4
家に戻り作業を再開した。残りの枯れ草を焼き始めたら、ガラッと戸の開く音がして、ケツコが大声で
「燃やさんでぇー、」
と言い始めた。「煙が来るけん!」
おそらくは、自分たちがいつもそうしているように、わざとやっている、とでも思ったのだろう。わたしは昨年からの予定通りに行動しているだけだ。それを、さっきの当てつけで故意にやっていると決めつけたのだろう。自分たちの不埒をチャラにするためと、「やり返し」に対するやり返しをしているのだ。愚かな。
ともかく、老婆の訴えを聞きながら、これを今消すとかえって煙だけ蔓延するなあ、と思った。水を掛ければ次に燃やしにくくなる。どうしようか。
完全燃焼させた方が煙が少ないなと思った。思っていると、さらにケツコが畳み掛けてきた。うしろでサヨが入れ知恵しているのだろう。
「夜に燃やしてー、洗濯ものににおいがつくから!」
それは密集住宅地の話である。サヨの生活感覚で決めつけアドバイスしているのにちがいない。こういうのを言いがかりというのだ。すたあしーどかなんか知らんが、言うことは言わせてもらう! の意気込みがこれだ。
そして最後に
「奥さんに怒られるよー」
と付け加えた。
なんというか、悔し紛れのガキの発狂といった様相を呈してきた。しかしどうやら、
ーー奥さんの言いつけを守ってきたゲナ
ーーどうして奥さんの言うことだけ聞くのよ
ーー奥さんが怖かとよ
わたしが帰り道を歩き再び作業を開始するまでの時間、ヌメリとケツコはこのようなことを考えた様子である。
区長さんに引き続き、役場にまで訴えた老婆を世間では大方、以前からそのケがあったものだから「とうとうケツコさんがニンチになったげなバイ」と噂しあったことだろう。ヒソヒソヒソ「あたまのオカシならしたげな」
さんざん利用してきた世間の噂に討たれる。あはれケツコ。
畑で枯れ草を燃やす頻度、それからうちの畑と隣の畑や家の高低差を鑑みて、どちらがどちらに煙の被害を与えているかは明白だ。しかも、わたしの燃やしている所のすぐ横には柵によってできた衝立がある。煙はそれに沿い、上方に向かって立っていく。下に吹き付ける強風でもない限り洗濯物を直撃することはない。しかも、わたしが畑の枯れ草を燃やすのは年に数回のことだ。越してきた1、2年は畑の土を作るために日夜、籾がら薫炭を作っていたが、この4、5年は畑に出るや、老婆が大声で名前を呼び続けるので、ちょっと億劫になっていた。仕方がないので、時々応じてやると、盗み読んだブログを悪意に解釈したような皮肉を言ってくるので、それが何度も重なって、ついに1年くらい前から完全シャットアウトすると決めた。すると今度は勤め先の妻に執拗に電話を入れるようになったのだった。
この仕事熱心な老婆は、月に何度も、年に数十回は枯葉枯れ草を畑で燃やしている。低い所に位置する老婆の畑から出る煙は否が応でも、風が逆方向に吹かない限り、こちらに漂ってくる。向こうから吹く風に乗っては容赦なく、わたしどもの洗濯物に襲いかかるのだ。しかも、たいてい風はあっちからこっちに吹いてくる。
それについて一度でも抗議したことがあったか!
