第6回進路指導

 

廊下にいた僕を見つけたガッデムが、こっちを見ながらずどドドっと迫ってくると目の前で立ち止まった。そして蛇のように下から顔をせり上げてきたかと思うと藪から棒に、

「おまいも、『合格』が欲しいんだろ? 『合格』が

欲しいんだろ?.png(本当にこんな顔をした)

と言った。
僕は、おおきく首をかしげた。またしても、唐突に質問してきたのと、そんなことを思ったことがなかったからだ。

ガッデムは、えぇっ?と長い睫毛のおおきな目を見開き、問い詰めてきた。開いた口のまま見上げて数秒間動かずに僕の返答を待っていたが、

ええ?.png

何も応答しない僕に飽き、この手は効かんか、というそぶりで踵を返し、黙って立ち去った。

おそらく、家に帰って生徒攻略法をいろいろ考えて思いついたのだろう。

その場に取り残された僕は北原先生の意図がすぐにはつかみとれなかったが、不快な感じがしていた。

帰路につき、汽車の中で僕は問い直した。いったい、僕は『合格』が欲しいのか? 

汽車の中.png

たしかに、僕は高校に合格しなかった。けれども、『合格』を渇望し『合格』の飢餓状態にあるかと言えば、そんなことはない。僕は徒らに『合格』が欲しいのではない。

これを学びたい、と大学学部を探すと、このくらいの点数が取れるほど実力をつけなければならないから、そうなるように勉強はしている。けれども、闇雲に『合格』が欲しいわけではない。

『合格』が欲しいからと、嫌いな学校におねだりして推薦をもらおうとも思っていない。合格が目的ではないからと高望み(記念受験)するのも、合格だけを欲しがるのも、受験の底辺にいる者のあわれさでしかないのではないか。

正確な自己分析のできない輩は、他人に対してもできない。この男は一から十まで、ひとをバカにしすぎている。
なんのための合格か。なんのための難関か。
その先を想定できない輩がこんな歳だけ食った不良品になるのだ。

こくりつを.png

ガッデム自身が合格に飢えたそんな期間があったのにちがいない。2浪目以降の2年間。おおかた、2年も3年も浪人を重ね、合格に飢えた自分の受験時代がどこもかしこも再現されているとでも勘違いしているのだろう。自分の浅ましい「受かりさえすればどこでもいい」主義をあらわにしたのだ。

僕らは高校に落ちている。

合格に飢えている。

実際、そんな心情を吐露した生徒もいるのだろう。おそらく、ガッデに感化された蒲池などはそんな気分になっていたのかもしれない。ところが、東大を目指しながらも落ち続け、しまいには東大構内にある別の学校に通うことになったみじめさは、残念ながらほぼ全ての者が共有できないときている。

僕は合格それ自体が欲しいのではない。

まず第一に、そんな段階に来てはいない。英語と数学の学力を伸ばしている最中なのだ。

『合格』という階段の一段はある。あるランクの大学に合格するという、自分の学力がそれなりにあるというカッチリした段階はある。

たとえば、合否補欠が早× 慶× 津田塾× 上智△ 学習院◯ 明治× 中央△ 東洋× 日大◯ 駒沢◯ 専修◯となれば、だいたいどのくらいの学力かは分かるだろう。

だがまだ、実力の完成期に入っていない高2の5月に、合格という証が要るか考えたこともない。

実際、僕が時々話をする腰野や藤田、今井、中居、桐川、芝田、重永から、いや他のクラスメイトの誰からも「合格が欲しくてたまらない」などという言葉が出てきたことはない。それは、2浪目以降の者の不安と焦りと苦しみから発想される困窮なのではないか? 僕は合格が欲しいのではなく、受験勉強や読書をしながら大学で何をどう学ぶか、どんな学生生活を送るかのイメージを育てていっている最中だった。そのことは、このあと7月の夏休みでみんなで行った志賀島一泊ツアーの時にも話したし、腰野は明確にこうすると1年の内から言っていた。

「ええそうなんです。どこでもいいから合格したいんです」

とでも答えれば、そら来たとばかりに持論を展開し、東京の私立大学をゴリ推しする手筈だったのにちがいない。

だいたいこいつは勘違いしている。僕らは、お前の部下じゃない。お前に査定してもらって給料をもらっているわけではない。お前が、僕らいかんによって査定される身なのだ。

そのまえに、お前の言うことを聞いても、最高でお前になるだけだ。僕はお前にはなりたくない。お断りだ。

お前は僕らの志望ができるだけかなうように誠心誠意にサポートするのが仕事だ。自分を超えていく若者をいかに育てるか、それが役目だ。潜在能力を引き出し、自分のテーマを追求していった先に世の中に貢献しうる人材を創るのが使命だ。

