1学期の中間試験が終わった後だったから、6月の頭のことだ。僕はその試験で化学は90点だか100点だかを取っていた。特に嬉しくもなかった。日頃、あんなに強権的なことばかり言うのに、ガッデム先生の作成された試験問題はあまりにも容易で肩透かしを喰らうほどだった。
朝、学校に行くと失くなっていた。
「あれ?」
という声が方々からした。
そこにガッデがやってきた。ホームルームが始まり、おもむろにガッデが言った。
「返して欲しければ、職員室に謝りに来い」
と言ったあとこう付け足した。
「教科書はちゃんと家に持って帰って勉強してください」
たいして使わないのに重いだけの教科書を机の中に入れっぱなしにしている生徒が幾人かいた。
僕もその一人だった。
体育、武道、社会とその副教材、理科、などは置いておき、試験前だけ持って帰って勉強していたのだった。英語と数学のサブノートや辞書、参考書などの重量物が入り、ーーまずはこの2教科を習得しようと重点を置いていたからだ。頻繁に授業で使う英語にはリーディングとグラマー、数学は基礎解析に代数幾何と2教科といえどもかさばった。その上、文庫本なども入っていたから僕のカバンはパンパンに膨れ上がっていた。
ともかくも、勉強して欲しいから教科書を取り上げる。ちょっと首をかしげる。
なんにんかはガッデムに気われるまま、ぞろぞろと返してもらいに行った。
教科書をもって戻ってきた腰野に、
「どうなった?」
と尋ねると
「うしろを向けと言われてケツを棒で叩かれた」
と答えた。
なんということだ。不条理なものを感じた。教科書1冊につき10回の尻叩きだったそうだ。
僕は返してもらいに行くのをやめた。初めからそのつもりはなかったが、あまりにも傲慢な振る舞いをするものだと呆れたからだ。
けれども、
「拘束 de R!」
の学校だから、仕方ないか。
ところで、こいつが男子丸刈りの校則を制定している理由をガッデが代弁したことがあった。例外は十円ハゲがある場合のみで、問答無用の遵守主義がまかり通っていた。ガッでが言うには、ハジメは、
「流行を追うのは野蛮人のすることだ」
とのたまい、古典主義の素晴らしさを説いたのだそうな。
維新後、ヨーロッパの軍隊式の学校をモデルにしただけの、長い日本の歴史からすれば戦時中に一時的に流行った髪型を踏襲しただけなのに、それがさも日本古来の伝統であるかのように思い込んでいたのか。いずれにしろ、刻子高校のシンボルとして町じゅうで嘲笑われていたのを知らないのか。時代遅れの頭髪は目立つから、他人を馬鹿にしあざけりたい者たちがよってたかって餌食にしている有様だ。
時代遅れの学校の、ある時代の流行を固定させられた、正しい劣等生の姿をわざわざ学校が男子全員に強制せずとも、劣等生は劣等生で自らその姿をそれぞれに表現するのではないか? 優等生まで劣等生と同じに見せる工夫をする必要などない。
「男は格好じゃない」
とか、
「表面にこだわるな」
と言いながら、男子全員が丸刈りでなければならないのは、一つの容姿に拘泥することを教えているだけではないか、と言って見たところで虚しかった。校長が威張るための学園なのだ、ここは。
表面だけカッコつけても仕方がないが、内面のカッコよさを遺憾なく発揮するのを邪魔する謂れはないだろうと思う。内面の高貴高潔さを磨くためのルールでなく、奴隷として隷属するよう徹底的に仕込まれるための校則。馬鹿馬鹿しいにもほどがあるというものだ。
人間が創造性を発揮し新しいものを考案するには、必ず流行を追う者がいなければならない。この両者の関係は切っても切り離せないものだ。いわば、流行を追う者によって人間の創造性は担保されているのである。人間の文明は創造性の発揮によって発展してきた。それを野蛮人だと言って禁止したなら、人間の文明は停滞する。その偏狭な視野が文明人とはとても言い難い。
