第1章 ガッデム先生の師走

 

国立といっても、最下位の琉球大なら受かるかもしれないが、本土に戻って来れずに沖縄で就職するハメになる、とのことだった。就職のことまでは考えていなかったし、仮にそうなってもいいではないか。南国に骨をうづめる。素敵なことだ。こいつには、沖縄に対する言いようのない侮蔑意識がある。

「もう一度よく考えろ」

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アホづらでほざいた。

沖縄に行って帰って来れなくなるのが悲惨なことみたいな価値観はお前のものだろう?

なんど考えても答えはいっしょです。

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ご親切は誠にいたみいるが、再考の余地なし。固辞いたします。
僕の人生は僕の人生です。あなたには責任はとれない。

最後の攻防、その一区切りが2年生いっぱいの3月末。それから、延長戦は3年生の夏休み前の6月の想定だったのだろう。

どうしてこいつはいつもこうして、でしゃばってきては僕の人生の主人公になりたがるのか?

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お前の人生の主人公はお前だ。お前はお前の人生の主人公をやればいいではないか。他人の人生に踏み入って主人公づらする奴が自分の人生に満足していることはない。

こいつには時間が高速で流れているのだろう

僕らにとっては初めての、新しい発見にみちた世界が、こいつはマンネリ化し同じことの繰り返しに思えているのだろう。だから1日が短いのだ。それは脳の見せる錯覚に過ぎない。

したがって、創造的に生きれば毎日は明るくハッピーで、長い。人生はこんなもんだという安い決めつけがこいつの1日をもうすぐに来年だ、すぐに受験が迫ると思えている。そして精神の堕落した者の特徴である不安が同時に湧き上がる。だからこそ焦るのだ、

急いてはことを仕損じる

という言葉も知らないようだ。

ダニングとクルーガーが論文を発表するはるか15年前にも、その認知バイアスはこのように観察されていたのだ。ちょっと化学ができるだけなのに、なんでも簡単にやりこなせると勘違いしているのは、知能知性に乏しいのに自信過剰な田舎者よりタチがわるい。適格者になるために必死こいて勉強し、自分を見つめ直してより効果のある指導ができるよう進化していく志のない者が高学歴であったためしはない。大学に合格した時点で成長をストップさせた瞬間、低学歴だ。低学歴の者に見所はないし、気の利いたことの一つも言えたものではない。

2年のしょっぱな、こいつが一等ぶった所信表明演説で、

あんなんじゃ、権威もなにもない

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と金八せんせいの見過ぎで中学教師を誤解した発言があった。

徳もないのに、権威などない。こいつに担任教師であるだけで権威があるわけがない。こいつが、元・東京帝国大学農学部付属東京農業教育伝習所を出ているからといって権威があるわけもない。ここでは田植えの仕方は学ばないのだから。そんなのは、農林高校に行ってから威張ってくれ。

だいたい、どうして自分が東京農業伝習所出身だということを隠し、出身校が東京文理か大学だとか筑波大学だとか偽りの由来と系譜をかたるのか? どうしてそうやってお百姓さんの勇姿を否定するのか?

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自分を大きく見せいたから。

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筑波大学に対する古賀たまきという人による

「企業は筑波大生にあまりよい印象をもっていないことが少なくない。筑波大を出ている人は大学で変わった思想を植え付けられた、管理教育で普通の学生生活をしてこなかったのではないかという考えである。簡潔にいえば、変わった人、と。申し訳ない表現では変な人、と思われているのである」

という見立てはガッデム先生はまぬがれている。彼は文理大や筑波大や東教大とは由来の異なる、東教大の看板だけの、東大駒場キャンパス敷地に隣接していた元東京帝国大学農学部付属の東京農業教育伝習所だったのだから。それを「筑波大学の第2学群」だと。学群までしか言わない。

こいつは権威というものが全く解っていない。立場が上だと錯覚しているのを利用し威張り散らしているだけ。天皇を敬ってもいないのに、すなわちオオミタカラであるわれわれに敬意もないのに、権威などと、笑わせるのもいい加減にしろということだ。お前には権威などない、断じて。