もちろん、それの無理なやつにやってもらおうなどとは思わない。僕は決してガッデをアドバイザーにはしないし、プロデューサーにはしない。だいたい、真の教育者など巡り合えばラッキーというほどの数しかいない。そんな救世主を待っている暇があるのなら、自分が自分の最高の教育者になることだと僕は思っていた。

そんなことをつらつら考え、ガッデのことはおしまいにした。そして文庫本を広げて昨日の続きを読んだ。

 

邪の道を行く者

 

関野は、もらった答案の点数を隠すでもなく、ーー中学の時など、右上に書かれた赤字の点数の部分をくちゃくちゃにしたり、破ったり、何度も折り曲げる生徒がいくらもいたが、(20点を取った愚かな自分を見たくないという心理が働いているのだろう)関野は自慢にならないようにさりげなく答案用紙を見せ、控えめに、

「おれ数学だけは取れるんだよね」

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と言った。本名の示す通り、江戸時代の大数学者と同じで、彼の出身地には同名の塾があった。そこで鍛えられているらしい関野はいつも楽しそうに数学を解いた。僕の席の前にやってきて、
「数学が好きなんだよね」

と言った。うらやましいな、と思った。僕が15点しか取れない数学の試験で65点とか75点を取り、唯一、特進クラスにタメを張っているのだから。
と言っても、1組の最上位は、すなわち奈緒子など数人は85点や95点を叩き出していた。
そういう事情を知っている僕たちは、関野の自分の表明も自慢には聴こえなかったし、もちろん彼もそんなつもりはなかったに違いない。公立中学ではちょっと良い点を取ると(と言ってもあくまで公立中のクラスレベルの話だが)すぐにねたみの対象になるので、そこでうまくかわす術を身につけていたのだろうと思った。
2年生になってもその傾向はかわらず、関野は数学ができていたのだろう。その実績をひっさげて国立大の、例えば数学科を志望していたのかもしれない。

スクリーンショット 2024-08-09 16.01.26.pngスクリーンショット 2024-08-09 16.01.38.png
そんなある日、例によって教壇に立ったガッデムが
「1教科だけできてもダメなんですよ。全教科、満遍なくできなければ」

だめなんだよ.pngまんべん.png

と言い始めた。
なんで? と僕は思った。彼は一体、何受験を想定しているのか。2年生が始まったばかりの現在、まだ2年間まるまる残っているこの時期なら、英語と数学。もしくはそのどちらか一方ができるようになっていけばいい。ガッチリと基礎固めをしてる時だ。それを疎かにして、いたずらに難しい問題に手を出したり、全教科に同量の時間と労力をかけてはダメだ。
と思った。この人は本当に受験というものが解っているのか? (未経験の僕らよりも解っているつもりになっていたのだろう)
それに、こいつの勧める私大型3教科受験ならなおさらまず英語、数学ができるようになることを目指していくべきだろう。
全教科に手を出して、どれもそこそこで得点力がないより、3教科、皆さんであれば数学と化学か物理が全国トップレベルにまでなることです。英語は平均より少し上を狙うくらいでーー
とでも言うべきだろう。そのまま私大型で突進するのか、それに科目を足せると思えば国立も視野に入ってくるのであって、全員に国立を断念させたいからと付けている理屈なので、矛盾だらけの発言になってしまうのだ。

だが、数学を基軸に据えるのは危険な場合もある。高得点が期待できる反面、思わぬ低得点に泣くこともあるからだ。どこを受けることになるにしろ、僕は数学以外の教科科目で合格点を確保し、数学はダメ押しの付け足しで上位に食い込む作戦を立てていた。

だいたい「全教科満遍なく」だなんて、こいつはどこを想定して言っているのか? 東大でさえそんなことはないのに。解らないと思って出鱈目なことばかりほざく。東大合格者がどんな得点状況だったかは、日本で一番流布している情報なのに。

入試が、総合点で合格点を取るゲームだと読み替えれば、ガッデムみたいな考え方にはならない。ガッデ自身とて、教科科目の得点偏向はあったろうに。

ガッデがこんなおバカなことを主張するのは、数学のできる関野への当て付けのように思えた。

「国立受験の1次、5教科7科目で満遍なく点数を取るには、1日に20時間は勉強しなくてはなりません。学校に来て授業を受ける。体育もある。修学旅行もある。そんな時間はどこにもありません。第一、20時間も勉強できるものではありません」

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「数学だけできたって、屁の突っ張りにもなりません」

最後にそう付け加えた。

あとで休み時間になった時、やはり彼が最も反応していた、チッと小さく舌打ちし、忌々しい素振りでガッデムをボヤいてもいた。おそらく、例の進路指導と称する圧迫面談で、関野の自信ありげな態度が気に食わなかったのだろう。

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それにしてもどうして、ああやって生徒の自信を削ぐようなことばかり言い募るのか。僕は関野のちょっと動揺した様子を見ながら、哀れに思えた。

3教科にした方が得意が生かせるぞ。

配点が全体の33%にもなるからだ。

とでも言えばいいところではないのか? ところがガッデムにはそんな考えは思いつかない。

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ただただ生徒の頭をこづき回って、俺様が上だとふんぞりかえりたい。

