日記を開くと、2021年4月8日の夜に五人の男が並んで出てきた、夢の話だ。

 

椅子に腰掛けていた。

 

一番左の人は「ちかみつ」といった。その右隣は「水島」といった。なぜ解ったかといえば、彼らの右肩の上に文字が浮かんでいたからだ。

中央にいた人は、眼鏡をはめていた。名前は浮かんでいなかったが、どうやら『すぎやまこういち』さんであるようだ。目が覚めてから写真で確認すると、やはりこの方であった。

彼の右隣の二人はどなたか解らなかった。

左の二人が発起人で、真ん中のすぎやまさんが会長を引き受けているといった感じだった。

この、いつにんの方々から私に提案があった。

「日本が第二次世界大戦で勝った歴史にしないか」

「そんなことできるのですか?」

夢の中の私が尋ねた。

「できます」

ちかみつという人が静かに言い切った。

私は少し考えて断った。

「負けたままでいいです」

8月15日

 

敗戦によるいたでは今も癒えない。様々な点で日本を歪めている。しかしそれでも私はあの時点では負けがベストだと思っている。

吉田茂などは「負けて勝つ」といった柔道の精神で戦後の処理に取り組んでいたようだが、日本は表向きには敗北した。少なくとも戦争継続能力がなかった。本土決戦をすれば状況を挽回できたかもしれないが、そうすると物理的被害が大きくなる。また、思い余って米国本土への攻撃を敢行すればもはや日本の考える『戦争』ではなくなったろう。泥仕合い、滅亡するために決起した戦争ではなかった。

 

負けは負けでいいと私は思っている。そこから学び進化できれば素晴らしい贈り物だったことになるからだ。たとえ石原莞爾が東條英機に替わって軍全体を指揮していたところで結果はたいして違わなかったろう。勝敗は運次第で、その意味では日露戦争を勝利したのであり、それよりも大事なことは目的を果たし、日本の気高い文化を継承していくことだと思う。

そんな考えがつらつら私にはある。

 

ところが昨今、保守的エネルギーの高まりに乗じて、何が何でも日本が勝たねばならなかったとばかりに軍人や政治家を悪罵し、まるで戦争の勝利こそが戦後日本の理想であったかのように吹聴している論者まで現れてきた。

たしかに国際試合にあっては、勝ちと負けでは雲泥の差がある。そのことをよくわきまえた支那政権など「その場、その場の戦いに勝つ」ことを是としている。しかしそんな浅はかな勝ちは自分たちの進化をさまたげるばかりではないか。にもかかわらず、あの戦争はあいつが悪い、あいつのせいで負けた、そのおかげで自分たち後世の日本人まで被害を被ったとばかりに騒ぎ立て、とうとう、吉田茂を売国奴扱いし、近衛文麿を裏切り者の黒幕に仕立て上げ、山本五十六をユダヤ金融の手先のように揶揄するところまで嵩じてしまった。

勝海舟は大ボラ吹きにすぎず、坂本龍馬も全部イギリスに操られていたデクにすぎないと。(わたし個人としては、龍馬はグラバーらを利用して日本をいいところに着地させようとしていたと思うし、司馬遼太郎が実在の人物にたくして説きたかった青年の理想はありがたく頂戴しても、彼そのものを英雄崇拝する嗜好はない)

大和民族がなした時代の変化への適応を無視するがごとくに、まるで江戸時代が続くことこそ日本の保守が守られたといわんばかりだ。

 

戦争の本質が『恐れ』にあることを全く理解しな者たちの遊戯である。

 

ーー軍令部の思案通りにすれば勝てただの、国際金融資本の陰謀があったから負けただの、ほとんど悔し紛れとしか思えないことを言い始める始末。こういった論調は歴史修正主義者よりもタチの悪い、保守や右を通り越した極端なカルトであるのだが、一部熱狂的信者を増やしながら驀進中だ。

 

恐れの波動領域に世界中がおちいっていたから起き得たと認めなければ、その回避の仕方もまた発想できない。せいぜいがところ、誰か特定の政治家や金持ちなどのせいにするのが関の山となる。そうした犯人探しをしても全てをなすりつけるだけで今後の役には立たない。

にもかかわらず、カルト的主張をだいだい的にしつこく繰り返す者の名前が「西」とか「林」とかいう一文字姓であるのは偶然ではあるまい。

彼等の意図は、日本の英雄や偉人を汚し瀆すことで日本人の意識を下げまた自尊心を破壊しようとしているところにある、ニュータイプの反日工作に思える。表面上はいかにも親日保守であるそぶりを撒き散らし、その懐には(日本など、しょせんイギリスの操り人形よ)とか(中国の配下に過ぎない)といった嘲笑が見え透いている。

