恨みは常に、今、創られています。何度でもなんどでも再生産されます。さらに恨みによって肥大した怒りと被害妄想が彼らが自ら噴出させている原動力なのですから、なにをどうやろうが外から変えることはできないのです。自分たちの出したことによって起きてきた事象、結果、現実を観て、自分たちで新たな自己像を抱かなくては変わりようがないのです。過去のことを持ち出してくるのは、絶対に変更できないからだと思われます。恨みを晴らすために変えようのない過去の出来事あるいは捏造した過去をもってくるのです。ですから、どんなに『「今」と「これから」』を変えても、今のところ永遠に納得する気がないように予想されます。
そしてさらには、被害者になりすまし、金品あるいは技術、それから他に優越できるようなポジションが欲しいのであり、過去の清算には興味がありません。慰安婦団体を筆頭とした反日組織は日本にゆすりたかりする政治的経済的装置にすぎません。
しかしそうした不労所得や研究なしの成果を与えられれば与えられるほど知性が衰え、ますます餓鬼畜生あるいはそれ以下の道を極めていくことになるでしょう。いつまでもそんなことを許していては互いの進化を阻害します。
韓国と韓国人のやっていることは、アメリカでは『被害者ビジネス』と言うそうです。日本では『当たり屋』が相当する言葉かと思われます。
むかし『積木くずし』という書籍やTBSドラマがありました。あの中で更生を請け負った、古谷一行演ずる警視庁の指導員が、無理解で押し付けがましく、また甘やかし子煩悩な両親にアドバイスしていた方法が韓国と韓国人には適用され得、また効果があるのかもしれません。「どんなに泣きわめこうが、金を渡してはいけません」「門限(約束)を破ったら外で殺されようが家に入れてはいけません」
病気や怪我と嘘をついたり、泣き言を言って情に訴えたり、「もう死ぬ」と憐れを誘ったりして、中に入れてもらおうとしても、「絶対に入れてはいけません」「謝って許してやるのは最初の一回だけ」「もしものことがあったら、それはお子さんの寿命です」
(主人公の香緒里自体は不良にからまれ役者である父親の不名誉にならないよう、不良となってからまれるのを防止しようとしたのが、修羅に落ちて行ったようです)
警視庁指導員は他にこういうことを言っていました。「子供と話し合いをしてはならない」「両親からは話しかけない」「子供の方から話しかけてきたら、愛情をもって相槌だけ打って意見を言わない」「子供がなにをしても叱らない」「子供が何か言ったら、よくその心を読み取って、返事だけする」「子供に交換条件を出してまで何かさせようとしない」「交友相手やその両親に抗議に行ったり電話をかけたりしない」「日常のあいさつはただしくすること。相手が応じるかいなかにかかわらず」「交友者から電話があれば事務的にかつ正確に子供に伝える」「子供がうちに帰らなくても探さない。帰ってくるまで放っておく」
これは心配性で子煩悩、世間体ばかりを重んじる未成熟な親の更生をも図ったアイディアですので、普通に大人になった日本人や政府関係者なら韓国のような相手にどうするべきかよく解っていることと思います。毅然とした態度で、まずもって自分自身、日本人、日本政府が甘え甘さをなくさなければならないのは言うまでもありません。同情心や憐憫による思いやりは、だらしなさでしかないですから。
原作者の穂積さんご家族は互いに学び合うために親子になられていたのでしょう。おのおの、己の甘さについて反省し進化することがあったのではないかと思います。
今の韓国が日韓が併合して産み落とした鬼子なら、日本は、友愛?
リアルタイムであのドラマを観ていたわたしには、どうして指導員があんな厳しい態度を勧めているのか、また両親がなにをあんなにすったもんだしているのか解らなかった。ただ暗くて騒がしく、両親と主人公の香織里が同類のものと映っていただけでした。けれど、いま再び見返すならば、なるほどあの指導員は肝の据わったある種の覚者であったのだと思うでしょう。
