バイクを相棒にしている人は多い。まるで気の合う友のように。

 

2年ほど前だったか(記録では2020年の10月22日になっている)金属生命体の夢を見た。巨大なUFOが現れた。それは米粒のような形状をなし、など光の窓が無数にあった。僕の部屋の形のデータを取っているとなぜだか解った。

マントを着た男女、王と王妃のようなふたりが出てきた。かれらはジュラルミンだかチタンだか分からないが、金属の肉体を持っていた。宇宙人なのだそうだ。炭素の代わりに金属で細胞ができている。固いのだか柔らかいのだか分からない。ただ、表面はテラテラ光っていてモリモリ筋肉質だったので、ちょうどボディビルダーのようだった。それが中世ヨーロッパの王侯貴族のような格好をしていた。王の方の頭部には髪がなく磨き込まれた鉱物のようだった。マントの隙間からのぞく足は甲冑のように長く尖っていた。そして海老の尾部のように金属の襞が折り重ねられた構造になっている。

ふたりは何か用があるらしく、追いかけてきた。僕は驚き、とりあえず逃げ出した。走って走って厚い壁の部屋に逃げ込んで閉じた。ふたりは門のところで立ちどまった。僕は安堵したけれども、緑色の液体のようなエネルギーが扉の隙間から侵入してきた。なんだこれはと思ったところで目が覚めた。

 

かれらが出てきたのは、こういうことを伝えたかったからだったらしい。

 

無機質な金属で作られた機械でも、ラインの上の流作業で組まれた個体と、ひとりが想いを込めて作りあげた個体はちがう。愛を持って組んだ機械には、生命が宿る

 

なるほど、そういう考えは以前からあるし、自己正当化的な、あるいは文学的な比喩としてとらえられがちだ。が、どうやら本当にそうなのだと。ふたりは言いたかった。

機械の意識を上げると、生物にすることができる。かの金属宇宙人は、それをなんとかして僕に伝えたかった模様だ。いまの僕にはそれが可能だったとしてもどういう原理なのかは解らない。が、実際、バラしたパソコンと組まれたパソコンでは微細なレベルであるが重さが異なるのは筑波大学で実証済みだ。組み立てるという作業。それも人間がやると何かが宿るのか、その分、重さが増すのではないかとかの教授は言っていた。こうした考えには、オカルト好きの僕など、うんうんと大きくうなづき諸手を上げて賛同するのであるけれども、ガチガチの科学主義者やオカルト否定派には到底受け入れがたいことだろうと思う。

いざという時に安全に振舞ってくれるかどうか、それは日頃からどれだけ相棒を可愛がっているかにかかっている。ましてや自分で組み上げて生命を吹き込んだバイクなら。というのは多くのライダーが感じていることだ。他のバイクに浮気していると、すねてみせたりストライキを起こしたりしていると思えないでもないタイミングで故障することは、擬人化しているのを超えて、生命の存在を意識させる瞬間である。

もしかすると夢に出てきた宇宙人も元は機械だったのが、あまりにも愛されたが故に意識をもちえたのかもしれないなどと想像した。人類もこの頃では『ナノカー』NanoCarといった遊びを始めたので、原子の組み合わせや構造だけでなく、原子間の結合部に製作者の意識を吸収することによって、動きが変わることを発見するかもしれないし、それが高じて金属生命体ができるかもしれない、などと思ってみた。

 

バイクを組み立てながら、なんとなく感じていたことを、いや希望的願望なのかもしれないが、夢であらためて見せられた、そんな案配だ。そう思うと、おもしろい。機械生命体を作っている。僕はまだまだ原始的ではあるが、金属生命たいを創造しているのだ。

 

 

ともかく、しばらすくすると、また、やってみたいという思いがじんわりこみあげてくる。今度はもう少し難易度の高いことを。いやいや、もう、やめてくれ、とも思った。素人だから危ないし、カネもない。そんなに何台も持っていてどうする? 第一、同時に複数のバイクに乗ることはできないよ。制作と成果を確かめられる作業は、楽しいには、楽しいが・・・。

