その前に僕と二輪車との関係をおさらいしておこう。と言っても、これまでちょこちょこっとでも書いたためしはないのであるが。

そもそもの話、サークルの用事か何かで大学のすぐ脇にある自転車屋さんに行ったのが始まりだ。大学二年になったばかりの春、二十歳くらいのことだった。そこで僕はけったいな筐体を有する二輪車を発見する。

(厭味なバイクだ)

初めて見たとき、そう思った。ちなみに、妻と初めて会った時もそう感じた。

まだ戦後をひきずったような店だった。そいつは真っ黒で、ただでさえ暗い店内に映えるように黒く、漆黒の艶をもって黒光りしていた。丸みを帯びたデザインに反してゴツゴツした印象を与えてくるそいつは、ラッパを吹いて存在を報せていた大昔の豆腐屋さんの無骨な自転車のような風貌をしていた。

天井が低く、電灯もついていないだだっぴろい店内には油が染みて黒くなった粘土の上に自転車が所狭しと並べてあった。百台以上あった自転車の群れにポツンと一台まぎれていたものだから尚更そいつはデカくてイカつくて、ムカついた。

自転車屋を出た。晴天の空が眩しかった。サークル棟に帰る道すがらも、下宿に戻ってからもどうやら気になって仕方がない。なんというか、全体的に厭味なかんじがしたのだった。特に、リアフェンダーがタイヤを包まんばかりに下まで覆いかぶさっているところなど、僕の美的センスを逆なでした。

いやな奴だなあ、いやな奴だなあ

僕は下宿で寝っ転がってはそう思い、立ち上がってはそう思った。次の日、なぜだか僕は再び自転車屋さんに出向き、カタログを頂いた。

ビラーゴ

そいつの名前はそういった。じゃじゃ馬娘とか口やかましい女とかそんな意味なのだそうだ。

Virago

気に入った。横文字にすると尚更イイ。ネーミングセンスが抜群じゃないか。『馬』が入っているところなど最高だ。厭が好きに転換するときのねじれ。不快感の伴った喜びに少々背徳心もないわけではなかった。だがもうビラーゴと僕は一体になった気がした。

値段を見ると三十二万円くらいだったか。

買えないな、即座にそう思った。母親が毎日ミシンを踏み踏みやっと捻出している五万円が僕の総収入だったし、下宿も相場の三分の一程度の七千円のところだったしアルバイテンでも始めない限り見込みはなかった。僕は、ポーンとカタログを放り投げると横になり手枕をして眠った。

次の日、僕はくだんの自転車屋さんに出向き、店主を呼び求め、言い放った。

「これ下さい」

あがりまかちを後ろ向きに降り、突っかけを履きながら店主は、

「ああ、いいけど」

と言った。ゆらゆらと僕の前に歩み寄り、横にあった自転車の荷台を触りながら

「売るのは構わないが、免許は持っているの?」

「免許?」

正直、僕は面食らった。バイクに乗るのに免許がいるとは知らなんだ。

「これに乗って公道を走るには、免許が要るんだよ」

黙っていると店主は、続けた。

「試験場か、自動車学校に行って取るんだが、自動車学校の方がいいだろうな、そこに行って免許をもらってこなけりゃ、買っても乗れないよ」

サークル棟に戻り先輩にたずねると、近くの自動車学校を紹介してくれた。さっそく入校した。そこの売りは、発売されたばかりのホンダCBR400RRとかいうブーム盛りのレーサーレプリカで教習が受けられるということらしかった。一回目にはそれに乗せられた。どデカいタンクにフルカウル、やや前傾の乗車姿勢にバックステップ。こんなごっついバイクに乗りたいわけじゃないんだよ、僕はそう思いながら、ひゅぃーんという独特のエンジン音にうんざりした。けれどそれに乗ったのはそれ一回だけだった。あとは、傷と擦れだらけのヤレたCBでの教習と試験だった。

左手でクラッチ。右手で前ブレーキ。左足でギアチェンジ。右足で後ろブレーキ。もともと論理飛躍症と精神分裂症ぎみのわたしには、このバラバラの操作が苦にならないどころか愉快だった。