だけど、すでに直木や宿久の内情を知っていた僕は、ガッデの愚言をバネにするか、潰されるか、本人次第だと思った。
関野、僕は君を認めている。あんなのに負けるな、くじけるな、と関野の方を見ながら内心では励ましていたが、口に出しては言わなかった。
高邁な志があれば、言葉に傷つかないし、つまらぬ讒言を踏み台にして伸びることができる。ガッデの愚行は、自分を伸ばすための燃料にすればいい。

ガッデムに文句を言う前に、自分の志を一段高めることだ。あーだこーだといろいろ言っても始まらない。黙って偏差値をあげ、黙って志望校に合格することだ。と僕は思っていた。それが恨みを晴らすことでもあろうし、見返してやることでもあろう。
ガッデの言葉にしがみつき奴と共に奈落に落ちるか、それともあのハゲを踏みつけて上に昇るか、僕ら次第だ。

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だいたい、あのハゲを僕ら専属の予言者にしてやる必要、ある?
あのハゲが「君は東大理科3類に絶対に受かる」と太鼓判を捺したところで、聞き流しておけばいい。ハゲ増しにしかならない。
僕は、奈緒子の言うことさえ、そうだ。どう評したところで聞き入れない。合格を確定させるのは、僕自身だ。だが、彼女なら安易に他人の合格判定をしないだろう。

ーーデータ的にはそうだろうけど、受かるかどうかはあなた次第。
そう考えているからこそ奈緒子は2年後、1次試験のビハインドを挽回し得たのに違いない。

聞いてもいないのに何かに付け、いちいち余命宣告してくる医者と同じく粗悪品だ。まさにGodDmn神をも凌駕する輩である。

数学で点数を稼げるのは羨ましいことだった。1題の配点の高い数学は、うまくけばガツンと高得点をものにすることができる。(逆もあるが)数学が得意なら物理もいける。英語で足を引っ張らないように守れば立派な理系受験生だ。数学を盤石にしておけば英語にまで十分手が回る。そうなると難関私大を狙えるではないか。うまくいけば社会を足して国公立も射程に入ってくる。

数学を軸に他の教科も引きあげていけばいい。と、僕は関野を思って内心つぶやいた。ガッデムの言葉で自信を失うなよ

だけど関野は僕と同じ轍を踏んでいるのではないかとも思った。すなわち数学が得意でたいして勉強しないでも点が取れるので、勉強全体の時間が少ない。自宅で2、3時間ほどしかやっていない感じがしていた。僕らのクラスの常識ではそれでもガンバってやっている方だったけれど、それなりに満足のいく偏差値を取るには、どんな進学校に通っていようとも、どんなに頭が良かろうが1日に自学自習を6、7時間くらいはやらざるを得ないのを知らなかったのだ。長期間の積み重ねば効いてくるので、いまのいままでやっていなかったのは確かにビハインドは大きい。

だが、ガッデムはそう言いたいわけでもなさそうで、関野の鼻っ柱をへし折って、ついでに僕たちには怠け者の考え方にもっていこうとしているのだろう。5教科7科目の全部万遍なくできるようになるには1日が48時間あっても足りない。そんなことなら、3教科に絞った方が・・・と思わせたいのだ。

「そのくらいの時間で数学がこんなにできるんだ。物理も取れるし、英語もできるようになるぞ」

となぜ言えない?

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エゴとアゴ。これがガッデム先生の全てだ。彼は本当の科学を知らない。

そんなガッデムのことを松居が

ケツが!
と言った。意味が解らなかった。が、きっとこういう顔のことだろう。 

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こんな顔だ。

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また別の日に松居が、ガッデムとかあいつ、
ケツの穴

と言った。
僕には意味が解らなかった。ずっと解らなかった。何十年も解らなかった。
口を開けば、あれはいかんこれはいかんこげんせんといかんと自分に都合のよいことだけを他人にさせようとする婆(ババ)さんを観る機会があった。それはうちんとそこはおっがとことガメつい婆。あればしてくれんこればしてくれんと要求ばかりする婆。そして極めつけはありもしない醜聞を撒き散らす。おそらく、うんこを口から出す奴、という意味だったのだろうと思った。ババとはうんこの別称でもある。口を開けばクソみたいなことしか言わないクソババアのババがうんこと同義になったのかもしれない。汚いことをババッチぃと言うこともある。

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そして、クソみたいなことばかり言う輩のことをケツと言うのだ。うんこはケツの穴から出るのだから。他人の思いをケッと鳴いてはクソみたいなケチを付けて踏みにじる。農村地帯出身の松居の周囲にはきっとそういうお婆さんが多くいたのだろう。