これが、関西大学法学部を首席で卒業し、のちに九州帝国大学法学部に学士入学を果たした男の法律観なのだ。この男ならどこで勉強しても結論は一緒、威張り倒す。この男の学歴は威張るため。決して学問を修めるためではない。それこそ野蛮人のすることではないだろうか。
さて、教科書を取り上げられた者たちの中には、北原の元に取りに行かない者もいた。断固として。
「ぜったいに行かない」
と彼は怒っていた。それは、高校には卒業証書をもらいにきているだけ、とガッデムの物言いに宣言したのを聞いて同意した生徒。尋木だ。
盗られた教科書を全部コピーして対応した者もいた。彼は最後まで取りに行かなかった。コピーは1枚30円するし10冊分の教科書を全部コピーするのには手間もかかる。そんなことに金をかけたくもない。
それにしても、本当にご苦労なことだ。生徒のいなくなった暗い教室に一人現れ、腰をかかがめて50人分の机をのぞきこみ、15人分の教科書の束を持ち去った。化学クラブの手下が手伝いでもしたのかね。一人あたり5冊ー10冊はあったので100冊以上。しかも4階から職員室のある2階まで階段を下ろしたのだ。おそらく鮎川と仲井戸がやらされたのだろう。
頑張れば頑張るだけ本来の目的から遠のくことばかりやらかすガッデム汚腹とその一味。
試験が近づいた。けれども、プロ教師北原先生はいっこうに教科書を返してこない。
彼は担任教師の皮をかぶった泥棒だ。それも、コソ泥。
僕は職員室まで出向き、北原先生の席に行った。教科書は彼の机の下の段ボール箱に入れて合った。彼に向かって冷淡に言い放った。
「その教科書が欲しいのならあげます。買い直しますので代金をください」
ガッデムは言葉に窮したのか、黙っていた。まさか、そんなことを言われるとは夢にも思っていなかったようだ。そこで僕は追い討ちをかけた。
「お金を払わないなら、早く返して下さい。他人の物を黙って持って行って自分の物にするのは、泥棒ですよ」
それでもガッデム先生は教科書を返さなかった。
それから何日かしたとき、泥棒が言った。家に帰って風呂にでも入りながら考えたのだろう。教壇から大上段に言い放った。
「教室の机に置きっぱなしにしている本を教師が保管するのは泥棒ではない」
「社会では駐車違反の車はレッカー移動されるんだよ!」
虫けら扱いだ。
泥棒が屁理屈をこねて乗り切ろうとしている。
事前通告なりしていないのなら、『何が悪か』決めていないということだ。いきなり裁定だけする。独善によって。こいつは自分が軍隊の上官くらいに錯覚している。その場その場で勝手な規約を作り出していく質のわるい。
やっぱり今日も叫んだ。いつもいきなりなのだ。
「うっせえんだよ、おめえらなんか要らねえんだよ。とっとと辞めて、どっかに行っちまえ」理屈を言うのがめんどくさくなると、決まって汚腹はそう言った。
僕は悲しい気分になった。
「つけアガんじゃねえぞ。教師に刃向かう奴は全員退学にできるんだぞ」
チンピラのようにガッデは凄んだ。
「おめえらなんか、囚人と一緒なんだよ、低能が! 奴隷は黙って言うことを聞け!」
どれだけ悲しい気分が込み上げてきたのだろう。
「それが嫌なら辞めちまえ! 誓約書まで書いて、わざわざこの学校に来させて頂いているのは、テメエらだろうが。こっちは、来させてやっているんだから、黙って従いやがれ!」
僕らに国立大志望をやめさせようとしている時期と重なっていたので、この発言は教科書を取りに謝りに来させようとするのと同時に私立受験に一本化させるための大見得であったろう。どちらにしろ、同じことをガッデムは何度も繰り返して吠えたてたものだ。
「おめえらなんか、俺の飯の種だ」
そんなことを叫ぶガッデム先生の心の声が漏れて聴こえてくるようだった。
俺は、こんなところで腐っているような人間じゃないんだ!
おめえらなんかの世話焼いてる暇はねえんだ。言うことを聞け。それで終わりだ。手間をかけさせんな!