当時は一本橋も何秒以上などうるさく言わず、試験当日もバイクと試験に詳しいヤンキーが受かるコツを教えてくれたので、ふむふむと聞いた。

果たして、免許を携え自転車屋に行き、おもむろに、

これ

と指差した。

今度は支払いの方法が待ち受けていた。六十回払いで月々七千円くらい払うと利子分と合わせて買えることになった。保証人は父にお願いしたが、

どうやって払ったかは、憶えていない

支払いに関しては、僕はいつだって記憶喪失だ。

ま新たしいピカピカのバイクをサークル棟横の駐輪場に停めていると、

「ホンダからはレブルってのが出ているよ」

と教えてくれる先輩がいた。

いいのだ、いいのだ、僕は他のバイクにどんなものがあるか、全く興味はない。ただ、これがイイんだ。第一、これまでバイクに乗ろうと思ったこともなければ、大学生になったら乗ろうと算段していたわけでもない。直感だ。

我が物となったバイクをあらためて見ると、バーンと来るものがあった。嬉しさが胸からこみ上げてくる。

親切にバイク雑誌を持ってきてくれた人もあった。そこには、大排気量の車体が並んでいた。

HONDA CB1100R YAMAHA V-MAX1200 Kawasaki GPZ900R ninja SUZUKIGSX1100S タナカ、いやカタナなどの逆輸入車が掲載されており、僕は気が遠くなった。国内では750ccが最大排気量のバイクであるのに、自分の免許では400ccまでしか乗れない。

小学生の時に習っていたピアノでレッスンを受ける順番待ちに『ナナハンライダー』を読んでいたのは委員長が好きだったからであって、光くんが乗っているからといってナナハンに憧れはしなかった。それでなくても、あんな危険そうな原付バイクに乗っている人の気が知れなかった。そこへ持てきてオーバーリッター車は、250ccに乗っている自分からすれば制御不能のモンスターに思えた。第一、ニンジャだのカタナだのネーミングは、カッコ悪いと思った。

僕はバイクが好きだったのではない。バイクに乗りたかったのでもない。ビラーゴが好きだったのだ。ビラーゴに惹かれビラーゴと過ごしているのであって、他のバイクには目もくれない。いくつか見て検討し、あれこれ悩んで思い切って購入ーーなんて楽しみはなかった。直感だ。

五年間の雨晒し日晒しの末にやっと破れた後部シートの補修に行ったバイク屋さんでオイル交換を勧めてきた(と言っても、オイルが入っていることも、それを交換する必要のあることさえ知らなかったのだが)店主が、

「かっこよく作ってるけど・・・」と言いながら奥から雑誌をもってきた。「これが本物だ」

見ると、裸にチョッキを着て胸毛と腕を出した男たちが長いフロントフォークのバイクに跨っていた。

ハーレー・ダビットソンと書いてあった。1500ccもあるという。

(こんなもん、乗れないよ)

ページをめくりながら思った。でも、いつか乗ってみたい気もした。

ヤマハがこういうバイクのミニチュア版を作ろうと企画し、満を持してビラーゴを世に打ち出したなんて知らなかった。でも、僕にとっては、これが本物だ。メーカーだのジャンルだの性能だの、そんなことはどうでもよかった。頭でバイクに乗るのは、ジジイのすることだ。

いつしか僕はじゃじゃ馬娘ビラーゴ250に惚れ込んでいた。

重量140キロ台の彼女は、自転車の延長線上にあり、足つきもよく取り回しも楽チンだった。セルボタンを押すと激寒の真冬でも機嫌よくエンジンを起こしてくれる。迷路のようになっている熊本の道路で迷っても途方に暮れながらあくせくペダルを漕ぎ続ける必要もなかった。時速70キロを超えると激しく身震いし始める彼女は僕に下道の風景を楽しむことを勧めた。急な坂道では、エンジンの存在を強く意識させてくれたし、小食だった彼女はガソリンスタンドとの関係を疎遠にしてくれた。エンジン音は楽器メーカーを彷彿とさせるシャープでありながらおしとやか、マフラー音も拍子抜けするほど控えめで、ガミガミ、口うるさい女という名前は馬鹿な男を寄せ付けないためのカモフラージュだったことを気づかせた。

 

これが僕と二輪車との馴れ初めだ。

 

つい数年前まで、バイクにバッテリーが積まれていることも知らなかった。オイルはおろかプラグ一本交換したことがなかった、というよりそんな物が搭載されていることすら知らなかったのだ。ネジ1本触ったことのなかった僕がどうして整備工まがいにバイクをいじり始めたか。それは次回に。