第2幕 知能と知性

 

およそ僕が頭の良さについて質問した最初の時は5歳くらいのことだった。俺はいろいろ経験したから、何でも知っている。

「どういう人が頭がいいの?」

と僕は30代半ばの父にたずねた。

「記憶力のいいやつだな」

スクリーンショット 2024-11-15 6.15.55.png俺はいろいろ経験したから、何でも知っている。

と父は言い、

「物覚えのいいやつが頭がいい」

と言い換えた。「どのくらい多く、どのくらい長く憶えていられるかだ」

所詮この人の観察眼や知見はこの程度である。相手が子供だからとエー加減なことを得意げに知ったかぶりしているだけだ。

というか、どうせ誰かから聞いたことをそのまま言っているだけのことだ。耳学問のかれはそのあたりに落ちているを集めて自慢し、あるときそれに疑問を呈されたり否定されたりすると、それを自分に言った者にあいつのせいで、と責任転嫁した上で恨んだ。

「いいか、坊主、よく聞け」

と前置きして自慢のお宝を見せびらかす。東大に行けばオンナにモテるぞ。金持ちになれば、オンナにモテるぞ。弁護士になれば、オンナにモテるぞ。政治家になればオンナにモテるぞ。大学教授になれば、オンナにモテるぞ。医者になれば、オンナにモテるぞ。

ぜんぶ、お前の願望だろが。

日頃から父は

「頭のいいやつがーー」

などと言っていたから僕はたずねたのだった。そして何かというと父は、バカが、と他人を評するのだった。自分と考えの異なる者が理解できずにバカと称する。それがバカなのだ。

父の答えに僕は、そうかなぁと思いながらとりあえず保留にしていた。そしてさらに父は、

「歳を取るごとに記憶力は落ちていく。最後にはボケて、おしまーい」

と言った。これが彼の人生観である。

父のことだから、これもまた聞き齧りだ。つまり、自分自身で観察し確信した答えではない。そこらじゅうに落ちている、どこの誰が言い出したか知れない噂程度の知った科学である。

読書や勉強を勧められると父は判で押したように、

「本、読んだっちゃ、すーぐ忘るる」

と返した。

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つまりは自分は馬鹿だ、頭が良くないと表明しているのだが、知った科学の彼にはその自覚がない。父は自分のことを解ってくれない人を真顔でバカ呼ばわりするが、記憶する創意工夫もせずに諦めるのがバカなのではないかと僕は思う。記憶とは想念へのアクセスつまりはその場を思い出すことではないかと、自分の内面のメカニズムを観察して思い至った。かつて見たことや理解したことをうまく引き出すための工夫を考案、創造するのが知性なのだ。

心の糧にしていくとは、知識の量を増やしていくこととイコールではない。

愚か者の『頭良い』観は、愚かだ。認識が低い。それを前提に成り立っている生活がどんなものか? 例えば、エゴに都合の悪いことはドンドン忘れていく。憶えていることでも、忘れる。たった今。忘れた、と言い張る。

言いっぱなし。相手を責め立て、その場を取り繕い、口車に乗せて他人が奴隷として動けばそれでいい、自分がカッコよく見えればそれでいい。

言ってない、やってない、忘れた、知らん、のオンパレード。しまいには逆ギレして、うやむやにしようと策略をめぐらす。そうやって生活していくために記憶力が良いことが頭の良いことだとすり替える。頭の悪い自分はすぐに忘れて構わない。正確に憶えていることさえ、たった今忘れてもいい。知能が低いから仕方ない、と乗り切る。

知能というより、知性の問題なのではないか?

この手の人の周囲では言った言ってない、やったやってないの口論が頻発する。周りをその次元に巻き込んでいく。自分を有利にしていくために。(実はなっていないが)

こうした不誠実を正当化するサイクルの一つの要素として、物憶え良い説があり正確に記憶している人をけなし、あざける。そうやっていつまでも知性の低いままでいることに理由を与えるのだ。責任の本質を自覚しないのだ。愚かなレベルの人々の間で囁かれ続けているウワサである。

父は基本的な知能は低くない。いや、むしろ良い方だろう。だが、ーーすぐに翻すのだけれど、バカなのだ。大馬鹿者ではない。小馬鹿である。

僕が6歳くらいの時、父が勉強を放り投げ、向上心を放棄した瞬間を目撃した。それ以来、急速に彼のおバカは増大し、猖獗を極めると認知機能にもクルイをもたらすようだ。

あれは僕が中3の時だった。家の中はじめーっとした、くら〜い雰囲気が漂い、もわ〜っとした陰気なニオイが立ち込め、父も黒っぽい顔をしていた。

減塩が話題になっていた時代だった。うちでは生協のインスタントラーメンを箱買いしてストックしてあった。冷え切った夫婦関係の中、父は妻の作った手料理は絶対に口にしない。土曜の夕方に彼は生協ラーメンを作り始めた。鍋で麺を茹でるとお湯をどんぶりに少しだけ入れるとスープの粉を全部入れた。そして、かき混ぜてもドロドロしている中に麺を移し替えた。

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何をしているの? と僕が尋ねると父は

「塩分を減らすために汁を少なくした」

と答えた。

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ピアジェの発達段階を逸脱した認知である。

「これなら汁を全部飲んでも塩分は3分の1に減る」

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と父は追加説明した。

え?