ガタン! と大きな音を立てて戸を閉めるケツコとヌメリ。カーテンまで締め切った暗い部屋でふいーん、とケツコは鼻をならす。
ーー気があっとぢゃろ
忌々しげにつぶやく。煙が消えないことから邪推したのだ。
ーー奥さんの言うことばっかり聞いて! ヌメリが煽る。
ーー気があるっちゃろ
L字尺が振り向き、サヨに言う。
ーー好いとっゲナ 自分の言葉が自説を焚きつける。ヨタヨタと歩き、リクライニングチェアーに腰を沈める。
ーー好いとるけん、A子さんのことは聞くとぢゃろ
などと忌々しそうに吐き捨てる。
ーーそうだよねえー ヌメリがイタズラな目を光らせる
ーーおヨメさんとフリンばしたかとばい
などとひとりごちるケツコ。悔しくて悔しくて。引っ込みがつかず。だがこの頃にはもう確信に満ちている。
知っとっとバイ。ブログに書いてあったと、十年前の記事を引き合いに出しヌメリを洗脳にかかる。へえ、そうなの? などと乗るヌメリ。6才と3才が交わす会話にふさわしい微笑ましさではないか。
要するにさっきからこの婆さんは、痴話喧嘩をふっかけてきているのだ。旦那を亡くして早、なんねん?
どっこい、わたしはそんなお遊戯には乗らない。そっちで適当な相手を見つけてやってくれ。と思う。
こんな馬鹿げた売り言葉を買い「こっちにも好みというものがある」などと返えそうものなら、思う壺である。次のラウンドのゴングをケツコとサヨが喜んで鳴らすにちがいない。あんたが好かんげなばい、と泥仕合いにまたA子さんは引き込まれるのだろうか? 以前、旦那のmicro珍陳の根拠にヒステリーのことを書いていたら参戦してきた実績があるが、もうやらないだろう。バカバカしすぎて。(ところで、テキトーに書いたことにマジで反応してきたところをみると、事実だったのだろう、ゴリオのmicro珍陳withインポ)
ここでケツコをさらに逆なでするようなコメントをしておこう。わたしたちが引っ越してきた当初から「少しでも住みやすいように配慮」を曲がりなりにも、それなりにし実行していたのは、奥さんだけだ。ケツコとゴリオはいぶかしい目で疑い、覗き、盗み聞きし、詮索、談議の盾としてそう思っているふりをしていた。
成長不良の大人そのものの姿。エゴが異様に肥大した田舎のババちゃん。優しそうだ、頼れそうだ、かまってくれそうだ、と見るや甘え倒そうとしてくる。わたしにはそんな甲斐性はないので、誰か、演歌歌手や男性アイドルを見繕って血道をあげて応援し己の煩悩を満喫してくれたまえ。
ポジティブな付き合いがかなわないとなるとネガティブな方に移行してまで相手してもらおうとする。構ってちゃん。この徴候は心理学概論程度に記載されている初歩の認識にすぎない。米寿の祝いには、その歳にまで小児性を保持し己の小児性を知らずに過ごせるほど安楽の生活が与えられていたことに感謝するべきだ。
ずいぶん前からわたしの書いたことの言葉を思い出す度にあれこれ詰め寄る姑に、おそらく奥さんはこう言っている。
「ウチが読まんならいいだけのことでしょ?」
また、長女はおそらくこう言っていた。
「そうよ、たいして面白くもないし」
この二人の言う通りだ。
このブログが、世間に流され、噂を気にし、時節の価値を追い求め、エゴに振り回されている者に面白いはずがないし、また本意や要点が読み取れるはずもない。
けれども他の人が読んで変な噂をし合ったらどうしよう。気になって仕方がない。だからいつまでもしつこく付きまとう。恐れをベースとした発想だが、それはあんたの息子のゴリオが作り上げた仕組みだから、こちらはどうしようもない。知ったかぶりして教えて回っていたのは、お前の息子だ。わたしはなんども止めるよう促したが、聞く耳を持たなかった。
だがそのゴリオでさえ、このごろでは、7年も覗きをやってきた末にようやく、わたしが『一見、誰か特定の者に文句を言っている風を装い、その実、高度な真実や認識を示唆している』ということが、うっすらと解ってきたようだ。