面構えを観ても、西某など見事な悪人顔。林に至っては詐術と詭弁の得意そうな下顎の発達した狐ヅラをしていて、眉に唾をつけて見ると本性が顕になること請け合いだ。あれら保守の仮面をかぶった者の主張を私は、ストレートにゲスな反日工作をしている連中よりも唾棄する。

瀬島龍三氏や岸信介、吉田茂など日本のために尽力した人物までも、ちょっとした瑕疵をあげつらい面従腹背などと言って、駆け引きの妙も分からず売国奴扱いする輩など、酸いも甘いもないお子ちゃま評論家に思う。自分のところの要求を通したければ相手の言い分も飲まざるを得ないこともあるものだ。国際政治とは短期間のフィフティ=フィフティの取引で成り立っていることが解らぬ愚か者が、日本、にほん、ニホン、で押していかねば気が済まない。そんな粘着質の態度こそ支那鮮人お得意のエゴイズム、俺が俺が俺がの強欲マーケティングというやつだ。

生還した約束通り、瀬島氏がソ連に潜水艦のスクリュー用の工作機を渡したところでソ連にはたいした物は作れない。現に、「それ以降ソ連の潜水艦が静かになった」と自衛隊員が報告しているではないか。(これの意味するところは容易に理解ができるだろう?)

それで政治的判断をしてもらっては先行きが怪しいが、しかし、国内にはそうした幼稚な国粋主義があっていい。そのエネルギーを高い目的に照らしてうまく使うのが腕利きの政治家というものだからだ。戦いの様相を呈してくれば、最前線で石投げる奴、突っ込んでいって刀で斬りつける奴、ちょっと離れて鉄砲打つ奴、もう少し離れて指揮する奴、もっと離れて作戦立てる奴と様々いた方が強い。

 

わたしは、起きたことを踏まえてより高度に進化していくのが最善であるといった信念を持っている。

 

けれども、日本が負けなかったことになっている歴史。この過去を喉から手がでるほど望んでいる人もあるだろう。

それがどんなものになっているか想像することもなく。あるいは、楽観的な帰結を夢見たのであろうか。いや、たった過去の一部を変えるだけで本当に輝かしい現状になっているかもしれない。

わたしは、過去を好ましいものとして変容させるのは今のわたしたちの在り方の上昇をもってするしかない、と認識している。

出来事そのものを変えたところで、結果はたいして違わない。出来事を変えたことによって霊的進化がなされないなら、今このパラレルワールドより好ましくない歴史をもっているかもしれないではないか。中身が変わっていないのに顔だけ整形しても結果がさらに嫌悪するようなことになるのと同じことだ。

 

第一わたしは、日本は表向きのゲームとしての戦争には負けたが、戦争目的は果たしたと思っているので、実質、日本は負けたとは思っていない。まさった、と思っている。

歴史や文化を『日本』か『外国』かの二元論で捉えていない。どう昇華できたか、そこを観る。日本以外を排他的に扱うのでなく、すべて取り入れ、取捨選択し、高度化する。それが日本的だと理解している。敗戦にも功罪があり、敗戦をなくして罪だけをなくそうとする発想はない。

だが、占領政策で、具体的な軍隊や財閥の解体、農業制度の破壊や皇族の縮小以外にも、歴史の改竄、神道の否定、新憲法の強要、正確な歴史を記した書物の焚書、マスコミ乗っ取りによる印象操作、小麦や牛乳の押し付けなどがあり、いまだに引きずっているという認識はある程度の学識のある者には共通した認識であろう。GHQのやった『民主化』に至っては、多数決によって、低いレベルの意思決定がなされる愚衆政治をやらせたいだけだったのではないか。

 

実際わたし自身は中学三年の時に『進出』か『侵略』か問題があり、歴史とは信用ならないものと思い、高校に入っても世界史日本史共にまじめにやらなかった。(暗記している内に信じてしまいそうだと危惧した)そして大学に入ったあとに、近現代史を学ぼうと古書店をめぐったけれどもまともな本がないばかりか、それなりの蔵書を誇った大学図書館にもなかった。文学部にいたので史学科の講義も受けたけれど、釈然としなかった。唯一、惹きつけられたのは、その時期まだわずかに残っていた旧制高校出身の講師による教養部の講義だった。(それがナンバースクールを母体とした大学を選んだ理由だった。ある小説を書こうと志し、その背景として出てくる旧制の学校や日本精神などがいもひとつ理解されないでいる忸怩とした思いがあった。葉隠や鈴木大拙程度では納得がいかなかった)

