第1幕 青田買い
2学期が始まって間もない頃だったと思う。
3時間目の前にあったちょっと長い休み時間に、ガッデム先生が前の入り口から顔をのぞかせた。
そして、
「おい、重永!」
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と僕の前の席だった重永を呼んだ。呼ばれた重永は、聞こえなかったように、スッと席を立った。
重永は先生の方を一瞥もせずにくるりと向きを変えると教室の後ろの方にスタスタ歩いて行った。マズイ!といった雰囲気があとを引いた。突き当たりを左に折れ後ろの出入り口に歩いた。便所にでも行くのかと思って見ていると、おい、待て、こらと声をあげながらガッデムが廊下を移動し始めたのが廊下側のガラス窓に映った。
「おい、待て、重永」
なおも彼は呼び続ける。何事かと思った僕も席を立ち、後ろの出入り口のところで様子を見た。重永はすでに出入り口を右に曲がり廊下を歩いている。
「おい、ちょっと待てと言っているだろう」
とガッデム先生は足早に追いかけた。右手に教科書と名簿、それから指し棒を携えながら、左手は垂直におろし、背中につっかえ棒でも突っ込んだような姿勢で足を前に振り出し、重永を追う。まるでどこかの共産国の軍事パレードを想起させる足取りでズンズン、ズンズン前方に移動する。
あれじゃまるで1人パレードだ。桐川の評するところの。このように規律正しいことをいつでもどこでも厳格に実行している自分は何事も全部正しいのだといった自負が滲み出ていた。
重永を追いかけていく途中に僕が教室の後ろの出入り口のところにいたものだから、別の用事を思い出したのだろう。僕の方に顔だけ向けると通り過ぎざま言った。
「ふつーふつー」
まん前に差し掛かった時、僕の目の高さより少し低いところから目を合わせて言い放った。当時の僕は164センチくらいあったろうか。鬼の首でも取ったかのように上目遣いのまなこをキラリと光らせていた。不快さと共になぜ彼がそんなことを言うのか即座に理解した。と同時にバカ校長の経営するバカ学校のバカ担任の呪いの言葉を毎日聞かせ続けられると頭も悪くなるものらしい、と真面目に思った。そしてガッデム汚腹はダブルのスーツに膝まで隠れた脚を繁くバタつかせながら高速で通り過ぎようとしながら、こう付け加えた。
「たいしたことないジャン」
東京の若者みたいな口調で禿げた四十男が軽口を叩いた。
おまいの秘密を握ったぞ。と言わんばかりの得意げな顔は劣等感と対抗意識丸出しなことに気づいていないようだった。
横に向けた顔をぬちっこく引きずったが、本題を思い出したのか重永の方に向き直り早歩きで通り過ぎて行った。あいも変わらず、2学期もまた無能な頑張り者がおおはしゃぎ。体はまっすぐに顔だけこっちを向いた関節人形みたいな不自然なかっこうとその物言いに、僕の奥深くではウゲっとなっていた。
おい、ちょっと待て
ガッデムが押し殺したような大声で重永を呼んだ。重永は廊下の途中で観念したように背伸びをし歩速を緩めた。そこに、パトカーが追いつくようにガッデは直前まで猛スピードで接近し、急ブレーキをかけて停止した。
捕まった重永は、廊下に立ち止まり、ガッデの何か言うのに反応して、ちょっとヘコヘコしたような感じで、ウンウンと大きくうなづいていた。大きな肯定の反応は拒絶を著している。
おおかた、以前やらされた何かのテストの結果を手にしたのだろう。1学期の中頃だったか夏休み前だったか、知能テストのようなものを受けさせられた。ある日の昼下がり、顎を上げた間抜けな表情をしたガッデが何やら冊子を配った。そしてなんの説明もないまま、記号だの図形だのの並んだ簡単な軽作業をやらされた。
やりながら僕は、
(こんなテストで点数が良いとまたロクなことにならないぞ)
と思った。
テストの時、出席番号順に並び直した席で重永は僕の右隣にいた。ちょうどさっき出て行った後ろの出入り口のすぐ脇の席だった。重永は物凄い勢いで問題を処理していた。おそらくその結果が良かったのだろう。自分の受験戦略を実現してくれそうな彼に白羽の矢を立てた。