こんなのは眼のある者には一瞬、文学の素養のある者なら一週間ほどで見分けることができる程度のことだ。だが、人間になって間もない彼らには1か0かでしかなく、たいていは不安に傾いた解釈を採用する。曖昧さや錦や綾や縞など分かりようもない。
しかも、いかにも怒ったり非難しているように思えた文章は、文章を書いてみれば、そのような精神状態にあれば書けないことがすぐに理解出来る。文筆家のこの能力は役者の演技に近い。俳優(わざおぎ)まさに人に非ず。目的を果たすために別の人格となって、まるで作者本人がそう思っているように書きしたためる。それが小説家というものだ。
それから日が経ち、二月ごろのことだ。午前中、玄関の扉を開いてニワトリ小屋へ向かっていると、ババが
「あら、出てこらした。悪口言いよったのが聴こえたんじゃろか」
などと言って、どうれと立ち上がる。身に覚えがあるだろう? ケッちゃん。
ここから老婆の地点まで、数十メートルは離れている。全神経を集中して聴き耳を立てているのだ。こういう、執着と悪口、当てつけなどやっていると、その度に魂は減っていく。
(蛇足しておくけれども『悪口』はわたしとは関係ない。あなたの品性を世界に向かって示しているだけで、さらには品格を落とす。わたしの本質や性質、事実を的確、精確に見極めたことならわたしを変えうるし、あなたがたの品格は高くなる)
5
ところで、周囲はすべて彼らの所有地らしい。山もクヌギ林も旧家屋も。引っ越し当初はただの『自然』だと思っていた。地球と宇宙の贈り物、完璧な調和だと。それを人間が世話させて頂いている。そのつもりでいた。ところが何かにつけて、ババと息子がやたらと所有を主張してくる。おっがとこ。おっがとこ。
「ちょ、ちょっと、触らないで」と注意するくせに管理だけはタダでやらせようとしてくる。わたしたちも引っ越してきた当初は使わせて頂きているのだから喜んで世話をさせて頂くつもりでいた。けれども、位置位置くびきして区切る。そうやってわたしたちを狭い範囲に閉じ込めた。我欲の権化か? 手練手管で手に入れた財産への執着が浅ましい。なるほど、ならばこちらとしても態度を変えざるを得ない。
ある時、越してきて間もない頃、この人たちの野望をーー即ち、この辺りの土地を全部、高齢になった老人が手放す度にタダであるいは金をもらって手に入れ、ひいては議会に持ちかけて住宅地にでもする時に高額で売りさばこうーーをfacebookに書いてみたら、さあたいへん、所有権主張が強化された。わたしがそう思っているのはけしからん、と。あは。(^O^)
わたしたちの借りている家屋の周囲は山・林・空き家・ゴリオ宅に囲まれている。そこから落ちてくる泥、枯葉、下から伸びてくる葛の蔓、おかげで車庫の中にはクヌギの枯葉が吹き溜まり、排水溝の蓋は詰まり、梅の樹にまきついた蔓のせいで枝がもげる始末。わたしたちはそれについて一つでも何か要求したか?
また、お前たちの山から春秋に撒き散らされる杉檜の花粉。
あらゆる被害は、お前たちの所有地からもたらされているではないか。決して、
お互い様
ではないのである。
しかし都合の悪いことは、ゴリもケツもそれで済まそうとする。お互い様。
何を勘違いしたか、己の醜悪な性質やらをベラベラなすりつけてくる始末。こいつらは、なにをやってもお互い様くらいに言ってタメにする。
また、彼らの敷地にある柿の木や畑に農薬を散布する。その噴霧がわたしたちの畑にまで入ってくる。洗濯物にまで付着する。彼らの入れた除草剤は地中から蒸散し空気中に混じりわたしの肺にも入ってくる。
だがこんなことをちょっとでも言った日には、精神年齢8才半のゴリオは「おまいもバイクに乗りよっじゃんか。排気ガスはまき散らしよる」と嘯く。お前の家には車が何台ある? どれだけの農業用機材を有しているのか?