ガッデムも、質問するから答えると、ケッと吐き捨てたあとに全否定するようなことを言いつのり始める。
「ケッ、お前なんか国立に通るか」

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「ぜってー、受かんねぇ!」

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聞いてねえよ。

その卑しさ浅はかさが、肛門のイメージに一致するということなのだ。こんなことばかり言っているガッデム先生は松居にはきっとこう見えていたのだろう。

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口からウンコばかり吐き出す男。
「共通1次の数学を倍の時間かけても解けないお前たちは頭がわるい」

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「頭が悪いお前らは、国立は絶対に通らん!」

そんなことばかり言うガッデに、

あいつ不合格判定機かってーの。頼んでねえよ

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と松居は言う。

不合格判定連発男、ガッデム汚腹。

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まだ2年生の時点では模試を受けても、志望校を書く欄もなければ判定もなかった。模試を受ける前から『絶対に合格しない』と言い張るボロコンピューターガッデム汚腹のポンコツぶりに僕らはほとほと手を焼いた。こいつの演算プログラムは狂っているのにちがいない。
うんこみたいなことを激烈主張する。しかし、これは俺様凄いだろう、と言っているのであって、そんな輩の予言など聞くに値しないと僕は固く誓っていた。

 

ガッデム式受験指導 第2段階 

 

罪悪感を植え付ける

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朝のホームルームにやってきては、毎日、毎日、僕らをさげすみ否定することばかり言った。そして今日は意を結したかのように、
「キミらは公立高校の入試のあんな簡単な試験もできなかった頭の悪い人間だ」

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クズだ

と言い始めた。

「15歳の時点ですでに社会的に選別されているんですよ。この後、どうせろくな人生にはならない。バカは世の中に迷惑をかけていくばかりだ。お前らは社会に不要で無駄な人間なんです。生きていてもしょうがない。価値のない人間だ
などとグダグダ言った。

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とは思わなかったが、ぃやあーな気分になった。

ガッデム汚腹は、素晴らしいお前たちがなんだ? と僕らを発奮させようとして言っているのではない。

罪悪感を持たせようとしているのだ。なぜか? そのことについてはこの時点では解らなかった。だが、こんなことをしてもらうために僕らは毎月2万円を学校に納め、こいつの給料を出してやっているのだ。
何をしているかは分かったが、なんのためにしているかは解らなかった。まだ僕は教師というものを性善説的に信頼していたからだ。
ホームルームが終わり生徒が席を立ちバラけた。ガッデムは出入り口のドアのヘリに背中をつけて立ち止まっていた。息を殺して。珍しく居るな、と思った。いつもならすぐに職員室に戻るのに。

痩せた体躯。もみ上げだけを残して禿げた頭。尖った耳。大きな目。両端に反った長いまつげ。痩せこけて突き出た頬骨。それが性根の浅ましさと相まって、どう見ても、ドラキュラ伯爵か、悪魔にしか見えなかった。

きぃーひひひひひ

どらがっで.png

ぬゔぇっふぇふぇふぇふぇふぇふぇ~

ふえ.png

それが今しがた自分のまいた毒薬に僕らがどんな反応を示すか、気配を消し虎視淡々と見つめている。まるで実験の結果をながめるように。

クラスメイトたちは各々立ち上がりながら、はぁーっと嘆息しながら胸を押さえ、口々に、自分を蔑むようなことを言い始めた。ガッデムはその様子をじっと見ていた。まるで自分の話したことの効果を確信するかのように。

クラスメイトとガッデムを見渡した僕が言った。
罪悪感なんか

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ないね

と。
すると、まん前で僕らの様子を見ていたガッデムがこっちをギロリと睨みつけた。
この男は、こんなことをして無傷で済むと思っているのか? こいつが僕らに罪悪感を持たせようとした意図は、世知辛い世の中を生きてきたおばちゃんなら、普通にこう言うだろうね。
ーーそのひとそんなこと言うのは、自分の思い通りにしたからよ

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僕は実際、大学に入ってからバイト先なんかで尋ねてみたら、たいていのおばちゃんは知っていた。安い男がどんなものか、いちいち髪の毛を逆立てないが、淡々と当たり前のように言ったのだった。
つまり僕らの自信を喪失させ、萎えさせ、自分の言うことを聞かせるためだ。
それで済まされると思い上がっているところが無知な証拠だ。ガッデム汚腹たるゆえんだ。
こいつは自分の言いなりにするために当座、僕らを骨抜きにしヘロヘロにしようとしているのだろうが、目的を遂げればそれで終わると思っている。一時的なことだと思っているのだ。自分の思い通りに行けば、僕らがすぐに忘れると。
言った言葉も消え去ると。
ところが生徒の中にはトラウマになる者もいるだろうし、恨みの念が見えないところで足を引っ張るかもしれない。
こんな手を使ったことは一生残るぞ。北原捻也の汚点として。それは僕らよりも、彼自身にだ。そんな手を使った自分が汚ならしくいつまでも自分を穢し続ける。自分の使った言葉によって自分が毒され続けるのだ。
悔い改めない限り。