この時分の僕はあんなテストの数値が良いと碌なことは起きないと思っていたし、それに、ちょうど直木の丁寧にゆっくり確実に解く練習をしていた時期だったから、丁寧にゆっくり確実に解くことにした。それゆえに別に数値が良くなくてもなんとも思わなかった。けれども、ガッデの勝ち誇ったような嘲りは不快だった。
第一、僕の目的はガッデム、お前に威張ることではない。目標を達成し、目的を遂げていく、納得のいく、後悔のない人生を歩むことなのだ。
それにもまして、2年のこの頃には僕には思惑があった。つまり、丁寧にやる、だ。ちょうど第一学習者の英語の添削をやり始めてしばらくの頃で、それまでおおざっぱに読み流したり飛ばし読みするのをやめ、抜けなく読む習慣をつけようとしていた時期だった。中学3年の時、同じクラスだった直木の丁寧さを思い出していたからだった。フクトの実力テストで彼は学年1位になったことがあった。彼は実際的ではなかったけれど5教科のペーパーテストだけはできた。そのやり方を見ていると、愚直なまでの丁寧さだったのだ。教科書を読むにもテストの問題を読むにも、ゆっくり丁寧に、そして確実に理解するのだ。僕もそれに倣い、ゆっくり丁寧にそして確実にやることを心がけていた。
まるで大型電算機の高速で打ち出すパンチカードのように解答していっている重永を横目に見て、僕はそれに惑わされずに自分のポリシーを貫いた。知能指数が高くて『すぐに憶え、すぐにできる。だが1ヶ月しかもたず、いつまで経っても実力試験の点数は上がらない』を繰り返してきた僕。日本の大学受験には最も不適合な方法ではないか。
2度と再び、二の轍は踏まないぞ、と思った。あんなテストの数値でチヤホヤされても、自分のためには何もならない。IQなど肛門括約筋がちょっと強いのと大差ない。僕はそう思って知能テストを受けたし、その結果など、まったく重視していなかった。むしろ、良くない結果が出るように、意図的に丁寧にやったのであり、あんな数値で思い上がる自分こそが大敵、戒めなければならないことだ。愚かでバカだと認めない限り、勉強もしないし偏差値も上がらない、魂も成長しないのだと思っていた。それが実現しないことには奈緒子を超えることもできないし、真理の探究などおぼつかないことだ。
受験において IQ値などどうでもいいどころか邪魔になる。また、その数値がなんであれ実質は実質だ。数字が一人歩きすることの方がマイナスとなる。ガッデムが数字狂信者で助かった。彼のマーク(目付け)を外れ、自由にできるから。能ある鷹は爪を隠していなければ、目標は遂げられない。
大学受験の実力、人生行路でのサバイバリティ。高校受験の失敗から知能指数など大した意味をもたないことを自覚していた。そんな数値が良いことで慢心する。それこそが自分をダメにする元凶だ。なまじっかIQの高いことによって勉強の習慣をつけなかった僕。愚かである。お利口の愚者・愚鈍。勉強の習慣とは何か? それが理解できなかった者が頭が良い? そんなわけがない! 愚か者以外の何者でもないではないか。
こんなテストの数値が良くてもロクなことはない。だから、知識や高度な認識への『慣れの状態』に自分の身を浸し、常に全体を網羅し、本質を見ぬき、論理的思考をし、正確な知識を得る・・・。
毎日勉強する習慣は当たり前、論理的に考える習慣、丁寧に読む習慣、正確に理解する習慣、要点を掴む習慣、的確に答える習慣、分析的な思考の習慣など。それらが思い込み、うろ憶え、読み飛ばし、勘違い、早合点、誤解、曲解、歪曲、知ったか、あいまい、論理の飛躍、何度も同じ誤答を繰り返すなどを侵入させない思考を作る。つまり、意識の進化した状態をデフォルトにしていくのだ。こうすることによって、問題や出来事や人間相手ともスムーズなやり取りができるようになるのではないか。
いつも、以前より進化した自分であることを心がけた。でなければ、また定期試験だけソコソコできる僕に逆戻りだ。
それを
フツー、フツー