それでよく「お前もやっか!」などと言えるものだ。観察眼のなさ。引き算すら満足にできない。
「わがんよかごつ、言わんしゃ」(=自分に都合の良いように言うものだ)
とプリプリ怒る。1か0でしか物を考えられないのである。
家を威張らせ、立派に見せるために、家に少しでも収入を増やすために、農薬は
「土に落ちれば自然と分解する」
などと知った風なことで押し切り、何事もなかったような顔をする。
お前の息子が無理やりに田畑に入れさせた何百トン何千トンという農薬や除草剤は地球に多大な害毒をもたらしている。それに目をつぶり、ほとんど悪影響を及ぼさない、あるいは最小限に留めている者を責め立てる。相手のことには厳しい。
こちらは、選択にはシャボン玉石鹸の製品しか使っていない。入浴にも食器洗いにもできる限り自然への悪影響の少ない物を選び、それに金銭をかけている。
お前たちはどうだ? 日用品はケチり、人工香料の入った良い匂いのする、白く見えるよな蛍光塗料の入った洗剤、石鹸、歯磨き剤などを使っている。一体、わたしたちの何百倍の害を出しているのか。
いつぞやゴリオは、化成肥料で育てたホウレンソウの乳幼児における害を説明した大学教授を、あげんこつ言われたらカネが稼げんごつなるとぶつくさ責め立てた。赤ちゃんの命より、自分の数十円の利益の方が大切。
こんな考え方をしてきたツケは必ず自らの肉体で証明することとなろう。というか、もうすでに実証済みだ。その体を観て、お前の空想や屁理屈がどれだけ信用できるものなのか。
こいつらのお互い様はわがよかごつである。決してフィフティ=フィフティではない。
お前もやっか!
と闘声て、己の不埒をゴワサンにする目的で、まるで真実であるかのように主張する。
この人たちは、何か指摘されたと感じたら鐘を叩くようにすぐ「お前もそうやろ」と返す。
だが、自分のことを棚に上げた物言いをすれば、すぐにわたしは上から叱られる。
それでよくよく自分を振り返り、吟味し、きちんと自他を相対化した上で物を申している。
なんでも「お前もやっか」が、時にはヒットすることもある。
「よくやったな」
「あなたもね」
だと美しい感じがする。ところがこの毛むくじゃらの村人たちは、愚かさを指摘られたり高度なアイディアを提示されると、(それも覗き読みで)
「お前も、東大出とらんやっか!」
と、闘声る。
卑下したり自暴自棄になる代わりに。
学歴コンプレックス・学歴厨・味噌糞一緒くた・
そんな劣等感の類が噴出している。
しかも東大との学歴差幅は彼らの方が大きい。ますます自分たちを下に落とす物言いだ。
バカの上塗り
にもかかわらず、地ゴロ、権勢者である彼らは、そげん言うならお前はどうなんだ! と怒りまくり、自分たちの不埒を蹴散らし、相手を責めさいなみ、謝罪させ弁償させ、時には×害する。まるでどこかの国の民族だ。魂も頭脳も弱い奴の特徴だ。そうやって自分に逆らう村人を、自分の取り分を減らしそうな輩を、黙らせてきた。そして、手前盛り。
「ボクの小学校の時の同級生は同じクラスから、ふたり、東大に行つた」
ゴリオの親戚の町会議員さんが言う。
だからなに? この村に残っているのはあなただし、第一、あなたの学歴ではないし、こうやって他人の努力や成果や名誉を引き合いに出すところが劣等な地域、劣等な人の特徴だ。そうやって全体を良く見せようとすることで自分をも良く見てもらおうとする。カッコつけるからカッコ悪い。自慢するからしょーもないのが露見する。そんなことすらこの人たちは知らない。己の知性が信じられない、可愛そうな人たち。
全人類に問う
このような輩は地球に要か不要か? これからの地球に。
では、変わろうではないか。
前にもそういうことがあった。二十年以上前、やはり土着の先住民だ。引っ越したばかりのこの町の団地で、ニコニコしながら自分でさんざん健康食品を売りつけに来て、断ると陰湿な仕返ししてきて、それの言い訳に「お互い様だから」だそうだ。
