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この町には「もぉ~、ちょっとぉ、役場になんか言わんでよねー、恥ずかしかけん」といった考えがあり、役場の体たらくを助長してきた。その背景にはすぐ噂になるからでもあったが、なぜ噂になるかといえば、役場が地元の有力者などお偉いさんたちの私物になっていたからだ。
何がどうなっているのかを黒幕で隠し見えなくしてきたのである。(特にカネの流れ)しかも、役場に物申すな、申す者を物笑いのタネにしてやるといった観念を植え付けていた者の一部は、ゴリオのパパ(すなわちケツコの旦那)やゴリオ自身であって、もちろん役場の予算を自分に誘導して利得を得るためであるが、こんかいケツコやヌメリのやったことはゴリオの今後の収入目論見を大きくかき混乱すことでもあり、醜聞の的になってはかなわない。さすがのゴリオも、
「要らんことすんな!」
と怒ったにちがいない。そして一切、相手にするな、と5寸クギを刺したはずだ。それは理にかなったことであり、わたしが以前から勧めていたことだ。だが、ケツコの荒れた心は収まらない。
1月2日のケツコの心理はこうだ。
塀ば作ってからに忌々しい、見せろや、見せられんこつばしよるけん、柵ば作ったっちゃろ、などと思い込む。
わたしが畑で作業し始めたのを聞きつけ、耳殻を尖らせる。
(ついたてば整えて。何か見せられんことばするっちゃろ)
(煙が出てきた。なんか燃やしよらす)
見せられんもんば燃やしとっちゃろ。そげなこつしたっちゃ、へっ、煙が見えとっちぇ。と勝ち誇る。
アタマが悪すぎる。恐れとエゴに飲み込まれているから知性がなくなるのだ。
(ほうれ、案の定、黒か煙が立ち昇っとる。ビニールかなんかば燃やしよるちゃろ)
(違反しとるけ、正月が明けたら役場に電話すっべ)
眼の明いていない者は自分の信じている(ネガティブな観念に合うように)見るのである。違法物を燃やしていると猛烈に決めつけているとそう見えるのだ。
晴天であったので眩しさで、あるいは疑心によって目がくらみ、黒煙がモクモクと立ちこめているように見える。
(ああ、ビニールば燃やしよらす。いーけないんだ、いけないんだ、せーんせーに言うてやろ)
あとでガメ煮を作っていた男性や家族、正月で集まった親族にその見立てを披露し、咎めに咎め、特に、被害者意識の強いサヨが同調するものだから、自分の見立ては正しいと確信する。ゴリオの留守を見計らい、老婆がサヨを洗脳しにかかる。
役場の開く4日を待って電話を入れる。電話を入れたのはおそらく、サヨ。
以前、今から4年前のこと、わたしたちの住んでいる家の山手側の空き地の草が不当に枯れた。以前からおかしいな、と思っていたのだが、除草剤、ピンと来た。わたしは、要らなくなった押入れの扉を立て看板にして抗議文を書き空き地の前に置いた。そこに殴り書きされた文章は、成田空港建設反対の勢いで、まるで「過激派みたいなやね」などと笑っていた。しかしほっとくわけにもいかないので、どうしようかと妻と話し、村の長老のところに誰の所有地かたずねに行った。
するとなぜだか、隣の老婆が慌てたようにぎゃあぎゃあわめき始めたのだった。わたしは不思議だった。除草剤をやめてもらうために所有者、管理者を明らかにし、頼みたいと思っていただけだったからだ。
さらに以前、息子のゴリオが、ここは誰それさんの土地だと説明したことがあったが、連絡先までは知らないと言っていたので、村の長老に聞きに行ったにすぎない。
しかも、わたしたち夫婦が長老のところに行く途中、村人には一切会わなかったのが、戻る道すがらには既に村人ぜんいんが知るところとなっていた。
「なんばしに行かしたとぢゃろか?」
みなみな顔を合わせて目をすがめ眉をひそめる。結局、議員さんがこの件を引き受けてくれて、やめてもらうことになったのだけれど、その際に所有者が「私がやりました」と言ったと報告を受けた。咎めたわけでもなかったのだが、ともかく除草剤をやめてくれたらそれでいいと思っておしまいにしていた。にもかかわらず、老婆が過激に反応し狼狽しいたのが解せなかった。
そして今年、今回の老婆の言動からして、第一に彼女が除草剤をまいてでも草をなくせと命じていた。第二に、わたしたちが先生に言いつけに行ったと思った。この2つのことが明らかになったのだった。
一つ目のことの別の可能性は、他人がやったことでも自分がやったように思い込み、わたしたちに咎められたと思い込む、ナントカいう精神病なのかもしれないとも考えたが、さすがにそんなことはないだろうと思っていた。
けれど、草をキレイに刈って管理するべきと信じている老婆は、よそに対しても苦情を言ってあれこれ指図していたのだ。さらに、先生に言いつけられたとパニックになっていたのだ。なんともーー。
井戸に流れ込む水分に除草剤を混ぜ込み溶け込ます。空き地表面の見てくれのために。空き地の散髪をしてサッパリさせておくのは、課税対象になるかならないかの基準でもあるし、彼女の価値観においては善いことかもしれないが、その善行が何をもらたしたのか?