たとえば緑先生や西方先生などは、決して自分を大きく高く見せたりしない。大きいものは大きいのであり、高いものは高いのだ。分かる者には分かるし、分からない者に力づくで分からせようとはしない。

民主主義や平等主義を否定するのは結構なことかもしれないが、その替わりに掲げたのが権威主義なら、お粗末極まりない。

天皇や将軍、名物社長や悟った和尚、その他もろもろが地位や立場で権力を振り回し自分の言いなりにしているとでも勘違いしている。

かれらは人格が高度で円満で偉大で、洞察力があり、一人一人のことを思いやって、適切な気をかけ、その人に最善のことをするから惹き込まれ、従うのだ。

御意《ぎょい》

とは、神理であるから、その通り。従わないわけにはいかないという意味であって、こいつのような錆びた包丁で生徒を切りつけ押しつぶし踏みにじるような暴虐をふるう者に従えるはずがないのだ。

「しょせん男と女なんて、やりゃーいいんだろ、やりゃー」などと下卑た諦観を吐き捨てる。

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「カネだよ、カネ。キレイごとを言うな、この世はしょせんカネなんだよ」

お金に向かって一直線、直接鷲掴みにすると犯罪になるので、詐欺を働く。それが、ガッデム汚腹。喉から手が出ている。それが言葉となって僕たちに襲いかかる。
「俺の言うことに間違いはない!」

ガッデム先生は、合理主義者。おそらくは自認していて、しかも優越感すらあるだろう。自分の考えは全く合理的で間違いはない。寸分の隙も論理の飛躍もない、と、長渕が評するように
「自惚れている」
のだろう。一方、僕はといえば、不合理の合理、合理を超えた合理の観点から物事を見ることが多かった。
そのせいか、相容れないところがあった。

僕が知らず知らず、物理的、物質次元で証明できる範疇を超えた合理的な考えをしていることにこの時期には気づいていなかった。自分の頭脳は明晰だと思い上がっているガッデムが、物理的合理性だけで物事を考え、それが解らないのは頭が悪いと決めつけていることもわかっていなかったのだ。

すなわち、ガッデムが受験の目的を『合格』に置き、それに対する合理的な考えをしているだけの男だと、僕には分からなかったし、僕が人生の目的を『真理の探究』に置き、受験や大学をそれに対する通過点であり、学びの一部だと捉えた合目的的な考えをしていることなど、彼には知るよしもなかった。

真理や高度な真実を述べた時、最も適切なことを提案した時、自ずと

御意(その通り。It is so)

なのであって、

歪曲した言説や詭弁や詐術では到底まともな人間の心は掴めない。ところがこの手の輩に限って、そういうのは宗教だと言って忌み嫌う。口のうまい奴などと蔑む。

ガッデム汚腹。何を思い上がっているか知らないが、こういう問題児は恰好の研究対象でしかないのに。ーーきっと、このことの意味も解らないことだろう。

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僕はこいつの配下ではないし、心服するべくもない。
毎日毎日否定的なことばかり言い募るこの人物に。この人は自分の主張する現実の厳しさを存分に味わえばいいのであって、それが楽と怠慢の区別がついておらず怠けて成果だけ得ようとする性根だと解っていないようだし、僕はそんな人生はごめんだね。

こうした、より高次への誘《いざな》いでなく、自分の狭い世界観を絶対と見立てた権威主義にまみれた男が人生行路には時々登場する。

なぜ、福沢諭吉が『学問のススメ』と、勧めにとどめ、絶対の義務だと言わなかったのか。魂の方向性は義務にはできないし、なにより個々人の内的な自由な選択を凌駕する権利など、他者にはないと知っていたからに他ならない。学問の勧めであり、教育を受ける権利である。

権威主義の男が立ち塞がった時には、よりリベラルな態度をとるようになる機会であり、権威主義の威張った男がそれ相応の結果を手にすることは知っておくといい。

ところで、東大『合格』を30歳も超えてひけらかす者がいれば、それはブランディング、おのれを高く見せようという魂胆にすぎないとすぐに見破れ。知ったかぶり程度の一般人(百姓)が、有名というだけで内実も知らずスゴイと反応するのをいいことに、何かありそうだぞ、何か自分の知らないことを知っていそうだと、言うことに価値を持たせたい輩の浅はかな手法にすぎない。