社会人になってからも古書店を見つけるたびに立ち寄ったり、大阪梅田や福岡市内の紀伊国屋だの丸善だのに毎日足繁く通ったが決定版と言える本に出会うことができなかった。東京に出張した時には時間を作り、神田の古書店も丹念に回ったけれど、見つけきれなかった。(尤も、当時のわたしの興味はもっと精神的、霊的なことにあった。が、それも『精神世界』のコーナーに没頭するほどでもなかった)大学の夏休みや社会人になってからの休みの日には、京都大学周りの古書店も訪れた。国会図書館を知り何度か行ったけれど本を出してもらうのに時間がかかりすぎてうんざりした。文部省の図書館にも入ったことがある。身分証明書だけで入館できた。ちいさな一室にぶあつい貴重な書物が並び、官僚たちが読み込んでいた中で探したけれど目当ての本はなかった。

三十代の前半にはシラベカンガ氏に出会った。彼にとっては当たり前だったのか具体的な史実が提示されず左翼思想にプンプン怒りが先立ち、わたしなりに近現代史を理解するにかなわなかった。それからやっと今から十年くらい前になってネットが発達し、そこで研究者を知りや書籍を購入したりグログの記事を読み、スッポリと抜け落ちた知識を補い、やっと本筋が見えてきた次第である。(日本的精神が自分自身の中にあったのは驚きの発見であったが)

折しもネット上に反日活動が激化していたことが幸いした。主に、中国人、韓国人、在日朝鮮人、それから香港人や台湾の国民党勢力であったが、彼らは真の歴史を知っていた。それを踏まえて、真逆のことで非難してくるので、史実が何かを相対的に見つけやすかった。どうやら、中国の大学の資料室には『真の日本史』が眠っているのが推測された。それから独立台湾人には生きた日本の歴史と敬愛をもって継承された日本人伝があるようだった。

中学時代の疑問と憤りへの答えは、当時の情勢と日本の置かれた状況や思想から公平に観れば、日本とアジア諸国にとっては『進出』であったが、そこを奴隷支配していたヨーロッパ諸国からすれば『侵略』であった。にもかかわらず『侵略』だと言い張る支那朝鮮の現在の支配者、宗主国が白人であることは言うまでもない。せっかく独自の政権を作ったかに見えた毛沢東=共産党=中国は、白人→支那人→アジア人(下級支那人)の構図に戻ったということだ。

焚書とマスコミによる誘導や操作、それらの『嘘』が人々の意識に潜み、言動をつくっている。なぜ自分がそう発想するのか、自覚のない者がまんまとひっかかっている。人々の意識にそれらがどのように巣食っているかその事例をSNSで流すと、コソコソ好奇心で盗み読みし、遮るように横から顔を挟んでは面白半分アソビ半分で揶揄嘲笑し、誰かの悪口を言っていると吹聴して回る者が出てきたのには正直、辟易した。全共闘世代に洗脳された還暦を過ぎた嫉妬深いカントリーボーイたち。かれらにとって日本も、日本人の意識もどうでもよい、ただ、自分や自分たちがホメホメされているかだけが重要なのらしい。「そげん言うたっちゃ、食わんといかんやろう」を金科玉条にした筋金入りの餓鬼畜生、小学の徒、支那鮮人の特性にまで成り下がっている。

 

中からはなかなか変えにくかった。維新後特に言われ続けていたことに、日本は外圧によってしか変わらない、といった認識もある。農耕を主体とし、横並び意識の強い『百姓根性』でなんとなく馴れ合いの因習を続けその中に埋もれ、緊張感も野心もない。不平不満は鬱積しているが、誰も変えようとしないどころか、変える気もない。あんのんとしたうたたねの状態、互いに互いのせいにして鬩ぎ合い、ちょっとでも目だとうものなら足を引っ張り始めるゴマメの群れ。

それが外圧によってやっと目が覚め、重い腰をあげる、といったことは幾度もあったろう。

 

「負けて目覚める」

 

