徳川家康の名前について、ウィキペディアにはこう記されている。
家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎、後に蔵人佐。諱は今川義元より偏諱を受けて元信(もとのぶ)、次いで元康(もとやす)と名乗るが、今川氏から独立した際に家康と名乗る。
以前はたしか、わたしの記憶では、このあとに「なぜ家康にしたかは不明」といった旨が書いてあったが、改訂されたのか消されていた。おそらく、NHK大河ドラマ『どうする家康』でそのあたりのことに触れたからではないかと推測している。名前の由来を調べたNHKに歴史学者が知識を提供したのではないか。
これから家康の命名についての持論を語るのであるが、実際、このことを思いついたのは、大河ドラマが始まるずっと以前であったが、いまここで公表することにした。
わたしはテレビ見ない派であるので大河ドラマに何が放映されているかをテレビで知ることはない。本屋に行くと歴史コーナーに大河ドラマの冊子が陳列されているので、ははあ、今はこんな題名のドラマがあっているのだなと知る限りだ。
『どうする家康』というタイトルは、なかなか面白い、歴史ドラマにはふさわしくない軟派な題名をつけたものだと感心したのだった。
それでこの度、不明の理由について記されたものがないか、他の情報を調べてみた。
『歴史の読み物』という記事から抜粋する。
1555年、13才となった竹千代は、元服(成人)して松平元信を名のります。
この「元」の字は今川義元から与えられたものであり、松平氏が今川氏に支配されていた立場を象徴しています。
(「信」の字は、代々の松平氏の当主が用いていた字の一つでした)
その後で、元信から「元康」へとさらに名を改めています。
この「康」の字は祖父の松平清康からとったものです。清康は若くして西三河の統一に成功した、武勇に秀でた武将でしたが、家臣の裏切りによって暗殺されており、それが松平氏が衰退する原因になっていました。その祖父にあやかろうという気持ちが、元康にはあったのかもしれません。
清洲同盟の翌年に、元康から名前を変えており、後世にもよく知られた「家康」が誕生します。「元」の字を捨て去ることで今川義元と完全に決別し、今川氏からの独立を強く宣言したことになります。
この「家」の字は源氏の先祖である源義家にあやかったとも、書経の句にある「家用平康」から取ったとも言われています。
元信、元康の名は確固とした根拠が判明している。けれども相変わらず、家康の由来は定かではない。
どうして『家康』になったか?
まずはこのふたつを並べて頂きたい。
イエ ス
イエヤス
時は永禄、ヨーロッパでは大航海時代の波が押し寄せ、日本にも宣教師たちがこぞってやってきていた。ザビエルやルイス・フロイトなどは有名で、キリシタン大名などが現れたり、細川ガラシャ夫人などは時代の象徴だった。
宣教師たちはデウスと共に、おそらくナザレのキリスト=イエスについても宣教していたのではないか。
そこで当然、家康もイエスの名を耳にする。
宣教師たちはイエス(Yeshua)のことを実際には、ヨシュア、イエシュア、ィヤシュ、ヤシュァ
などと発音していたのではないかと思われる。日本語的にくっきりさせるとヤソ、ヤソ教となるのかと思っていたら、中国語読みで耶蘇教なのらしい。
ええ?
と家康は聞き返す。
ィヤシュ、ィェーシュ、ヨシュア、イエシュア、ヤシュァ
どれも曖昧で、確然としない。
何度か尋ねたあと、
イエヤス
これにしよう、家康はそう思ったのではないか。『元』の字を外し、康の字に付けるにはちょうどよい、うってつけだ。
われは何者になりたいか?
家康は今一度己に問う。
もとより、厭離穢土 欣求浄土を標榜する自分は戦乱の世をおさめ、太平の世をつくるのだ。それにふわさしい者の名前として救世主と同じにする。この思いつきは、家康の胸を躍らせた。
家康
天下国家を太平安康させる。これこそ、わが仕事である。それを名に刻んだ。
そういうわけで、家康になったのではないかと思うのだ。まさか、日本の大名の徳川家康の名前の由来がキリスト=イエスにあやかっていたとは皆思うまい。だが、よく似てはいないか? このふたつ。
イエ ス
イエヤス