いったい僕はどこに行こうとしているのか。

2台目のパーツを集め始めたのは、記録によると2020年の11月ことだった。この時期、じょじょに旧車の値段があがり始めた理由は、さまざま挙げられているのでここでは割愛するが、僕がそのころ感じていたのは、あの世の本田宗一郎さんたちバイク好きがメーカーの垣根を超えて集まり、この世に一大ムーブメントを巻き起こしていたのではないかということだった。じっさい、古いビルの床に尻をつけた彼が一室の開き戸から下界を見ている姿が夢に出てきたことがあった。

「以前、乗っていたんだったら、もういちど、風を切ってみないか?」

そんなふうに呼びかけていあたのではないかと思う。呼びかけられた人が俺も私もとリターンした。いまどきの若者たちもどういうわけだか、70年代80年代の旧車に目がいく。そうやってほんの2、3年で低迷していたバイク業界に謎の好景気がわきおこった。コロナ騒動で全体の景気が減速している中の出来事だった。

僕が免許を取得していた2017年には80万かそこらだったカワサキ/Z1は2020年ごろには200万円に、200万だったZ2は400万ほどになっていただろうか。(2022年現在は、さらにその倍前後になっている模様だ)

本体価格の高騰によって、パーツの値段も上昇傾向にあった。

けれども、非常に不人気の、解体に回すしかない車種は、パーツがだぶついて豊富な上に安価だった。これまで乗ったことのなかったカワサキ車の中から、もう少し排気量を落としたナナハンを選んだ。型式はZLという。750cc《ナナハン》は長らく日本の2輪車の最高排気量であり、それがどういうものか実感したかったからだった。

上位機種に900CCがあり、同じエンジンを持ちながらコンセプトと外装を有する兄弟車GPZ900Rは映画の影響もあってロングセラーの超人気車種だった。しかし、カワサキ技術陣が渾身こめて作り上げたこの機種は、しかも750の国内仕様は、当時もこの時も不人気絶頂で、書類つきパーツ完備の状態で5万とか7万で取引されていた。バイクショップでも清美された個体が三十万程度からあり求めやすかった。職人気質で作った最後のバイクであるらしく、あまりに気骨がありすぎてかえって客を遠ざけたのか、好き嫌いのはっきり分かれる機種らしい。

ギリギリ価格上昇未然だった。というか、現在とそう変わらない。ただ、パーツが吹き溜まっていたので程度の良い物を揃え易かった。

 

余った金があるからやろうといったことではない。やる前は、いつもかつかつだ。支払いが滞ってにっちもさっちもいかなくなった時、折しも安倍さんの給付金が支給されたのだった。それでしのぐことができた。どういうわけか、そんなふうに金はどうにかなってきた。上位のより精妙な流れに乗っているとはそういうことだろう。

買えない物は1円でも買えず、買える物はいくらでも買えた。

やる前にはなかった金も、やり始めると、どこからか金がわいてくる。どうしてそういうことになるのか、そのカラクリは、ーー。みなさんの気づく喜びを奪うようなことはすまい。(^_^)

 

 

じっさい、僕がしかし、バイクの製作をどんなふうに利用しているかと言えば、たぎるような情熱は詩生活にあり、それに全てを注ぎ込んでいるのであるから、外から見ればただバイクを磨いているとか、ネジを回しているだけにか思えないのだろうが、無の境地になる時でもあるのだ。

アイディアの閃くのを意図していると閃かない。むしろ、そこから離れた時にこそ、閃くのだ。それにバイクいじりが加わったということだ。ここに越してくるまでは部屋の中か散歩中に思いつくことが多かった。眠りっパナ、起きがけ、トイレ中、散歩の時間などアイディアが浮かんだらすぐにメモが取れるようそこらじゅうにノートを置き、ポケットに紙切れをしのばせていた。いつもいつも公案を抱き、それに対する答えを受ける。それを二十数年続けてきた。

この6年くらいは、バイクいじりと畑の作業が外でアイディアを得る時の多くだ。ふとアイディアが浮かぶと作業を中断し部屋に戻りメモを取る。メモをすることで頭を空にする。そしてまた作業の続きに取り掛かる。

メモを作業場に置いておけばいいではないか、と思う人もあるだろう。だが、それでは駄目なのだ。閃き、立ち上がり、歩いている間に推敲をして、文章を練った末に机のノートに書き留める。そのかん、だいたい40秒。僕の文章は、なにげなく書かれていると思うだろうが、そうしたプロセスがあって綴られている。

