遠回りして帰る途中に、藤豆を見つけた。なんとなく足が向き、しばし彷徨った末にイザベルと落ち合った通りに出たのだった。ねじれて縮れた莢(さや)は黒ずみ、恐らくは去年の物だろう、はじけそこなった焦げ茶色の実が広場脇の茂みに残っていた。手の届く範囲の豆を全部取って胸ポケットに入れる。黄色い落ち葉に埋もれた銀杏(いちょう)の実をあさった。アパートメントに住むようになり、それまでにも増して差し迫って来る特徴が、とにかくパリには土がない。地表の全てが石板で覆い尽くされ、畑を作ることができないのだ。うすぐもりの宙(なか)、落ち葉は濡れていた。あたりを探索すると、壊れた木樽ジョッキが捨ててあったので皮を剥いた実を詰め込んだ。こうすれば、ギンナン特有の匂いを服につけないで済む上にまとまった数の実を採集できる。パリの街で食べ物を集めて廻る。一顆(いっか)の野苺、川べりの末枯(うらが)れた藪の、ほとんどがしぼんだ中に、まだ紅色を残した木苺をいくらか見つけた。ワインに漬けておけば長持ちする。しぼんだやつは水に漬けておき小麦を手に入れたならパンを焼こう。
バスティーユ付近の広場に寄り、装飾岩の横に並べていた岩塩を拾った。アルプスの山で見つけた物だ。紫がかったエメラルド色をした小粒の結晶の雑じった、こぶりのカボチャ大の石だったが重くはない。これを塩だと鑑定できるパリっ子はいない。ズボンのポッケに落とす。また、その下に埋めておいた琥珀の原石も掘り出した。
火鉢でくすんでいた灰の中の炭を起こし、銅パンを置いた。焼き焦げがつき、表面は黒くザラザラしており、ところどころ緑色に変色していた。銅板の四辺を内側に反り曲げたもので、少しの水分ならこぼれなかった。なんでもそれで炒めて食べた。はじめ、旅の最中やるように薄手の石片を拾ってきたが、火力が得られずうまくいかなかった。古物商で銅板を買い求め、四隅に切れ目を入れ、叩いて伸ばし穴をふさいだ。だが、いま真っ先にやることは、じぶんの手をくべることだ。丸めて口元にもっていって息を吹きかけては炙り、裏表とひっくり返した。かじかんでいた指が感覚を取り戻し始める。その手を胸ポケットに伸ばす。
水は少し外れた川べりの井戸にまでいかなければならなかった。渓流の水はそのまま飲めた。岩清水の味は甘かった。だがパリの水を飲むにはコツがいる。汲んで来た桶に石と木の葉と炭化させた枝を沈めておくのだ。多孔質の軽石がよかった。木の葉は森に堆積した物か小川に落ちた物がよかった。それをさらに沸騰させて飲まねば、パリに長年住んでいる人と同じようにはいかなかった。腹を下したいときは別だが。
小窓の直ぐ下の床石がひとつだけ外れ、そこには木製の板が嵌め込まれていた。取り外すと床の土に深い穴が開いていた。穴の底には水がたまっていた。が、なんに使っていたのか不明だったので、そのままにしていた。
野菜は、市場で売っていた。
農場や農園は領主が農奴に作らせていた。それなりに安心できる水分となれば葡萄酒やサイダーを買うことになり、ライムギしか育たない土地でも生活を担保できる広さを持つことなどできなかった。
食い物はーー、パリ民たちの生殺与奪は全て、領主に握られているというわけだ。
金がなければ暮らせない。金がなければ、なにもできないのだった。自然にある物の中から食用物をえり分ける知識も眼も、ほとんどが役に立たない。ともあれ、買うしかなかったので、おとといから売れ残っていた堅いパンを買ってきて水でふやかし、絞って銅板に乗せる。この方が小麦からパンを作るより、当座の出費は少なかった。
野草を丸めてパンに挟んで食べたり、スイカズラの赤い実、エノキの紫の実、冬苺のなどをフルーツがわりにし、アオキの種を乾かしすりつぶして茶にして飲んだ。そしてとっておきがキノコである。木耳の仲間は見つけやすい。嫌われているユダヤ人の耳たぶに似ているというので、誰も食べない。
銅パンに乗せるとじゅーっという音が出た。岩塩を削り、振り掛け、吸盤で吸い込むように口に入れる。べるるっという音が味を変えた。幹の香りが弾け、表面の滑らかさとコリコリした触感が際立つ。宿主にした樹木の成分が熱気を呼び、塩分の浸透によって関節が動き始めた。不足すると意識が漠然としているのが分からない。
藤豆は粃(しいな)もいくらか雑じっていた。乾燥した豆はヒビの入った頤(おとがい)に響く。左上部の頭蓋骨と左のほおぼねもきしむ。正々堂々とした、無抵抗者との“決闘”であって、被害なき復讐だ。“やり返している”のは、まさに彼の方だったから。噛むたびに奥歯の一点を中心に頭蓋骨の形状を自覚させられる。前歯に軽く挟み、ゆっくり唾に馴染ませるように粉砕していく。しかし噛むことで筋肉が戻り、痛みは快楽ともなった。ふと、マロンが食べたいと思った。が、故郷のフィレンツェのようにはいかない。わたしの知る限り、近郊に栗の樹はなかった。
口を動かしながら、さっきもってきた琥珀の原石を取り出し、布で磨き始めた。旅すがら、暇な時にこれをやっては各国の要地で宝石商や装飾店に持ち込んだ。それなりの金になる。琥珀は山の落ち葉の下などに紛れていた。アルプスのやまやまには、古代の動植物を含んだ化石や宝石の原石が転がっていることがあった。拾ってザックに入れ、商人に引き取ってもらう。鉱石にはそれぞれ、ひとの心(意識)や周囲の空気(電磁波)を変化させる力がある。けれども、身に付けすぎには注意が必要だ。王侯貴族たちの邪知暴虐の政治はそんなところから来ているのかもしれない。
銀杏の実を焼くと弾け飛んだ。小石で叩いて中身を出して食べる。叩いてから火にくべると出来上がりが分からない。藤豆を焙煎し、口に入れ、ポリポリ音を立てていたところにジョルジュがやってきた。