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いや、すでにそうだから、僕らに噛み付いて感染させようとしているのかもしれない。ゾンビが。

自分の毒で傷つき続けるこの男はますます貧乏くじを引き続ける。
それで僕は、言い放ったこいつはともかく、こいつのかけた洗脳、呪縛からクラスメイトの罪悪感を解くためにも、そしてガッデムが2度とこんな陰謀を企てないよう僕は再び、釘を刺すつもりで強く言ったのだった。
罪悪感なんか、ない

するとガッデム汚腹はこんな顔をした。

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逆に言えばこの男は、自分の頭が悪くて、クズで生きている資格がなく、迷惑ばかりかけている無駄な人間だということ認められず抵抗し必死に戦っているのである。

こいつは本当に僕らを馬鹿にしきっている。こんなことして、まるでタバコに1本火をつけて吸い終わりました、くらいに思っているのだろう。消えて無くなる、と。

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ところがそんなことはない。一回、一回、加算されているのだ。

生徒の恨みがつのる? いや、そういうことではない。こいつが不安に思っていることが着実に成形されているということだ。土台の不安に柱が立ち、梁がかけられる。やがて屋根が葺かれ、瓦が並べられる。壁が塗られ、廊下板が張られる。

四十男が17歳の生徒たちに罪悪感を植えつけようとすることがどれほどのインパクトをもって己に返ってくるか、それを知らないからこそ平気でできるのだ。教師の立場で50人もの若者に発した悪意。やりっぱなしで終わるわけがない。僕らが物理的、肉体的、精神的な仕返しをせずとも、彼は少なくとも50倍に増幅された悪意をかぶることになる。

自分の出す結果を不安に思っているから、こんなやり方をするのだ。信頼とか信用とか、生徒の自主性や主体性、自己選択の自由を認めているなら、こんなやり方はしない。決して。

それは第一に、自分のなすことの結果を信頼しているからできることなのだ。

この第2段階第3段階でガッデム汚腹は、恐怖心と不安をベースに、僕たちに罪悪感を植え付け、自信喪失させたいのだ。不安を煽り自己不振と劣等感を肥大化させて、持説に従わせる。数撃ちゃ当たるとばかりに鉄砲玉となった僕たちは闇雲に突進させられる。全部失敗しても、ダメだったかとタバコを吸って終わりにするつもりだ。そうやって失敗させ自分と同じみじめな思いで人生を過ごしていかせるのが願いなのだ。

 

閑話休題

 

僕は西方先生に全幅の信頼を置いている。西南学院大学神学部出身の基督者だ。

みなさんは、
「もう親に恩返しすることはありません」

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「可愛い赤ちゃんの姿を見せて、もう十分、両親を楽しませています」

親孝行をしなければいけないという考えを足かせにせず、存分に自分の未来のためにやってください。そんなメッセージのこもった言葉だった。

「だから、親のことは心配せずに、親孝行など考えずに、自分の進む道を進んでください」

地獄に仏とはこのことだ。

実際、この学校でこの人以外に物の解った大人の男はいなかった。

他のは校長ハジメに平伏し従うイエスマンばかり。忖度マシーンばかりだった。

学年主任が普通科長になられたのか、2年生の間は英語の担当から外れていらっしゃった。けれども、やはり現場でと思われたらしく、3年から再び復帰された。僕は自分の思いをこの方に伝えたことはなかったが、とても尊敬していた。

きっとこの方が担任なら、毎朝、毎夕のホームルームの5分を利用して、いろんなエピソードを交えて、知る楽しさ・解る楽しさ・数学的論証のおもしろみ・思考力や洞察力のつく問いかけなどをしてくださったのではないだろうかと思う。

愛は決しておためごかしではないし、非科学的でもない。安い慰めでもないし、不正確なおべんちゃらでもない。

公平に誠実にとらまえた生徒の姿は、成長を促す。つまり、愛だ。愛の捉えた姿は公平で真実だ。自分のこととして親身になって十分に観察するから正確にとらえることができる。だからこそ、他人の正確な未来予測ができるのだ。

西方先生だけだった。

丸ノ内くんは、浪人すれば国立大に通る

と言ってくださったのは。

この2年生の5月から1年半後の3年生の1月の終わり頃のことだった。共通1次が終わったあと、1組の連中が思うように点数が取れなかったという話も聞き、ガッデムによって阻止され受けられずに悔しい思いをかかえたままいた僕が職員室で、

「あんなの700点くらい取れる」

とガッデの席の近くで言った時、カーテンで仕切られたブースから出てきておっしゃった。

これは、お前は馬鹿な上に不勉強だから人より1年多く勉強しなければならない、という意味ではなく、この期に及んではそう言うしかないからだ。是非とも志を遂げてもらいたいという励ましが込められた言葉だった。

そしてその予言は的中した。

 

第7回進路指導

 

そしてまたある日、ガッデム汚腹はこうでなければいけない、ああでなければ、とまたグダグダ言い募った。

ホームルームが終わった時、僕は
「卒業証書をもらえばそれでいい」

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と言った。すると、その言葉が耳に入ったガッデムが怒り、
お前には卒業証書はやらん!

