百歩譲って、韓国がベトナムに謝罪し賠償金や技術を無料で教えるなら橋下さんの意見も理解できないことはありません。韓日だけでなく、韓越のバランスも取って初めて公平というものであるにもかかわらず、韓国はベトナムに対して知らぬ存ぜぬ、請い願う者を棒で叩き返すような仕打ちばかりしています。そのような者たちを癒す必要もなく、同情の余地などあろうはずがありません。
いつ殺されるかわからない、と戦争は殺すのが目的だとしか考えつかず、そしてどうせ殺すなら肉欲の限りを尽くして、残忍にいたぶり殺すとばかりに狂った韓国軍がベトナム各地で行った奇行と凌辱の数々、いまだその痕跡はライダイハンという存在として生きていますね。
この方には、“立場”しかなく、ご自分が日本という紛れもない『土地』に住んでいるということをお忘れなのでしょうか。妄想に酔われておいでなのか、それともいざとなったら国外逃亡などなさるおつもりか。仮想の観念にばかり拘泥し表層の議論やバランス取りに走って実質をないがしろにするのは『文明の存続ゲーム』には稚拙な方法と思えます。
奴隷支配と被支配者にくっきりと分かれていた朝鮮と、本家本元、国民の多くと血のつながりのある日本人と天皇の関係は全くちがいます。国民のひとりひとりを臣民(おおみたから)として大事にしてきた大和朝廷と支那政権の威信を背景に威張り散らし、人々に何も教えないどころか嘘ばかり教え醜い自意識しか育んでこなかった李氏と両班階級では刻まれた歴史も、文化や技術の持つ愛らしさもまるで異なります。
アジアの凶賊、中華人民共和国。アジアの驕児、韓国。このような者たちにも日本は騙されたふりをして支援してきました。にもかかわらず、泥棒呼ばわりしたり惨殺者の濡れ衣を着せて、威張り散らします。わたしには腹に据えかねるものがありますが、人生を嫌い、人間を憎み、国を 権力のせいにし、世界の滅亡を夢想する者たちには、絶好の味方であるようです。一緒になって自国あるいは住んでいる土地にあだなし、おとしめようと必死です。彼らは戦争を否定し、戦争になったらどうなるか、と脅しますが、では「戦争にならなかったら何が起きるのか」と問うておきましょう。非戦争という侵略、惨殺行為はないのですか? 戦争さえなければ平和と考えるのは、2元論に凝り固まった頭だけの、実態を観察しないド眼暗なのです。節穴の眼をもって平気で持説を唱えて恥ずかしくないのでしょうか。
なに? 「憲法改正が安倍総理の最後の花道」ですって。彼が自身の実績づくりのために仕事をしているとは思えませんね。それは、辻元とそれを支持する妬みがましい者たちの姿ではありませんか。そろそろ余計なブレーキをかけるのはやめにしなければなりません。
安倍総理は聡明な方ですから、追い風だけでなく、向かい風や逆風、煽り風などあらゆる勢力のエネルギーを上手に使って日本丸を運航してきました。保守系の人々の意見ばかりでは国家運営はうまくいかないのです。アクセルとブレーキ、さらにはクラッチやギアを適宜使い分けてこそのスムーズな舵取りなのです。
ところが、それに対して辻元のやっていることは、帆を引き破り、舵を叩き壊し、燃料にゴミを混ぜ、計器類の電線を引きちぎる行為に思えます。そのようなことを裏で画策しているおぞましい顔をしていると思いませんか。うしろめたさでただれ切った反吐をいざなう面の皮がかぶっているようです。今にも臭ってきそうな醜悪な肉体をしているようにも感じます。言うこと為すこと、体制をむちゃくちゃに破壊するのが恵まれない者が幸せになり浮かばれることだと考えている世界滅亡の願望者の所業ではありませんか。あるいは自分が世界一不遇だと甘えている者たちの留飲を下げて生き延びている、あれが妖怪腐汁すすりの形相なのではないかとさえ思えます。若いころはあそこまで堕落していなかったように憶えています。わたしは、20代の頃、30代の彼女にじかに会って話をしたことすらあります。非常に元気のある、既成の枠組みを破っていくパワーに満ち溢れていました。
一方向に突き進む勢力の言うことだけを聞き入れている政府の選択ではどこに行くか、どこに連れていかれるか、解かったものではありません。右翼に走った人たちに着いていくならば、行った先には自分たちの後頭部が見えるだけでしょう。だからこそ、それとは異なる観方や意見が必要です。たしかに、鳩山さんに限らず石破さん、橋下さん、辻元。彼らがそんな役割を果たしていた時代もありました。いまでも、反面鏡や摩擦の役割となって体制の進化・上昇にはからずも寄与していることでしょう。
けれどなぜ、鳩山さんは知覧の記念館や大刀洗の記念館などで哀悼の意を捧げる前に、韓国の慰安婦だとか徴用工の記念館に行っては土下座しているのでしょうか。反体制主義を貫くことが彼の望むような日本を創り出すとは思えません。政治的明確さなのでしょうか。そんな彼を韓国や中国の人たちが絶賛しているとは聞いたことがありません。自分たちを理解してくれる味方というよりむしろ、自国を裏切る最低の輩と見なしているようです。彼のやっているのは、自分の中にある“血の矛盾”を日本が韓国や中国に飲み込まれてしまうことで解消しようとしているとさえ思えてきます。全体の政治的結果を目してのことなのでしょうか?
保守というのは、様々な意見を聞きながら、これから自分たちが成っていく姿に照らして最善すなわち最も機能的な方法の選択をしていく在り方を言うのではないかと思います。左翼の反対をするのは、反左翼主義者であり、保守とは呼び難いです。これまでの伝統を頑なに守り通すだけでは保身という言葉がふさわしいのであって、そうかといって破り破壊するだけでは構築できないのです。大人になってからも反抗期を引きずり、破り散らかすだけの人たちが戦後の経済優先の自堕落社会で跋扈してきましたが、そのレベルにおいては支那人にかなうわけがないのです。バブル崩壊後の『失われた20年』は、日本人の高貴さからくる抑制、歯止め、頭打ちだったのだと観ています。これ以上は下がれない、という節度が拝金主義、儲け主義にストップをかけていたのです。
前の時代の失敗を踏まえるのですから、後世の者が賢くなくてどうするのでしょう。徒な反戦主義(大正デモクラシーの時代)も、軍事による紛争解決(昭和初期)も。どちらも功を奏しませんでした。賢明なる後世のわれわれは、どんな世界をどんな方法で創り出しますか? 問われていあるのは、常にそこだと思います。
