第1章 合格通知が来ない
3月1日付で電報が来た。
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駿河台キャンパスで頼んだものだ。電報の欄外には3月1日(土)11:38とあるので、おそらくファックスで転送されたものを最寄りの郵便局で封緘して届けてくれたのだろう。到着したのは午後2時か3時か、それくらいの時間だったと思う。
薄暗い座敷の入り口で後ろの台所から来る光に照らして、コピーされた薄っぺらい紙を開いた。
僕の受験番号はなかった。
とくにガッカリもしなかった。
「どうだった?」
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と横から尋ねてくる母に、
「ないね」
とだけ答えた。受験日の一番遅かった明治の発表の3月1日(土)まで待っても、日大からも東京農大からも合格も不合格も通知が来なかったので、どうなったのかわからない。たぶん、落ちたのだろう。
模試の判定した合格確率からすると、25%の可能性だったとしても4つの内1つ受かる計算だ。そこを80%以上だったのだから全部とは言わないが4つ受けたのだから3つは合格してもよいところだ。それが一つも受からなかった。
不思議なことだ。
と思った。これがC判定以下ならありえると思うが、A判定でしかもその偏差値をいくつか超えていたのだ。僕の合否結果は統計を逸脱していた。
この時の僕は一体これが学力のせいなのか、それとも他の要因なのか、まだ判別はつかなかった。
菅原道真も効かないか、と思った。ーー神頼みなぞ全く信じていなかったが。
試験から発表まで、大学に雇われた短大出のパートのおばちゃんたちが急ピッチで採点する。ガッデム先生は合格時のポーズを鏡の前で研究する。
けれど、2月の終わりになっても合格の知らせのない僕に、ちょっと不安になっていたかもしれない。
ともかく、ガッデム先生にしてみれば、至近距離から撃ったつもりだったにちがいない。
偏差値があがり、ぐいっと的に接近したガッデム。
ところが、引き金をひくと、
とにもかくにも、へなちょこ玉の僕は、目標まで1ミリだった的を逸れたのだった。
この時から2ヶ月半後の5月に行なわれた進研模試の結果が返って来たとき、断じて学力ではないと確信した。やはりA判定を大幅に超えていた。が、この時にはそれ以上追求しなかった。今は志望大学に合格をするべくさらなる学力の向上を図っている時だと思ったからだ。
要因は他にあった。
農大や日大はともかく、明治についてはその後、4年間の追跡調査によってこの時、昭和61年入試において何が起きていたのかが判明する。
その日の夜か次の日の夜、8時ごろだったか。仲井戸を介して、ガッデムが入試の結果を質問してきた。怖かったのだろう。と思った。
「どうだった?」
「ダメだった」
「そうか。他は?」
「他も。全部ダメだった」
と僕は答えた。
「そっか」
と仲井戸は言って電話を切った。
彼はどうなったのだろう? 彼こそ一等最初に明大農学部を勧められた生徒ではなかったか。
悪い予感は当たった。仲井戸から報告を受けたガッデム先生は耳を疑う。その夜、ありとあらゆる疑いが頭を過ぎり渦巻いた。
そして3月3日の月曜日に登校した。机にいるとガッデムが呼びつけた。行くと、
「ぜんぶか?」
と聞いた。
「はい」
「日大もか?」
「はい」
「うそをついているんだろ?」
意味が解らない。なぜ、嘘をつかなければならないか。黙っていると、横を向いたままガッデムが小声で言った。
「おまえ、わざと落ちたんだろ?」
「あんなに成績、よかったじゃないか」
何を言っているのかわからなかったので、黙って僕はその場を離れた。
僕は首を傾げながら席に戻った。席に戻って考えても、彼が何を言っていたのか、まったく解らなかった。3月の空気はまだ寒く、教室は雑然としていた。
なんで、わざと落ちなければならないか?
僕には全く意味不明だった。わざわざわざと不合格になるために東京まで35万もかけて行くなどということがあるのか?