と思った僕が

「お湯を減らしても粉を全部入れるなら塩の量は変わらないよ。そんなに濃くて塩からいスープを我慢して飲むくらいなら、普通に作って残した方がーー」

と言うと怒り狂った父は

「うるせー」

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と僕の頭を殴った。

こんなことだからナメられるのだ。彼の蔑んでいる、オンナとやらに。

こうなるともう、よほど親切な人しか忠告してくれなくなるだろう。ますますバカが増大していくのだ。第一に聞く耳がない。聞いても捻じ曲げる。

部屋に戻ってラーメンを平らげた父はスープを全部飲み干して台所に戻ってきた。

蛇足だけれどもあらゆる親がそうであるようにこの二人は僕がうまいこと行くルートを自力で見つけられるようあえて間違った道であってくれるのだ。そこのところを取り違えては成らない。

連日連夜の妻の徹夜の責技に、寝不足や体調不良、会社でのいざこざ、疲労やなんやが募っていたことだろう。父が何にイライラし、カリカリしていたのかを理解したところで仕方ない。そうなった者は自分のすることに異論をする者には容赦無く怒りをぶつける。これが易きに流され堕落していった者の末路の一つだ。抗議しても無駄だ。自分の憐れや被害を訴えるだけで、支離滅裂さと加害については認めないだろう。現に、いつも彼はそうして自分を正当化した。正当化するほどでもない自分を。

愚者を極める才能があるのなら、賢者を極める才能もある

父が人生を諦めた瞬間を僕は見た。

「いまさら勉強したっちゃいっしょ」

彼は34歳だった。(1973年ごろの話だ)それまでは吉川英治だの松下幸之助だのを読んでいたのが、ノストラダムの大予言と運命決定論を読み、自分の人生が浮かばれないのは予め決まっているし、何をやってもどうせ1999年に世界は滅びると解釈したのだった。

「学校を出ていないから出世しない」「何をやっても同じ」「どうにもならない」

と言ってそれまでやっていた読書をやめた。

彼が2冊の本を箪笥のガラス戸に投げ入れたので、彼が去ってから僕は開けて確かめた。

学歴がないからではない。お前がアホだから何をやっても一緒なのだ。社会や時代や親のせいにするな

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わが父は他の愚か者と同じで、やらない言い訳の根拠に学歴を置いたのだ。うまくいかない理由に学歴を持ってきたのだ。進歩しない正当化に学歴を据えたのだ。(父の時代以降は学歴から学校歴に移行していった。中卒・高卒・大卒→どのランクの学校を出たか)

こうやって理屈を付けてバカを宣言する。どうにもならないどころか、どんどん落ちていくぞ。

バカを宣言すると

バカな考えばかりを集めるようになる。どんなに素晴らしい考えでもバカな考えに捻じ曲げ落とす

バカな人が集まってくる

バカなことに巻き込まれるように

ドンドンなっていく。エサとエロにしか興味を示さなくなり、その内どちらもどうでもいいと思うようになり、それが欲のないこと(=悟り)だと勘違いする。

そうなるともう、どこからどう見ても馬鹿者だ。そのくせ「バカ」と言われると怒る。「バカと言う者がバカだ」と顔を真っ赤にして怒る。

中学時代のKや直木が他の生徒からバカと馬鹿にされ、そう返すことはすでになかった。黙って首を縦に振りうなづいているだけだった。バカと言ってヘラヘラしている方の生徒は

「ベンキョウばかりする奴はバカだ」

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とでも親に聞いたのかもしれない。あざけりを顔いっぱいに表出させていた。だが、Kや直木は

(ま、そういうところもあるだろう)

と認めていたのだ。だからこそ今、必死こいて勉強している、そんな素振りだった。バカと言った生徒が彼らより成績が良いことはなかったし、頓知や機転が利いていることもなかった。

運命決定論を持ち出してまで勉強をやめ進化を拒絶し人生を諦めた。愚か者の極地だ。こうなった瞬間、どんどんそれまでにも増して加速度的に馬鹿な真似をし始め馬鹿を身につけていく。