流れるように書かれているかのように思えるひとまとまりの20行が実は数日、数週間の間に思いつかれたアイディアの集積なのである。読むのはドミノ倒しと同じ、ほんの秋秒、それに何百時間もの試行錯誤、というか無になる時をいかに作り得るか。

第一に、切り口、文章の書き始めが決まらなければ、そのごの言い回しが確定しない。その時の興奮は、文章家の誰もが感じていることかもしれないが、読み手にとっては、どうでもいい、無共感のことだろう。ただそこにそんな文章が書かれているとだけ思うに違いない。しかし、書く内容と共に書き出しの切り口、それから文章の回転、逆回転、トメ、ハネ、など、・・・・仕事の醍醐味などいくら説明したところで体感できるものではない。自分だけの楽しみだ。

下駄

将棋の駒

和傘

着物

なんでもいいが、職人が仕事をしているとき、

農家が畑の雑草を取るとき、酪農家が乳牛の体に櫛を入れるとき、漁師が網をたぐるとき、

無心になっているのではないか。そういう機会にしている人もあるはずだ。

 

雑踏の中にいるとき

パチンコで打っているとき

満員電車の中にいるとき

というひともあるだろう。

カラオケを気持ち良く歌っているとき

熱心にプラモデルを作っているとき

釣りのテグスをこしらえているとき

そんな時は、少なくともアドレナリンでなく、もし高次の快楽を覚えるならΒーエンドゥルフィンが出ているのではないか。

無心に遊ぶことの大事さよ。

 

ここに、僕が大学時代に初めて教習を受けた1988年と二回目の2017年の教習事情を少し挟んでおこう。

 

1988年当時、僕の通った学校の教官は、警察や元白バイ乗りの人が定年退職して再就職したような規律正しい厳格なかんじの人が多かったように思う。それが数人で複数の教習生をみていた。コースのところどころに立ち、こうしてくれああしてくれと指示を出す。一本橋やスラロームでタイムを計ることはなかったように憶えている。タイムを競ったおぼえがない。卒検の時に「落ちたらアウトだから、びゅーんと走りきった方がいい」などと、順番を待っている間にヤンキーが講義してくれたほどだったから。

いまは、若い世代は素晴らしい、文句の付けようのない丁寧さと技術指導だった。年配の人たちは、ちょっと前の不良の中でもバイクを楽しんだような人がやっていたので、口の悪い印象だったが、それでも所によってはバイバリの不良が教官をやっていた昔の自動車学校よりマシだったのではないか。

実演してくれたが、実に素晴らしい。うしろに乗せてコースを回ってくれたり、スラロームをやってくれたりもした。30年前には、やって見せてくれることはなかった。標識か信号機のように突っ立っていて、はいこっち、ここ曲がって、とコースに数人配置された指導員が言った。フレンドリーに話しかける人はおらず、業務のように流作業だった。

 

今回の教習中の自己Maxタイムは、

一本橋が13.6秒、スラロームは5.9秒で、基準は満たしているが凡庸なタイムだった。教官は一本橋など何分でもいけたのではないか、余裕で三十秒くらい留まっていた。スラロームは5秒を切る人もあった。

坂道発進は、マシンが80年代とちがってキャブレターからインジェクターへと進歩していたので、エンストすることなく楽だった。

 

教習中におもしろいことを言う教官がいたので、ちょっとご紹介。

 

1 髪の白く短くなった僕よりちょっと年配の教官

一本橋で渡りきる直前に脱輪した私に対して、

「最後に落ちたらいかんやろうーが!」

と怒鳴った。頭の悪さを大声で露呈しながら恥ともしない。最後に落ちないように指導するのがあなたの務め。

これで、この人は教習しているつもりなのだろうか? おそらくこの人は倒産した近くの自動車学校から拾われた教官で、元々指導に使命を持っているわけでもない上に、学校の待遇と給料に不満があるから無自覚に学校の評判を落とそうと、いい加減な指導をするのではないかと思われた。

 

2 同上教官

「前輪と後輪のどっちを先にかける?」と聞いてきた。

「どっちか、ですか?」と私は聞き返す。

「ああ」

ちょっと引っ掛け風な質問の仕方だなと思いながら、一応模範解答は『同時』と知ってはいたが、後輪と答えた。すると、教官は向こうを向きながら大声で

「前後、同時やろうが!」

と怒鳴った。こんな教え方をするから、急ブレーキを前後一気にかけるよう心理が働き、この学校では急制動時に転倒する教習生が多いのではないか? 

