「仮に彼ら彼女らの態度が教会的秩序に反していたとしても、どうしてあそこまでやらなければならない? 俺は見たぞ。顔を焼かれた女を。

ある晩、俺たちの夜会に現れたその女性は顔を布で覆っていた。ブリテン島から来たと言った。

その首や手から、元が透き通るほど白く美しい顔をしていただろうことが想像された。布をほどいた中には、鉄仮面がつけられていた。

彼女は燃え盛る焚火の中に放り込まれた。助けを請う女に司祭どもがひとつのイコンを投げ入れた。そうして言った。『お前の信じるイエス様に助けてもらえ』女は、ぶるぶる震えながら祝詞を唱え続けた。司祭は、嘲り笑いながら足で女の頭を踏みつけた。焚火の中央に」

想像するだにおぞましい。よほどの自己正当化がなければできる所業ではない。おそらく、異端審問会が彼女を裁いたのは確かであろう。だが、訴えたのは、民衆だと想像できた。おんなは巫女的能力でひとの相談事に乗ったけれど、それが依頼者の意にそぐわなかった。遺産相続などややこしい事案だったのだろう。かのじょの予言が的中しなかったとか、取り分が著しく少なかったとか、その腹いせに魔女よばわりしたのだ。

訴えを受ければ領主なり教会は無視するわけにはいかない。そこで、裁判が行われた。

魔女裁判について一般に流布している噂とわたしが方々を旅して実際に起きていることはズレがあった。第一、十三世紀ごろの裁判はほんの一部の宗教者や領主たちによってなされたことだが、この時代になってからむしろ民衆化したのだった。魔女だから懲らしめた、というより占いの通りに従った結果、期待した物を得られなかったから報復したというのが本当のところだ。国王あるいは領主、教会の権力を使い合法的に。しかも糾弾者の名は秘匿された。そう、わたしがやられたのも、同じ論法になぞらえた私的制裁である。が、のちのちは魔女裁判として語り継がれる、いちエピソードになることだろう。権力を覆すために。

村にあるわだかまりや不安を解消するために、疑心暗鬼にかられた村人の一部が余所者やユダヤ人、独り身で頭の弱い女を厄災者としてスケープゴートに仕立てあげることもあった。だがジョルジュには、そんな事実は眼中にないようだ。

「ローマ教を乗っ取り、イエスの教えを奪い取り、神聖な化粧と装飾をほどこした悪の権化。それが、救世主教だ。救世だと? 笑わせるな。

元はと言えば、われわれひとりひとりがおのがじし望む生き方をしながら友和していくための指針が、抑圧し、弾圧し、狭いところに閉じ込めておとなしくさせる傲慢な地獄の法に成り下がっている。天国を実現するイエスの教えを巧みにすり替え、教会だけが肥え太る。なんという腐った世の中だ」

ジョルジュは右の拳を握りしめ、力を込めた。

「教会だけではない。何を盾にしたところで、傲慢と卑しさは同じことを為す。みなしごと孤児院だってそうだ。教会が中絶を禁止しているから捨てる。みなしごが増える。やつらはそれを嘆いて孤児院を造る。かわいそうな子供たちにパンを与え、善良なおとなに育て上げる。従順な下僕というな。自分たちが何をやっているか、サッパリ見えていない。まるで一から十まで、善行尽くしをしていると勘違いしている。徳を与えてやったとふんぞり返る。やつらが何か物を施す度にしつこく恩着せがましい。興ざめして感謝のしようもない」

わたしは目を瞑り黙ってうなづいた。