こんなことは明らかなテロ行為である。他人に間接的に毒を飲ませているのだ。
だが、わたしたちとしては、井戸に除草剤が流れこなまければそれでいい。より健康に生きていけるよう改善すれば終わり。咎めたり仕返しするのは時間の無駄、と考えている。けれども幼い老婆にはそうは映らないのだろう。己の正義を否定され、善をくつがえされた。恨み、憎しみ、怒り、罪悪感のループ・・・
エゴのなせる技である。
ブログやfacebookの覗き読みや盗み読みについても、隠してからに。見せられんとぢゃろ。人に見せられんことばしよらすとぢゃろ。と訝って止めなかったのだ。
こういう考えをする者をケツの穴シワ数え族という。他人に対する否定的な信念が強力であるため、肛門周辺の毛やシワさえ知っておかねば気が済まない、安心しないといった性根の持ち主なのである。(それを知ったところで、このレベルにある者には別の疑いが湧き出してきてキリがないのであるが)
わたしとしては、この人たちのレベルだと読む意味がない上に、読むと必ず誤解するし、変な先入観を持ち、リアルな会話や交際ができなくなるので、なんだこんなやつと思わせるような、二度と読みたくなくなるようなことを書いて遠ざけようとしてきた。ところが、
「こげなこつば書いてから!」
と怒り憎み周囲を味方につけて、ますますしつこく覗き読みするようになった。しかも内容をパクり、マウントを取ってくる。
それならそれでと高次の認識を示唆したりもしたが、どんどんねじ曲がっていった。どうあっても、わたしを悪者にしなければ気が済まない。覗きをやめれば済むことなのに。
ケツの穴シワ数え族はケツの穴シワ数え族の理屈で覗き見を正当化し、ーーまさにヘンタイ行為をヘンタイ思考で正当化する矛盾のない態度だが、知っととばい、と得意になって周囲にまきちらす。
初めは、そうね、と信用して聞いていた人々も、どうもおかしい、第一、その情報は覗き見して得られたものではないかと気づく者がでてくる。しかもわたしを口汚く罵るは、無茶苦茶な自己弁護はするはで、だんだん信用をなくし、興味も薄れ、疎まれ、耳を傾ける者が減っていくからますます過激に過剰に糾弾する。すると、自覚のないまま、知らぬ間に徐々に魂を減らしていき、とうとうサヨのような幼女とつるんだのだ。下降が促進され、今度のことをやらかし、ドンと崩れた。
この老婆は、つい数年前までは、最大幅が175に手の届こうとする域まで伸びてきていたのだった。ところが今は最大値で69にまで減らした。自信喪失のような状態になり、声に元気もハリもない。
覗き見・詮索・吹聴・仕返し・・・。
これらがわたしたちが引っ越してくる前にもこの村では繰り返し行なわれていた因習だった。ところで、引っ越してきた当初、7年前から不審に思ってきたことが先日の老婆の「あら、出てこらした。噂しよったとが聞こえたっちゃろか」によって確定した。
彼らの旧家屋の2階のどこかに隠しカメラが設置してあり、それが空き家の敷地内でなく、わたし共の玄関周辺に向けられていたのだ。おそらく24時間、その映像がスマホか家の大画面テレビに映し出されている。(もう一つの可能性としては、あるいは同時になされているかもしれないが、新家屋、現在彼らが住んでいる下の家の2階に設置されたカメラから盗撮している)
老婆の声のした方からは玄関に出たばかりの者の顔は絶対に見えない。数十メートルの距離を隔てている上に、あちらは勾配の下になっている。さらには、昨年から境界に衝立を設置している。玄関の扉の脇には張り出した小さな塀がある。
わたしの家からは息子や娘、妻などが出る。それなのに、わたしだと確定した物言いだった。正面から見なければ決して分からないはずだ。ひとこえも発していない、咳払いもしていないのに、なぜ、わたしだと特定し断じ得たのか?
