第二次大戦で日本が勝ったことにしないかという提案を夢の中で受けた話 ③
名前の不明だったおふたかたの内お一人が田中英道さんであると判明した。と言っても、もちろんご本人に問い合わせても身に覚えのないことに違いない。丸い眼鏡と小柄な感じが記憶に残っていて、つい先日YouTubeの広告でお顔を拝見した途端、この方だと直感した。もし、通常語られる日本史に異論があり、これが王道だといった事実や史観をお持ちであれば、おそらくその意思があるに違いないと思う。
たしか、田中さんは一番右端にご着席で、まんなかの「すぎやまこういちさん」との間にもうひとかたいらっしゃったのだが、この方についてはいまだに判明しない。メガネはかけておられず、髪がザンギリのようだったのを憶えている。超人・政治活動家・作曲家・□□□・史学者という並びの中にひとりとすれば、理科系の方かなあ、と思う。宇宙物理学者とか。
この田中英道さんとは、生粋の学者であると思う。みまごうことなき史学者である。博識で確かな思考力をもった、歩く知性である。元々の専攻は政治史でなく美術史であったそうだが、造形から思想を読み解く手法を開眼され、それで縄文時代の土器や遺跡、日本建築などに目の覚めるような視点を与えられた。
造形、形からあるいはその比較によって意味を読み解く。このような方法を以って美術の方面から日本文化を考察された成果は懼るべきものだ。『感受』されたもの(エネルギー・念・思想など)を形になぞらえて言語化する。形にはそれらが現れる。言語化された文献を通す前に形そのものと対話する。それこそ、理屈を超えた直感の領域、物事の本質をとらえられる眼力である。この眼力のない者は『学者』の名に値しないとわたしは思う。
形状の比較によって意味や価値を読み解く、とおっしゃっているのだが、実のところ、目利き、鑑定眼とはまさに直感にまで感覚の発達したことを示すのであり、これこそ本物の学者である。知識の集積すなわちファイリングされたデータに照らして真贋を決定するのでなく、形から意味を紐解く。誰の、もしくはどうような思想、あるいはどのくらいの高度さをもったワークであるか。それを見極められるのが本当は学者の素養であるはずだ。
おそらく田中さんは他の分野に対しても、非常に本質的なことを言い得たり、的を射たことを指摘されていることだろう。たんなる「センセー」でもなく、教授でもなく、学者である。大学のあふれている昨今、大学教授をしているだけで学者だとするのは、今や体のいい肩書きもしくは、おべっかの類となった。日夜、知識を増やし飽くなき探求をしていく姿勢が生き方そのものになった人物、それを学者と呼ぶ。探求していった末に直感に至る。それが本物だ。
ところが、学者であるが故にまた学会の悪癖をも踏襲されている。本心でどう思っていらっしゃるかは知る由もないが日本人のルーツを語る時「アフリカで誕生した人類がーー」という言い方しかできないのだ。どうしても、学会の枠から出られない。出れば即座に「オカルト」のレッテルが貼られてしまう。「科学的思考」から外れた「宗教的決めつけ」と見なされる。科学的な客観性であるならという理由で一般人も信用する。それ故に、自分の考察にそれなりの威信をもたせようとすれば、一応学会の通説を踏まえて踏まえた上でしか語れない。そこに学術の信頼性と共に、狭さや囚われを覚える。
まちがっても「地球には数億年前から様々な宇宙人が飛来したが、最初に地球型の知的生命体の原型を作ったのはアヌンナキという宇宙人であった。彼らは金の採掘に来ていて、その労働をさせるために自分たちの遺伝子を分けた細胞型アンドロイドを開発した。それがアフリカ人の一部である。その後、地球に来た幾種かの宇宙人がそれを元に様々なプロトタイプを作って地球各地に定植した」とは口が裂けても言えないのだ。だから、どんなに頑張っても学会の常識の枠を出ない学者の指数は499以上にはならない。智に働けば、愛は気恥ずかしいという状態でとどまるのである。物事や臓器を『物質』とだけ扱う以上、500を超えることはない。
したがって「ーーどうやって日本にたどりついたか」という問いが設定されてしまう。人類の起源がアフリカなら、その後に誕生した日本人は移動してきたという帰結しか許されないのである。だが、どんなにがんばって証拠を探しても、黒人が黄色人種に分岐し、それがまた白人に分化したという事実は出てこない。にもかかわらず、生物学ではそのようになったと勝手に推論し、事実ということにしている。それはつまり、ある時突然、黒人の夫婦から色の浅黒い子供が生まれたことを意味する。また、その浅黒い夫婦から白人が生まれなければならない。もしそのようなことが過去に起きていたのであれば、今現在も起きなければならないが、何世代前かに混血でもしていない限り、そういうことはありえない。歴史の順序を不可逆で地球の自然のみで発達したと捉えるなら尚更、起き得ないことなのだ。