この男が自己愛性人格障害者だと知らなかったので、僕には彼が理解できなかったのだった。その概念をキーにして解かなければ彼の真意は分からない。
全く理解不能だった。そして高校を卒業するまで、卒業しても、彼の真意を推察することもなかった。大学時代も就職してからも。
でもきっと彼の元会社の同僚ならこれに際して
と言ったことだろう。
責任の押し付けというやつだ。本人は自己防衛のつもりだろう。いつものことに周囲は飽き飽き、辟易している。およそダメ上司の要素をすべて有帯している模範的なダメ上司。免許皆伝のダメ上司だ。
こいつ、なんのために社会人経験をしたのか? そんな技を習得するためか。彼のいた会社のボイラー室は地下4階にまでなかったと見える。それで会社は自主退職に追い込んだ。
受けた大学は全部、不合格だった。それはもう、紛れも無い事実だ。
あれだけ罵倒し続け、邪魔をし続け、混ぜっ返し、失敗の予言ばかりし、しまいには嘘までついて無理強いしたのだ。そこまでするのだから、乗ってやろうではないか、乗った方が最善の結果が出るのではないか。と直感したから、やったことで出た結果だ。全力で乗った結果なのだから、おそらく最善なのだろう。受けた大学全部が不合格。それが、最善なのだ。
だからこそ、あの男のせいにはしなかった。僕の選択としてやったことの結果だ。
それを、わざと落ちただと?
なるほど、あの男には地下5階のボイラー室がふさわしい。
でも僕はもう、席に戻って3秒後には、あの男のことは忘れていた。すっかり頭から消えていた。次の年度にどうなったか知らなかったし、関心もなかった。けれど、クビにならかったところをみると、学校の温情だろう。
彼にしてみれば、伸るか反るかの大勝負をして敗れたと思っているのかもしれないが、2年前、あの男が担任を始めて3ヶ月でこの結果は確定していたのだと、この時点で僕は予想し得てはいなかったが、俯瞰してあの男の人となりと2年のスパンを観れば、ごく自然な結果と言える。
明治の受験が終わったその日、2月21日から勉強を再開し、3月1日の合否発表の時も、3月の3日ほどから学校に復帰し、卒業式が3月の半ばに行われたその期間も僕は直前期さながらの勉強をしていた。そして手続きをして4月の初旬に明善高校の補習科に入るまでも、1日中机にかじりついていたのだった。
なんとかして早いうちに数学を挽回しておかなければ、たいへんなことになると思っていたからだ。
もうひとつの準特進クラスだった4組の私文コースから駒沢大学に合格した生徒が1人いた。西南大に合格した生徒もいた。
我が学年のクラス分け。各50人。
1組ー特進クラス(国立文系・国立理系)
2組ー準特進クラス(私立理系)3組ー普通クラス(私立理系)
4組ー準特進クラス(私立文系)
5組から10組(私大、短大、専門学校、就職)
ふたりとも他のクラスメイトとは目の色がちがっていた。が、受験の取り回しは駒沢に受かった生徒の方がうまかったように思った。駒沢は偏差値は同じくらいでも、九州私大ナンバーワンの西南とはちがい東京のいち私大なのだろうが、入試のセンスが異なるように思った。
駒沢の彼は、僕のことを知っていたようで、あいさつに来た。育ちのよい品のある男子生徒だった。卒業までの暇な期間に、廊下にいるとやってきた。
「駒沢大に行くことになった」
と彼は言った。僕は彼を知らなかった。
英語をがんばっていたのだろう。だから1組以外から1番が出た時に知ったのではないかと思う。駒沢大は有名な上にそれなりに難しい大学だった。
「先に、東京に行く」
みたいなことを言って去って行った。たぶん、気を使ってくれていたのだろう。でも、この時すでに僕の気は東京にはなかった。
実のところ、大学進学が純粋に学問だけを追求できることなら、神道系や密教系の大学には興味があった。國學院大学や高野山大学など。
4組からは、福大文系にもなんにんか受かったようだった。どの大学や学部であっても本人がベストを尽くし、最大に自分を高め伸ばして入った大学なら、最高の実績であると思う。けれども一般的な価値観に照らし、福岡県にあるこの高校では文理問わず福大以上が『実績』としてカウントされる。おそらく順当どころか、それなりに豊作だったのだろう。教室をひとつ隔てているしコースが違うので担任の顔は見たことがなかった。が、それなりの手腕の持ち主だったにちがいない。
第2章 僕たちの失敗
僕は見事にガッデム先生の手のひらで、いや頭頂部でずっこけたのだ。
僕の口から報告を受けたあとの職員室で、ガッデム先生は、
「明治どころか、日大にさえ通らないやつが、国立に通るわけがない」
自信満々に言い切ったことだろう。「やっぱり、俺の指導は正しかったんだ」
そんな正しさを主張してなんになる?
