10月 進研マーク式模試
英語163点 数学140点 国語154点 地理45点 生物77点 合計579点
11月返却 10月の進研第5回マーク模試では数学が7割まできた。ガッデム先生の尊い指導のおかげで昨年の6月から今年の2月まで数学をしていなかったので、ブランクは8ヶ月ほどだった。しかも完成に至っていない、まだ基礎固めの時期で止めてしまっていた。それを再開して7、8ヶ月でここまでなった。とりあえず、そこそこの得点力がついたのではないか、と思った。
けれども、そのご伸び悩み、再び半分を切ってしまう。
明治に通るつもりでいたので受験科目を国語にして数学をやらなかったけれど、落ちるのがわかっていたら、数学にしておくのだった。受験の日に問題を見て、数学でいくか国語でいくか選んでもよかった。先生の指導のさらに上を行く、尊い選択だったことがわかる。
あの時点ではそんなふうに俯瞰して考える余裕はなかったし、また、合格を前提に動いていたので後悔するようなことではない。8ヶ月やらなかったのはやらなかったのだ。国立受験に数学があるなら、そこからやるしかない。8ヶ月のブランクがなかったからといって結果が好いとは限らない。
地理はもっと伸びるだろうが、数学はまだ確信がもてない。
ところで『ガッデム先生の尊い指導のおかげで』という言い回し決して皮肉ではない。マーク模試140点スタートだったら、本番で失敗したかもしれなかったからだ。というのも、直前期の模試で200点を連発していた理系クラスの者たちが、本番の第1問に出た見慣れない問題につまずき引っかかって軒並み点数を落としていたからだ。本番よりかなり難しい模試で高得点を叩き出していたなら、僕も本番で絶対200点満点を取ってやると意気込み同じ轍を踏んだかもしれなかった。
※ この模試の成績はデータを紛失している。解答解説に自己採点が残っていたのでそれを写した。偏差値的には良かったのかもしれないが、このころの僕はマーク模試では得点を重視していたし特に数学の得点にだけ注目していたので偏差値はメモ書きすら残っていない。
だが例年の得点と偏差値からすると
英語163点(78・6) 数学140点(64・5) 国語154点(72・7) 地理45点(47・9) 生物77点(68・1) 579点(国立文系総合点偏差値74・4 単純平均68・5)くらいだった。
判定は、阪大文B 阪大人間B 広島総科A 九大文A 熊大文Aとなっている。
進研模試で数学偏差値64・5はそう高くない。問題が難しくなかったことが知れる。
11月 旺文社 第5回 記述式模試(各100点満点)
英語64(72.5) 数学53(58.5) 国語64(68.5) 地理58(59.6) 生物65(63.5)
これは高校時代から継続して受けることになった、最も思い入れのある模擬試験だった。特に英語の偏差値が3年時より10ほど伸びたのが嬉しい。2次数学も文系ならなんとかなるレベルにまでなった。国語は現代文・古文・漢文で受けている。もし九大を受けるなら2次は古典だけなのでこの偏差値はアテにならない。生物はほとんど授業だけだし今年は1次試験だけなのでこれで十分だ。地理の得点が取れてきたし偏差値も記述式でありながら60になったので順調と言える。
※ 数学は、現役時に1度受けているが、それは理系。浪人時は文系の数学。
現役時の第5回は、一人教室にいた僕のところにガッデムがやってきて、お前まだ諦めていないのか、といった素振りで横槍を入れてきたが、
「いや、受けるだけですから」
と言って受けたものだ。実際には、その年の6月から半年間、英語と国語と生物しかやっていなかったので数学は辞退した。日本史もやっていなかったので得点力は皆無、その場で政経を選んでやった。
現役時に69・6を出していた生物も文転しほとんど1年間やっていなかったで得点力は落ちた。
