2000年くらい前にイエス=キリストと呼ばれた人がおりました。中東やヨーロッパから戻って来た彼は日本でのちに神武天皇と呼ばれるようになった、ある國のオサです。(おそらくは、九州の箱崎から有明海の間にあったであろうヤマト國で、その精神に賛同する國が連合国を作り、また多くを吸収していき、のちに紀伊半島に移った。島々の國を統合して、オオヤマトとなったにちがいない)
彼はこんなことを言い残したとされています。
『汝の敵を愛せよ』
『迫害する者のために祈れ』
もしかするとボリスカ君も同じようなことを言いたいのかもしれません。が、イエスは非常に賢明な知性の持ち主に思います。
迫害する者のために祈れ。
どうしてこんなことをやり、また勧めるのでしょうか。彼には父と精霊と子の関係がよく解っていたと思われます。
思考―言葉―行動
原因―行動―結果
想念―観念―現実
霊界―霊体―肉体
これらはすべて同じことを言い現わしてします。これが解っている人は、病気もしませんし、思い通りの人生を歩んでいます。嘆きませんし、愚痴も垂れません。他人の醜聞を言って回ることも足を引っ張ることもありません。なんでも他人のせいにしたり甘えたりしません。
知ったかぶりも教えたがりもしません。あれやこれやと理屈を付けて富をガメ込んだり搾取したりもしません。
イエスは、物欲や所有欲にかられる者が「天国に行くのはラクダが針の穴を通るより難しい」と言っています。どうしてそうなのかはまた別の機会に核として、ともかく基督者となった者は、そんなことをして望む現実を体験できるはずがないと熟知しているからです。常に、望むものを創出し、今に感謝し満足しているからこそ、もっと感謝し満足することが創造されるのです。(いつまでも満足しない、というのを向上心のあることのように触れ回る者がありますが、それは餓鬼の性分であります)逆の言い方をすれば、いま実現していることは全て自分が創り出したことを知っているからです。
さて、その彼が「迫害者のために祈れ」と言っています。「敵を愛せよ」と。
迫害者は、霊界に何を創出していますか? ちょっと考えてみてください。
それに応じ、同じレベルのものを霊界に創るとどうなりますか。
そのことを知っているから、祈りを創って出しなさい、と教えているのだと思います。
そうすると、迫害者は迫害者の現実を得るが、自分自身は祈りと同等の現実を得るのです。
では、イエスはなんと祈ったのでしょう?
おそらくは「彼らの願いが満願成就しますように」とでも祈ったのではないでしょうか。
これは非常にヤクザで、かつ天才的賢明さを兼ね備えた現実創造法です。
自分たちはプラスの現実を創り悦び歓喜するが、迫害者たちはマイナスの現実を創り苦しみ悶えるのですから。
迫害者は、害意をやめればいいだけのことです。
敵を愛するからこそ、大悟に導く。なんという大きく慈悲深い愛なのでしょう。