おそらく中学からの内申書に、僕の13歳時のIQ値が書いてあったのを見て嫉妬していた汚腹が、今回のテストで普通の領域にあったのを見て安心したのだろう。ジジイの醜い劣等感以外に取りようがない。
人間は化学の実験とは違うのである。データが実際を示さないことはいくらでもある。意図や恣意も働く。
素直に応じた中学1年13歳時の知能検査も就職時24歳のIQテストも歴代最高値を叩き出した。入社時の知能テストは高速で何かを処理する問題だけでなくそれなりの時間をかけて迷路などのパズルに取り組むものだったが、どれも所定時間より短く、最後の最難問題では60分かけて解くところを15分より短い時間で解いた。かつて解けた人がいないのでは? と人事部の社員が言った。ということで僕は文系出身者ながら希望通りに理系の部署に配属された。周囲はそのエリアの最難関から有名国立大学出身の工学部・農学部・理学部ばかりだった。特に有機化学系が多かった。(会社員時代には、こうした特性は活用価値があったけれども、試行錯誤と行動、常識を覆す発想と実行、それから公平で、客の最大の利益となるようなマーケティングを重視していた)
もし、高校時代17歳の数値が低かったとすれば、僕がこの時期、丁寧にやることを心がけていたこともある。だが、確かにこの学校を取り巻く嘲笑や白眼視、そして担任ガッデム汚腹の悪魔の呪いが知らず知らずに侵入し、僕のパフォーマンスを落としていたことは認めざるを得ない。要らぬことに執着させてエネルギーを消耗させ、要らぬことにイライラさせて、要らぬことに悲しませる。心底、愚かな学校と教師だ。と僕は思った。しかし同時に、悔しいけれど、僕はとことん自分の頭の悪さを認めなくてはならない。心底、そう認めたとき、僕は多少なりとも活路を見いだせる。「おれ、たいしたIQじゃないんだよな。ちょっとサボるとすぐに成績が下がる」と素直に自分の頭の悪さを認めている直木にあやかれ、だ。
おおかた、国立受験を諦めさせ自分のやりたいようにやらせるため試験結果を悪用しているだけのこと。
こいつが口で勝とうとしても(なんのために勝たねばいけないのか?)僕の素質は僕の素質であって、劣等生のヤジなど痛々しいだけ。むしろこの男の劣等感が露骨になって見苦しい。お前が対抗心を燃やしたところでどうにもならないのに。
こいつ、口でライバルを蹴落として、という受験生時代の癖が抜けないのか、どうにも教育者とはほど遠い。まさかこいつ、学生時代に何でも嫉妬して、嫉妬をバネに頑張っていたのではなかろうか。そのエネルギーにはあまり力がない。
こいつは自分の地頭のわるさを認められない憐れな奴なのだ。だから適切な勉強ができず、志望校とはほど遠いところに入ることになったのだ。
できる限り、自分を正確に捉えた奴が自分を見くびりもせず徒らに過大評価もせず、適切なところに進むのだ。最善の未来を創り出す。そして余計な劣等感がない。こいつは知能指数の高い者に嫉妬しているようだが、高い者には高い者の間で差があるのであって、嫉妬していてはキリがない。しかもIQ的頭の良さだけでなく、人間にはいろんな頭の良さがあるではないか。知性は多様だ。
繰り返すけれどもこの頃の僕は、IQなんて肛門括約筋が強いこと、くらいにしか捉えておらず、それこそ屁のツッパリにもならないと思っていた。ましてや、そんな数値が高いとこいつにどんな嫌がらせを受けるか知れたものではない、と感じていた。そういう秘められた能力は隠している方が、余計な嫉妬や奇異な目は回避できるし、ハゲタカみたいな奴が担任ならなおさらだ。
大学入試は受験勉強しないならIQが高かろうが点は取れないし、弊害もあるだろうが受験勉強を通して、物の考え方や物事の本質えお見抜く眼、論説の核心を捉まえる読解力、それから勉強法を修得することにおいても意義の有ることと認めざるをえない。
そのことは、無勉強、不勉強の中学時代と本気でやり始めた今との比較によって明らかになった。この小男が.フツーフツーと蔑《さげす》んでいるなら本望というものだ。廊下を小走りに行く彼の背中を見ながら、よし、隠した! という思いだった。ああいう馬鹿は物事の道理もわきまえないし、他人の意図も観えないから。