彼は不合格の内実を分析しないまま息巻く彼は、自分のありがたい面接指導がおおきく寄与していたことは知らない。また、農大の合否判定がいかなるものか、そして明治大学で起きた不思議な現象。
「ったく、俺に恥をかかせやがって」
と息巻くガッデム。「あんな奴が国立大学なんて、ヘソの薬缶が溶けるってもんだ」
手を抜いたなどはないのに、なぜかうまくいかない受験。
そしてそれは僕だけに起きたことではなかった。
この傲慢な男は、パチンコ玉を弾いたけど、的に当たらなかった。使えねえやつ、と思ったくらいのことだろう。だが、他人の人生に重大なことをやらかしたのだ。
こいつのせいにしないが、こいつのしたことはしたことだ。
彼がどんなに僕らを悪く言おうが責めようが、僕の悪口を言おうが陰口を叩こうが、どんなに自分の正当性を主張し、周囲を洗脳して回ろうが、彼のやったことはやったこと。必ずかぶる。目を覚ますためのありがたいプレゼントとして。
先に何度も釘を刺されていたし、周囲の反応も感じていたはずだ。それを無視して正しさをゴリ推した。それも我欲とエゴが目的で。悪いわけではない。だが、それに見あった結果は手にする。それだけのことなのだ。
ふと周囲に目をやると、ちょっと視野を広げてクラス中を見ると、誰かがどこかに受かった報告はなかった。
仲井戸から伝え聞いたガッデム先生、ポカンと口をあけ驚きを隠せない。
ぜんぶ、落ちたぁ?
嘘だろ? 嘘ついてんだ、あんなに成績がよかったのに。
さては、わざとやったな。
俺に恥をかかせるために。
などと、即座にまた手前勝手な理屈をつけて他人のせいにする。
おそらく、仲井戸くんが電話をくれたあと、さっそく報告したのだろう。すぐ横にいたのかもしれないし、電話をしたのかもしれない。
「と言ってます」
「日大もか?」
「たぶん。全部と言ってましたんで」
「そりゃ、おかしい。どれもA判定だったのに」
「明治もA判定だったんですか?」
「うむ。代々木の模試でも偏差値が出ていた」
「へぇ~」
ガッデム先生は、僕が模試を不正していたのではないかとか、実は隠れて5教科やっていたのではなかったかなどと暗い陰謀論を巡らせる。
「さては、」
となって、わざと落ちたんだろう、が発せられる。黙っているところを見ると、きっとそうだ。そうに違いない。とぼけているんだ。俺は悪くない。悪いのは、あいつだ。と思ったことだろうが、そうやって他人のせいにして自分を救おうとしても、ツケは必ず払うことになる。クラス全員に成果が出ていないとすれば、それはもう指導者の問題ではないか? 現に同じ準特進クラスの4組からは例年以上の実績が出ているではないか。こいつを貶めるために故意に落ちる? そんな器用な真似は到底できない。
仮にわざとであっても、クラスの合格実績はこの人の責任だ。防衛しようが言い訳しようが、責任転嫁しようが、出た数字に対して責任を持つという約束で担任をさせてもらっていたのだ。男子合格率0%。実績となる大学の合格者は0人。これがガッデム汚腹先生が創り出した結果だ。
くっそ、あの野郎
あいつさえ、合格していれば!
