなくてはならなかった。柔軟体操をし筋力アップも図らねばならない。僕は減量を心がけ、さらに瞬発力を高める運動を始めた。
どうもこのごろ元気のなくなった二輪市場に憂いている先人たち、たとえば本田宗一郎らの起こしたムーブメントではなかろうかと感じた。
帰って来いよ! 二輪の世界に。
そう呼びかけていたのをキャッチしたのか。2017年の秋のことだった。これまで、降り注ぐさまざまなエネルギーに呼応してきたが、そのひとつだったのだろう。
まだ、その時期には今のような空前の旧車ブームは身をひそめていたというより影も形もなかった。中古市場には活気はなく、どれもこれも安値で売りさばかれていた。
さて、なんに乗ろうか、と考え始めた。
フロントフェンダーがプラスチック製だし、マフラーの音がいまいち安っぽくてしょぼい、トルク感がない。スティード400には、そうしたところに物足りなさを感じていたので、今回は、オール鉄製の重厚な排気音のするバイクということになった。もちろん、登坂能力も高速性能も求めていた。
ハーレーにはハナから目がいかない。工業製品に日本製以外を僕は選ばない。(今の所)で、今回はジジイの仲間入りをしたせいか、各社のラインナップを調べた。ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ。
アメリカンバイクが新車でラインナップされていたのは、わずかにカワサキのバルカンのみ。その造形はもう、往年の和製アメリカンの美しさからほど遠い進化を遂げたもので、涙が出そうになった。
なんじゃこりゃ。
しかも、いつの頃からか、クルーザーなどと称され始めたらしい。アメリカンバイクは、90年代に全盛期を迎え、ロング&ローにシフトしていったようで、馬の首を思わせるややチョッパーぎみのスタイルが好みの僕としては、ドでかいヨークシャ種みたいな90年代のイントルーダーもシャドウもドラッグスターも、ただ巨大なだけのズウタイのバイクでそれらは選択肢から外れた。
となると、やはり80年代に作られたバイクから選ぶこととなった。ホンダ/シャドウ1100 ヤマハ/ビラーゴ1100 スズキ/イントルーダー1400 カワサキ/バルカン1500などが候補にあがる。アメリカンバイクは一時期の反動からか人気は下火も下火。ネットなどにも投げ売り価格で並んでいた。
ビラーゴの最大排気量1100にしようか、いやスズキには乗ったことがない。エンジンが長く切り立つブイツインのイントルーダー1400、これにしよう。いやいや、カワサキってのはどうだろう、不良のバイクか、逆に優等生のホンダ。シャドウはスティードほどスタイリッシュではないし、元々の低下はいくらだったんだ?・・・などとあれこれ考え、結局僕がハーレーを選んだのなら面白かった。
バイクを中古で買うなど考えたこともなかったが、この際仕方ない。それにしても、出処も扱われ方も分からないネットでの購入などありえなかったので、店舗ということになったが、僕のお目当の80年代アメリカンバイクはネットにはほとんど見当たらなかった。
どこに行ったらいいか?
