新聞や鳩山さんや反日・左翼とおぼしき人たち(とにかく何が何でも日本は悪、権力は悪の人たち)は、やれ対立だ、争いだ、どっちもどっちだ、と囃し立て巻くし立てますが、よくよく観れば対立はしていないし、修復するべき破れもないではありませんか。最悪の展開にもなっていないです。騒いでいるのは朝鮮人とマスコミであり、多くの日本人は時々茶々を入れつつも成り行きを静観しつつ、己とおのが国の本質に眼を向け始めている。そんな状態に思います。

韓国朝鮮人がやっていることは、(誰かに操られていたとしても)思い通りにならない小児が癇癪を回したり、あるいは自傷行為をしているにすぎないのです。日本人でそれに追従している人たちは、未熟で反抗心の肥大した人生を呪っている人に思います。

鳩山さんは我が子が甘えてゴテついているのを見ても同じこと(対立)を思うのでしょうか。そして友愛の精神で関係修復をするのでしょうか。痛々しいので、慰めて、自分が何をしているのかしっかりと認識させ、そんなことをするとどんなに自分に損害を及ぼすのか教えてやるのは、それこそいわゆる愛や真心や友愛の出番であるにちがいないと思います。

 

やるのは『諭し』であって、関係修復なのでしょうか。同じレベルでいがみ合い、骨肉の争いをしている夫婦や親戚、近隣関係と同等に見なしてやいませんかね。諍いがあるように見せかけ、周囲に嘆いてみせたり、鬱になってみせたり、いかにも自分が被害者のように言って回る者の霊格が低いのは言うまでもないことです。おれが正しい、私はなんでも知っている、などと思いあがった威張りん坊が、諍いと見るや、なんでも嘴をつっこみ「どっちもどうどう」などと知ったふうな口をきくのです。

 

日本国という格と大韓民国という格がやっていることがそれと同じなのでしょうか。個別に観ればそんな場面もあることでしょう。己の劣等感ゆえに、ここぞとばかりに朝鮮人を嘲笑う卑劣な輩です。けれど、石を投げてくる相手には石を投げ返すことが最善策である場合もあると思います。

葛藤しているのは、中韓の国内なのです。似た者同士ばかりがいて近親憎悪をしている韓国と多民族・多人種を抱えひとつの価値観を無理矢理に押し付けている共産党政府。その鬱憤やはけ口、まとまりのない国内の矛盾を反日活動として外に向けさせているんです。国内問題を解決せず、日本のせいにしてタメにしているのでありますので、まずもって韓国朝鮮人の皆様は自身の心を、いや霊的に生まれ変わられることが先決に思います。

天下泰平、平和ボケしていた日本が彼らと同等にいがみ合っていると見るのは、あまりに眼がないと思います。それにかこつけて、自分を卑下し格下で弱い被害者だと思い込んだ、あるいはなりすました韓国が因縁をつけて金品をだまし取ろうとしているように思えます。

 

 

困っているところに手を差し伸べるのを越して、迷惑をかけたのだからとかかわいそうだからとかイイ人に思われたいからと差し出すのは、愚かです。おためごかしの偽善に過ぎませんね。偽善は必ず自分自身に同じような形で戻って来ます。自分が何をやっているか解っていません。自分のことは差し置いてまで“要らぬお節介”を焼く者も自己満足ではあるかもしれませんが、必ず霊界にマイナスを創り出しています。そうした次元にいる者が多いと、集合意識がその次元に近くなり、政治的決定に大きな影響力を持つことになります。

 

隣とは「仲が悪いもの」でもなければ「仲良くすべき関係」でもないのです。互いの程度の差異によるものなのです。中世に世界各地で起きた、最も賢く最も強いリーダー(覇権)を決める戦いでなければ、たいていは人格の差によって関係性は決まってくるのではないでしょうか。低い所で同程度なら、べったりと仲が良かったかと思えば犬猿の諍いを始める、あの人が悪いあの人が悪いと言い合い、いつまでも腐れ縁で離れることができません。高い程度で同程度なら、互いに尊敬し合い、互いの主体性や独自性を認め合い独立しているが、時となれば最高のものを出し合って協力し、個々人ではできないことを成す。相容れないほどの差があれば、低い方は高い方を妬み足を引っ張るために悪口を言って回るかもしれません。高い方は、不必要な弁明はせずスッと離れて最小限の挨拶だけしておき、あまりの行き過ぎには進化を促す行動をとることでしょう。こんなことはわたしに諭されるまでもなく、誰しも観察済みなのではないでしょうか。