という考えに至らないかぎり、あの疑いの言葉は出てこない。
相手のことより、自分のエゴ、保身。
「すまんかったな、無理させて」
などのねぎらいの言葉すらない。どれだけ不誠実な男か知れる。
このことを指摘しておく。
言い訳、責任逃れした時点で、責任があるし失敗の元凶であることを知っているのだ。つまり、「おまえ、わざと落ちたんだろ?」と言った裏には、自分の失敗と責任を知っていたということなのだ。けれども、認めたくない。
猜疑は科学なの? 邪推は? 他人のせいは? 責任転嫁は? 科学なのか?
もし僕だけが落ちたのならわざと落ちた可能性もあったろう。だが、クラスの誰も通らなかったのだ。そしてこのことだけなら、僕ら全員馬鹿だらけということになるだろう。だが、次の年にはそうならなかった。
ガッデム先生が2年も前から息巻いていた芝浦工大、武蔵工大、工学院大などのお勧めの東京の私立大学を受けたという話さえ聞かなかった。今井も桐川も、越野もヒデカツくんも。柴田も丘靏くんも。誰がどこを受けたかも知らないが、志望校に通った話は聞いていない。蒲池と鮎川がどうなったかも。
思い起こすに、そういえば、例の拍手はなかった。拍手したのは女子と、男子では福銀に決まった長渕だけだ。つまり男子はクラスの誰も、大学に合格しなかったのだった。最悪でも、毎年、準特進クラスからそれなりの有名私立に合格者が数人は出るはずが、今年は、例年より模試の成績がよかったにもかかわらず、だれ一人として通らなかった。
ガッデム汚腹先生の仮説は見事に失敗し、
みなコケた。ハゲの受験指導は縁起が悪いどころか、すべてを台無しにしていたのだ。ツルツル滑る高品質の頭頂部は、どんなに優秀な者でも不合格にさせる極小の摩擦係数μ=0だったのだ。(地球上には存在しない?)
結局、プロ教師ガッデム汚腹先生が的に向かって撃った弾は1発だけだった。そしてそれが見事に的外れ。あれほど責任、責任言っていたのだから、これはひとえにプロ教師ガッデム汚腹先生の手腕である。
そしてこの集団不合格が次の年、ガッデム先生にさらに大きなプレゼントを贈ることになったのだった。
おそらく皆、手を抜いたとか故意に落ちたわけではなかったと思う。不本意であっても受かってから入学を辞退して浪人してもよかったのだから。これが、自称、のちの筑波大学第2学群卒プロ教師ガッデム汚腹大預言者の出した成果の全てだ。
ぜ、全滅・・・・・?
ガッデム敗北の儀
「バカは誰が指導しても、同じだ」
「俺のせいじゃない」
なおもガッデム先生はがなりたてる。見事な自己愛性人格障害。
ついでにもう1冊ご著書をしたためになったようだ。
知ったか・ゴリ押し・他人のせい。かっ屁の3種の神器。田吾作せんせいはパンピーの性質を見事に体現。
ーーじぶんのせいじゃない。ーー俺は精一杯やったんだ。悪いのは、生徒だ。反抗的な生徒のせいで俺が落とされるんだ。俺は悪くない。
常日頃、感情を蔑み、理路整然(実際には詭弁と詐術)と科学者ぶっているのに、どうしてそこで宗教が出てくる? 悪いの、あいつのせいの、おれじゃないの、断罪や裁定をするのが傲慢な宗教というものではないか? ちゃんと原因を解明しろ、科学者なんだから。せっかく理系学部に行ったのに、中身は粗末な宗教団体そのものだ。
結局、僕だけが彼のお勧めの東京の私大を受けた。ということは、彼の去就は僕に委ねられていたのだ。頼みの綱だったのだ。それが一つも受からな方のだから、彼の切腹の手伝いをした形になっていたのだ。
クラス全員落ち。
僕が知覚するより前に彼は知っていたことだろう。
全滅?
いや。彼の存在を忘れてはならない。プロ教師ガッデム先生の思いは、彼、蒲池くんこと仲井戸くんが果たしていることだろう。
彼がどうなったかは、浪人編でのお楽しみ。
ともかく、この年、男子は誰もどこにも合格しなかった。きっとガッデム先生は自分の失敗を僕らに、特に僕におっかぶせたことだろう。
「ちくせう! あいつが合格していさえすれば」
「すべてうまく行ったのに!」
と怒り、のたうち回ったことだろう。危ないところだった。僕の成功ですべてをチャラにしてしまうところだったのだ。
ーーお前、わざと落ちたんだろう?
