これからご紹介することは、1985年ごろ今から40年前に私が通った高校で実際に話されていたことで、20年以上前に三十歳を過ぎた時に思い出して書き留めていたことです。
まずは、彼の言葉に耳を傾けてみましょう。(小説風に書いてあります)
ーー社会の教師の名前は忘れた。けれど、ずうたいだけは克明に憶えている。肩幅がおそろしく狭く、それゆえに、つるつるで脂ぎり、でっぷりした大きな頭がなおさら際立った。年がらねんじゅう半袖の彼の汗ばんだワイシャツは、肩口からシワが寄り、毛むくじゃらの太い腕がにょっきり出ている。銀縁の眼鏡をしていて、頭髪は前頭部に女性の陰毛のように生え残った一区画があるだけだった。
ときどき彼は脱線して、近所のおばちゃんの生態について話した。彼が教科書を読みながら説明したことなど、まったく、微塵の記憶もない。どことなく威圧感があったから、授業中に私語をするクラスメイトはいなかった。問題はちいさな芽の内に摘んでおくという考え方の持ち主だったのだろう、教室の片隅でちょっと私語があると、彼はいつもマシンガンみたいな勢いで怒鳴りつけた。それで僕たちは彼の『おばちゃんの生態は世界の生態』とでもいうべき講義に真剣に耳を傾けていなければならなかった。
ここだけは、方言を勘弁ねがいたい。尊敬語を使いながら小馬鹿にするというニュアンスはどうしても標準語ではできないものなので。
「給料が高かけんちいうて、おばちゃんは保険屋さんば始めらっしゃる。ばってん、仕事をしたこつもなかド素人に契約の取れるはずがなか。契約がとれんと、保険会社の課長さんが、自分の家族ば入れるごとすすめらっしゃる。不甲斐ない思いばせらしゃっとじゃろう、そのうっぷんば、おばちゃんたちは課長さんに晴らさっしゃる。ぎーぎーぎゃーぎゃー言わすげな。課長さんの仕事はおばちゃんたちの愚痴ば聞くことたい。ノルマの果たせんけん、家族ば毎月ひとりづつ入れんといかんごとなる。三人家族なら、みつき、五人家族なら五カ月が雇用期間ちゅうこつになる。契約の取れない自分が悪いのではなく、課長が悪いから辞めたのだと思いこめば、プライドは保たれるちいうわけたい。給料の高かけん、少しの保険料と引き替えたっちゃよかと思うて家族ばいれるとばってん、そん間、保険会社が支払ろうた高給は、数年後には十倍になって取り返せるちゅうわけたい。要するに、おばちゃんは、べらぼうに金利の高っか金ば借りて長期ローンば組ましたとたい。最初の研修ん時に、保険制度は福沢諭吉が広めたとか、相互扶助の精神とかよかごと教えられるけん、首になっても契約ばやめん。せっかく何カ月か保険料ば払ろうたけん、病気や事故におうて取りかえさんと気がすまんち、思わっしゃるとやろう」
彼の語る『世間知』というか『世間の愚かさ』について、当時の僕は、あれほど世間が嫌いだったにもかかわらず、まるでピンとこなかった。しかしいま思えば、社会を作っているのは彼の語ったようなひとたちであり、建て前の世界では誰も口に出さない本音であるのかもしれない。実際、母が後年、保険の外交を始めたとき、「今日はこんなことを課長に言ってやった。彼はちっとも世の中がわかっていない」と得意げに話していた。母もこの教師の授業を受けていれば同じ轍は踏まなかったにちがいない。その後どうなったかと言えば、社会教師の言った通りの顛末になったのだった。
「おばちゃんは、旦那の給料日までの日にちばかぞえて生きとらっしゃる。あと何日で給料日、あと何カ月でボーナス、あと何年で退職金いうて指折りかぞえとらす。退職したら、今度は旦那がいつ死ぬか、いつ死ぬかち待っとらすたい」
ほとんど彼の言った一字一句たがわないはずだ。なぜなら、三年間、繰り返し何十回も同じことを話していたからだ。
「近所に健康食品ばあつこうとらるるおばちゃんのおることほど、コワかことはなか。家族のためちゅうて始めらっしゃるけん、熱うなって、周りがどげん思うとるか見えんごとならっしゃるごたる。向こう三軒両隣どころか、近場から半径三キロ、ほうぼう声かけてまわらっしゃるって、周囲の様子が変だ、どうもよそよそしかち、気づいた時にはもうおそか。おられんごとなって出ていかんといかんごとなる。ネズミ講に引き入れて稼いだ金より、引っ越し代の方がよけいかかるとじゃなかかね」
「おばちゃんは時代劇が好いとらす。あげんとは、おばちゃん向けに作ってある安かドラマたいね。ばってん、おばちゃんは本気で観よらす。取られた税金の惜しかけん、裏で談合したり密談したりして公金ばくすねよる人たちば、ぶっ殺して欲しかち思うとるとやろ。その欲求不満ば解消しよるとが時代劇たい。代官ば悪かごとしてあるばってん、時代劇のお陰で反乱が起きんとじゃなかやろうか」