大学を出ようが出まいが、毎日学ばない人は、

❶ 愚かで憐れな群畜

❷ プライドだけ高くて使えない俗物

になりおおせるのだ。

入学後も卒業後も勉強とチャレンジと自己研鑽を続けた者だけが真の高学歴者なのであって、人の価値は仕事でだけ評価されるものだ。どのくらいひとの眼を開いたか。どのくらい自由に生きさせることができたか。どのくらい感動さえたか。

結果だけでなく、結果の出る方法まで含めて。仕事を支えているのは人格だが、世間を構築している一般の人の考えるような自分のエゴや欲を満足してくれる人では多くの場合はないと思われる。

その欲求に迎合したのが、心配・同情・なぐさめ・ご機嫌取り・お愛想・阿諛追従・エゴ撫でイエスマンという在り方だろう。

ガッデム先生はご自分がガラスの試験管に入り、しょっちゅうどんな考えをしてどんな方法を取っているかを四方八方に晒していることに気がつかれていないようだ。透け透けのリングに上がったレスラーにもかかわらず、自分が他人が観えていないから他人も自分が観えていないと勘違いし自分の悪行を隠しおおせていると思っているようだ。お前の演算プログラムは1行残らずオープンになっているのだし、読み解ける者にはその結果がどうなるか、実行ボタンを押す前からわかっている。

3年生が終わった時、そしてその次の年、出てきた運命に僕は驚嘆した。寸分の狂いもなく彼の処遇を決定づけたのだから。もちろん、僕らの。

中には、東大を『中退』しているにもかかわらず、自分は小さい頃から違ったと実家にマスコミを連れて行き写真まで見せ、伝記を自分で書くような行為までして見せる者まである。ブランドを傷つけようとする者あるいは傷つく危険性のありそうな発言には世間的価値観を掲げてマシンガンのごとくに相手をズタズタに撃ち砕く余裕のなさをみても、単なる事実や自己形成の経緯を知らせるためでなく、高慢を越えて己のブランドを築いていくためなのであろうが、自分を何億倍にも肥大させ無知と蒙昧を騙すようなそんな手練手管がいつの時代まで通用するものか、僕はマーケティングを否定しないし巨大な資本に個人がどれだけ立ち向えるものなのか非常に興味があるけれども、見ものだ。

さて、自分の小さな小さな手のひらからこぼれ落ちないよう、ガッデム先生は毎日のメンテナンスを怠らなかった。

口を開けばいつだって、
「お前たちはバカだからおれの言うことを聞け」

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「お前たちは低脳だからおれの言うことを聞け」

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「お前たちはガキだからおれの言うことを聞け」

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入念に全否定と馬鹿にするをやり続けたのだ。こうやって、目をつぶれ、眼を潰せ、口を塞げ、何も考えるなと強いていただけではないか。
こいつが、一度だって、僕らを勇気づけたことがあったか? こいつが一度だって僕らに勉強の仕方を説いたことがあったか? こいつが一度だって受験の心がけを教えたことがあったか?
粗悪品が猛威を振るっているだけのことだ。
それを受け入れ目をつぶってきた者たちがまた同じことを他人にやる。ゾンビだ。

「俺の言うことを聞け!」

「俺の言うことを信じろ!」

「俺の言う通りにやれ!」

「お前たちは、俺の犬だ!」

こんなのがプロ教師なわけがない。ど素人も甚だしい。ど素人どころか、道端の犬のクソだ。踏まないように気をつけておかねばならない。
無能者の遠吠え

生徒の学力の発揮には、授業のうまいへたもあろう。けれども、教科勉強を支えている信念、自信、これが大事である。それを毎日くじき倒すこの男の目論見とは? ーー自滅。

ていのわるい新興成金のドラキュラ男爵みたいな奴は他人の血を吸って回る。

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エゴ男爵

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反抗期だと言って片付け、手前勝手なことを押し付けてくる。自己中心なこいつは、万人普遍の真理に従わない僕たちがわがまま勝手に反抗していると見えている。万人普遍の真理なら、押し付けずとも、そうなっているものだ。お前の持論はお前の持論に過ぎない。他者の自己選択の自由を踏みにじり蹂躙できるものではない。