正確に書けば『あら、出てこらした。□□□ よったとが聞こえたっちゃろか」だ。空欄には「うわさ」もしくは「わるぐち」もしくは「はなし」が入るのが文脈から推測されるが、よく聴きとれなかった。『噂をすれば影』のことわざの意味を知らない田舎者だから『噂』あるいは直接的に『悪口』だったとかんじられた。
郵便物が届いた。宅配便が届いた。セールスマンが、ガスボンベの交換が、電気のメーター読みが来るたびにチェックしていたのだ。引っ越しの最中から、わたしが「どうもおかしい」と気づくまでの数ヶ月間、彼らは平然と覗き行為をやっていたのである。
誰が訪れ、何をしたか、そしてまた、家の中から誰が出かけた。全部、お見通しだったのだ。一番危険なのは、家族全員が一斉に出かけた時だ。その隙を見計らい、何をしていたか知れたものではない。
ところが、
知っととばい! と威張る。
知っていたらいけないのではないか? みなさんにお尋ねする。こんな人たちに心が開けるだろうか?
だからその反動でだろう、親しくしろ、チヤホヤしろ もっと貢げ もっと好いてくれ ホメてくれ と迫り来る。「愛をください」と歌ているZOOさん達だ。
これまで村人を使って薬を売らせたりこれまで村人を使ってミカンを作らせたりこれまで村人を使って道路を作らせたりして荒稼ぎし倉をみっつも建てた。その威勢を借りて我が家が村のルールだとばかりに人々を押さえつけてきた威勢をもってプライバシーの侵害をやり続けてきたのだ。。
どうも怪しい変だと感じたのは、6年ほど前、引っ越して半年か1年にならないくらいのころ、隣のゴリオじいさんに電話で呼び出された。話に来んか? と。行くと庭でわたしを見るや、
「着替えてこんでんよかったとに」
と言った。思いやり、以前に、はあ? といった感じである。その日、この男には一度も会っていなかった。それどころか、普段、ほとんど見かけることもなかったのだ。なのに、通常わたしがどんな格好をしているか、また着替えたかなどわかりようがないはずだ。逆に、わたしがさっきこの男に会い、着替えて来たとしてもわたしにはわからないし、どうでもよい。それがゴリオには、普段着のままで構わないと気を使うほどの確実さがあったのだ。ホモ野郎かと思ったが、それにしても意図してどこからか覗き見していたとしか思えないと警戒し始めたのだった。
このころから、この男にはちょっと疑念を抱いていたのであった。
村中がコソコソ、ひそひそやっていたので調査のためにしばらくこの男と行動を共にしていたのだが、その言動から、教えてもいないブログやfacebookを覗き読み盗み読みをしているのではないかと思えたので、いくつかカマをかけるようなことをして反応を観ると、ゴリオをはじめとする村人数十人が覗き読みしているのが判明した。上から教えられていたが、まさかこれほど隅々まで読みあさり醜聞に仕立てあげていようとは。
また、寺からわたしに関する情報を聞き出し村じゅうに垂れ流している模様である。しかもそれが事情をよく理解していない(頭の悪い)年寄り坊守や跡取り息子の言ったことだった。さらには、20ねんほど前にあった町の活性化のための話し合いに参加した時にわたしが発表した時のビデオまで観た模様だった。かなり気色悪い行動を当たり前のように取るゴリオはホモかヘンタイ性欲者か精神異常者にふさわしかった。(霊格が低く、歪んでいる者、強度な不安がある者の行動であるのだが、ストレートにこう表現しておこう)
そして極め付けは、何度もわたしを呼び出し、そこで話しているそのままを無断で録音していたのだった。初めはそれを持って他の人のところに行き、みんなで聴いていた模様だったが、その内ダイレクトで電波を飛ばし、リアルタイムで放送していたのだ。