停止する前の最後には確かにぎゅーっと同時に絞り込んでいくイメージだが、安全に安定して停車するには、まずスロットルを緩めてエンジンブレーキを利かせながら、後輪をやや早く軽くかけ始め、それに前輪ブレーキを追従させ、やや前輪の比率をあげていって最後にはそれなりに踏み込み握り込むのだ。そうすると、スリップすることなくまた停止してからフラつくこともなく、狙ったラインでピタリと止まることができる。20歳の最初の教習の時にそのコツを覚えた僕は、この2回目の教習で急制動をしくじることはなかった。一度も。

愚かな教官の言うことには「はい」と答えても、聞き入れてはならない。怪我をする。

 

3 同上教官

中型免許をもらいに免許センターに行くと、ちょっとした講話があった。そこで、なぜ、「うっかり失効』が免許取り直しになるかの説明をしてくれた。つまり、危険運転や過失致死などをしたより重い刑だから、ちょっと疑問に思っていた。それを教習を待っている間に教官に話した。

「煩雑になるからーーなのだそうですよ」

と言うと、彼は、

「捕まらんでよかったやろが!」

と言った。

そういう話なのか、と思ったが、黙っていた。

こちらは警察側が出した答えを言っているのに、それを覆した上に糞みたいな持論。やっぱり自動車学校の人にすぎないのだ。免許を取り直してくれた方が金になるから。

 

4 集金係のようなおじさん これまた僕より少し年配

いくつか、あれ? と思うことがあったが、その中で一つ。

信号が青なら交差点に入りこの角を右折したら確認ウインカーを出して右車線に入ってーー云々、と待合室でコースを早口でつらつら諳んじ始めた。

確認のつもりなのだろう。バイク2台で経路を案内してくれる時も早口なのでいつも曖昧だった。他の教官は「あのへん」を目標に、と手で指すので彼のつもりとこちらの了解がズレているなあ、と思いながら走行していた。そこには細い木が数本植えられていた。コースを回っていて修正されることはなかったのだが、いつもあいまいな気分を引きずっていた。今も、ふんふんと聞いていると、さて、植え込みのどの木かを目標に進んで曲がれといった箇所に差し掛かった。

検定試験前なので、ここは確実にしておこうと、

「え、ちょっと待って下さい」と流ちょうに話す教官をさえぎり「どの木ですか?」

と質問した。

すると、教官は顔を上げこっちを見てすーっと息を吸うと、

キトキノアイダノキィーーー!

と叫んだ。

ああ。キチガイか。と思ったものだ。

このようにちょっとおもしろいと、いまどきの自動車学校は教習生からクレームがつく。案の定、若い教習生からクレームがあった。だが、彼はクレームをつけてきた教習生のODAテストの結果を観て「こいつの方に問題がある」とのたまっていた。それを聞いていた別の教官は黙っていた。横にいた僕も黙っていた。

ちなみに『4のA』だった僕がクレームをつけても、咎めたのだろうか。項目すべてがAで、少なくとも交通運転上では人格者と判定されている僕に。

こういう、短気で自分の得意で若輩者を殴る輩は、面白い教官としか言いようがない。

 

これらはわたしより年配の昭和脳の持ち主たちで、田舎にはいまだに時々見受けられる芸達者な方々だ。平成生まれの若い教官や、年配でも指導に使命を感じている人たちは非常に親切で丁寧だったことを付け加えておく。

面白い教官たちからも、教習中に大事な事をいくつも教わった。やんちゃな時代に体でおぼえたこと、より安全を確保するためのコツ。それを公道を走る上で、いつも気にかけている。

 

 

今の時代、ズブのど素人が、完璧な一台のバイクを仕上げられるだけの情報が提供されているのだ。

同じことは、『受験』についても『悟り』についても言える。また、『未来技術』についても言える。不器用が技能へ、そして能力が才能へと昇華していくチャンスがあるのだ。

情報の集積と統合によって、予想を遥かに超えた成果を手にすることができるということだ。自分が実際にやることが前提であるけれども、試行錯誤を極端に減らしてくれる。もちろん、熟練するには向上心と回数が不可欠であろうが、少なくともできなかったことができるようになる機会が提示されているのだ。