すぐ横の席にいた江田島真理子は、何かにつけてこんなことを教室でも職員室でも言い回るガッデム汚腹に、暗い顔をして黙っていた。
この学校では、教師のどんな横暴も暴言も教育的意図あっての方便として尊重されていたのだろう。僕には、思い通りにいかない幼児が癇癪を回しているようにしか思えない。
「生徒さまはお客様です」
と、授業に行くために立ち上がりざま、若い、ガッデの隣の席の教師がつぶやいたことがあった。見るに見かねて放たれた言葉だったのかもしれない。その時、ガッデの席と点対称の位置にいた江田島真理子が、しっ!と制した。その真意は定かではないが、少なくとも若い男性教師が僕に救いの手を差し伸べようとしたことは確かだ。江田島には、教育という幻想、敬意、教師ーー生徒の関係性を壊すような言葉は禁句であったろうし、とりあえず北原鯰也のポリシーでやらせてやるしか仕方がない。2年経った時に、結果が出るから、といった思いもあったのではないか。実際、いつも席の横でその持論というか自己正当化を聞かされていたのに違いない。
何やらゴニョゴニョ話していたが壇上で一人で盛り上がり、ホームルームの終わりにいきなり、またいつものように唐突に、
「そっちがその気なら、こっちはこうだ」
などと言った。チラッと僕の顔が目に入ったので思い出したのだろう。だが、こう宣言して我慢比べにしてしまった瞬間、教育的目的は失われたのだった。自分の言うことに従わない生徒への復讐。意地を張っていたのだ。まるで小学生。
勉強して欲しいから教科書を取り上げる。ちょっと首をかしげる。そして試験前も試験中にも返さない。その後、通常授業になっても返さない。勉強に支障をきたすではないか。こいつは頭が悪い。考える力がない。だから東大など無理だったのであり、東大を目指したことが間違っていらのではない。自分を反省せず、ほかのせいにする。おめの畠のせいで、うちが不作やった、と、となりの田んぼのせいにする田吾作さん。
東京文理大学とか東京教育大学とか筑波大学とか、カッコイイネーミングを言い弾むが、その実、いちいちクチバシを挟んでくる根性の汚い、ヨゴレふんどし野郎だ。こいつは、こんなことを会社の部下たちにやっていたのか? そりゃあ、総スカン食らって左遷、辞職に追い込まれて然るべきだろう。世の中の厳しさでも教えているつもりかね? 粗悪な上司。お前はそんなことをやって会社を弾き出された男なのだ。だからお前は、初志を貫徹した僕に「」などと恨み事を言って自分の不埒を露呈することになるのだ。
教科書なしで授業を聴く日々が続いた。あまりに長期化し、化学以外でも勉強に支障が出始めた。ホトホト困った僕は父に相談した。父はいつものように炬燵に寝そべってテレビを観ていた。
ガッデムに一本電話を入れ、
「あー、息子の教科書の件ですがね、申し訳ありませんけど、勉学に支障が出ますので、そろそろ返してくれんか? 息子にはこちらでよく言って聞かせますので」
くらいのことを電話で言ってくれるのかと思いきや、耳が聴こえないので、あー? あー? と何度も聞き返した挙句、やっと意味がわかったらしく、こう言った。
「ちょっと待ってくれ」
もし、ガッデが何か言ったら、「あんた、それ泥棒だよ。勝手に他人の物を持ち出して返さないのは、借りたのでもないからな」と言えばいい。それでも、治外法権だの教師の権限だの言い募るのなら、学校に乗り込んで学年主任なり校長なりに言えばいい。
この男は、大事なことはすぐに他人に尋ねる。どうせまた、会社の人に聞くつもりだろう。そして待たせ続けた挙句の果てはーー。
こんな時は、母がため息まじりに嘆くように、ーー情けない! あんたそれでも男? と思うような場面だったが、僕にはそんなことは思えなかった。
「自由、自由って。自由には責任が伴うんですよ」
と言った。
「教科書を置いていたって僕の自由じゃないですか」
と誰かが言ったのを受けてのかもしれない。あるいは妄想的自問自答か。
ありきたりのことを訳も分からず使う。
お前の他人の教科書を盗み取る自由には責任はないのか? お前の盗んだそれは生徒の教科書であると同時に出資した親の教科書でもあるのだ。自分は何をしても自由。僕らの自由は制限されている。