無駄死にと自覚した中で出撃した戦艦大和の中で交わされた会話の中で示された諦観。これは、各方面で実践されたのではないか。

例えば教育制度などは戦争による物理的、制度的破壊を受けて、おおきく変わった。最終戦争と位置づけられた日米戦も終えた当時、アングロサクソンによる侵略に対抗するために考案された明治の体制を変える機会ともなった。欧米列強に対抗するべく作られたエリート養成的な教育制度や陸海軍上層部教育、政治家教育など、もっと大衆に門戸を開く形に変えられた。GHQ教育刷新委員会によって強制的に変更されたと主張する人もあるが、議事録を読むとそうでもない。袋小路になっていた進学システムをいつからでも軌道修正できるよう六・三・三・四制が取り入れられたのだ。(この議事録は福岡市百道の図書館で見つけた。B3版程度の大判2センチ厚の10巻ほどの全集になっていた)

中学が義務化され、それまで十人にひとりも進学できなかった中等教育が全員に開放された。女子も大学に入れるようになった。戦前もいないことはなかったが、特例のようにしてごく少数の者だけが学べたかぎりだった。その結果がどうなったか。光と影がある。ここではそれについて考察しないが、もし敗戦がなければ、エリート養成主体の制度が継続され、やや門戸が広がった程度の学制が残り今に至っていたかもしれない。大卒者は旧制の高等学校の一部や高等専門学校などが昇格しても1万人に満たなかっただろう。『大学の精神』が垣間見え、芳香を嗅げる程度でも多くの者が体験できるようになったのは日本人の意識に大きな影響を与えたにちがいない。

学歴的なレベルでみれば、大卒とそれ以外の段差と大学の入学難易度によるグラデーションのどちらが好かったか、それは各々の見立てに任せるとして、グロスでとらまえた時、学ぶ機会や進路変更が容易になったのは間違いない。早熟の者だけでなく、また年配になって志しても遂げることができるような方向に舵が切れたと言えるだろう。敗戦が大和民族にとって有利に働いた側面も多くあるのである。しかも明治の体制は急ごしらえで無理のあったところも多々あった。それを150年も続けていれば、制度疲労を起こし、いづれ内部から瓦解したかもしれないのだ。

 

農地改革も戻されたし、財閥も復活した。朝鮮動乱を機に日本の工業力が蘇った。神社の祭りも占領が解けてすぐに復旧した。戦前戦中の陸海軍の相克は、武士道の明暗、切磋琢磨を通り過ぎてセクショナリズムや足の引っ張り合いにまで発展していたところがあったけれども、それも統括された。天皇直属をいいことに勝手な動きが可能だった軍部は政府にジョイントされた。戦後憲法は有利にも不利にも働いた。というより、うまく利用してきたと思う。マスコミの世論操作はインターネットによって弱体化した。どの論調を選ぶかは独立心の発達度合いに応じられるようになった。

そう観ると、日本は負けてさらに強くなったように思えるのだ。

8月23日

 

さてここで、夢に出てこられた方々を紹介しておこう。

水島さんという方は、反日団体からは「極右」と敵視され、ご自身では「保守」と称せられているが、右翼である。日本解体が目的の街宣右翼ではない。本物の右翼である。このように定義づけただけで喝破されそうな雰囲気をもった方で、興味のある方はご自身の眼で確かめられたらよいと思う。わたしは、こうした力強い右翼の存在は日本人の集合意識にとって非常にありがたいことだと思っている。『草莽崛起』を標榜し、自らあえて、修羅の道を闊歩されている、日本には一人はいなければならない貴重な存在であると感謝している。私個人としては、膝を突き合わせて話ができるとは思わない。それほどの迫力をもった方である。

ちかみつさんは、どうやら時空を操れる方であるようだ。人の健康状態を数値でスキャンできたり、人類の歴史を調節している人たちとコンタクトがあるようだ。過去のできごとを正確にチャネリングされているのを聞いたことがあるが、非常に信憑性があると思った。もしかするとウォークインで、かなり高度な霊性をもった宇宙存在であると思われる。ホーキンスの指標でも1000を超えていると感じる。そのレベルにある人を今の所この人以外に知らない。

すぎやまこういちさんは作曲家でドラゴンクエストのテーマ曲を作った人としても有名な、ハイセンスな教養ある芸術家だ。政治的立場としては保守ということになるだろう。まだ日本人が日本人に目覚める前からその真髄を見極め促されていた方だ。本来、保守というものは道義心に篤く独立心を得るほど高度に目覚めた個人の、おのずから取る態度である。保守的な思想を信じ込んだ人ではない。ホーキンスの指数では少なくとも500を超えている人たちということになるだろう。その中でもすぎやまさんは、際立って愛国心を育まれた方だと言えよう。元々非常に霊格の高い人で、それをさらに詩歌を極めていく姿勢によって洗練されたのではないかと思う。(国粋主義はエゴの肥大化した程度の低い在り方である)