 

初めて作成した機種が2007年式であったのが今回のは年代もぐっと戻り、1986年製だ。今とは技術思想も異なるし、技術自体がまだまだ機械をベースにしている。

 

バイクをレストアする場合、オンボロの車体を手に入れ、それを解体・分解したのちに各部位を洗浄・交換・塗装をおこない再び組み上げるやり方と、僕のように各々のパーツを少しずつ入手してメンテナンスしたあとに組み付けていく方法がある。

 

どの車体もマグロの解体のごとく、一台丸ごと分解販売の時には、飛ぶように競り落とされていく。一体どこの誰がなんのために所望しているのかと思う。

 

こんどのバイクは最初のよりこぶりだったし、パーツはたいてい洗浄された状態で送られてくるため、僕は当初、自分の部屋で組み立てていた。

基本は孤独な作業だった。

フレームを買い、

ひとつひとつ磨き込み、注油し、

スイッチボックスの手直し、ブレーキキャリパーの組み直し、キャブレターのオーバーホール、フロントフォークのオイル交換、ギア接点など、

パーツの固着を取り、ピカピカに磨いた上に

新品のシールやガスケットに交換し、

ウレア、シリコン、リチウム、フッ素など適切なグリスを選び完成させていく。

レンチにドライバー、スパナと使い分け、手もすまにパーツを組み上げていく。

規定トルクで締め付け、表面を磨いたり、塗装し直したりする。

まだ車体に組み付けていないが丁寧に組み上がったパーツたちがただそこに置いているだけで、嬉しい。好い仕事をしてくれそうな、落ち着いた佇まいとなる。

 

いよいよフレームに各部パーツを組み付けていった。フロントフォークを取り付け、前後のタイヤを取り付け、外装がほぼそろい、タンクやカウルなどを装着しバイクらしい格好になった。あごを触りながらしみじみ眺め、これがどんな走りをするのか待ち遠しかった。

けれど、そこにエンジンが載ると一気に250キロになる。

ほどよく、低走行のエンジンが出品されたので価格が下がるのを待って落札した。西濃運輸どめだったので車で引き取りに行った。

家に持っていくのはいいが、ハテ、これをどうしたものか、僕は思案した。制作中のバイクは狭い部屋なので、布団がすぐ横にあった。

「ねえ」と運転している妻に問いかける。「エンジンを積んでフル荷重になったバイクが倒れてきてさ、横で眠っている俺にのしかかって死んだら、バイク事故ってことになるのかな?」

「バカ死にじゃない?」

とは、優しい妻は言わない。

運転に集中している彼女は、え? と聞き返すのみだった。

「それからさ、布団のすぐ横の本棚の天面に並べているフルフェイスのヘルメット、あれが地震かなにかで落ちてきて脳震盪を起こしたら、どういうことになるのかな?」

おバカな質問に妻は答えに窮したようだ。その回答は2年くらい経ってからなされた。

 

果たして、カウルやウインカーなどを剥ぎ取り、もう一度丸裸にしたバイクを押し歩き玄関から出した。エンジンは車庫で組み付けることにした。夏だったので倉庫にこもりっきりというわけにはいかなかったからだ。

 

ヤフオクの闇

サムネで目を引こうとしてのことかもしれないが、僕自身はそう思ったことは、ほとんどない。

まず、業者を選ぶ。すると、ハズレがなくなる。業者の姿勢はやり方を観察していると分かってくる。

欲しい物が出たからと、急いで飛びつくと後悔することが起きる可能性が高まる。かつて、バイク以外では、これはちょっとと思う業者に当たったことがある。その時は、不要な物を「いま買っておかないと」といった貧乏根性が落札させていた。明らかに買いすぎ、余計な物だったから、ストップがかかったのだ。

写真表面だけでなく、波動を感じ取る。一見、機能性の落ちたパーツに思えても、よくよく見ると、ちょっと汚れているだけのこともある。そうすると多くが手を引き、安価で良好な物を落札できる。

ガラクタを平気で売る人がいるから幸いなのだ。僕など、ある程度の品質でないと売ろうという気にならないから、僕だけが世の中にいれば、パーツは今の1万分の1も出てこないだろう。