ガッデは知能は低くはないのだろうが、知性が低い。性根が卑しいのだ。その性根が知性に多大な影響を及ぼしている。
とにもかくにも、この日から僕は自分の周りに結界を張り独自の信念を守り通すことに決めた。蚕の繭ごもりに似ている。絶対に、この学校の常識に組みしない。どんな甘い誘惑にも流されない。しょうもないことに妥協してはダメだ。自分ではなくなる。彼は、自分と同じ敗北を後生にも繰り返させたいだけなのだ。高校入学時偏差値に自分が下した見窄らしい判断を全員に適用して、一人ひとりの区別をつけることのできない馬鹿者。ただ、自分のことを好きか嫌いかだけで相手の価値を決める増上慢。教師が生徒を見下せば見下すだけ、教師が見下されることになる分からない明きめくら。こんなやつが何をほざいたところで聴く耳を持つ必要はない。
話の終わったガッデが重永から剥がれるように急旋回して離れ、職員室に引き上げると重永が自分の席に戻ってきた。そして腰掛けながら後ろの席だった僕にこう言った。
「おれと担任は、犬猿の仲やんね」
ぼそぼそっとつぶやくので、それほど嫌悪感は感じていないのかな、と思った。
桐川が言い出した『ガッデム汚腹』を知らないのか、自分だけが北原先生と敵対しているように言った。すでに君だけでなくクラスの多くの者が彼にあまり良い思いをしていないのだ。
重永は、1年の初めての学研模試の時に、桐川や越野たちと違い僕と同じ傾向と点数を示していた。すなわち、国語だけ点数が高く他は惨敗といった有様だ。そしてよく本を読んでいるのを目撃した。休み時間が終わると文庫本を机の中に入れるのだ。このクラスの特性と僕の傍若無人な性格とマグナムみたいな熱気によって休み時間に勉強したり読書するのを遠慮しない雰囲気がクラスにできていたと思う。が、やる者はあまりいなかった。そんな中、重永は文庫本を開いていた。
西鉄で通っていた彼は坊主頭にいつも学帽をかぶっている姿が印象的だった。坊主頭を隠している風もあったが彼の風貌からすれば髪を伸ばすとかえって不似合いな感じがしたのではなかったか。腫れぼったい瞼とむくんだ頬の醸し出すむさい感じの重永は頭は良いのだが、中学の時には不良をやっていたようで伝習館かどこかを落ちてきていた。
1年の時には◯◯◯ンタ◯◯を患ったらしく、その時すぐ後ろだった大杉が大声で何やら苦情を訴えていた。彼は等しく西鉄通いをしていたが重永と違い地元の豪族らしくいかにも金持ちだった。家にはベンツが数台あり豪邸には監視カメラが設置してあるという。(2年になってから文系のクラスにかわったようでこの時はいなかった)くせーんだ。授業中にズボンのポケットに手を入れてガシガシ掻くんだ、あいつ、などと彼が僕に重永の◯◯キ◯◯◯シの被害を言っても、僕は黙っていた。話を聞いてくれそうだと思うのか、僕の元にはいろいろなやつが話に来た。不良臭のする重永に同じく不良臭のあった豪族が覇権争いを仕掛けているニュアンスもあったが、そんなことは中学生のやることだと早々にさとった彼らは特に喧嘩をすることもなく、重永はじっと黙って耐えていた。ほとぼりが冷めたころ、重永が◯ン◯◯◯ム◯の辛い症状について話してくれた。時ところ構わず猛烈に痒みが走るのらしい。
「ものすごく沁みる液体を塗ってやっと治った」
多分、あの粉っぽい独特の匂いは治療薬のものだったのだ。
彼の素性については全く知らないが、大学が決まった後に1度だけ家を訪れたことがある。バラック小屋みたいな平屋の小さな1件屋に父親と二人で住んでいる様子だった。(その時のことは2年後に詳述する)
重永になんとそそのかしていたかは知らない。彼から具体的な話は聞かなかったから。けれど、僕らにやったようなガッデムが否定、否定、押しつけのパターンをやっていたことは確実だ。だから、
「犬猿の仲」
なのだ。