それを正当化するためか、こうも言った。
「平等なんか、あっか!」
俺は教師でお前らは生徒だ。
自由には責任。
だが、この言葉の意味も、俺の言うことに従え、であって真理を説いたものではない。もし、真理を説いた物言いなら、当然、そのことは自分自身にも降りかかるのであるから、おいそれと自分の自由ばかり行使し、他者の自由を封じ込めようとはしないだろう。
こういう物の考え方をする者はきまって、自分は束縛されている。義務を背負っている。やらなければならないことをしている立派な人物だという自負がある。幼児期の魂にありがちな権威主義。自由か束縛かの2項対立しかない。
義務にも責任はあるし、束縛にも責任がある。お前の言うことに従うことにも責任はあるのだ。それにしてもこいつはドンドン、ドンドン、本末転倒していっている。これまでの物言いにしても、お得な私立大学を勧めることが、いつのまにか国立受験を諦めさせることが目的になってしまっているではないか。今回のことも、いつの間にか勉強できないよう、さらには自分の言うことに従わせることが目的になっている。これのためにまずはこれをやってこれのためにはこれをやって、と大目的のための小目的は、結局小目的が大目的にすげ替わるのだ。
ドンドンドンドン、俺の言うことを聞かないお前たちは受験に合格しないと呪詛をかけるようになっていった。俺の言うことを聞かせることが目的になっている。無理矢理にでも従わせるのが至上命題になってしまった。これでは生徒のためにもこいつのためにもならない。そんなやり方で合格者が出るはずがないから。
こいつの数学的思考など、しょせんはこんな程度。愛の伴わない数学的思考など、逆効果しかない。
さすがガッデム、自分だけは責任から免除されていると思っている。
日を置いて、ホームルームで教壇に立ち、こんなことを言い始めた。
「なにが、人権だ!」
「ふざけんな!おめえらに、そんなもん、あっか!」
虫けらにでも言うように叫んだ。
生徒の誰かがそう訴えたのか、それとも一人問答でもして、妄想した生徒にでも言い返しているのか。
おそらくは西方先生がやんわり釘を刺されたのかもしれない。
「生徒にも人権がありますから」
猛威を振るうガッデムにそのあと誰も何も言わなかったのだろうか? 暴言《ヘイト》や悪態《ハラス》をゴリ押しつづけていたところを見ると、助言に耳を貸さなかったのにちがいない。慕っているように見せていた学年主任の西方先生についても、反旗を翻《ひるがえ》すようなことを言い始めたり、あれほど崇拝していた校長のハジメについても意向を自分勝手に解釈したようなことをやり始めた。結局、こいつの『権威主義』とやらは、立場を傘にきたガッデム個人の得手勝手な横暴でしかない。
父の返事はまだだった。催促しても、
「ちょっと待て。もう少し待ってくれ」
と言うばかりだ。
さらに数日待たされた。その間にも教科書なしの授業は進行していく。
何を待つことがあるのか? 早く電話を入れてくれればそれで済むではないか。
親の言うことはなんでも正しいから聞け、と幼少の僕に言い聞かしてきた偉大なるうちの父はそれができなかったが、クラスメイトの親の中にはやった人もいたかもしれない。それ以来、2度とやらなくなったから、ガッデが。
せいぜい「おめえさに人権なんかあっか!」と遠吠えしていたくらいだから、裏では動きがあったのかもしれない。
ガッデムは日増しに増長していった。
「学校は、治外法権なんだよ!」
などとアジり始める始末。
「おめえらには自由もなければ、人権もない!」
ガッデムは遠い目をして息巻いた。
「なにが平等だ、ふざけんな。自由だ? 個性だ? そんなもんがあるかよ。おめえらに人権なんかねーよ」
このところほざいたことがまとまったのだろう。
「おれたちは、人間だ。好きも嫌いもある。それを同じに扱えなどできるもんか。腫れ物ほど、蹴飛ばしてくれる」
仏頂面でほざいた。
自分は人間だが、僕らは犬としか思っていなかった。支配者の傲慢。
自分に従わせるために、嘘までつく。詭弁家、詐術師。
こいつの言う通り、僕らの頭が悪いならわるいほど、魂で生きている。その魂を騙せるとでも思っているのか?