こちらはなんの用事もないし、なるべく迷惑のかからないように生活しているし、不可抗力であっても何か粗相があったらちゃんと詫びを入れていた。だが、煮えきれない生活をしているうっぷんの捌け口にしようと、あなたがわるいのよあなたがわるいのよと不定愁訴してきた。それを拒否すると「お互い様」だとか。自分の心の問題には自分で取り組まなければどうしようもないのに、周囲と戦えば解決すると勘違いしている。
さらにその女性は「かつて私もヤられたからヤッタ」などと責任逃れまでした。第一に、やり返すならやったやつにだ。第二に、なめとんか? 第三に恨みは回すな。
旦那と生活に不満のあるその女性は被害者意識を募らせ、欲求不満を募らせ、周囲に当り散らすことで解決しようとしていた。
この土着先住民の子孫とその仲間である土着先住民の子孫だけが周囲の流入組との間に問題を起こし、その他の人々とはわたしたち家族はなんの問題もなかった。むしろ和気藹々と仲良しだった。どうも、インネンをつけ言いがかりをつけてきて無理やりに謝らせ弁償させるようとする方法は半島の臭いがした。ちんぴらヤクザそのもののやり口であった。
この町の特殊な歴史があり、大陸や半島から多くの人が移り住んで住み着き異質なルールで生活し、それが町政にも色濃く反映されていたからたまらない。そう、この町の異常さは、そこである。他の市町村にも程度の低い者はいくらでも含まれている。だが政治はそれなりに高度な認識に基づいて行なわれている。ところがこの町ではゲスのエゴ、我欲が優先された側面が強かった。特に20年くらい前まではひどかった。このところ改善されてきたがまだ残っている。
(この町の行政区域内には、京から落ち延びてきた貴族や僧侶、士族あるいは出戻りのシュメール人の末裔も静かに暮している。その方々は、精神性も高く教養もあるし才能のある者も多い。だからこそ、半島や大陸からやってきて住み着いた農奴や貿易商など霊性の低く我欲の強い者が多く含まれていても、均衡がなくもなかった)
なんにでも「お前もやっか!」と食ってかかりカンカンに起こるゴリオらにお寺の御住職様はお知恵を授けられ「怒らせて手を出させようとしているのだから」とわたしをせせら笑うことをお勧めなされたようで。
こちらは怒らせようとしているのでもなく殴らせようとしているのでもなく、覗きを止めるよう促しているだけだ。
現状を正確に把握できず相変わらずトンチンカンなアドバイスをするのは先代の父親譲りか。馬鹿な村人に馬鹿なお坊主さん。末法の世はお笑い天国だった。
お前もやっかお前もやっか、お前はどうなんだ?
バカのひとつ覚えのマシンガン攻撃、脊髄反射で口答え。
このひとたちは、自分たちが常にしているように、わたしが己の私的で手前かってな価値観や倫理観で他者を裁き、自分だけが頂点に君臨する皇帝のような振る舞いをしていると決めつけている。
ちがう。
中央置いた『眼』から、私をも観ているのだ。私自身についても等しく観察しているのである。
真ん中にあって、そこから私自身をも観ているのである。
私が全ての最上位に君臨し、あらゆる裁きをなしている、エゴで生きている者にはそう見えようが、そうではない。
中央にある、法則や本質から私や他の人や事象を観ている。したがって、わたしが誰かに対して言ったことは、わたし自身に対してもいっているということだ。同じようなことが起きれば、その可能性を観て検討し本質が何か、原因がどの想念にあるかを選り分け見極めているのである。
この俯瞰の視点は、今からだいたい20数年前に獲得し、どんどん磨いてきたのである。