あんなテストなんか実施しないでも、クラスメイトを見ていると、誰がどのくらい頭が良いか、だいたい分かってくるものだ。それが分からず、生徒の中に入って分かろうともせず、一般的なデータだけで判断し決めつけるガッデム汚腹。観察眼や洞察眼が全くない。こういうのを稚拙なデータサイエンティストというのだ。観察もできず、したがって仮説も立てられず「調べなければ解らない」と信じ、調べたデータを垂れ流すか、手前勝手な解釈をする。
重永だけでなく桐川も頭イイよ。もし、東大を彼が言ったことなら、そして本気で目指し周囲が応援したなら、限りなく漸近したにちがいない。
中身(人格・霊格)は、偏差値や見かけとは必ずしも一致しないことは誰でも知っていることだろう。
こいつはナメすぎ。僕らのクラスが難関私大や国立受験に適さないからと人格まで劣っていると決めつけのは、あまりにも浅はか。
ガッデムは自分がコントロールできるよう、シャニムニ自分と同じレベル以下に押し込めようとする。だから損をした。彼の予測以上の成果を出せたのに。
ガッデはもったいないことをした。やつが期待している以上の成果をこのクラスは出す可能性が非常に高かったからだ。
それを低く安く押し込めてしまった。
すでにボケているとしか言いようがない。
自分を知らない奴は、本性を垂れ流す。自分を見るのが怖い者はいつもそうだ。
自分の心の闇を見るのが怖い奴。だから、外側に滲み出させ、垂れ流す。こいつの学歴コンプレックスはいとも明白だ。自分の優位を確認し僕らを言いなりにしたい。それにも増して、人の上に立ちたい、優越感を持ちたい、それらのエゴが先に立つ。
生徒をしょっちゅう馬鹿にする馬鹿教師のいる学校に居ると、暗示にでもかかるのだろう。永遠不変と見なされている知能さえも低下するようだ。
頭は良くなったり悪くなったりする。固定していない。頭を良くしていくこともできるし、悪くしていくこともできる。
たとえ生まれつきの知能が高くても、①極度な不安はパフォーマンスを落とす。②毎日の否定的な言い聞かせはパフォーマンスを落とす。他人の、そして自分自身の。
ガッデム先生は毎日努力して受け持ちの生徒の知的パフォーマンスを落としていらっしゃる。
また、日々の訓練によって良くしていくこともできるのだ。そして少なくとも学力試験はIQだけではない。特に日本社会では努力が物を言う。それは戦後間もなく実施された『進学適正検査』の議論と行き着いた先の結末を見てもわかることだ。
適当に手を抜いて良かったと思った。もし全力で取り組んでいれば、僕が重永の目に遭ったのだ。彼は災難だった。
ゆっくり確実に丁寧に解いた僕は、重永の受けた難を逃れる形になっていたのだ。ガッデの舌なめずりをかわすことができたのだから。重永には悪いが、彼は僕の盾になってくれた。
だいたい、IQは受験に有利な能力の一部にしかすぎないのではないか。
受験の成功要因はいくつもある。
欠けていたり足りない能力は他の能力で補うこともできるのではないか。もちろん、それらの能力も伸ばすことができるだろう。勉強をやっている内に。勉強をやることで。
そんなことがあってすぐに、ふつーふつーがまた朝のホームルームで一席ぶった。
教壇がコクヨの物なら15センチ。スーツの裾や袖は相当に詰められていたのだろう。寸足らずで短足の痩せギスのガッデはそこから話していても、前に腰掛けている生徒の後頭部に隠れて顔の半分しか見えない。
ガッデムは、
「青田買い」
の話をし始めた。高度経済成長時代の就職についてだった。なぜそんな話をしたのか、僕は長らく解らないでいた。
おおかた、知能検査の結果のよかった重永へ向けてのメッセージだったのだろうが、自慢が入るから結局何のために話しているのか分からなくなる。自分に権威を持たせるために言ったこともあったろうし、こうして初めて話した時には重永に唾を付けておき囲い込む魂胆だったにちがいない。
「会社は、青田買いをします」
「まだ稲が実る前の春に買い占めるんです」
「人手不足だったから、優秀な学生を3年生、いや2年生の内から囲い込み、内定を出していたんです」
「いや、2年生から買いに来るところもあります」
などと、辿々しく話した。