旺文社の英語の偏差値には思入れもあったし、これは高3の時から継続して受けることになったので、列挙しておく。
6月 9月 11月
昭和61年 高三 50点(63・2) 53点(64・8) 47点(61・2)
昭和62年 浪人 ------------------- 74点(70・4) 64点(72・5)
あんなに取りたかった得点70点 偏差値70は浪人時の9月に達成している。11月には偏差値75を取りたいところであったが、それはなしえなかった。点数も60点台で、ちょっとがっかりだった。(合格には十分だったが)この時期までは数学の得点力アップが最優先課題であり、他教科は維持に留めていたので、こんなもんだろうと思ったが。
九大の2次は英数国小論文である。判定は英数国のみで行われる。英語200点 数学100点国語(古典のみ)200点に小論文200点だ。僕の3教科の傾斜平均偏差値は68・2である。前年度の九大の合格者平均は66・7と出ている。
この模試の判定はA71・8(95%) B65・8(60%) C59・8(25%)となっていた。従って、B判定70%くらいの確率で合格するということだ。これが、僕が九大を上だと見なしていなかった一つの根拠だった。(ただし、九大には九州の最上位層、偏差値70超えの者たちがゴロゴロいる)国語の成績はあまり信用できない。九大の2次は古典(古文と漢文)だけなので現古漢を受けた成績では判定が正確ではない。現代文も解いたこの模試の実質的価値は偏差値55くらいだろう。ともかく、僕は九大を志望校欄に書いたことはないし、文学や史学中心の人文学部には興味がなかったので古典に真剣に取り組んでいなかった。もし憧れをもって望むなら、古典をやり込んでいなければならない。が、興味がなかったし、九大にこだわりがなかったので1次向けにしかやっていない。
(受験科目)
阪大 文 英語 小論文
阪大 科 英語 数学 国語
広大 総 英語 小論文
九大 文 英語 数学 古典 小論文
熊大 文 英語 小論文
阪大文 広大総合科学 熊大地域科学 この3つの判定は英語のみで算出される。広大はB判定(55%程度)、熊大はA判定(90%以上)だった。阪大人間と九大文は英数国だ。そうすると九大がB判定、阪大人間は3教科平均偏差値66・5でC判定(30%)だったにもかかわらず阪大文は71・9はB判定だった。といっても、阪大の2次は小論文の比率が大きいので20%くらいの合格率と判定されていた。どうやら、2次で300点の配点がある小論文の出来が結果を大きく左右しているようだ。
同じような論述試験を一橋は『社会』阪大は『小論文』と呼んでいる。従って一橋は社会の偏差値が加味されるが阪大は英語だけの判定となる。実質、阪大でも日本史、世界史は眺めておく必要があった。B判定であっても予断は許されない。A判定でも40%、合格を確実にするには文章力だけでなく、歴史に関するそれなりの知識や見識は要求される。
阪大文学部の判定基準は、
進研 A判定 78 B判定71 C判定64
旺文社 A判定 79 B判定72 C判定65
とされていた。
時期が異なるので公平な比較ではないけれども、進研模試では81・9あったのでA判定だった。つまり80%以上の合格可能性と算出されていたのだ。ただし、2次が英語は150点で、小論文が300点だったので、英語の偏差値の合否に占める割合はそう高くない。旺文社ではそのへんが考慮された判定だったのだ。
文章を書くことは不得手ではなかったので、ーーつまり数学などやる時間があったら本を読め、読む時間を与える、というのがこの時代の阪大教授陣の考え方であったのかもしれない。たとえ1次が受験者平均に達していなかったとしても、僕にとって有利に働いたことだろう。(あとで考察するが、朝鮮人問題など出してきて、この年度の出題はなかなか面白かった)