魂はこいつの言うことがオカシイ、狂っているとすぐに感じるし、分かる。
ガッデムはグダグダ例を挙げて説明した。要するに、教師は学校で生徒には何をしたって構わないと主張したのだ。
教師は生徒に何をやっても法律違反にはならないのだそうな。ほう、それがハジメじこみの法概念か? いいだろう。
だがたとえ、人間の法律がお前を見逃しても自然法はお前を見逃さない。残酷なまでに結果を突きつける。
あんな男の手にする結果など、たかが知れている。頑張れば、頑張るほど、泥沼だ。こいつの教育が給料に値しない上に、このままいけば学校経営に多大な損害を与えることはこの時点ですでに確定していた。
プロ教師ガッデム汚腹先生は、こうやって思いつく限りの体の良い言い訳を披露し、自己正当化を図ろうとしていたのに違いない。愚鈍の上塗り。傷口に塩を塗り込む行為以外の何物でもなかった。
学校が治外法権なのではない。教育が治外法権なのではない。この男が治外法権なのだ。つまり不可侵の絶対権力者ということだ。なにをやっても構わない。ハジメの支配下にいる自分は。
ならば、治外法権の男が手にする結果の責任はすべて、この治外法権の男に帰属するはずだ。彼は、教室で誰かにぶん殴られても「これは、治外法権の場で起きたことですから、警察権力を入れてはならん!」と叫ぶ覚悟があるのか?
けれど、この男を殴る者はいなかった。
そんなことをすれば、手が腐ることをみな知っていたからだ。
他人には何をしてもいい自由を有した威張った輩。俺の言うこと為ることに口出しするな、なんでも言った通りに従えと命令しているだけ。
なにが『治外法権』だ。てめえの倨傲さに法律みたいな名前を与えただけではないか。全共闘みたいなこと言って。嫌いだったんじゃないのか。それだったら、バリケード封鎖でもして独りで立てこもっていたらいいではないか。
まったく、余計なことに神経をすり減らし、エネルギーを消耗する。
だから、こいつは痩せているのだ。ガリガリに。
期末試験が始まった。
僕はとても困った。教科書がないからだ。
ニッチもサッチも行かないとはこのことだ。ガッデムは傲慢な男だ、絶対に自分から返すつもりはなかったのだろう。化学を置きっぱなしにしていたのに腹を立てただけだ。
勉強するようにと教科書を取り上げたのに、期末試験になっても返さない。本末転倒も甚だしい。無能とは、0のことではなくマイナスの人間のことを言うのだ。周囲や集団に負の影響を及ぼす者のことだ。
それで僕は職員室に出向き、北原の席の前の通路で、raise a hue and cry.
「教科書、返せ! ドロボー」
と叫んだ。
それでも頑迷に返さない。
僕の叫びに感応して、当然、職員室の中では
「何があったんですか?」
という疑問が生じたことだろう。そこでガッデムがしたり顔で説明する。
「教科書を持って帰らせて勉強させるために取り上げました」
この時点ですでに九州弁で「バカばい」と思った教師もいたことだろう。
父の返事はまだだった。
この時の僕にとって父は頼みの綱だったのだが、この人の精神年齢からすると、かなり無理な仕事だった。
1年の時もそうだった。7月の終わり頃だったか、夏休みの登校日に返却された学研模試の成績に愕然とし、通学方法と添削受講を検討したのが8月くらいで、中学の時のように3年の最後にドーピングしても効果が薄いと反省したので、やるなら早い方が賢明と、申し出た。
添削を始めたいと母に言うと、
「おとうさんに言いなさい」
と突っぱねるので、父のところに行って相談した。あー? あー? と補聴器を調整しながら僕の話を何度も聞きなおした。やっとのことで、カネの要る話と理解したようで、
「高校に行きよるとやろもん? なんで他に要るか?」
カネはなかぞ、という嘆きをべったり塗り付けた言葉で答えた。中卒の彼。受験などしたことのない彼。こんな考え方で家庭を回すから、貧乏が再生産されていくのだなと思った。話にならないと思い諦め、夏休みにアルバイトをした。そして秋には奨学金を申請した。
今回はカネはかからないが、彼には難易度が高い問題だったのだろう。いつものように難題は会社の訳知りに尋ねたのだ。その回答がまだ出て来ない。
父は相談相手をつかまえるのに時間がかかっていたのだった。
教科書を盗られる以前に、
「教科書? ああ、あの雑誌なら焼いて捨てました」
「あんなの知識のインスタント雑誌です 」
などと言えたら、面白かった。
そして北原を弾き飛ばせたら。