「私も2年の内に就職が決まってーー」
なんの話でも最後は自慢に行き着いた。
この話をしたことによって先日われわれに何をしていたかが明らかになった。検査の結果を見たガッデム汚腹はさっそく、青田買いをしようとしたのだ。重永を呼びつけ持論をぶち、無理やりに自分の推す私立大学を受けるよう、またしても人格否定をしたのに違いない。そして「考えておけ」と命令し、その返事を聞こうとしてたのに相違ない。
重永がガッデに『才能を買われた』としても、なんのメリットもないではないか。企業の青田買いなら、2年生や3年生の内から就職先が決まった上に、席を用意され、それなりの給料も保証されたということだ。つまりフィフティ=フィフティ。互いに損得が一致する。
ところが、ガッデに重永が青田買いされても一方通行で、得をするのはガッデムばかり。そんなものを喜ぶのは、自信のなさゆえに、他人に好かれたい認められたい人気乞食だけだろう。そういうのを現在ではモテカスとでも言うのだろう。
「お前らは頭が悪い」
「おめえらに、国立は無理だ」
東大にこだわるのは、愚の骨頂 高望みするのは、愚の骨頂 国立大を目指すのは、愚の骨頂 愚の骨頂 愚の骨頂 愚の骨頂 愚の骨頂 ぐのこっちょー ぐのこっちょー ぐーのこっちょー!
俺様は国立大を出たエリートだ
俺様は青田買いをされたエリートだ
俺はすごい!
「だから、俺のいう通りにしろ」
俺の言う通りにすれば、まちがいない。
「俺を信じろ」
「お前らは、俺の犬だ」
「お前らに自由などない」
怒張していきり勃つガッデ。
「お前たちは頭が悪い。だから、俺の言うことを聞け」
「お前たちはダメな人間だ。だから、俺の言うことを聞け」
「お前たちは世の中を知らない。だから、俺の言うことを聞け」
お前が、東京農業教育伝習所を出ていようが、お偉い自認があろうが、エゴはエゴ。お前のエゴの貫徹と僕らの人生の目的はそぐわない。相容れない隔絶したものだ。
口でなんと言おうが、ガッデム先生からは、ーー生活のために仕方ない。ーー生徒を丸め込んで食い物にしてやる。ーー娘が進学する費用を稼がねば。ーーあいつらの進路なんか知ったこっちゃない。ーーおれの責任は合格までだ。ーー卒業してからのことは知らん ーーこれが大人のやり方だ。
などといった心の声がダダ漏れだったことに本人は気づいていなかったのだろう。
この男の垂れ流している『乗るか反るか存亡と社運をかけた戦い』みたいな追い込まれた窮地の考えそのものが敗北を確定させているのさえ、全く解っていない。
自己顕示の欲が強過ぎて本来の仕事がなおざりになっている。エゴが強烈だからだ。こいつはこの教室に仕事をしに来ているのではない。僕ら高校生に甘えに来ているのだ。こうやって自己顕示をすればするほど、劣等感が強くなるカラクリにこの男は気づいていない。俺様の給料を上げるために進学実績を上げるために私大を受験させるために国立を諦めさせるために俺様の価値を認めさせなければいけない、に行き着く。すなわちここが出発点であり、それが大目的になっているのだ。自分の価値を認めて欲しい、認めさせてや、だ。こうなるともう、他人の話に耳を傾けない。わかって欲しい! わかって欲しい! 俺がどんなに価値ある人間か! 劣等感が強くなければ、そんなくだらない主張を四六時中にやるものか。青年にとっては成長に有益な欲であるこの欲も42歳にもなって前面に押し出されているこの男は顕示欲に囚われている。11歳くらいで成長が止まっているのだ。
バカにもいろいろあるがガッデムはお利口バカに類する。バカ類お利口属威張り目だ。
犯罪にならないくらいに巧みに欲しい物に直接手を伸ばすおバカちゃん。この程度の直線思考の男には、本質的なサービスとの等価交換によって金銭として代価を頂くという発想はない。そんな考えは幼稚だと馬鹿にしている始末。
僕たちを自分の犬として扱う傲慢なこいつは、会社の犬だ。負け犬。負け犬が高校生相手に遠吠えしている。実にみじめな風景だ。
つづきはseesaaブログにて ーーでもまだアップしていません。後日。