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と怒鳴った。
ホォ。こいつの一存でそんなことが決まるのらしい。こいつは売られてもいない喧嘩を買う。いや売った喧嘩が買ってもらえないから、自分で買ったのだろう。

こういう威圧的な態度を取り続けるのは、不安が根強いからだ。

自分に依存させようとするのは、他人が依存してくると自分には価値があると思えるからだ。自分のことを無視されたくない。承認欲求が強い。見捨てられたくない。存在意義を他人からつけてもらいたい。

自分の思い通りにできないのではないか、という不安。
そうでなければ実績があがらないのではないか、という不安。
不安で神経がやられている。このあたりのことは、心理学でさんざん分析されていることだから、詳しくは述べないが、できもしないことをできるとハッタリをかませて引き受けたまでは良いとしても、そうなるようにする方法がまったく稚拙なのだ。ーー威張り散らす。

嘲ると攻撃になると思っている・バカにすると利口に見えると思っている・威張ると偉く見えると思っている。全部、誤解だ。罪悪感を植え付け、自信を削ぎ取って言いなりにしても、自信のない者が偏差値を伸ばすことはないしそれ故に志望者の多い名門大学には通らない。

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ガッデムが教室からいなくなったあと、後ろの持ち物置きに歩いていると、

「おれもそう」

と江口が言った。立ち止まって顔を見た。

「おれも、卒業証書もらいに来ているだけだから」

そうか、と思った。他にもいるなら心強い。

そんなガッデム先生の振る舞いに、桐川が言った。

「汚腹、あいつ、じゃまじゃね? じゃま」

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僕はそんな風に思ったことはなかったし、口に出して言ったこともない。けれども、確かに桐川の言う通りだ。邪魔だ。

「早くどかして欲しいよね」

と桐川は付け加えた。罪悪感を植えつけようとした件を踏まえての発言だろう。

が、僕は人をそんな風に思ったことはなかったけれど、公平に見るなら、確かにいない方がいい。なにもしないでもらいたい。『無能な働き者』ほど進化を阻害する者はいない。こちらの思う通りに物事を進ませてくれない、この学校は、なんにつけても。どうでもいい障害をところどころに隠している。この学校にいるというだけで世間の白眼しを受ける上に、北原捻也という邪魔、障害、足にしがみついてくる物をふりほどき、階段を登っていかなければならないいう余計なことまで付帯し続けていた。

どんなに不条理なことを言う会社でも黙って従うような教育など、要らない。

本当に気が重く、伸び伸びと勉学に邁進できなかった。正直かなりのストレスがあった。事実、一番身長の伸びる17歳、18歳の2年間で全く伸びず、体重も増えるどころか減り、いつも陰鬱な気分にさいなまれた。(卒業してからすぐに体重が10キロ増え、身長も伸び始めたのだから、過酷なストレスがあったことは否定できないだろうと思う)

それは受験勉強のストレスでなく、まごうことなくガッデム汚腹による足の引っ張りによるものだった。断言する。

こんな輩に進学指導を任せた校長ハジメはなにを考えているのか?
訳のわからぬ権力を振りかざして、僕らを配下に収めて操ろうとする。こんな汚い輩を物ともしないほど僕は悟ってはいなかったし、(その最中)天下布武を実行できるほどではなかった。まだ、自分が何者なのか、どういう人生を過ごしていくのか見極めている最中だった。

「ガッデムあいつ、伸びきったゴム」

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休み時間に廊下にいると、そこにいた松居が言った。

これもすぐには意味が解らなかった。伸びきったゴムという言葉は聞いたことがあったけれど、それを北原先生に当てはめて言うのは的外れではないかと思った。

ガッデム先生は中学受験もしくは高校受験で学力が限界にまで伸び切り、浪人しても伸びなかったということのようだ。自分がそうだったからと松居もそうだと決めつけたのに違いない。1年後に僕にやったように。ガッデムのように俯瞰の視点を持たない者は自他の区別がつかないから差別化や相対化ができず、全員が自分と同じ心境だと思い込む癖がある。

おそらく松居も進路指導と称した嫌がらせの場で、浪人しても同じか下がるかしかないと断言され、国立受験を諦めさせられたのだろう。高校2年生になったばかりの僕たちに、まるで多浪をして限界まで伸びて、どうしようもない瀬戸際にいるかのように決めつけるガッデム先生。

「しかも、パンツのゴム」

と横にいた者が調子を合わせた。アハハ。と笑い声が出る。

「履こうとしてもずり落ちる」

「だらしない」

「ずんだれべこ」

「へこたれ先生」

などと廊下にいた生徒が異口同音に言った。高感度な彼らは僕より敏感に察知しているのだ。

長渕はあとで、

「ガッデムあいつ、自分に甘いやつ」

とささやいた。

こぎれいなダブルのスーツにネクタイ、黒い革靴に白いワイシャツを着こなしているが、中身がーー。彼の外装は、中身のテイタラクぶりを強調するかのようだ。

そのすぐ後だったか、ガッデム先生が教壇から、

おめーらなんか、要らねえんだよ!