人類の誕生は、生物学によると、東アフリカのグレート・リフト・バレーに草原ができたことに始まるそうです。ここに草原ができたことで、それまで木の上で生活していた人類が歩くことをおぼえ、直立二足歩行になったのだとか。愉快な笑いを誘う空想なのですが、わたしが幼少の頃から同じことを言っているようなので定説になっているのでしょう。二足歩行が上手になった人類が世界各地に歩いて移動したのだそうです。そんなことが生じたのなら、今現在も木の下にくさはらのできた猿が突然、二本足で歩き始めてもおかしくないのですが、そんなことはありませんね。人類だけは他の動物と違い特別な自然進化型の生き物だったのでしょうか。それだったら解らなくもないことだ。それがなんだか解らないけれども黒人しかいない猿から黄色人種が生まれ、さらに白人が生まれ、髪の毛の色が多種多様な、瞳の色の千差万別の人間が分化していった・・・。黒人は何世代にわたって寒涼な地域に住んでも白くはならないし、エスキモーの夫婦から突然白人が生まれることもない。まったく科学の想像というものは平気で物証を無視する傾向にある。
もし、後の時代に発生したと見えるなら、元になった遺伝子に後で手が加えられているということだ。それなのに、ずいぶん昔のことでよく解らないからエイ、ヤーっと勝手な決めつけをして「妥当な推論」などと言う始末。なにかよく解らないがだんだん白くなっていったにちがいないとしているのが現代生物学である。ところが北欧人は初めから北欧人で、チベット人は初めからチベット人なのだ。一カ所で誕生した人類が各地に散らばった。これなど地球の科学がいかにお粗末かを示す「妥当な推論」なのである。
同様に、田中さんは西洋の宗教が一神教であることを指摘し、神が人間を創ったのが「無理な話」と見られているし、それが限界である。まさか、西洋の、特にユダヤの聖書に出てくる「神」が宇宙人を指していて、それが遺伝子操作をして人類を造ったなどとは認めることはできないし口にすることはない。たとえ人類を作った宇宙存在が姿を現し「私がやりました」と言ったところで信じることができないのである。また、その宇宙存在を創った存在もあるのだ。このことは、もう少し地球の遺伝子工学が発達すれば簡単に解るようになる。
肉体も、電子のついた霊体にすぎないという智に至れば、自分を作ったのが父母だけでないと理解することだろう。
このことが当然だと知るには、700以上の霊格に在るのが必須条件かもしれない。深いところに眠っている記憶と言ってもいい。真相を思い出すという感覚だ。だが、50や100のレベルに在ると、キチガイのタワゴトにしか思えないだろう。
『神』(創造神)=霊と『子』=物質と『精霊』=魂の三位一体なのが人間である。また、創世記に「人は神に似せて創られた」と書かれているが、人類が似せられたのは宇宙存在ということになる。彼らのDNAが組み込まれているのである。地球という自然環境の中で生きることのできる肉体を作ったのだ。
ソドムとゴモラが、実は遺伝子操作の実験段階で物欲や性欲にばかり走り、それ以上の霊的向上を認められないタイプの人間を消滅させたことであるのが事実であったとしても、やはりいましばらくは言えないことだと思う。アダムとイブ。あれが人類のプロトタイプの一部を表した物語であるし、善悪を知るの木の実食べるようそそのかしたのは『相対性の世界』を教えた宇宙存在があったことを伝えたエピソードである。相対性を教えるか否かについては宇宙存在同士の意見のちがいがあった。
いろいろなパターンの遺伝子を入れて地球のあらゆる地帯に放ち、適応できるか、霊的進化ができるかを観察していたのである。それが人種や民族であり、各々のタイプには宇宙人の指導者がついて教え導いていたのである。
西洋の神も、ギリシャや初期のローマには日本と同じで『太陽神』が崇められていた。地球上すべてが、すべてである創造神と実際に恩恵を授ける自然神に畏敬の念をもっていたのである。ケルト人などもそうだ。そのように指導されていたからだし、風を感じ土を握り自然の恵みを頂きながら余計な知識なしに生きていれば自ずと分かる感覚である。そしてさらに先祖のおかげで自分の存在があるとすれば、先祖を敬うのは当たり前のこととなる。すべてである創造神とつながっている先祖は尊い、それはすなわち今を生きる自分たちをも崇拝することでもあるし、また、後世を尊ぶ気持ちも生まれるだろう。(先祖がさらに進化して新しく生まれてきているのだから)