会話の一部始終を録音していることを、上から報らされていたのもあったが、わたしが不用意に他人の悪口を言ったら、それ来たとばかりに言質を取ろうとしていたのだろう。もちろんこの男は「話ば何度でも繰り返して聞いてよく理解するためたい」とでも言い訳するだろうが。
録音中はこの男は絶対に他人の悪口を言わない。急に言い始めるのが、録音が終わった合図だった。その途端、なんでもかんでも他人のせい、罵詈雑言。そして、自慢、かっこつけ、虚言など、具体的に何をやったかはいづれ明かすとして、ゴリオが静かな物言いをしている最中は無断録音をしているのだった。
この録音内容を聴かされたのは、現在町会議員をされていらっしゃる方も含まれていたとみている。先日、この話をした時に、彼は疑いもなかったし否定もしなかった。聴いたと言っているようなものだ。
少しでもまともな仕事を志すなら、いくら親戚といえどこんな悪友とは手を切るべきだ。ーーこの人は、会社員時代に鍛えた足でどんなに行きにくい所にでも出向く強さがあるし、持ち前の思いやりと地域を愛する気持ちが素直に発揮され難題にも果敢に取り組めば、町政史に名を残す力を持っている。そろそろ腐れ縁とは袂を分かち、素直な気持ちをブラさず虚心坦懐に物事を見極めよ。我欲三昧の輩の一票まで乞食みたいに欲しがらず、十年寝かせた政策案が支持されないなら冷や飯を食え。いつまでも、みんなの中に埋もれておべっかを使い人気を取ろうとしていても、たいした仕事はできぬ。数年前のことは不可抗力として不問にしてやるから、いつまでも安物のエゴイストとつるむのは謹まれよ。
要するにゴリオ一家は、わたしたちの引っ越しの一部始終も隠しカメラで覗き見していたのだった。それからこの7年の間、盗撮したことをヒソヒソ流していたのである。田舎の娯しみである噂話のチェーン・スモークである。それもハイテクを駆使した。
村人は固定されているのでその遊戯にも倦んでいたところにわたしのような、ちょっと外れた、いや大きく外れた者がやってきた。巣穴で舌なめずりし目を細めてじっと身構える地蜘蛛ーー。
それがある時、適当な理屈をつけて火蓋を切ったのだ。(ケツコはあくまでわたしのせいだと言い張るだろうが、ケツコとそのオペラ・サークルの連中以外そんなことはしない)
これを機に仕返ししてやろう。
仕返しとは要するに、己の姿をわたしに投影し、それをやっつけることで良くなろうというあがきにも似た愚行である。
さんざんサヨを洗脳し、吹き込み、焚付け『隣のクソじじい』像を叩き込んだ。(すべて恐れのなせる技であるが、それを教えてもどうにもならない。ますます恐れを強化していくばかりだ)
たぶん、サヨは頭の中でこんな風に思い描いていたのではないだろうか。

けれども、サヨが玄関先でわたしを見てもピンと来なかったところからかんがみるに、いかに実際のわたし像とそれがいかに乖離していたか理解できよう。妄想の産物。
バカと言われたと思えばバカと言い返し、知ったかと言われたと思えば知ったかと言い返し、ヘンタイと言われたと思えばヘンタイと言い返す、というか言い回るのであるが、『言われたこと」とやらを言い返すことで捏造した『隣のクソじじい』像とはいったい誰なのか?
ちろん、ケツコババアその人に相違ない。

のぞき行為を正当化するために、
「見せられんこつば、しよるけんぢゃろ」
という理屈にすり替えようとしているのだ。
どうごまかしても、あなたがたの盗撮・のぞき見・盗聴・ぬすみ聞きの事実が消えることはない。わたしの噂は75日かそこらで消え去るが、その行為をした意図は、相変わらずマイナスとして宙空にある。
あなたがたがわたしの噂を流し続ける限り、自ら覗き行為を暴露しているのだ。まだ、分からぬか?