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と怒号した。
溜まりに溜まった鬱憤を吐き出すように。

「あいつ、邪魔じゃね? 要らんよね」

と言ったのを誰かがチクったのかもしれない。

タレコミ(密告)した奴がいる。

桐川に言わせると、邪魔どころか害毒、除去すべき存在。それを聞きつけたのだろうか。調節、要らないと言われたのか、そう思われていると妄想したのか解らないが。
粗悪品だ。
自分のやって欲しいことを実行させたい僕たちを粗末に扱う。何も見えない愚か者。
「かわいそうになってきた」
と後になってから桐川が言ったのはそういう意味だったのだろう。

 

4当5落は糞食らえ

 

ふざけんな、が常套句だった。「ーーきゃない」とか「ひとつきりない」など、言葉の端にも九州弁が出ないので、関東の人だったのかもしれない。顔が濃かったので九州から出て行って戻ってきたか、親の代に移り住んみ会社の人事異動で九州に来たのか。いずれにせよ方言がなくなるほど長い期間住んでいたのだろう。

僕たちにたいする各個撃破工作の合間にガッデムは教室で全体洗脳に取り掛かってもいた。ある朝、教壇に立ったガッデムは、唐突に、
「4当5落なんて、馬鹿なことですよ」

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と言い始めた。初めて聞く言葉だった。
「昔はそんなことを言ったが、クソ食らえだ」

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だいたい、4がなんなのか、当がなんなのか、その説明もないまま昔語りをする神経が理解できないのだが、自分の受験時代の吐口に僕らの耳の穴が指定されているのは間違いなかった。
言い様からしてどうも、1日に5時間も寝ると落ち、4時間睡眠だと合格するという標語なのらしかった。推測するにおそらく、戦後のベビーブーム世代が大学受験を迎えた昭和38年ごろ、国立大学の定員がまだ4、5万人ほどで競争率が熾烈を極め『受験戦争』という言葉が叫ばれていた時期の東大受験で囁かれていた言葉なのではないか。

僕らの体調を気遣って言っているのかと思った、がさらに聞いていると違うということが解った。

昭和40年代には『受験戦争』が流行語になっていた。

入江伸学社などスパルタ教育がクローズアップされた。

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全共闘による大学解体。

横浜国立大生による浅間山荘事件。2期校コンプレックスが国会でも取り沙汰された。

加熱を冷まそうと、そして大学個別試験での難問・奇問をなくそうとマークシート式の共通テストの導入が検討された。

共通1次試験は、昭和50年を目標に準備されたが、54年までずれこんだ。

マークセンス方式の1次と記述式の2次の両方の試験対策をすることになったと捉えられ、負担、負担と叫ばれた。

国公立を志望するなら、推薦や少ない教科など他に選択肢はなく、一律に5教科7科目の1次試験、それに続いて1教科から4教科までの2次試験を受ける必要があった。

それまでは1次試験を課して足切りをしていた東大などは英数国60点満点で採点していたのが、足切りだけに使っているのか総得点になっているかもわからないのに1次試験は5教科7科目1000点満点受けなければならなかった。大量のデータを高速処理できる彼らにはあまり負担には思えなかったろうが、国立も下位のレベルだと負担と感じる人たちも多かったのかもしれない。

2次用の対策をしたからといって必ず1次が高得点になるのでもなく(傾向はあったが)、1次用対策だけなら2次は取れない公算が高かった。

それで僕たちが受ける61年度入試は、理科が物理・化学・生物・地学から2科目だったのが理科1必須であと1科目、社会が世界史・日本史・地理から2科目が現代社会が必須となりもう1科目となった。

いわゆる難関大の受験者にしてみれば、2次に理科2科目だったところ、理科1が増えた計算になる。

そのあと中曽根さんの立ち上げた臨時教育審議会で、緊急に62年度からは理科社会が1科目ずつになった。それで負担が減ったかと言えば、たとえば京都大文学部などはそれまで英数国の3教科で済んだ2次試験が、社会はマーク式の対策でよかったのが、1科目減った分を2次で記述式の試験を足したので難関大においては逆に勉強量は増えたのではないか。

ともかく、戦後昭和30年代から加熱し始めた大学進学熱とベビーブーマーたちの大学受験を迎え、またどのくらいの成績なら受かりそうかの判定の発達していない闇雲な勉強などが重なり、若きガッデム先生の青春時代は『受験戦争』と言われる過酷な勉強が強いられる時代だった。