いつでもいつでも、安くてピカピカの調子よしだけを引こうなどと算段するから、闇に見える。あえてハズレを引く、引いて学ぶ、くらいの気構えでいるとハズレたと思わなくなる。ハズレではなくなる。当たり方がちがうと思えるのだ。むしろ、手をかけられる状態の方が楽しみが増えるというものだ。どうしても使えない場合は、使える部品だけを活用する。

 

折れたボルトも、なめたナットもお手の物だ。ドリルを入れ、振動と回転を与えて抜き取る。キャブレターの中に固着したスロージェットも傷をつけずに取り出した。

もちろん最初は途方に暮れた。孤独な作業で路頭に迷う経験。

これ一つのために全部が動かなくなる。狭い視野で暗く暗く考えそうになった。

けれども解法はすでにある。僕が知らないだけだ。

いま、僕の困った事態を解決する治具や工具がすでに売られている。しかも何度も何度も改良されて、各社から。となれば、およそ鉄で何かが作られた三百年前から同じような問題があったのだ。橋、線路、機関車、自転車、織機、

ボルトとナットのある所、折れ、固着あり。

抜き取り方、ボルトの再生方法、穴の修復の仕方・・・、道具と技術があればたいていのことはできる。

困るのが楽しい、というより困るためにやっていると言っても過言ではない。創意、工夫、技術の向上、知恵を出す、構造の理解、・・・それらはむしろ、困ったり失敗した時にこそ修得できるのだ。

道具は揃っていき、いつしかほとんどのケミカルはワコーズに取って代わられた。効果が認められまたワルさをしないからだ。液体製品が、気休めでなく効果や機能性が明確に表れるのはこのメーカーだ。ただし高価である。ホームセンターに常備してある製品の5倍も10倍もする。

モノタロウの常連になった。

パーツリストから番号を拾い、入力して在庫を確かめ、必要個数を注文する。ない場合は流用品やヤフオクを探すのも知恵の出しどころだ。

新品の部品を袋から出して古くなった物と交換してねじこむ時の快感。バイク屋さんはこれを他人のカネでやっているのか、と思うとちょっと羨ましくもある。

 

困ったことに解決法を思いつく。そして実行し成功する。

創造的に創造性を発揮する。

波動=霊格の向上

創造性を発揮しているとき、霊的進化が促進される。そしてそれは楽しい。楽しみは創造性が発揮される。

 

これまで不得意だった分野が光があたったように見え始めたのだ。

わけあって文転し、バケ学や物理を放棄したツケは会社に入ってから埋められることになったが、今回は工業高校や高専の分野・領域だ。小学生中学生のときは凧や木工モーターカー、ラジオなどを製作するちょっとした工作少年であったのが、16歳頃から書物と思索に没入するようになり、自分とは無縁と思ってきた。

鉄、ギア、チェーン、駆動、回転音、赤と黒のスイッチ、塩ビ色のコード、・・・。

父が溶接工をやっていたにもかかわらず、というかそのせいで、機械は危ないなあ、怖いなあ、と心のどこかに恐れがあった。幼少期に父に脅されたこともあったのだが、それ以前に、不慣れな半可通が知ったかぶりしてイジくると機械を壊すかもしれないし、大怪我をするかもしれないと思うからだ。

機械は好きでなかったし工具を買ったのは、大学一年の時にホームセンターの本棚を組み立てるための安いセットドライバーだけだ。

会社時代には製造機械も扱っていたのだが、決して、文字通り手を出さなかった。うしろに組んで得意な人や技術者にやってもらっていた。

そしてこの20年は詩生活だ。季節を感じ、虫や植物と会話する。鳥の声に耳を傾け、土のささやきに目を見張る。

その僕が、ガソリンを面前に、動力を横手に置き、ほっぺたと手を油と泥でよごし、ネジを開け閉めしている。

あまりにかけ離れている。

 

工具も、トネだけでなく日本製でしかも一級品の誉れ高い、Kokenや東日などに食指をのばした。主要な部分のボルト・ナットを締めたり緩めたりする時、これらを使う。くっと締まる時、トルクレンチの示す数値以上のなにかが手ごたえとしてある。

プラスドライバーは独WERA製、マイナスはスイス製のPBが有名で実際に使用したが、日本の工具の方が品質が高く使いやすくかつ安価であるように思った。台湾で製造しているsk-11などは手頃な値段でありながら中国製とはダンチに違う。

 