あなたがたは、自分で自分のストーカー行為をバラし続けてきたのだ。
わたしは、そんなことを続けるとあなたがた自身が貶められるから、やめよと促してきたが、聴く耳持たず。手の打ちようもない。
悔い改め、進化する以外に、自らの放ったマイナスを引き受けない手立てはない。
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ケツコ婆さんは事件までだいたい精神年齢が6から7才で、それもちょっと盛り過ぎかなという数値なのだけれど、成長不良の小学1年生を思い浮かべてもらえばいい。
「しぇんせいに言いつけましゅからね!」
をイイ年こいて本気でやるレベルだ。まったく人間や世の中がみえていない。これがホーキンズの指標で80台の水準らしい。それが今回の一連の考えと発言と行動によって60台にまで下げた。
だが、たいていの成人はこのレベルにはいない。社会ももっと高いレベルで運営されている。日本全体では今のところ450から499のレベルで推移している。(500を超えると、たとえばベーシックインカムなどが導入されても違和感がなくなる)
田舎者だらけの田舎だけがこのレベルの人を許容というか、放置というか、よく分からないが面倒だから、当たらず触らずにきたのだろう。田舎は局地的に極端に低いところもある。日本全体や隣接する自治体の影響から離れ、昔からの風習をやり通してきた。ここに引っ越してきた当初「ここだけ江戸時代?」と思ったほどだ。特に一部の、お寺の「年寄り坊守さん」をハブ(集線装置)とするオペラ・サークルに属している老人たちは、全体社会からは著しく乖離した周波数帯にある成員によって運営されていた。
昭和にはそういう内輪の噂ネットワークは無数にあったのだろうが、さすがに日本人も霊的に進化してきて、社会構造も変わり減少してきたのだろうが、まだ残っていたのだ。
そのネットワーク内では、どんな破廉恥なことも、ナンセンスなことも奇妙なことも、なんだかよく分からないまま許容されている。だから都市部では「でしゃばるな。田舎にひっこんでろ」などというセリフがあるのだ。天然馬鹿が愚かなことをほざいても仲間から外れることがない。表向きは優しく慰めて、裏で心配するふりをしてヒソヒソ蜜の味を味わってくれるから。
しかしさすがに行政や村の役員はもっと高いレベルで回っている。したがって、老婆が言いつけても、この老婆の言い分を絶対に正しいと裁定し、わたしにお仕置きをしてくれる大人も機関もいない。そんなことをすれば「諍いがある」ことを教えているだけで、たいていは通報している方にも多大な非がある場合が多いと見る側面があることなど、普通の社会人なら常識だろう。
渦中に引きずり込まれそうになった係りや長老は、せいぜい、自分に火の粉が降りかからないようにうまく仲裁するのが関の山だ。あたりまえだ。他人の出る幕ではないし、当事者たちが納得しないものを他人がどうすることもできない。
田舎坊主の浅ヂエでは「前からあげんあっ」とか「ときどき、あげんなる」とワンパターンな物言いで慰めようとしたに相違ない。そんな程度のことを聞かされるにしてはいつものお布施は高すぎやしないか? 霊格の低い坊主はコジキ同様。
民事の裁判官に至っては「和解してください」と指示するだけで数十万の利益をえるだけのことだ。
しかもこちらは、ストーカー行為をやめてくれと伝えているだけで、わだかまりも諍いもないし、第一、口に出して何か言ったことはないし、何もしていないのだから。
けれども、ゴリオもケツコも、
じぶんがわるかつに、うちらがわるいように言ってから
などと愚痴り始める始末。
自分たちが何をやっているか、まったく自覚がない。それがエゴのすることである。絶対に自分が正しい、より正しいと相手をやっつけようとする。