ところでどうして僕が文章を書かざるをえなくなったかは、幼少期からの志向もあったのだけれど、高校時代に誰にも言いようのない不条理感を覚える、方々からの圧迫があったからで、それで読む本の種類が変わってきたりどこにも吐き出せない思いを書き認(したた)めざるを得なくなったからだ。そういうのは高野悦子さんの『二十歳の原点』も同じかと思う。
僕も20代の後半に、
「もうぜったい、2度と苦しまない」
と決意するほど、死ぬぎりぎり手前まで悩んだけれど死ぬ選択はしなかった。そっちの方が自分の仕事には適していると思う。
特定人物や社会からの抑圧を僕は、善にすることもできるが普遍的な善だとは思わない。己の本心を押し出す作用や効果がるという点で善になりうるが、それは本人の選択であって、だからといって虐待や暴力そのものを正当化しはしない。かといって虐待や社会的抑圧を悪認定し、それらと戦おうとも思わない。一時的なNO!は表明しても、あるいは避難はしても、その状況から抜け出す有効な方法は己の精神と肉体と知性を高めることだと思っている。そういう勢力の存在を否定しないし戦わないけれども、中途半端な懊悩者や被害者づらした偽善者が安易な弱者救済に走り敵と戦うのではないか。その手の社会的葛藤とは、じぶんは、わるくないわるくない、被害者だから他人には何をしてもいいのだと考えている人同士の争いのように思える。そのへんの話は後に回すとして、阪大文の確実を狙うなら1次で680点(得点率85%)は欲しいところだが、過去のデータを参照すると、小論文のでき次第では70%台でも合格できうるようだ。理想的な得点をする鍵を握っているのは何より他にない。1次の数学だ。
法学部や教育学部とちがって熊大文学部が国語を課していなかったのは、試験をしても差がつかず合否がほとんど引っくり返らないといった過去の知見(一期校二期校時代)からであったのは広大や阪大も同じ事情だろう。それゆえに九大の2次国語は古文と漢文のみだった。(数学は確かこの年から課されていた)受験が終わったずっと後に見るに、九大文学部の数学の問題は、マークシートを塗るだけに終わらないような勉強を求めるがゆえに、一応課してあるだけの基本問題で、阪大人間科学の数学問題とはレベルがちがった。
文学部ではとにかく文章が書けなければ話にならない。あくまで受験レベルにおいてであるけれども、文章を論理的整合性をもって書くには、著者の主張を正確に読み取り批判的精神に基づく読書とそれを正確に論述する語彙力やレトリックが要るのであるが、就職が華やかでない文学部のそんな能力など、受験ではほとんど無視されているかのようだ。それ故に授業や参考書学習以外に、文学部志望者は読書の時間がさかれているために偏差値に現れない学力?を有する者を集めているけれども、協調的社会生活上、ミクロには害毒な側面とマクロには有益な側面がある。これらのことはまた後で話すことにする。
この模試を受けた時には志望校欄に書いてもいなかったし計算もしたことがなかったけれど、参考までに京都大学文学部の合格可能性を算出してみる。京大は2次が英語150点 数学100点 国語150点 社会100点なので、傾斜をつけて偏差値を換算すると僕の偏差値は65・92となる。A判定78・2(70%) B判定73・4(50%) C判定68・6(25%)で出ているので、D判定で10%くらいの合格可能性があったことになる。もしここを受けるなら、地理を2次に回し1次には新たに政経・倫理などを始める必要があったが。去年だと、かすってもいなかったのが、後続集団の背中ぐらいは見えてきた感じだ。
あのまま理系にしていたら、こうはならなかったろう。英語を軸にして組み直したからであって、2次がヘビーなところには太刀打ちできずライトなところでは1次で過剰に点を取りすぎる。そんな事態が起きていたかもしれない。
さあ、たいていの所には受かりそうな気配になってきた。
僕の恋の行方は、果たしてどうなるのか?
