国家間の紛争ですらない、暴動の鎮圧を“戦争”と名付けてもいいのですが、彼らが夢想してきた“韓日戦争”は、防衛省の試算では15分で片が付くとされています。そんな事に、いちいち徴兵がどうのこうの、と騒ぐ必要はありません。「でも! ころすんだろう!」と息巻く輩がいますが、彼らは死ぬのが嫌なら攻めて来なければ済む話ではないでしょうか。

殺さなければ殺されるから殺されないように殺すしかない。などと思いあがっている輩もおりますが、どうぞお好きな所にお逃げください、とお勧めしておきましょう。わたしはあなたのような下卑た卑怯者と心中するつもりはございません。日米戦争での玉砕戦などを想定しておっしゃっているのでしょうか? あるいは特攻のイメージで導き出された定理なのでしょうか? 殺す前に殺された兵隊が一体どれだけいたことか。なんでも実態を知らず概念だけで物を言う知ったか通がいて困りものです。中には訓練中に、中には輸送中に、中には戦闘機に乗り込む前に、一発の弾を撃つことなく死んだ人もたくさんいるのです。内地で空襲に遭って家の中や逃げる途中に爆死した人もたくさんいたではありませんか。特攻の命令は、ただ出撃させるより恩給が高かったからそういう扱いにしていたこともあるのです。末期には飛び立った者のほとんどの者が戻って来なかったのですから、必死も決死もなかったのではないかと思います。逃げた者、逃げ帰って来た者、不時着した者、覚悟の定まらず振武寮に移された者、また我が本懐と敵艦に向かったが、敵戦闘機と艦砲射撃をよけて幸いに敵艦に体当たりできた者がどれだけいたのでしょう。それは上級の技術と一心に國を守りたいという熱意によって成し遂げられたことであって、ほとんどが敵艦の遥か後方で撃墜あるいは操縦不能で海原に漂いサメの餌食になった者もいたのです。

なぜ、こころざしとして行った者まで「無理矢理行かされた」と決めつけるのでしょう。それで彼らの気持ちが理解できているつもりになっているのであれば、悲しいことです。いじめられたかわいそうな自分を解って欲しいだけなのではありませんか。

 

朝鮮が日本に併合されるのを選んだのは、支那と露西亜とその他の国を天秤に掛けて最も利がありそうだったから自ら決めたことであって、中には李承晩のような憎悪と怨嗟の塊もいたのでしょうが、それすら日本は生かしていたではありませんか。竹島を略奪しただけでなく、九州に侵攻しようとしていたのですから、早めに処分していてもよかったのです。

 

なんでもいいです。現在、韓国が日本をゆすっているのは、歴史の問題ではありませんから。困っているから助けてもらいたい、それだけなのです。共闘してきた朝日新聞社の社旗には一切触れないところをみると、反日活動は反日感情を利用し誰かの指示に応じて組織的に意図的に行われているものなのでしょう。それを劣情に流される鳩山さんが、お金を出してなんとか救ってやりたいと思うのはむりからぬことですね。基地反対利得者とか、自称被害者とか訴える弱者とか、そんな人々に同情して政策を決める世間知らずですから。

 

人間の安い感情はよくよく理解しておかねばなりません。しかし、国の宰相たる者がそれに同情して決定してはならないのです。雑音に耳を貸してばかりでやるべき仕事をやらない。にもかかわらず、いまだに考えを改めず現総理を責めるなど、自分は正しい、自分は正しかった、と言いたいだけであって、高い目的に照らして物事をうまくいかせようなどとは考えたこともないのでしょう。基地反対派に混じって座り込みをしたり、現政権の批判をしたり、それこそ歴史的な地であるクリミアに行ってみたりと、置き忘れた青春時代を取り戻そうとしているのでしょうか。とても還暦を過ぎ老成した人とは思えません。評論ばかりしないで実際に動くことは大事なことでしょうが、その目的がどうやら痛々しい。あわれな老後を晒す一流のスーツと靴を身に着けたマセたガキ。それが彼の正体なのでしょう。韓国を裏でたしなめ自粛するよう促し、表で日本側の関係改善を唱えているのなら、彼には賢明さが残されているでしょう。どころがどうやら対立でないことさえ対立だと見なし、焚き付け煽り、日本政府を困らせ自分の無能ぶりをごまかそうとしているようにさえ思えます。

 

そしてまた、かれらの本性は、弱者擁護でさえありません。勝った者の尻馬に乗って、負けた方を嘲る卑怯者なのです。やれやれ・・・疲れた、と小ばかにしているのです。被害を受けてかわいそうといったレベルでしか相手を見られないのは寂しい性根なのではないでしょうか。韓国は独立国ですよ。アメリカの金融植民地化していると言っても。いつまで日本は責任を取り続けて強いふりをするつもりなのか、と問いたいですね。独立心の向上を促してやるのが、愛なのではないですか。