こんなことをささやいて、僕に暗示にかけようとしているのだ。故意に落ちたようなそんな気にさせて、自分のヘマをチャラにしてしまおうという魂胆なのだ。
中3の高校受験の時には確かにそうだった。自転車で10分の高校だったし、たいした勉強もしていなかったのでお手軽に落ちることのできた惜しくもない合格だった。
ところがどうだ、今回の大学受験は本腰入れてやっていたのだ。いくら不本意受験だったとはいえ、わざと落ちるなどありえない。東京への行き帰りや宿代、受験料がかかっている。わざと落ちるくらいだったら、行くか、ばか。
自分が故意に落ちたような気にさせ、他の教師にそんなことを言わせ、自分のせいでないとする言質でも取ろうとしているのではないか。僕がそんな嘘の証言をするわけがない。とんだ、魔導師だ。
だいたいこいつが2年生の一等最初に発すべきことは、ーー今の偏差値で行けるお得な大学でいいんですよ、などといったすれからしい老猾なズルの勧めでなく、毎日勉強してください、ということでなければならなかった。それも平日5時間、休日10時間。なぜなら、このクラスの大多数の生徒は、中学の時それから高1の時に定期テストの前だけ勉強して、そこそこの点数と順位を取っていた生徒の集まりだからである。要するに、実力のつけ方を知らないのだ。僕がそう言う根拠は、特に高1の時に思ったのが、意外とやるじゃんだったからだ。中間期末のテストでは僕は1番になることができなかった、どころかやっとクラス半分以上だったのだ。試験前だけ集中して勉強している生徒がかなりいたのを実感していた。真面目な生徒なのだ。にもかかわらず模擬試験で偏差値が出ないのは、明らかに毎日やっていないからなのだ。
そういうことを全く観察しないナンセンスガッデム汚腹が、僕らをおかしな方、狂った方に誘導していったのは間違いない。せっかくの資質を引き出すことができなかったのだ。
もし、言うならこういうことだ。
「定期試験で高得点を取れる君らは、それなりの頭を持っています。九大に受かっている連中の大半も頭はたいしたことがないんです。十束ひとからげ、君らと大差ない。でも、君らとどこが違うか? それは勉強習慣を持っていることなんです。平日4時間だと平均くらい。偏差値50です。だから5時間やれば、いずれ追いつきます。日曜日には10時間やってください。どうせ、君らは丸坊主なんだから女子には相手にされません(笑)運動部に入っているのでもないのですから、もう、青春を勉強に捧げてください。本当に大学に行く意思があるなら、毎日勉強してください。できることなら1日7時間、8時間、どうにかして時間を作って取り組んでください。始めは難渋するかもしれませんが、そのうち加速がついてきます。ついてくればしめたものです。最後にライバルたちをごぼう抜きできるでしょう。まずは時間と量です。試行錯誤していく内に自分に適した方法が考案されるかもしれません。それが質です。量が質に転換したんです。そうなると相乗的に伸びて来ます。大きな夢に向かって日々の夢を実現していってください。自分を高めることによって成績もあがり、また人生も変わります。云々」
高校時代、それなりの覚悟で勉学に励んだ者なら、当然こういったことを言うだろう。それを「4当5楽は糞食らえ」だの「君らはバカだから高望みは愚の骨頂」だの「バカな君たちに共通1次の数学は解けません」だの、不具者だの身体障害者だの、ありとあらゆる罵倒語を並べ立て、自信をそぎ、人格を否定し、劣等感を植え付け、罪悪感を持たせて支配しようとした。その心理的重圧と劣等感は相当なものだったのではないか。おまけに知ったかぶりと威張り散らしと自慢のオンパレード。
その挙句が、クラスの男子が全員不合格だ。受かったのは女子の短大や専門学校ばかりで、40数名いた男子は0。おそらく、普通科の準特進クラス始まって以来の最低の合格実績だったのではないか? 前代未聞の不発。
万一、合格していたとしても僕は「落ちました」と伝えたに違いない。行く気はなかったし、第一、行けない。けれど、そんな手間も嘘も必要なかった。
正真正銘の
不合格
だったからだ。
バンザーイ!