さて、うちにはもう一人、僕の教育に熱心な人がいた。

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カレーにソースをかけていはいけない理由を幼少期の僕は母に尋ねた。しどろもどろになって正確に答えられない。彼女がカレーにソースをかけるワケを解析すれば、こんな論理になっている。

夫が嫌い(は好きの裏返し)→することは全部はしたない→カレーにソースをかけるのははしたない→カレーにソースをかけてはいけないというルールを独善で決める→自分のしないことだから(趣味でないから)どうでもいい。→どうでもいいから平気で禁止できる。

勝手にルールを作って守らせようとし、守らなければ罰を与える。こういうのは傲慢な権力者の所業であって決して賢明な行ないではないことがすぐに分かることだろう。傲慢な権力者になりすますのは、知能というより霊格(人格)知性の領域だろう。公平性とか品格がわからない。エゴによって禁止事項を捏造する。それが正しいことだと思っている。1学期にガッデが起こした尻叩き事件となんら違わない論法だ。否定と罪と罰。眼の拓かれていない者が正しいと考える方法である。

普遍性がない上に、特に家族の調和を高めもしない。ただただ、自分が気に食わないから全員に禁止命令を出す。それはかえって不調和だ。エゴが引っ掻き回す。

机についていると、さて自分の番がきたとばかりに地響きを立てながらあっちからやってきて、

「ちゃんとやんなさい!」

と算数の宿題に口を出す。「そんなんじゃダメ」

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こうやって、こうやって、と定規で横線を引けと命令する。言われた通りにすると、そうじゃない、ああじゃない、こう、とヒステリー気味に怒り始める。散々怒鳴ったあと母は向こうに行った。仕方がないので定規を使ってやっているとどうも他の文字と不釣り合いを起こす。字体を揃えようと横線と+や−まで定規で引いた。けれども、長かったり短かったり最後のところで下に折れたりして、挙句、筆圧の強い低学年の下手くそな手書きの数字とのアンバランスでいとも汚らしいノートになった。そうこうしていると母がまたやってきてノートを取り上げると、

「もう、あんたダメ」

とほっぽりやってあっちに行った。

確かに教室でクラスメイトのノートを見せてもらうと、定規でしかも数字までカクカクした文字で書いてきているやつもいた。僕らの母親の時代には紙のノートがなく石筆で自前の小さな石盤に書いてもって行っていたらしいので、そんな指導もなされていたのかもしれないが、

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ほとんど趣味だ。本質と違うところに固執する。センスがわるい。地球物理学者の黒板に書き散らした数式の方が断然美しい。張り切って子育てしているのはありがたいけれど、どうもこう、センスのない者ほど、他人の邪魔をしていることに気がつかないようだ。じっさい、僕は母の指導で宿題をやる気が失せてゲンナリしたものだ。

そんな母がそんな父の人格改造を図った。ところで、この母はなんと、家に入ってきた一匹のハエを追い出すのに丸一日かけたことがある。僕が5歳くらいで幼稚園を長期欠席していた時分のことだ。

「もうー、せっかく追い払ってもまた入ってきて」

と朝から夕方までイライラしながらやっていた。いつもはおとなしい母は、それゆえにか、夫に自分の不埒を見出し、それを改造しようとあれこれ愚痴を述べたてては、埒があかないとして時々爆発し取っ組み合いの喧嘩をしてはいろいろ知ったふうなことを叫んでさとしていたが、

「言っても聞かない」

と嘆きながらもしつこくしつこく何十年もやり続けた。こうなるともう、目的はヒステリー、フラストレーションの発散にすり替わっていたのだろう。

益なきことに時間を費やすのが好きなタチなのだ。他人の人格矯正など、暇人のすることだ。ハエを丸1日追い出し続けるような。

愚者を極める才能があるのなら、賢者を極める才能もある

この人たちは素地はわるくない。むしろ知能自体は高いと思われる。だが何が彼らを鈍らせているのか?

この人が僕の中学時代に、毎日毎日、夫婦喧嘩をして金切り声を張り上げていたのは、受験に関して述べるなら、わぁーわぁーぎゃーぎゃー騒ぎ立てることで問題を真摯に直視し本気で取り組むことから目を逸らしごまかし逃げていたのだ。自意識が低く、依存心が強いからだ。問題を一生懸命命をかけて解決しているふりをしていただけで、夫をせっついて問題を押し付けようとしていたのだ。

父は知識が脳に貯蔵、ストックされていると信じているようだった。一般的には広くそう信じられている。まるで宗教のように。けれども、記憶力が良いとは、本当は知識の引き出し方がうまいことを言うのではないか。

亭主関白カカア天下の対立、僕の家はそんな構図になっていた。幼く甘えた大人が覇権を取り合って争いをしているのだった。

 

 

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