わたしが求めているのは、たった一つ。ブログを覗き読みするな。たったそれだけである。それも『かれらのためにならないから』という理由でだ。読めない者が嫁が誤解と偏見で危険極まりない。だから、やめておけ。しかも、真理の一端を知ったなら、知らないでは済まされない。知らずにやっていた時の何倍もの果報を得ることになる。人間的、エゴ的に見れば、非常に好ましくない悲惨なことがどんどん起きてくることになる。それでもいいのか? 宇宙は霊的進化をするつもりなのだと受け取って機械的に物事を起こしてくるが、心の準備はできているのか。
ついでに、お前たちの旧家屋などに仕掛けた隠しカメラや集音マイクについては説明したり、警告書きを施しておけ。「防犯」などと言い訳しても、そのカメラの拡大して映し出している先に他人のプライバシーがあれば、法には触れなかったとしても、お前たちの魂を減らす。
覗き見をして他人の弱みを握っていざという時に「知っとっとバイ!」と主張して優位に立とうとする厚顔無恥さ。愚かさこそ『犯罪』の同義語に相違ない。ところがこの奇怪村では当たり前にやられてきたのだ。誰も異議を唱えることなく。
お前たちは、
覗き見し盗み聞きし詮索し吹聴するゲス野郎だ。
嘘をつき騙し言い訳し責任転嫁するクズ野郎だ。
食う事を理由にすべてを正当化するブタ野郎だ。
知ったかぶりカッコつけ教えたがるバカ野郎だ。
田舎者の四暗刻 役満だ。
認めよ、認めないから強くならない。賢くもならないし、いつまでも歯軋りして悔しがっているのだ。
クソするためにメシを食って憚らぬクソ野郎だ。
これを加えて田舎者のダブル役満、完成。
認めた瞬間、人間となる。
修羅餓鬼畜生の地獄界から人間界へと瞬時に移行する。
そして、そこにはもう落ちないと決意し、より高い認識へと進化していくなら、人間を超えた超人・神人となるのである。
すなわち、弥勒の世に住むことになるのだ。周囲に地獄を形成している者たちが集団でいたとしても。
※
さて、このあたりで、わたしの本心を明かしておく。このストーリーを読む者が、わたしが彼らと喧嘩しているとか暇なお婆さんの相手にしてやっているなどと思うのは明確な間違いだ、
わたしはこの人たちから学んでいるのである。
1から10まで愚かな様相を呈する彼らを観て、高次元とは何かを思い出したり創造したりしているのだ。知識も認識も乏しく低い彼らから、わたしは何も教えてもらうことはないが、学んでいる。
わたしの進化には、99パーセントの美と1パーセントの醜が必要だ。醜悪、邪悪、邪智、奸佞の堆積物、沈殿物の醸し出す特性は非常に貴重な生きた標本なのである。
すなわち「類は友を呼ぶ」の箴言はこの場合適用されず『進化の共同創造』だとわたしは捉えている。したがって、この者たちがわざわざ、しつこくつきまとうのは、
わたし自身が創り出したキャストと台本なのだと言える。
そのようにしてわたしはわたしの進化を促進しているのである。
ネガティブな闇。こうした、創造神(大意識)の断片の一部を観ることで、わたしはより全体的な魂の域に至っていけるのである。彼らが恩恵でなくて何か? とわたしは思うのだ。彼ら闇はわたしにより輝きをもたせるために現れた福音である。
わたし自身がうまくいくように、すべての物事は起きている。
とくに好ましくない、あるいは不測のことほどそうかもしれない。そこから高度なことを気づくことで、より円滑により望ましい世界を生きることになる。『わが目的』に適ったことが現実に現象化されているのだ。
怒り狂いたい者にはそうした現実が、よりシンプルに生きたい者にはそうした現実が、己の馬鹿さ加減を知りたい者にはそうした現実が、己の神聖さを経験したい者にはそうした現実が、創り出されている。
※
ここからがサワリだ。いかにして人々が魂を減らしているか、それを検討していく。こいつらが疑いをかけ無実の罪を着せても、
『金持ち喧嘩せず』
何事もなくわたしは済ませるが、宇宙はそうはいかない。法則通りに動いている。人間の法律は不平等であるが、宇宙のルールには例外も変則も抜け道も匙加減も情状酌量もない。厳格に機能し、完全に平等だ。ケツコが出したものは確実に受け取る。受け取る仕組みをこれから解説する。