「4当5落は糞食らえ」
だが、この発言で、こいつが本気で勉強したことのないのが解る。
こいつは、要するにラクして成果だけあげたい輩だ。それを僕らにも強いる。一生懸命努力するなんて馬鹿馬鹿しいという信念の持ち主なのだ。怠けて手柄だけあげたい。それを僕らにも強いる。

だが今回は、僕らがこいつの食い物になっているという案配なのだ。

僕はこいつに自分の勉強時間を言ったことはなかったが、きっと誰かが国立受験を否定されて、

「眠らないで勉強します」

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だの「3時間睡眠でやっています」だの言ったのかもしれない。

とにかく、国立受験は愚の骨頂だから、もっと楽して入れるお買い得の私大を勧めたいだけなのだ。(が、5月のこの時点ではガッデムが自説のようにもっていこうとして布石を打っている最中で、まだ明確ではなかった)


合格に必要なことをしていたら4時間睡眠になるのだったら、別に構わないのではないだろうか。
難関大学における合格者と不合格者の勉強時間の差は、1日わずか1時間だ。100対0ではない。51対49だ。それで合格と不合格に分かれる。それを馬鹿なことだと断定するこの男が難関大に通っているはずがないし、会社でも4当の者の出した成果を横取りしていたのだろう。
この男が睡眠時間と効率の相関関係を踏まえて言っているとは思えない。もし、そうなら馬鹿なことですなどと言わない。
「7時間は眠った方がかえって成績が上がる」
と言うだろう。
だから、こいつの成績は何年浪人しても伸びなかったのだ。こんな体たらくな考えをしているから。
安い野郎なのだ。
お安い野郎の言いざまをマに受けては必ず人生そのものを失敗する。

団塊の世代の前に生まれたこいつが受からずにタラタラしている最中に団塊の世代が受験に参加し始め、競争率が上がり始めたのを見て『お得な東大』に舵を切ったのかもしれないが、この時代は国立大はどこも競争率が高かった。その中でも伝統ある名門有名大学合格は難関中の難関だった。だが、その時代の受験を体験して得た教訓としては稚拙なものだ。
一つに、時代の変化を考慮していない。
一つに、諦めが先にきた人生観を晒している。

『今の偏差値で』と言いたいがために、4当5落を否定しているのだろう。やたらと厳格で規律正しいように見せかけているが、ずんだれた精神はずんだれた結果しか生まない。

校長のハジメが、睡眠時間なしで旧制高校受験に挑んだ反省エピソードに殉じているのではないと思う。

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ハジメの教育哲学

 

このへつらい男が「今の偏差値で行けるお買い得な大学に行けばいいんですよ」などとほざく背景には、生い立ちや受験期のみじめな思いも大きく影響しているのだろうが、それがおあつらえむきにハジメの意向と合致しているというか、忖度してのことかもしれない。というのもハジメは生前に出した自叙伝にこう記させている。

「私立の中には、国立大学なんかへの進学率が非常にいいところがたくさんありますよね。しかし、だからといって、勉強の虫のようになって青春を棒にふらせてしまってはいけない。朝から晩まで勉強だ、勉強だといって、15、6歳の子供のシリをたたいて、そのことだけで終わらせてはいけない。その辺のかねあいをよく考えて、体育面もやる。勉強も大いにやるということでないと、意味がないですね」

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と書いてあり、そのことはおそらく職員会議などでも披露していたものと思われるからだ。自叙伝のライターはこの発言に急いで『つまり、知徳隊のバランスをハジメは求めているのである』と書き加えているが、そんなことハジメは言っていないし、思ってもいない。

だいたい、こいつは受験勉強に対する認識が甘い。

勉強の虫のようになって青春を棒に振るという考えがまずもってなってない。お前が熱心にやらせた野球の虫やテニスの虫はいいわけ?

なんの虫にしろ、喜んでやっているんじゃないのか。

ハジメの考えを忖度した普通科長は創立30周年記念誌(昭和46年)にこう書いたそうだ。

教育ママによって飼育された、現代流行の、すでに高校入学以前に出来上がってしまった、超弩級のペーパーテストマンのみを、そのまま超一流大学に進学させる全国的エリート高校を目指しているのではない

と。

では、何を目指しているのか? ーーそれは、ない。

こんな物言いは、現実を知らないおバカちゃんのひがみ。馬鹿高校のねたみ。

そう思うならば、もっと賢明な考え方や普遍性の高い考えなどを講義するべきではないか。だが、そんなことは一度もやらずに、ガッデムのような男を放置している。

ライターが忖度しあわてて知徳体のことだろうと書き添えているが、ハジメには哲学がない。法学を学んでも奴隷教育の独裁者になるのだから、教育に対する深い洞察などあるわけがない。不勉強者のひがみ。怠慢者のねたみ。(怠慢者とは心の成長に向かわず、威張り散らす方に突き進んだ輩のこと)

 

字数制限のためここまでです。

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