「どげんこげんならんごとなって、しまいにおばちゃんは宗教に目覚めらす。なんでん、教祖の言うとおりにしとけば、救われるち錯覚せらっしゃる。宗教ちいうのは、個人の信念たい。集団でやることはあるやろうけど、組織のあるごたる宗教は偽物たい。宗教に幹部がおるわけなかろう。そいでおばちゃんは、身ぐるみ剥がれてすってんてんになって、やっと気づかっしゃる。がまんしてためらっしゃったヘソ繰りば全部つぎこまっしゃる。なんでん金で買えるち思うとらっしゃるとじゃろ。えらい高か授業料ばはらわっしゃった。私立の医学部でん、そげん高こなかとに」
「勉強せんとせんほど、金のよけいかかるごと世の中できとる。それはみんなもよくわかっとるやろう。公立高校なら月八千円、私立なら月二万円。国立大なら年四十万、私立なら年百万。点数のたらんやったら、寄付金ば五十万、百万積まんといかんごとなる。それもだーれん知らんごたる大学にたい。浪人もせんといかんごとなる。一年に二百万くらいかかる。一年ですめばよかばってん。二年三年ち浪人して、どこにも合格せんひともたくさんおる」
「貧乏やけん勉強のできんちゅうのは、嘘ばい。金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます貧乏人になるち、グラフまで作って格差の開きよるちさわがっしゃる人たちは、甘か大衆に迎合して言いよらすと。そげんとにだまされちゃいけんばい。貧乏な親は、貧乏になる考えばしよらすと。そればそんまま信じ込むけん、子供が貧乏ばひきつがんといかんごとなるとたい。世の中は不公平かもしらんが、人生は公平にでけとる。勉強するなりなんなりして自分の目ば開いて、親の代より少しでも上に行く努力ばせんなら、じり貧たいね。社会の差別のせいで自分が貧乏になったと訴えるような品性のない人間ば採用するごたるまともな企業はなかばい」
「それはそうかもしれないが、社会が機会の平等を実現していくのは当然じゃないか」
と言うクラスメイトはひとりもいなかった。それで当然、
「でも、最高の社会を実現しようとして、最低の方法で取り組むのは、ますます自分たちを今の状態に押さえつけることになりはしないか?」
といった切り返しもでてこない。
彼の威圧的な態度は、彼の言っていることの真実味以上に迫力があったから気圧されて、なにもコメントできなかったのもあるけど、愚鈍な僕たちは、なにを言っているのか実感できなかったのが本当だった。
新聞に入ってくるチラシを見比べて、1円でも安いスーパーにタクシーで行くおばちゃんとか、当時『恍惚のひと』で注目をあびたボケ老人についても話していた。
けれど、こんな程度のことは、一理あるにしても、人間を三十年くらいやっていると見えてくることであって、授業料を払ってまで聞くような内容ではない。要するに、あの社会教師は、現実社会を語ってみせたつもりかもしれないが、ジジイとババアについて文句を言っていただけなのだ。もちろん、こういう社会の教師ばかりではなかったーー
さて、いかがだったでしょうか。彼の言ったことが現在と異なるか、やはり同じようなことが起きているのか興味のあるところです。
僕たちは『私立理系』クラスに入れられていたので、社会はそれほど授業数の多い科目ではありませんでした。現代社会かあるいは日本史を教えていたと思いますが定かではありません。授業内容はまったく憶えていないのです。でもここに書いたことは口伝のように憶えていました。
おばちゃんという閉塞された空間で視野狭窄な生き方をしていると、最も効率的で得をするように思える行動を取り、その結果、社会に搾取されていることにさえ気づかなくなるのでしょう。貧困は、無知と無明から来るものです。
実際、僕自身、このままなんとなく授業を受けてなんとなく卒業したらこうなるという未来予測があまりにも自分にふさわしくなく、危機感をおぼえて戦々恐々としたものです。そしていくつかのことが重なり、僕は発奮し、1年生の2学期から気の進まなかった受験勉強を始めたわけです。それしかとりあえず、自分の現状から抜け出せる方法がなかったものですから。
偏差値40台から国立大学を目指すのは、周囲にはかなり無謀に見えていたようです。でも僕は幸運でした。なにより、他のクラスでしたが、僕の十年間を牽引した『女神』がいたからです。
受験勉強をこれから一生やっていく学門の一端と位置づけ、僕は猛烈に受験勉強を始めたのでした。
それからこれまで40年間、毎日欠かさず勉強を続けている。