おそらく北原捻也が会社を辞めた時、そんな歓喜の雄叫びが起きたのではないか。
反応阻害物質ガッデム汚腹。この男はいるだけで害。特に上の立場になると猛威を振るう。いるだけで全体がうまくいかない。エゴと我欲だけが信用しうると思い込んでいる小さな男だからだ。その在り方は、集団に不調和をきたす。無能ほど、自分の能力を法外に高く評価しがちだ。
大学を目指し、それなりの成績のあった生徒はこぞって、誰もガッデムの構想には従わなかった。ヒデかつくんも越野も桐川も重永も今井も・・・。そして、信奉者であった蒲池も鮎川も成績が及ばずか?
押せばなんとかなると踏んだガッデが、遮二無二、僕にヘッドロックをかけて無理やりに押し倒した。
なんとかして実績を出さねばと焦燥に駆られた。約束したことを1人でも実現しなければ、と。
最も偏差値の高い僕なら実行してくれるのでは、と言う期待。
結局、最も嫌な生徒に実行してもらうしかなかった。
カネのためなら、嫌いでも構わないというある種、筋が通った餓鬼道。
だが、神様はそんなことを実現しやしない。いや、真にこいつの実現したいことを実現してくれる。劣等感は劣等感を再生産するものだ。
僕は自分のために受かりたかった。僕が受かればガッデの実績になって、泥棒に追い銭みたいになるなど考えたこともなかった。僕は僕のために受かりたかった。
果たして、不合格。
故意に落ちたということはない。断じて。
「よくぞ、落ちてくれた!」
事情を熟知しておられた西方先生などは、内心そうガッツポーズをとられたかもしれない。不合格で行き場のなくなった僕らには申し訳ない、と思いながらも。どうせ入学できないのだから、落ちるのがベストだと今なら解る。
あんなのがノボせてますます猛威を奮い始めたら事だ。
ひとまず、全員が落ち、北原の勧める大学を受けた僕も落ちた。
実績はゼロ。これで万事、万々歳だ。万障繰り合わせの祭日だ。
大学受験をめぐり、僕の創り出した結果とガッデム先生の創り出した結果はちがう。僕にとっては詐話師ガッデの魔の手から逃れ、志望していなかった東京の私大にいくこともなく憧れの大学に行く自由を手にしたのだし、ガッデはクラス全員落ちという、受験指導の下手さを露呈する結果となったのだった。
僕は生徒の一人であり、もし他の生徒が実力以上の力を発揮して有名大学に通っていく中、僕だけが落ちたのなら僕の創り出した失敗となる。ところが誰一人合格しなかった。(お金を払って合格を買う短大には、なんにんか入学した)これは、クラスの進学実績が自分の責任になるなら2年はやらせてもらわないと、と引き受けた北原先生の責任以外ない。
誓ってそんなことはないが、たとえ僕がわざと落ちたとしても、わざと落ちるような指導をした彼の責任である。それ以外ない。どんなに責任をなすりつけようが転嫁しようが、それから逃れることはできない。そういう契約だったのだから。
かわいいマナ娘のためか何か知らないが、できもしないことをできると言い、知りもしないことを知っていると言い、解ってもいないことを解っていると言い、でたらめなことをさも本当らしく言い、いやらしい百姓の性質そのままで、これが農業伝習所の伝統か? ハッタリかませて2年分の給料を確保するためにわれわれを食い物にした。こんな調子なら、きっと工場の品質保証部でも数値の改竄などお手の物だったのにちがいない。
けれど、僕は彼のせいで落ちたとは思っていない。手加減することもなく解答し、それにもかかわらず全部落ちて自由を手に入れたのは、僕の責任だ。
卒業の日を境に僕はガッデムのことも高校生活のこともすっかり忘れた。そして、来年の国立受験のために勉強をつづけた。
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