天に尋ねると、赤髭と来た。行ってみると、在庫豊富、他では見つからなかったバイクが2、3台すぐに出てきた。購入を決め、免許取得に励んだ。
折しも、激寒の年、下腹に筋肉と脂肪を適度にたくわえ、細胞に乳酸菌を充填した足も手も指先まで温かい健康な僕と言えど、ちょっと寒かった。しかも、バイクの教習は自動車の片手間にやっているような学校だったから、そして昔バイクでならしたヤンキーみたいな中年の教官で、口も態度も荒っぽく、ーーと言ってもバイクの腕前はたいしたものだった、ーーなかなか教習してくれず、ずいぶん期間を要した。
バイクに乗る奴は屑と思っている奴と同様、すぐに事故の話をし始める奴も屑。
ここで与太話を挿入してこうではないか。
バイクと聞くと、すぐに事故の話をし始める者たちは、たいていは屑。(反論があるなら、どうぞ)そんなことは乗っている者たちの方がよく知っている。それでもあえて乗っていることの意義を観察、洞察することだ。
夏暑く冬寒いだの、雨が降ると濡れるだの、滑るだの、スリッパでは乗れないだの、運転しながらジュースが飲めないだの、荷物が積めないだの。
そして事故の話。エゴはなんでも自分を正解、現状の自分を維持、保身しようとするから、新しいことにチェレンジしないし、している者を否定嘲笑する。
運動神経が鈍く、察知力が乏しく、頭が悪いのを自分が正しいものとして物事が見える。運転できないことが正義であるし、危険そうなことにはチャレンジしないどころか、貶め、くさす。
そりゃあ、それでなくても砂やら油が集積している公道の路面、たいした運転技術もないのに急カーブを高速で曲がろうとするなら、それは事故る確率は高くなるだろう。2st全盛期には、サーキットのレーサーを峠で真似したライダーたちが数多く命を落としたと聞く。
また、メクラが知ったかしていると聞き流す僕はなんともないが、たいていは他者の精神にもネガティブな影響を与えていることは、中村天風さんに指摘されずとも当たり前のことだ。
バイク=恐れ=危険=事故=怪我・死亡 そうした図式の固定化されている連中がバイクを全否定する。
乗る者には乗る意義があるから乗っているのである。
やったことはないし、今のところ興味もないが、サーフィンはバイクとは違った面白さと意義があるのではなかろうか。それなりの人のやっていることには、何かしら魂を踊らせるものがあると僕は信じている。
バランス感覚
筋力トレーニング
第六感
直感
察知力
危険予測
など
四輪の自動車とは比べものにならないくらいの能力を要する。乗り始めるまでに、プロテクターをつけブーツを履きヘルメットをかぶりグローブをはめ、スタンドを攘い、ブレーキとクラッチを握ってギアを一速に入れ・・・。面倒な儀式を済ませなければ走り出せない。若くあり続けなければ、乗れるものではない。総じて、霊的進化に寄与する場合がおおきい、と思う。バイク乗りがエゴで運転して事故に遭わないのは難しい。いやでも、思いやりをもって運転するようになる。大型であればあるだけ、冷静に落ち着いて操作しなければ危ない。自動二輪の醍醐味を味わえる反面、それを実現するパワーや重量が運転に冷静さと正確さと技術を要求する。
スピードは進化を促進している、と思っている。馬力が増すほど、時速60キロに達するまでの時間が短い。なんでもパッと直感的に的確に行動するのは進化した姿だ。すぐに決断し、決断するまでもなく適正な選択をする習慣がつく。また、スリルとスピードはドーパミンやらβ-エンドゥルフィンを出す。頭が良くなる。若返る。自分を含む重量物がそれなりの速度を出している時、雑念の入り込む余地がない。むき出しのボディはいつでも死と隣り合わせだ。その状態は霊的な進化を促進している。死を常に意識するとは、バイクを降りた時にも漫然とした時間を過ごさせない。今やっておかねば明日にはやれないかもしれない。そんな思いがつきまとう。大型バイクに乗って初めて気がついた。
安全、安心、安全にばかりに気を取られている者たちの暇さ加減。のんべんだらりと緊張感のない、暇つぶしの人生は老けを気にしたり持病を抱えるくらいしか楽しみがないのらしい。バイクで黙って死んでいった者たちを弔う代わりに投げつけるくそみたいな理屈。屑がなんと決めつけようが、バイク乗りは覚悟の上であの世に逝ったのだ。