奈緒子を貫くのか、気変わりするのか。僕の心は秋の空のようにコロコロ揺れはしなかったが、岩清水くんのように命がけで定まってもいなかった。
そして直前期、飛躍の前の凹みもあったし、僕の成績はますます向上していったのだった。
受験数学 僕のやり方
ーーどうすればいいか、というよりどう在るか。在り方=目的が行動や方法を選んでいく
それは考え方、ものの観方にあらわれる。方法を引っ張ってくるし、目的に合ったカスタマイズがなされていく。目的を上げるとは格を上げること。格が高い方が時間も短く、質の高い、効率のよい勉強方法が創出されるだろう。
なにより、格が合うから合格なのだ。
数学に関して僕のやり方は他人には全く役に立たない再現性のないものだ。それは天才にしか成し得ない高度さのあるものだという意味ではなく、偏屈な個人的なやり方にすぎないということである。
それでもなぜ話すのかと言えば、実力のない上にブランクのあった教科をかかえ、失敗できない状況の中で僕がどんな考えをして乗り切ったかを明らかにしておきたかったからだ。
浪人して、ほぼ1から始め、国転したために昨年の反省すらできない数学を、おおきく取りこぼさない手段だと確信してやっていた見識と方法について話すことにする。(あくまで個人的なことであり、こうすれば全員うまくいくといった話ではない)
5月当初の模試を見る限り、すでにいくつかの教科で全国上位にいる僕にとって共通1次は公立高校の入試問題と大差なかった。新たに始めた地理も同じところまで伸びるだろう、と思っていた。つまりベースとして心に余裕はあった。ただし、数学。これはやり方を間違えるわけにはいかない。去年やっていない上に初めて共通1次を受けるのだ。一発で決めなければならない。10ヶ月で満足のいく点数を取るのである。
春の時点で各教科の熟達度は、英語=大学院 国語=高校〜大学 生物=大学院 地理=生まれたての赤ん坊 そして数学は幼稚園年少組だ。地理に関しては授業が秀逸だったので、これさえ習得すればオーケーだと初期の段階で確信していたし、順調に得点力が増している。ハツカネズミのように急激に成長することだろう。ところが数学は高校時代にもたいしてできなかった上に8ヶ月のブランクがあり、今重点的にやっているが、最低でも高校生レベルにはもっていかなれば望みにかなう進学先にはならなかった。年少組さんから高校生レベルまで10ヶ月で伸ばさなければならないときている。
この状態で、目標点数は160点に置いた。
時習館での授業は素晴らしいベテラン講師によるものだった。が、浪人だから全範囲終わり、それなりの理解があるものとして進められていた。文系なのでせいぜい共通1次、大したレベルではなかったのだろうが、僕にはついて行けなかった。
国転、文転して文系数学の教室で習っていると、2回目くらいだったか、先生が前に出て解くように指示された。僕は黒板にでたらめな解法を書いた。先生は丁寧に添削してくださったのだが、それすらもちんぷんかんぷんで、大教室でなかったために僕がいると他の人に迷惑がかかると思った。
ど素人であった僕のいる教室で、優しい先生が僕に合わせでもしたら他の生徒の足を引っ張りかねない。まずは自分で全範囲やってから出直そう、ともかく自学して範囲を一通り終わらせてから教室に復帰しようと思い、1階の自習室に駆け込んだ。
ここは通称『明善自習館』教室の2、3倍の立派な自習室が1階に用意されていた。なのに、自習室を利用する者は少数だった。みな真面目に授業に出ていた。特に女子は自習室であまり見かけなかった。僕も基本的には数学以外は出た。特に初学の地理、それから成績を維持するための生物、には休まずに出ていた。
後半になると、古文漢文現代文は適当にまびきしていた。英語はほとんど初めからアメリカ人の英作文以外は出ていなかった。1時限目から5時限目まで授業に出ると家に帰ってからの自習しかできなくなる。夜12時までに寝ると決めていたので、自習時間を増やすために昼間にいくつかの授業を切らせていただいた。
文系の数学を担当して頂いたのは、頓宮という変わった名前の先生だった。明善高校で長年教鞭をふるっていらっしゃったそうだ。
60歳を過ぎておられたのだろう、頭髪は短くなっていらっしゃった。背が非常にお低かった。おそらく大正の末期にお生まれになり、戦中の食糧難の時代に過ごされたのだろう。そうであろう先生がなんにんかいらっしゃった。
頓宮先生はとても良い先生だった。良い先生だからこそ、僕がクラスのレベルを引き下げかねないと思った。それで一通り自分で全範囲をさらってから復帰しようと思い、よしにしたのだった。
1次の全範囲をやるのにどれだけかかるか? 2、3ヶ月か。やり終えたら授業に戻ろうと思っていた。けれども結果的には最後の最後の年末年始までかかり、ついに再び教室の席に腰掛けることはなかった。
※ここまでしか入りませんでした。続きはseesaaブログにて
僕の偏差値狂時代 秋の模擬試験と恋の行方