したがって、祖霊崇拝など自然なことで、ある国の王権を誇示するためにこしらえた『一神教』は非常に不自然で人工的で、部族の祖霊崇拝に劣るものである。感謝や喜びを創造神にまで遡るのと、権力者を崇めたてまつり恐れさせ、しもじもが被創造物として卑下しなくてはならない宗教では、どちらの程度が高いのか、明らかだ。このごろ流行っている「今さえよければ・自分さえ助かれば・金さえもっていれば」教、あれはなんだ。
こんなことを言えば即座に「愛が大事なら、カネ要らんとぢゃろ」と反射的に思いつくよう訓練されており挙句、人をタダ働きさせる。そうやって手前勝手な理屈をつけてカネをガメ込むが、陰陽の法則を知っていれば到底できることではない。悲惨に散財する最善の方法に執着しているのだから。
「縄文人がアフリカから散らばった」というイメージは、人種差別へのアンチテーゼではあろうし、遺伝子学からしても前述のことを踏まえればギリギリ許容できなくもない表現の仕方であるが、事実は、縄文人は初めから日本列島とその近辺に配置されたである。それも幾種類かの種族があった。アフリカで誕生したとかいう原種の人類が肉体を変容させながら歩いて散らばったのではない。縄文人の痕跡が進入経路に沿って残っていないところを観ても、(海路だとしても)移動してきた形跡がないのであるから、初めからここに居たとしか考えられないのである。世界中のどこにも、縄文土器や遺骨のDNAなどが時系列に残っていない。
自然の作用によって、ある時アフリカ人から縄文人が分岐変容したのではない。縄文人のプロトタイプをアフリカ人の遺伝子コードを元に新たに作成したのである。宇宙人が、である。遺伝コードだけを見比べると、いかにも分岐したように思えるだろうが、そうではない。意図的に『品種改良』されたのである。そうやって北欧や南米、オーストラリア、東南アジア、中東など世界各地に配置され、自然淘汰の様子を観察して改良を加えられたのである。おそらく、今現在も遺伝子の改良はされているし、日本人は最も手を加えられた民族であろうと推測する。また、ジャンク遺伝子と呼ばれている部分を霊的進化によって発動させることができるようになっている。
日本列島にいた種族に限って言えば、昔は東北地方に住んでいて今アイヌと呼ばれている民族は、舟を使いながら陸続きに北アメリカ大陸に渡った。それがアラスカやカナダのエスキモー(イヌイット)やアメリカ先住民(インディアン)なのである。これなど、足跡がはっきりしている。日本から移住した人々だ。スエーデンやフィンランドなど、同じ緯度に住むのに肌の色も目の色も全く違う。彼らは日本先住民というより、それこそシベリアからモンゴルあたりに置かれた種族が移動したのではないかと思える。インディアンの中には「アルイテ族」と称する部族があり、彼らはそれこそ「歩いて」移動したのだそうだ。日本からアメリカにである。彼らが「あるく」という言葉を日本に残して去ったのか、それとも日本にいた時に習得したのかは分からないが(恐らくは後者)、元々日本に配置されたいくつかの種族に、移動してきた種族が混血したりあるいは遺伝子が人工的に移植されて日本人を形成していったのだ。(日本人の民族性である、友愛・調和・統合・高度化などはそれを発露できる遺伝子の組み込まれていることを示している)それをしゃにむに、研究者が日本人の源流を求める。誰もいなかった日本列島にどこからかやってきたという学説そのものを捨てることができないでいる。
遺伝子が高度であれば、魂の高度な領域が覚醒され表現することができる。普通の言い方をすれば、高度な魂が宿ることができるのだ。(宿っただけでなく、自覚しなければ俗な価値観が全てと信じ込むことだろう)また、高次元の霊とつながり、高度な霊性をわがものとすることが可能となる。すると、高度な科学的認識や技術が体現されるのである。あるいは音楽や絵画などを芸術にまで高めることができる。
日本人の肉体に宿ったなら、その気になれば高次元への覚醒は可能である。世界各民族の王家・王族の血が混じっていても同じだ。(こういう発言は差別的だと捉えられがちなので、これまで控えられてきた)
王家・王族が征服され在野に落ち延びたがゆえに遺伝子の拡大が加速した側面もある。交流・混血の進んだ現在は人類の多くの割合が高次の遺伝子を有しているし、ジャンク遺伝子と呼ばれている部分を活性化することができる。ただし、その自覚のない人が多いので、カネさえあれば今さえ良ければオレさえよければ、などと動物的に振る舞う者が後を絶たないのである。それが最も己をおとしめ傷つけることが分からないのだ。それで「なんでんわかっとらすごたっけん、なんもしてやらんでよかとぢゃろ」と出し惜しみする。そうやって手前勝手な理屈をつけて怠慢を正当化し、自分が最大に損をする最善の方法に固執する。