安心、安全を求める裏側には恐れがある。恐れ怖れて縮こまり何もせず「バイクで事故りたくなければ、バイクに乗らないことだ」などと偉そうな説教をしたり顔で垂れ、バイクに乗らない自分は自損事故とは無縁だとタカをくくっている。風呂場や階段で滑って、あるいは落ちて死ぬ者の方が遥かに多いことを知らんのか? それから(もちろん確率はちがうが)公道で事故死する者の一位は四輪車の跳ねた歩行者や自転車・バイクでありまた同乗者・運転者である。一番危険な乗り物は自動車なのではないか? ずんだらーっと寝巻き姿に歯ブラシをくわえ、自分が凶器を操縦しているという自覚もなく、眠い目をこすりこすりつっかけで乗りこみ、車は安全だと信じ込んだ運転者さえ運転できる。
80年代のアメリカンバイクの中から一つ選び、しばらくは良かったのであるが、ガソリンタンクに穴があき、漏れ出した。
他の不具合に対しても赤髭は無情にも保証期間であるにもかかわらず修理をしぶりのらりくらりと交わすので、二度と行かない、と決めた上で自分で修理することにした。
シフトペダルの不具合、ちょっと角度を変えさえすれば直ったのをクラッチ板を交換するだの言い出すし、ウインカーが点滅する時としない時があると報告しているのに「正常に点滅しています」と応えるし、タンクの穴にしても「石鹸を塗っておけば取り敢えず漏れません」
ちょっとここは本気でサービスをする気があるのか、という対応だったので、少しは自分で調節くらいできないとまずいぞ、と思った。
ハイ、これが僕がバイクをいじり始めた理由だと思ったあなた、早合点というものです。
早合点、早とちり、早呑み込み、チッチッチッ。そういうのは、人生を深く味合わない最善の方法ですよ。
なんと僕は、1台の大型バイクをパーツから組み上げるといった、やっている人たちからすれば「なんだそんな当たり前のこと」に過ぎないのかもしれないが、途方もないことをやり始めるのだった。
赤髭の裏切りによって僕は大型アメリカンのウインカーリレーを取り替えたりバッテリーに補水し充電したりクラッチペダルを調整したり、さらにはタンクのサビ取りをし内側からワコーズのタンクライナーを流し込み外側から穴をJ-Bウエルドで塞ぐ二重の補修を施したくらいは、確かにある種の反抗心と危惧と自覚の芽生えであったが、そんなことができるものなのか、やっていいことなのかさえ分からないのに、突然バイクのパーツを揃え始めたのだった。
それも、モンキーとかゴリラとか、部品も少ない軽量な50ccの小さなバイクをやればよいものをいきなりエンジンだけで80キロもある総重量260キロの大型バイクだったので、やっている自分でも首をかしげ、だいじょうぶか? と思ったものだ。
鎌倉に住む叔母に呼ばれて遊びに行ったのが始まりだった。叔母にしてみれば、なにか別の思惑と算段があったようだが、ここではその話は省く。
ところで、ビラーゴに、二度目の免許、それから、バイク製作と僕がなんでも理由もなく買ったり始めたりしていると勘違いする人もいるので蛇足しておくが、1991大学4年の時に買ったマッキントッシュLCは、1980年、中学1年の時に欲しくてたまらなかったNEC PC8001から数えて11年、やっと手に入れたマイコンだったのだ。また、就職して買い揃えた、ラックスマン・マークレビンソン・タンノイ・アキュフェーズ・リン・ワディア・ベンツマイクロなどなど、ハイエンドのオーディオも前から良い音で良い音楽を聴きたかったからに相違ない。中学時代から憧れていた機器を就職してから買い揃えていったのだ。
今やっている詩生活も自給自足の自然農も前々からやりたかったことをやっていることだ。思って、準備をして、チャンスをつかんで始めたことばかりだ。詩生活については、十六歳のころから。循環型自然栽培自給自足は三十歳の頃から、将来必ずやると思ったことなのだ。
バイクに関してだけが、憧れも希望も予定もなく、いきなり始まることが続いたのだ。
当時は現在のようにユーチューブに世界中のバイクレストア動画があふれているわけでもなく、それでも情報をあげてくれている人がいたので、写真を食い入るように見たり、一日に何時間も勉強し、研究し、パーツも同じものをいくつか買って分解しては組み立て、構造を手で覚え、仕組みを理解した。
機械・ケミカル・電装・電子・油圧・金属・などバイクの組み立て、製作、補修には複数の知識が要る。好きでもないことを熱心にやり始め、時には困惑し途方に暮れ、なんども挫折しようかとしたがそれでも続けてきた理由。
どうしてこんなことになったのか、それは今から4年くらい前のことになる。
ーーまだ、続くのか。