父を待っている間に、一人落ち、二人落ちして、最後まで粘っていたクラスメイトが取りあげられたはずの教科書がこづんでいるのを見た。尋木だ。注文していたのが届いたらしくタグの挟まれた真新しい教科書が10冊ほど。
「どうしたんだ?」
と僕は声をかけた。
「ぜんぶ、新しく買い直した」
ちょっと怒りを含んだ口調でこともなげに尋木は言った。その手があることくらい知っていた。だが、意地っ張りの不良教師に金を使うのは、親に財力がない以前の話だ。盗まれた物を弁償するのに、なぜ僕がバイトで汗を流さなければならないか。
とこかく尋木は解決し、コピーを取った生徒がガッデムの所に行くことはあるまい。となると、とうとうついに宙ぶらりんなのは僕だけになったという訳だ。
試験の勉強期間でも教科書を見返すことができない。あの男は、勉強の邪魔をしている。横暴で傲慢な理屈で正当化し、生徒に悪の裁定をする。
期末テストも半分くらい終わった。それでもガッデムは教科書を返さなかった。ノートでなんとかやり過ごしたが。
いよいよ化学の試験の日となった。僕は名前だけ書いて、試験時間中眠っていた。
0点だった。
返却時にガッデムが
「なんで白紙で提出したんだ?」
と聞いてきた。
「教科書がなかったから勉強できませんでした」
と答えた。その返答に、ガッデムは
「どうして取りに来なかったんだ?」
とは言わなかった。珍しく黙っている。
ガッデムは何も言わなかった。そして尚も教科書を返さない。僕が意地を張っていると思っているのだ。だから、意地張り返しているのだろう。幼稚な者の幼稚な推測だ。
中間が90点か100点か。それに出席点を加えれば、期末が0点でも赤点にはならないだろうし、そんな点数をつければ、それこそ問題だ。職員室で話題の教師の窃盗事件が公になりかねない。
僕は決して、よこしまなことには屈しない。
試験の前に持ってきて返すのだったら教育的指導だろう。だが、試験が始まっても、試験中も、試験が終わってさえ戻さないのは、これは窃盗である。明らかな犯罪だ。
「ガッデムあれ、甘ったれ」
と長渕が言った。
まさか。僕には四十過ぎの男にその見方はなかった。が、実は的を射ていた。
長渕は教科書を取り上げられていなかったけれど、やり取りを観て、そんな所感を述べたのだった。
北原先生は、幼児期から若年期にある人だ。理系は数学や化学ができて、人間に深みがなくてもそれなりの大学に通るから、こうした幼児期の魂の者もそれなりに含まれるのではないか。僕の人生経験では特にバケ学をやってきた者に注意をする。
理系から国語を抜くと単純・短絡にしか物を考えられないお利口バカが紛れてくる可能性が高くなるのではないか。
文系から数学を抜くとどうだろう。他者の意見や研究対象を見る時に論理が踏まえられず、自分勝手な結論を編み出すかもしれない。
実際の生活では結局、非論理的な、自分の原体験から導き出した、他人からすれば論理的飛躍をしている考えに基づいているし、科学的成果や論理性だけを踏まえた人物や事件の見方は片端のように思える。第一、物事の本質は論理的結論ではなく、それそのものとして存在しているので、直感力とか洞察力とか想像力によって見極められるものである。例えば、バラが赤色なのはなんらかの論理性があるわけもなく、ただ赤なのだ。
とは言え、誰かが書いた文章を理解する場合には論理を正確に把握しなければならない。ただし、論理的にだけ書かれた人間や社会に関する論文は本質を欠いていることも多い。直感や洞察や想像は、人間的論理を超えた感知力であり実証科学や物質科学、2次元的数学や人間的論理など、学問の領域を超えているからである。
夕方会社から戻ってきた父に聞いた。
「どうなった?」
「ああ」と思い出したように反応すると「謝って返してもらった方がいいだろう」
まるで口伝されたことをそのまま繰り返しているような塩梅だったが、さも自分で考えた風を装っていた。父は、
「大人の方が折れて謝り、遺恨を残さないようにして勉強に励んだ方が自分のためになるからな」
と言った。
僕はちょっと不本意な気がした。どうして僕が謝らなければならないか?
不甲斐ない感じがぬぐえない。
けれども、どうしてよいか途方に暮れていたのでこの助言に従うことにした。特に『大人の方が折れて』というモンゴンが気に入ったのだろう。
相談された会社の人は、あれこれ考慮すれば、こうとしか答えられないのに違いない。
次の日。
ここまでです。続きはseesaaブログで。