叔父さんの未練というか本懐というか、それを遂げようと思い始め、思っているけれども、叔母はだからといって1円もくれない。だが、要らない。僕は払ったお金以上のことを得てきた。

 

二代目のディアゴスティーは、2020年11月から始め2022年の10月に車検を取ったので、約2年ほどかかって完成した。

1986年に発売されたこのバイクは、戦前からいた技術者の粋を出し切ったカワサキ重工職人気質の最後の機種なのだとか。いっさいの飾りっ気なし、無骨、無頼。高みを目指し続けた職工の安堵の吐息が物言わぬ車体から立ちこめている。だからして、女にモテようといったよこしまな気持ちのあるヤワな男は絶対に選ばない。その証拠に、当時のセールスも振るわず、同じエンジンを積んだナンパな兄弟車だけが世界中でヒットしロングセラーを続け、本機は3年かそこらの生産で終了、販売台数はわずかに1000台だった。

であるからこそ、なんだか分からないが、有耶無耶にバイクいじりを始めた僕にとって絶好の不人気車なのだ。二束三文で投げ売りされているから、パーツどころか本体も低価格で手に入れることができるにもかかわらず、性能はピカイチ、乗っても置いても眺めても、職人の腕の筋肉のしなやかさがビンビン伝わってくる。それでいて、年式による違いがほとんどないからパーツを選ぶのに苦労しない。

漢、カワサキを名乗っていいのは、この機種だけではないか?

と思わず、新参者のカワサキ乗りのくせに大きなことを言いたくなった。

 

ドラッグマシン(引っ張り番長)というコンセプトが頭にあるせいか、この機種は重い・曲がらない・止まらないといったドンくさい評価が多いそうであるが、ワコーズのラバーグリースを塗り込んで新品交換したシールと錆や汚れを丁寧に取ったピストンとシリンダー、それからフロントには新品のAPレーシング製、リアにはベズラ製のパッドを組み込んだキャリパーはホンダのフラッグシップ機と比べても遜色ないどころかよく止まる。

また、オイルやシール、ブッシュを新品交換し、純正オイルにスーパーゾイルを混合したフロントフォークは非常に柔軟性に優れている。カーブを曲がるときの狙ったラインを通る精密さはホンダの旗艦機を上回るかもしれない。フャイナルギアにもリアショックにももちろんエンジンにもスーパーゾイルを仕込んだこいつは、静かでギアチェンジもスムーズで燃費もわるくない。重量にしても、270キロ超えのアメリカンバイクやホンダの旗艦機に比べると20キロほど軽いせいか、軽快に感じる。また、予備に買ったイグニッションコイルについていたノロジーのホットワイヤーを装着すると、実に肌理細かくエンジンが吹け上がる。

気骨のカワサキ車は、どういうわけだかホンダのバイクとちがい、後部座席に人を乗せたいとは思わない。50~60キロに達した時の心地良さを誰か他の人と分かち合いたいという気持ちがわかないのだ。

一匹狼

を気取りたくなるのだが、付いている車名がモーゼみたいな「そこのけそこのけ御馬が通る」であるのだから仕方ない。

そしてこのバイクの最も好ましい点は、後方車両が接近してこないということだ。誰もが十分な車間距離をあけてくれる。優等生ホンダの旗艦は、ドラレコをつけるまでは、煽り・幅寄せ・無理な追い越しが多発していた。ところが、まるでスズメバチのようなふうていとカラーリングを持つこいつはカワサキ乗りの不良のイメージもあってか、威張りが利く。(公道においては事故を避けるために必要なことだ)

 

少なくとも、2020の半ばごろまではプレミアムがつきそうな気配はなかった。それが、2022年あたりから、Z1Z2を始めとするカワサキの旧車のあまりの高騰に、横に横に目が行ったせいか、それまでの2倍3倍の価格でも売れ始めた。払ったお金以上のお金さえ得る可能性さえ出てきたのだ。

 

 

 

今回これ、すごく飛躍的なことをやり始めたわけだ。僕にしてみるともう、ホップステップジャンプ、根拠のないこと。やろうと夢見たこともない。どちらかと言えば嫌いなこと。それを唐突にやり始め、やり遂げ、さらにステップアップした。

ならば、これから10年後に、もっと予想もできないことをやっている可能性だってあるのだ。たとえば、フリーエネルギーの装置を作っているとか。タイムマシンを製作しているとか。そのもうほんの序章だとすればとても面白い。