皇族とは、日本にあった王朝の集合体である。「倭の五王」と記録されているあの連合体とその他の王を併合した中心に天皇をすえた。それゆえに調和の象徴であり、本家本元、すべての日本人の源になっているのである。
三内丸山遺跡の津軽王朝、四国の山上王朝、日本海側の出雲王朝、ユダヤ系とその亜種である秦の伊勢王朝(ユダヤと言っても元日本人の出戻りである)、九州の阿蘇王朝などが合体してできている。もちろんそれ以外にも有力な家や豪族はあった。殷や契丹などの人々も日本に戻って来たと思う。それらの融合体が皇族である。
王の家系は遺伝子が特殊であったり崇高な精神が伝承されている。(世界中にあったが、滅亡させられた)それが、婚姻をして数千年の間に縄文人にも混ざっていった。縄文人は元々高度な霊性を表現出来る肉体を有し、平和と許容を好む人種であった。それと王の家系が融合していったのである。
ちなみに、初代の神武天皇はイエスである説をわたしは支持している。彼以上の後継者がおらず西暦ゼロ年の和乱が起き、卑弥呼もしかするとマリアが後を継いだ。余談だ。
霊格のあるレベルに達しなければ、わたしの言っていることの方が奇怪に思え、眉に唾をつけたくなり、あざけりの笑を浮かべたくなるものである。だが、あるレベルを超えると、学問で定説になっていることの方が不可解で辻褄が合わず、(たとえば太陽の表面温度が6000度という説など。K色温度ならそうだろうが)むしろ門外漢で素人のわたしの言っていることが、おおすじそうであると認めるようになる。フリーエネルギーにしろ人類創世にしろ言霊にしろ、健康法則にしろ、どの認識にあるかの違いでしかない。物質科学で実証できないことは存在しないと決めつけ、物理にのみ限定しているにもかかわらずそれさえないがしろにした上に、空想が定説として正しいとされそれ以外が間違っていると見下すのは、宗教の核心にさえ触れられない傲慢なレベルにいる証である。誰かがなんらかの目的で流した噂を鵜呑みにしてまた流している、そんな有様に見える。それが教科書に載せられ子供たちに教えられているからたまったものではない。あんなことを信じているとアタマがおかしくなる。
科学はスピリッチュアリティが土台となっているのにそれに気づかず、宗教とは全く異質の、まるで客観的な事実であるかのような顔をする。それゆえに、程度の低い霊性に基づいた科学をベースにした歴史学や医学などは立ち遅れている。
感受、直感、鑑識眼があるのは、霊感が強いということだ。田中さんご本人の自覚とはちがい、理性だけで言葉や概念を操作する頭でっかちのお利口バカを超えておられるということである。しかし、知識が乏しく覚醒度の低い人には田中さんの描かれる世界は非常に奥行きがあり、広がって見えるだろうが、彼と同等かそれ以上の領域にある人からは狭いカテゴリーの中で活動しているように見えるだろう。それでも既成の研究者とは桁違いの自由さと的確さを有しているのである。
それで、人類創世あたりの言説については、旧石器時代以降の素晴らしい学術研究とは別に、学外の者として変換してお話を聞くのがさらに賢明なことではないかと思う。2万年前から現在に至るまでならこの方の洞察には鋭いものがあると保証する。田中さん自身は既成の学者を遥かに超越していらしゃって、499打ち止めということはないとわたしは思う。
つまりわたしの言いたのは、他の研究者と違い、サイエンスで正しいとされる学説を土台にしてそこから全てを組み上げたり文献至上主義におちいらず、その物の形状から直接読み解かれている知見は非常に信頼出来る、的を射たものであるということだ。その方がテーブルについておられたことに納得がいったのだった。
ちかみつさんは「ポータルが4つある」と言っていた。初めわたしはポータルなど探す気はなかった。ただ、不思議な夢を見ましたよ、と紹介して終わろうと思っていた。それがこんなに長くなろうとは。書いている内に、本当に歴史を変えるポータルがあるのか、そしてそこを変えれば本当に歴史が変わるのか、そんな疑問がおぼろげに浮いてきた。
興味がなかったわけではない。けれども日本近代史百年をしかも全世界に渡って調べ、それもプロパガンダの混入していない正確な知識を選り、まるで地球ごと記録されたビデオの映像を観るように再構成し、俯瞰の視点と接写とを同時に行ない、どこが変更可能なポイントかを見極めるのは、膨大極まりないと思えた。
億劫ではあったが、なんとなくやり進めた。すると、その一つが分かったのである。
次回予告 『ポータルの一つが分かった』