この御三方は、動画や何かで拝見したことがあったが、名前の分からなかったお二方は夢を見た時点では知らなかった。お顔も不鮮明で名前も示されなかった。公に出られていない方かもしれない。しかしおそらく日本を憂い、想う高次元の方々にちがいない。

 

こうした、尊敬に値する方々の申し出であった。しかしこの夢の話をご本人にしたところで身に覚えのないことにちがいない。

ともかくここ十年ほどの保守の高まりで、日本はなにがなんでも勝たねばならなかったとかイルミナティの陰謀にハマった首脳部は愚か者だとか国内に売国奴がいたから負けたのだとか、日本を第一に考えるあまり、少しでも穢した者は敵とみなすような、過保護とも言える自国擁護が鼻につき始めた、そんな極端な風潮が出てきた中で受けた提案だった。

 

正確に書くと彼らが言ったのはこうだ。

第二次大戦で日本が負けたことをなかったことにする

時空調律プロジェクトなのだそうだ。

時空調律だと確かに伝えてきた。それの意味するところを解することなく、私は「変えない方がよい」と答えた。「敗戦がなかったことによって肥大した負の部分があるから」と。

彼らは黙って聴いていた。

「都合の良いことだけが残るとは限らない」

それが私の言い分だった。言い終えたと同時に湧き出した疑問があった。

「それにしても、そんなことが実際に可能なのですか?」

「四つのポータルの承諾が得られればできます」

ちかみつさんが答えた。

 

説明はなかったが、映像が脳裏に浮かんだ。そして同時に、理解できた。

 

地球の霊的な世界では、幾つかのパラレルワールドがあるのであるが、時間の流れの中に時々歴史の基点となる接合部があるのらしい。そこから分岐している、ーー配管された水道パイプを思い浮かべてもらいたい、異なった時間の流れがある。そのパイプをつないでいる接合部分が、断面は円形なのであるが、ポータルなのだそうだ。

どう繋がっているのかは解らないが、そのポータルの中で「負けたことをなかったことにした」歴史になるよう四つのポータルに承諾を貰えば「負けなかった歴史」を作り出しその時間の流れの中に生きることになる、ということが夢から覚めた直後の白昼夢によって知らされた。

 

いつどこを変えるのだろうか? 

 

ポータルがあるとすれば、やはり幕末から明治維新のあたりに最初の分岐点があるはずだ。

 

江戸幕府を死守すればよかったのか。

イギリスと組まなければよかったのか。

岩倉具視を暗殺すればよかったのか。

岩崎弥太郎を暗殺すればよかったのか。

 

いや、そんな局所的な変更で時代が動いたとは思えない。

 

桂ハリマン協定を破棄しなければよかったのか。(1905)

日英同盟を失効させるどころかアメリカとも同盟を組めばよかったのか。(1902ー1922)

国連を脱退しなければよかったのか。(1932)

日独伊三国同盟を組まなければよかったのか。(1940)

ハルノートに記載されている通り、大陸から全員ひきあげればよかったのか。(1941)

真珠湾攻撃をしなければよかったのか。(1941)

 

歴史の分岐点と言われている事件がある。あくまで相手のあることだ。日本の目論見と期待がはぐらかされたこともあるだろう。そうしようと思えば、日本が引っ込もうがどう出ようが相手はやる。やれると踏んだから追い込んだのだ。

 

真珠湾を占拠し、ミッドウェー島を要塞化してそこからアメリカ本土を攻撃すればよかったのか。

レーダーの開発を促進すればよかったのか。

原子爆弾の開発に国を挙げて着手すればよかったのか。

 

玉砕戦と呼ばれる諸島での戦いや硫黄島、沖縄などでもっとアメリカ軍に打撃を与えればよかったのか。

本土決戦を敢行すればよかったのか。

アメリカに原爆を落とし返せばよかったのか。

調印の日にミズリー号を爆沈させればよかったのか。

マッカーサーを撃ち殺し、占領軍を毒殺すればよかったのか。

 

一体、どこをどう変えて歴史を変えると言うのか。いや、そんな方法なのか。彼らは4箇所変えると言っていた。

8月25