自分のやることが

論理的でない。

まったく脈絡のないことを突然やり始める不思議。

量子的飛躍。

可能性が、過去の延長線にあるのでなく、突如現れる。

これが今の時代ではないか。

 

これまで積み上げてこなかったこと。

これまでやったことのないこと。

才能がないと思っていたこと。

やろうと思ったこともないこと。

それらを、根拠なくやり始め、それなりのレベルに達する。

 

いままでこうだったから、この範囲だろうとかこのくらいだろうを超える。

根拠はない。

予想できない。

努力の成果でもない。

 

一つは、進化向上する喜びのあることをする

一つは、脈絡がない 未来にはもっとありえないことをしているかもしれない

一つは、これに集中することで、アイディアが入ってきやすい

 

青年時代から、幅の広い人生が素敵だなと思ってきた。こういう表現をしていた人があった。『昨日、高級なホテルでディナーをとっていたかと思うと今夜は安宿で娼婦と添い寝している』

そうなるには、株の暴落でも体験したのかもしれないが、鬱屈した安定した生活より歓喜に満ちた不安定な人生を望んでいる。人生は、冒険だ。

スカンピンは面白い。無収入? 結構じゃないか。それでも生きていられたのは、世界が愛で満ち溢れているからだと気づくのはそんなに遅くなかった。

 

好きなことをやる。やってみたかったことをやる。

動き出す軽さ

豊かさがそうさせる。

恐れを乗り越えた状態。外聞とか古い信念。

未知に対する不安はないことはない。だが、やる。やって、観る。(試しにやってみるtryではなく、done and penetrate insight)

楽しい

創意工夫。

喜び、幸福。

困難を乗り越える楽しさ。

魂に素直にいる。

 

川魚の飼育、クワガタ飼育、、ヘラクレスオオカブトの飼育・・・幼少時代からやってみたいと思っていてやれなかったことは全部やってきた。

 

離れ離れになった対の魂と出会うという体験。幼少期に感じていた寂しさを見事に補完しえた、栄光の経験。

 

偶然にも自動車(バイクのこと)を触る機会を得たので、ちょっとやってみたいことがあった。5才か6才の頃、父が愛車マックスの点火プラグを取り出し、ワイヤーブラシでこすってから息を吹きかけていた光景。それを見て、いつかやってみたいなと思っていた。それで、今回やった。燃料が濃くて煤のついた先端を火花が正常に飛ぶよう清掃する。父がやっていたのは、それだった。

これが、かつて、少しでも「やってみたい」と思っていたことの思い出せる限りの最後だ。

 

これらを体験し、満足し、学んだからそれらをもう一度体験したいとは思わなくなった。欲求不満的に感じていた、切望するような思いはなくなった。

 

さらに、予想だにしなかったことをやり始める快楽。それが加わった。50歳を超えてだ。

 

自分の進化にとって最善なことににはかわりないのかもしれない。

だが、あまりに外れすぎている。

願望ですらない。それよりはこれかな、といった消極的動機でもない。

 

大学受験の合格可能性と未来の自分の可能性はちがうのだろう。

 

これまでやったこと、積み上げてきたこと、修得した知識や発想力など、その成果がなければ、試験には通らない。けれども、未来の自分は、自分が飛躍すればやっていることも違うし、レベルもちがう。

100%の内どれだけあるか、でなく、100%だけが脈絡なく在る。点在している。それが人生の可能性なのではないか。こんかいの体験を元に考えた。

 

これから三年先、

ハーレーを作る。4miniモンキーを作るでは、今の延長線上のことにちがいない。それでは面白くない。

飛躍すれば、

UFO 反重力推進装置の作成あるいはフリーエネルギー発生装置を作るのは楽しそうだ。メドベッドを発明しているかもしれない。

モジュール関数における新たなテーゼを打ち立てているかもしれない。

いや、もっと予想もつかないことをしているに違いない。

予想もつかない未来があることに心を開いておこう。未来の方が、僕の来るのを待っているのだ。

 

バイク製作は、

はからずも、一つの挑戦となった。そうした自分への扉を開く。

 

革命、いや飛躍。

こういうことは時々、自分に起こした方がよい。進化の証だ。

 

 

おわり