これらの行為は、たとえるなら彼らが勝手に便所に忍び込んでケツの穴のシワを数えている時に不意に屁をこかれたのに怒って「臭い!」と文句を垂れているのに等しい。暇な田舎者が、ドカドカと泥のついて長靴を履いて人の店に大勢で押し寄せ、あれこれ評論しながら商品をいじくりまわして何も買わずに汚して出て行くようなことをするので出禁にしているのであって、それに対して自由や差別を訴えられてもお門違いも甚だしい。
仕事の邪魔をするな、プライバシーを侵害するな、お前たち自身が傷つくからと示唆しているのを無視して「お前が悪いと」頑固にやり続ける。わたしは主にゴリオとその仲間に促していたのだが、おっじゃなかおっじゃなかと周囲に撒き散らし自己正当化してわたしを囲い込んだ。そういうことをすると、あなた自身が自らによってなされた被害をこうむるからやめろと何度も教えた。だが、やめなかった。
わたしは彼らを変えるつもりもないし、第一他人が変えることもできないし、足し算引き算もままならない人が微分・積分の応用問題に手を出してもチンプンかんぷんで必ず誤解し勝手なことをやらかしかえって自分を害するので遊び半分であるいは好奇心であるいは自己正当化のために読むのは勧めない。また、高次のことを知ったのに実践しなかったら、知らないでやっている時より、戻ってくるマイナスが大きくなるから、知らない方が身のためだと思うのだ。
この人たちの恐れとエゴはキチガイじみた行動をとらせるようだ。
覗き見と盗み聞きをやめろと伝えているのに、境界に植えてあった立派なつつじを伐採する始末。おかげですっからかんになり、高台にあるわが畑は舞台さながらとなり、ゴリオの家から丸見えとなった。ケツコばあさんの部屋からはていのよいストリップ劇場そのものとなった。畑でわたしたちのなすさまを隠れて鑑賞し、あれこれ評論していた。
しかたがないので境界線に生えたセイタカアワダチソウを保護して目隠しにしていると、それも「そこはウチんとこ」と主張し刈りとるし、仕方がないので海苔網を張りそこに蔓を巻きつかせていたのが気に入らないらしく、何度も何度もしつこく、わけのわからないことを妻に電話で言ってくるものだから、葛のつるは山手側からとあなたがたの旧家屋から生えてきているみたいですよ、と応じていた。けれどもそれでは気が済まなかったようで、執拗にわめいていた矢先に老婆の頼んだ親戚が草を刈ったあとに火の不始末とかで燃え広がり、せっかく巻きつかせた葛が焼けただれてしまった。どういうわけか聞きに行くと出てこない。電話をかけてきたので丁寧に説明したが、それでも収まらず、妻とふたりで畑作業をしようとしたのを聞きつけ、また大声で名前を呼び始めた。このあたりの経緯は前回書いた通りだ。
この老婆が柵とそれに巻きついた葛のつるに異常にこだわる根拠は、おそらく、前年の冬にわたしが山の斜面にあったススキの穂を境界線に置いていたのを覗き見していたからだろう。
わたしが故意に柵につるを巻きつかせているのに、自然に生えてきているように言うから、知っとっとばいとばかりに怒り憎んで執拗に言いがかりをつけていたのだろう。この老婆には、ススキと葛の区別がつかないのだ。
ススキは枯れたら肥やしにしようとしていたのだが、残念ながら定植しなかった。また、畑には、彼らのクヌギ畑からわたし共の家の敷地に転がってきて勝手に芽を出した数本の苗を移植した。枯葉を集めて肥やしにするためだ。
だが、邪推の名手ケツコばあさんにかかれば、おったちと敵対するためだ、ということになるのだろう。
この人たちは、隠しカメラにしろ無断録音にしろブログにしろ、覗き見をするなと伝えても決して、
「覗き見はしていない」
と返してきたことはない。
お前が悪かけんた。と言い張る。やっているのを正当化しているのだから、確実にやっているのだ。
監視しておかなければ何をするか知れないだの「ほんなら、うちにドロボーが入ったら責任とってくれるとな?」だの、手前勝手な理屈をつけてやり続けてきた。
人間が人間を監視する。
傲慢な観念で全てを正当化するこの者たちこそ、何をするか知れたものではないではないか。
「見られたら都合がわるかとじゃろ」