自分に媚を売ってくる者だけをチヤホヤするのは、エゴの強い証拠。
エゴ大王

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この人は自分が嫌いなのだろう。
だから物欲に走る。カネに妄執する。嫉妬と憎悪で煮えたぎる。ふつーふつー。あれがそれ。
こいつに尻尾を振ると、ますます威張る。図に乗るのがエゴの所業。

そんなガッデム先生に連れ従う者が二人。

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鮎川くんと蒲池くんはガッデム先生に告げ口をしていたけれど、傷を舐め合うではないが、妙なイジメもなく、認め合うでもないが妙な差別もない。偏差値63から55くらいの人だけを集めたクラスの大人しさ。志望高校にみな落第している妙な一致感。だから、蒲池や鮎川と反目することはなかった。
まるで、彼らこそが最もガッデムを嫌う者であったことを知っていたかのように。

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この人には権威などなく、あるのは詐術と詭弁だけ。

だいたい、僕の権威者は僕自身であって、お前であることは決してない。断言する。

そんなある日の休み時間、

「あいつの名前、なんかナマズに似てない?」

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と越野だか誰かが言った。
彼の名前は稔也で、ナマズは鯰と書く。
「確かに」

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と相槌をうつ桐川。

「名前だけじゃなく、顔も似ている」

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北原鯰也先生近影

僕には彼らが何を喜んでいるのか解らなかったけれど、あとから考えるに、越野がそんなところに気づくとは、よほど嫌悪しているのか? 鯰は悪食なのらしい。確かに、後から振り返れば、他人の成果に執拗にくびりついてくるタチの悪い横取り男だ。

ガッデム汚腹はまさにぺンフィールドホムンクルス、口八丁手八丁の奇形児。

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こいつのやっているのは、データをもっともらしく振り回しているが、要するに『自分さえよければ他人は犠牲にしても、食い物にしても構わない』『いやむしろ、他人は全員俺様の食い物だ。それをやるのが大人だ』などとうそぶいているにすぎない。
2次元で表された数学を3次元、4次元あるいは5次元に展開し、実体を精確に想像できない奴は、発想の貧困な生き物だ。
さらにこいつの場合、頭髪の具合から察するホルモンの状態から陰茎が異常に発達しているものと思われる。

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こいつのように支配欲や自己主張に囚われている者はいわゆる第3チャクラが異常活性している人物だ。高次を司る第4チャクラ以上はほぼ完全に閉じ、いびきを立てて眠っている。こういう男の最大の課題は生存であって、果たせない思いとして蠢めく性欲(第2チャクラ)が鬱屈しているのでエロエロ妄想が活発に働いている。

実を言えば、高校時代の僕は、ガッデのような低レベルの人格を分析しえなかった。時間の無駄に思えていたし、まさか教育者ともあろう者があんなに安い考えで生きているなど、しかも企業経験者であった者が、我利我利亡者のような振る舞いをするはずがない、と思い込んでいた僕の先入観は、如何ともし難い子供じみたものだった。

どうすれば精神が向上するかとか、今の受験制度はどうなっているのか、とか人の信念と結果の関係とか、そういうことばかり考えていたのだった。だが、低レベルの観察をおそろかにしては高レベルの在り方が分からないときている。その点で僕は片輪の観察者に過ぎなかった。他人のことをとやかく言うのは好きでなかったし、ぐじぐじ嫌な奴のことに固執するのは愚かだと思っていたし、自分のテーマのとはかけ離れていると思っていたからだ。ところが、世界の哲学者で、低レベルの盲目者を抜きにして論じている者はいない。文章に表さなくとも、踏まえて論考している。低次元に引っ張られない強さや異次元さを獲得しているからだろうと思う。

 

続きはseesaaブログにて 僕の偏差値狂時代 ガッデム先生の師走