 

支那の政権はこれまで意図的に、近くとは仲たがいして遠くと仲良くするのが“善い”とされてきたそうです。中原にいるかれらはいつ攻め滅ぼされるかと気が気ではなかったのでしょう。政権維持に最も危険な相手をその外の敵と組むことで挙兵できないようにしていたのです。皆殺しして奪った富と権力だからです。大和政権の成りと立ちはそうではありません。大調和に賛同する者を『日本人』というのです。そうでない勢力とは、対決 するのです。大調和に賛同するか否かの命がけの対決なのです。

 

都市部によくいるタカリの常套手段は「仲良くしよう」と言うところから始まりますね。仲良くしようぜ、姉ちゃん。嫌がると「差別はいけない」と怒り「被害を受けたから賠償しろ」と迫ります。みんな仲良くしなければならないと理想を騙り、仲良くしない相手には攻撃したり復讐したりするのは、カルト宗教団体やねずみ講的な健康食品と相場が決まっています。「日中友好」だの「日韓友好」だの唱えている国と鳩山さんは同じセンスの持ち主に思えます。理想を掲げて我欲(金・性・力)を満たそうとしているのです。

 

どうして鳩山さんは中韓にだけ執拗にこだわるのでしょう? 他に交流した方がおもしろそうな国はたくさんあるのに、まるで世界が中韓とゆすりたかりをしようとする日本しかないかのようです。鳩山さんは「愛」という言葉で人々を惑わしてやいませんか。この人の中にある強い信念は〈日本がなくなれば世界から戦争がなくなり平和になる〉というものであるように思います。戦前前後にアメリカがまき散らしたプロパガンダをいまだに信じている、そういう輩は学校の教師の中にもいて、それが平等とか人権とか慈悲の心だとか思い込んでいる。

日本はそんなに強いのか? のぼせあがるのもいい加減にしろ。と言いたくなりますね。なんでも日本が悪いとするのは、日本が世界中の人々の生殺与奪をすべて握っていると言っているのにも等しいではありませんか。同時に自己否定なのです。人生が嫌いで世界を滅ぼしてしまいたい者が同調しているように思います。

 

憎んで憎んで『無』になるプロセスを書きました。韓国と朝鮮人に関して「あがった」人はたいてい『無韓』に至ります。嫌韓や呆韓を経て、達韓だの諦韓をさらに超えて。

憎んで、殴ってやろうかなどと夢想している内は、まだ“愛情”があります。無視、無関心ではなく『無』の境地になるには知り尽くすことです。侮辱、からかい、嘲笑、そんなことをしている内は、同じ穴のムジナ。近親憎悪であるかもしれません。長所、短所、特徴、欠点、程度、歴史、文化、民族性、・・・。偏見でなく正確に知ることが『無』に至ることです。たいていの人は知ったつもりになっているだけのことが多いです。勝手なレッテルを貼りつけて、それについてああだのこうだの言っているのです。生の姿を観ていません。

 

「かわいそうに」などとつぶやくのは、まだまだだと思います。仏陀の真似をして、バカにしてではなく慈悲心でつぶやくのも、大きなお世話に思っています。かわいそうなわけがないではありませんか。かれらは自覚しているか否か、自分で選んで眼をつぶって生きているんです。

わたしがおかしいな、と思うのはそれにもかかわらず「どうしてこんなことになったんだ!」とばかりに他人のせいにするからです。毎食毎食毒を摂取していながら「どうして癌になったんだ! なにも悪いことはしていないのに」と嘆きいかる。ぷんぷんムカムカいつも怒っていながら「どうして肝炎になったんだ。世間に合わせて生きているのに」と不思議がる。かれらが疑問を発するので、こうですよ、と教えると「そんなこと言うたっちゃ、こうやろもん!」となおも自分の選択・決定・信念にこだわろうとするのですから、他人が他人の自己選択の自由にそれ以上なにか言うことができますか。かわいそうもヘチマもありません。かれらは人生をかれらなりに楽しんでいるのです。自分で仕掛けておいた幽霊の人形が突然出てきて「うわぁ!」と驚くような人生の楽しみ方をしているのがかわいそうはありません。楽しそうですね。