どうして、戦争が善いのか悪いのかの話にすり替えてしまうのでしょう? なにが平和にとって寄与するのか、そういう視点から物事を観ないのでしょう。霊性の進化が戦争をバカバカしいものと見なすのではないかと思います。

いつまでも謝罪を要求し金や技術をせびるのは、強者の態度です。弱者でもない者を弱者と見なして扱うのは、傲慢者(えらぶっている奴)のすることなのです。われわれが傲慢にいる以上、戦争はなくなりません。罪悪感、復讐心、非難、我欲、敵対、執拗、軽蔑、侮蔑、利用、奴隷支配、憎しみ、排除、有限観念、不足観念など、傲慢の名にふさわしい程度であり、どれもこれも相手を滅ぼしてしまおうとする破壊願望に結びついています。日教組の貢献が“戦争を憎ませた”ことなどとは、お笑いにもならない低次元の所業なのです。

 

戦争反対、戦争反対。馬鹿の戯言なのです。偽善者の繰りごとと言ってもいいです。ちいさな戦争が大きな戦争や滅亡を抑止することがあるとは、想像もできないことでしょう。

しかもなぜだか、彼らの想像しているのは、第二次世界大戦当時の悲惨な映像を踏まえたものであります。パソコンやスマホがこれだけ発達したのに、どういうわけだか、兵器だけは75年前から変わっていないことになっている。戦争を憎み嫌うあまり、あまりに不勉強で研究を怠ってこられた結果でしょう。赤紙一枚で徴兵されて、やりたくもない訓練をさせられて、しかも天皇の名の下に、ひどい虐めで可愛がられた挙句、弾もない鉄砲を持って突っ込まされて、生き残ったら自決しなければならないと信じ込み、恐れ戦き、おびえ震えている人がいますね。やられたくないから、やられる前にやり返すとばかりに、お前が学校や部活や職場でやってきたことではないのか? と勘ぐってみたくもなります。

 

戦争を終え高に叫び、恐れる者たちは、どうして戦争になるまで放置しておくのか。と不思議に思います。戦争になるまで手を打たないのはていたらく、怠慢の極みであります。反対し、憎みさえすれば戦争が起きないと思うのは、盲目以外の何物でもありません。『戦争』になるからには、中韓の国力が相対的に日本を上回った時でありますので、それまで経済も防衛も指をくわえて放置しているつもりなのでしょうか。そうすると、戦争どころか、一方的な侵略と蹂躙が行われることになるのですが、それでも構わないという覚悟があってのことなのでしょうか。そんなことはありませんね。“戦前の日本”や“憲法改正”を深刻な顔で唾を飛ばして罵る輩に限って、日頃からちょっとしたことでも非常に攻撃的であることは誰しも目にしたことがあるでしょう。

戦争反対の恐れは、すぐに日本を敵視している国や勢力に利用されます。盲目で怯えたような態度はそれだけで外観誘致をしているとさえ言えるのではないでしょうか。戦争をよく観なければなりません。国際情勢を精確に読まなければなりません。

 

戦争をやめ、平和に調和的に生きていく世界を創ることは、憲法を変えるか変えないかの話なのでしょうか? 憲法を変えたら、どうして戦争になるのでしょうか。むしろ、戦争を阻止することにはならないのでしょうか。これまでは平和だった。平和を維持してきた仕組みをいじっては戦争になる、と考えるのは恐れによるものだと思います。何度も言いますが、恐れは、縮こまり、固まり、眼を塞ぐ行為です。そうしたら、平和を維持し、あるいはもっと高次元の平和が実現していくのでしょうか。

日本の法律が通用しない、国際法も守らない連中にキレイゴトが通用するとは思えません。戦争(あるいは侵略の阻止)しないでいいように先手を打つことが大事であって、憲法改正がそれに該当するならした方が好ましいし、改正せずとも可能ならそのままでもいいという話なのではないでしょうか。改正するぞ、という態度を見せることが抑止になっている場合もあるのです。

戦争反対を唱え、危機を煽られる度に、そして相手がゴネる度に金と技術を払って“戦争の危機”を回避し、相手を太らせ対等以上にするのでしょうか。現に、中共国にあってはそうしてしまいましたね。それで平和を維持し、今後もそのままだと信じるのは、盲目な人たちの信奉するカルト教に過ぎません。どうもかれらには、争いや血を好む、ホラーチックで猟奇的嗜癖があるように思えてなりません。変態的、自虐的、加虐的快楽を求めるレベルが問題をすり替え、何が高い目的にとって役に立つことかを蹴散らしているように思えます。