などとあざけり、隣近所の正しい付き合いとは、あけすけに見せ合うものだなとと言い張る。実に、ヘンタイ性欲者である。悪口ではない。彼らの性癖、性状を正確に表す日本語はこれ以外にはない。
なんど覗きをやめるよう促しても、ああ言ったこう言ったと問題をはぐらかし、じぶんがわるかとにこっちのせいにして、などとゴネてはわたしを糾弾し、やり続けてきたのだ。今回の聞えよがしの大声も、
「隠しカメラで見ているのも知らんで」とでも言いたげな口ぶりだった。「柵やら作ったって、ムダなのにね」
とあざける。盗撮している上に、見たことに勝手な意味をつけて言い触れ回る、まさに犯罪レベルのゲス野郎である。
見せられんとぢゃろ?見せられんとぢゃろ? と迫り、どんどん他人のプライバシーを侵してくる。もう一度繰り返すが、この人たちの性根は他人の尻の穴のシワを数えるまで安心できないケツの穴シワ数え族だ。
たいていの人には、隠しているわけではないが見せる必要もないことはいくらでもあるのではないか? だが、彼らにはそれが許せない。他人行儀で信用できない人物と映るのだ。ケツの穴シワ数え族の性癖である。尻の穴のシワを数えさせない輩はよそ者だ、敵だ、ドロボーだといぶかしがる。そして、こう疑う。
「見せられんこっばしよるけん、隠しとっちゃろ」
まさに変質者の思考。覗きを正当化する覗きの言い分。ヘンタイだから覗き、さらにヘンタイの理屈で正当化する。このような嗜癖を持つ者がどの程度の霊格なのか。それは前回明らかにした。
なのできっと、彼らには隠し事は皆無であり、なんでもおっ広げて見せる。ウォエップ。おぞましい。慎しみなく、たしなみなく、卑しく下品だ。見せられても見たくもない。犬猫や牛馬豚と同じでケツの穴を見せながらプリプリ歩いても平気、交尾のシーンも平気、自慰も示威もほら見ろと迫り、家族の諍いも周囲への不平不満も、平気で垂れ流す。うんこもしっこもやりたくなったら、ぱんつをおろしてそのへんでやりはじめる。
唯一隠しているのはカネ、どんなアコギな方法でガメ込んできたかだけは奥の奥にしまって出さない。
こんな輩に好かれようとするのは、愛でなくエゴである。
さて、あら、と言った前に老婆はいまいましそうにこう嘆き吐き捨てていた。
「ちょっと、あげなひとは初めて」
だから、田舎者というのだよ。
この閉鎖された空間に生息する人間未満の輩たちにあるのは、隣近所の数少ないサンプルのパターン、それも程度が低くて志のない生きる亡霊のような人々にあるいくつかのタイプに当てはめて全ての人物を定めようとする。しかも、老婆の価値観に沿うか沿わぬかで選り好みしているような人物判定など、見誤りも甚だしい。
この人はまた覗き読みし「うちが60なら、あんたは30たい」などと吐き捨てたが、公平性を蘇らせた200は最低なければ正確な測定は担保されない。気分や機嫌で境界線やルールが変化するような人たちだ。好きなら高評価、嫌いなら唾棄し嘲り地獄のように言い募る。好悪に普遍性がないので全く当てにならない。己のエゴを満足させる奴隷だけが好みなのだ。
ところで、ホーキンスによれば、動物の中で最も賢いとされる象の群れが190なのだそうだ。パンダが185、キリンが180。イルカはおそらく300・400・500のレベルでクジラも数百年生きたシロナガスクジラなどは500以上、1000くらいある大物もいるのだろう。
200以上になったからヒトダマとして人間に転生しえたのだが、前世の癖が抜けきらないのか、畜生の振る舞いをする者も人類には半数以上いる。
ちなみに、猿が125であるらしいので、下がる前にも80台だったこの婆さんは、ーー。

だいたいこの過疎の村に、お前たちの意にそぐうド田舎者が引っ越してくるわけがないし、常識と流行を備えた人々が、都市部からこの町の新興住宅地には定住しても、わざわざ奇怪な風習のある衆落に移り住むわけがない。尻の穴のシワを数えなければ気が収まらない妖怪ジジイとババアのいる村に。
少し変わった者しか引っ越してこないことを知っておけ。
さて、サヨはどうなったか?
